K・エニアグラム理論や当会に対しての質問(48例)

  
                                                                       

 このページは、2000/01〜2007/07の7年半の間に、Q&A室での質問文と
回答文のなかで選んだもの12例を掲載しています。なお、
赤字の数字は、
質問順の通し番号です。このページを読めば、性格分析の仕方と理論的
な説明があり、当「エニアグラム性格学」を理解頂けるものと思います。あ
なたが疑問に感じていることも、このサイトから答えを見つけ出せるかもし
れません。何かあなたのお役に立つことがあれば幸いです。  

  1463   性格診断チェックについて    質問者(ズツキ)     2007/05/23

 タイプ判定には納得しておりますが、180項目の自己判定テストではタイプ4に18もチェックがつき、次に多かったのはタイプ1と6でした。8割の方が自己判定で正しいタイプを捜せないのだとしたら、性格診断チェックは「自分のタイプを判定するテスト」ではなく「8割以上の確立で自分のタイプではないタイプを判定するテスト」になってしまいませんか。それとも私のような粗忽もののタイプ2が、特にタイプ間違いをしやすいのでしょうか?
回答者(りゅうとうまりこ)                 ズツキさん、こんにちは!   2007/05/23
 
 タイプ判定を依頼されて、それに対して回答するときは、いつもドキドキします。なぜならば、ショックになる人がしばしばいるとわかっているからです。ショックというよりも、激しく立腹して当サイトに対して攻撃的になった人も過去にありました。大変な仕事をしているのだと、つくづく思います。

 正しいタイプを言い当てられると、それは「わが身に思い当たること」なので、かなりショックを受けます。自分のタイプなど無くなればいい、とさえ感じる人もいます。他のタイプの欠点のほうが、自分のタイプの欠点より、ましに見えたり、よく見えることさえあります。

 一般的な傾向としてあるのですが、間違ったタイプを自分のタイプだと思ったほうが、気が楽で受け入れられやすいようです。ショックになる人ほど実は、そのタイプが当たっているのですが‥‥。

 性格診断チェックの件ですが、実は、別の違う方法はないかとずっと探してまいりました。書き出してみたこともあります。しかし、これまでのところうまくいきません。たとえば、あなたが書いてきたような自己像は、タイプ2w1の女性にしばしばあることですから、それをタイプ2w1のチェック項目に取り入れてみます。

 すると、そのような自己像を持たない2w1の女性もたくさんいるために、その人たちは「自分は2w1ではない」ということになり、自分のタイプを見つけにくくなってしまいます。 また、タイプ2w3の女性たちの自己像としてよくあるものは、2w1のそれとはかなり違います。さらに2w1の男性も、女性たちとは少し違います。他のタイプも全て同様に考えられ、各々にさまざまな自己像を持っています。

 また、それらは生育歴も関係しますから、違って当たり前とも言えます。運不運の違い、体験の仕方、どのような体験をしたのか、その違いや、めぐり合わせや能力など、さまざまなことから、人は、その人なりの自己像を作ってしまうようです。従って、人の数くらいの「自己像」があると考えられます。

 このように説明するとわかると思いますが、性格診断チェック項目に、何を取り入れるのか、それを決めるのは容易ではありません。100項目くらいあれば、精度が増すことはわかっていますが、それでは多すぎて、ほとんどの人たちは、やる気が失せてしまうでしょう。トライしてくれる人がいるとは思えません。10〜20項目くらいが適度ではないかと思います。もっと短くてすぐにわかるものを作れないかと、出版社の人にも言われたことがあるほどです。むろん、「不可能だ」と即座に返答しています。

 ところで、性格診断チェックで正しいタイプを見つけ出す人は約8割程度ですが、当会の講座に参加すれば、入門講座5回で見つけ出すのが普通です。1回目の講座で見つけ出す人もしばしばいます。当サイトに書いてあることを手際よく説明しているに過ぎませんが、なぜか直接受講された方は、早く正しい自分のタイプを見つけ出しています。文章として読むと、それぞれに勝手なタイプイメージを作り上げてしまうことがよくあり、そのせいもあるかもと考えられます。

 一方、他の会では8〜10年も自分のタイプがわからない人たちがたくんさいると伝え聞いています。また、エニアグラム研究者自身が、間違ったタイプを自分のタイプだと思っているらしいと見ています。当会との違いはどこにあるのかと言えば、理論の違いと各タイプの性格分析が違うことが原因だとは思います。

 が、それにしても、タイプを知ることが、どれほど困難なのか、窺がわせられるものです。ですから、タイプ2のみが、自分のタイプがわからないのではなく、全てのタイプが自分のタイプを見つけられずにいます。そのほうが多数であり、普通の現象だと言えるほどです。

 ところで、全ての人たちに、「エニアグラム性格学」を知って頂きたいという思いはありますが、それは無理だろうと考えています。また、本当の自分を知ることはとても大切なことだと力説しており、多くの人たちに考えてもらいたいものでもあります。自分を知り他人を知れば、どれほどに世界が違って見えるか、それは驚くほどのことです。

 しかしながら、多くの人たちに知って欲しいと思いつつも、むしろ「狭き門」であったほうがよいとさえ考えています。なぜならば、たとえば、東大に入るための門は狭く、一流の音楽家になるのも狭き門が厳然としてあります。それと同じで、本当の自分を知ることも、「狭き門」が立ちはだかっていると考えられます。

 ただし、小学6年生からタイプ判定を依頼されましたが、先に自分の正しいタイプを見つけ出しています。逆に、60代の男性から依頼されて判定していますが、タイプ誤認しているだけでなく、こちらの判定を聞いて大ショックとなり、こちらの判定がおかしいと非難されたこともあります。30代で一流大卒の一流企業勤めの人も、自分のタイプがわからなかったようで、優秀であるとか、年齢とか能力というものとは、無関係みたいです。

 その小学生は自分を知るために何の努力もしていませんが、それは東大に入るために何の努力もせずに入学できる人がいるのと同じではないかと思います。軽々とピアノに上達してしまう人もいます。世の中は公平にできていません。ですから、エニアタイプを知り、幸せになる人もいれば、何の変化も起きない人もいますし、人間関係に役立てていない人もいます。

 本当のことを知るには代償が要るというべきか、ショックを受けても、それを乗り越えねばならないのではと思います。そういう人にしか「門」は開かないのかもしれません。しかし、楽々とその門に入っていける人もいるようです。しかし、楽々と入ったようにみえる人が、充実した人生を送るとか、真実を知ることができるのか、それはまた別のことだと思わざるを得ません。

 結論を言えば、これまでの性格診断チェック表でよいのではないかと、現在のところは考えています。2割もの人が自分のタイプがわかるのならば、よいほうではないかと。しかし、全く別の診断できる何かを作ってみたいという思いはあります。

 なお、アンドレ・ジイト著に「狭き門」というタイトルの本がありますが、それは聖書マタイ福音に書いてあるものを意味しているようです。「狭き門より入れ。滅びの門は大きく、その道は広い。そしてそこから入って行く者多し。命に至る門は狭く、その道は細い。そして、それを見出す者は少ない」

 

o1428 基本理論「世界認識」の違いに関して知りたい   質問者(楓)  2007/03/15

 はじめまして。いつも楽しくホームページを拝見しています。「世界と否定的に結びついているタイプ」と、「肯定的に結びついているタイプ」の違いについて質問があります。私は、初めて会う人や、一回きりしか会わない店員などには人見知りしないほうで、比較的明るい人という印象をもたれることが多いのですが、職場や学校などで半年くらい顔をあわせ続けていると、妙に周囲に違和感を感じ、態度がこわばって無口で防衛的になってきてしまいます。あと、はじめは他人を信用し、わけ隔てなく愛想よく接するのですが、一度ギクシャクした関係になったり、相手の言動に傷ついたりすると、表面は相手と変わりなくつきあいますが二度と信用しなくなるところがあります。こういう場合は、「世界と否定的に結びついている」のでしょうか? 「肯定的に結びついている」のでしょうか? よろしくお願いいたします。
回答者(りゅうとうまりこ)        楓さん、はじめまして!    2007/03/17

 
「信用」という言葉が二箇所あります。それはどちらかというと、「自分と世界は肯定的に結びついているタイプ(2・6・1)」のほうの人たちがよく使うセリフです。人を信用しやすい気質ですからね。

 「人を信用できない」とか「人間など信用しないようにしている」などというようなことをよく使ったならば、「世界と否定的に結びついているタイプ(8・3・7)」のほうに見られるかもしれませんが、その逆です。肯定タイプの3つになることが多いんです。否定タイプの3つにとって、信用していないのは最初から最後までで、特別なことではないのでセリフとしては出てきません。

 
「二度と信用しなくなるところがあります」とありますが、「信用」というものを築くのは大変なことではないかと思います。並大抵では築けないと考えることもできます。となると、「信用」という言葉を安易に何気なく使えるとしたら、基本的に人を信用しやすい気質の人ということになってしまいます。信用し合えることなどまずない、大変な努力がいると考えるのが「世界と否定〜タイプ」になります。

 そして、
「わけ隔てなく愛想よく接する」というセリフも、主体的な印象のある言葉遣いというべきか、ちょっと優位性みたいなものを感じさせます。 親が子どもに、教師が生徒に対して言うセリフ、「私は君たちみんなに対してわけ隔てなく接しているつもりだよ‥‥」という感じです。優位的なセリフをつい使ってしまうのは、「世界の中心にいると自己認識するタイプ」の可能性がありそうなところです。

 さらに、
「愛想よく」が入ってますから、無愛想になりがちなタイプではないとみることができます。「世界の中心にいると自己認識するタイプ」では、タイプ8と5は無愛想な人たちです。

 その他の情報には、タイプを絞れるものがありません。しかし、たかだか9行くらいの文です。タイプが絞れるものではありません。また、「世界と肯定的」か「世界と否定的」なのかも、まだ判断してはいけない段階にいます。こんなところですが‥‥。

回答に対する返事          楓さんより     2007/03/19

 回答ありがとうございました。また、質問させていただくこともあるかもしれませんがそのときはよろしくお願いいたします。

 

3 1422   コンプレックスの程度の差について      質問者(椿)     2007/03/04

 
レポートの中にあることで質問します。「タイプ2は、息子に対して複雑になりやすいタイプです。娘にはあまり関心を持たない人たちなので、複雑な心理状態になりにくい人です」という部分ですが、前半部を無視し、完全に誤読してしまっていました。申し訳ありません。まだよくわからないので、改めて質問させて頂きます。
 基本理論でタイプ2は「子供コンプレックス」と「男性一般コンプレックス」があるとされているので、タイプ2は性別が男性で子供である人々(男児)に最も意識が向きやすく、性別が女性で子供でない人々(成人女性)に最も意識を向けにくいのは想像できます。しかし性別が女性で子供である人(女児)と性別が男性で子供でない人々(成人男性)を比べるとちょっとわかりません。この部分は全体的に長いスパンで見たとしても、一概には言えない、程度差はないということでしょうか? 変な質問で申し訳ないのですが、内容の違うコンプレックスが二つあることに混乱してしまっています。
回答者(りゅうとうまりこ)         椿さん、こんばんは!      2007/03/04

 まず、当エニアグラム性格学での「コンプレックス(複雑なの意)」とは、「劣等意識」を意味していません。それを先に明らかにしておきたいと思います。次に、「複雑な心理状態になりやすいタイプ」というものがありますが、「状態」ですから、その状態が深刻になっていると、誰の目にも明らかになります。それゆえ、たとえば、「あいつはマザコンだよ」などと、嘲るように使われることがあります。

 しかし、状態が軽度であれば、本人も自覚症状がなく、周囲の人たちにも知られていません。全ての人たちが同じくらいに複雑な心理状態に陥るのではありませんからね。また、ひとりの人の心の状態が一定ということもありません。常に移り変わるものです。深刻なファザー・コンプレックスのあった男性が、父親と和解して深刻ではなくなることがあります。軽度であった人が、重度になることもあります。

 そのような大変に把握できにくいものです。タイプ2の人たちの多くが
、「女児」「成人男性」のどちらを強く意識するのか、調べたことはありませんし、調べようもないことに思います。

 さて、タイプ2の母親が息子に対して、かなり複雑な心理状態に陥り、息子など死んでしまえばいい、とさえ思うことも出てくるのではないでしょうか。しかし、その息子がまさに死んだら、死にたいほどに悲しむのも、その死を願った母親自身になるてしょう。しかし、息子のことなどすっかりと忘れてしまっているタイプ2の母親もいます。仕事に夢中になっているからという理由もあるでしょう。それこそ、人それぞれであり、いろいろなんです。

 10代のタイプ2の男性が、幼稚園児に強くひきつけられて、教員になってしまうこともあります。しかし、ある10代の男性は、子どもは嫌いだと言っています。大学受験があるので、子どものことなどまるで考えたことがない人もいます。また、女性服を売る仕事に就いているタイプ2の男性は、男性のことより女性研究のために、女性のことばかり関心を向けていることもあると思います。

 また、タイプ2の男性が、近くの小学校に登校する男児には強い関心を向けていますが、他の男児のことはまるで無関心ということもあります。問題児に比較的関心が向くのは理解できるでしょう。または、優秀で魅力的な男児に心引かれて、関心が高くなることもあります。おとなしいだけの何の問題を起こさない男児は、タイプ2でも気にならないものです。

 ツラツラと書き出すと、少しはわかってもらえるでしょうか。こんなものなんです。どうしたら、また、どのように言ったら、あなたの質問に答えられないことの意味を知っていただけるのか、ちょっとわかりかねます。が、とりあえず、これにて回答とします。

 そして、内容としては、
「コンプレックスが二つある」は、タイプ2だけではありません。そして、人が関心を持つ対象は、一種だけではありません。さまざまなことに関心を持っています。その中でも、とくに強く意識する対象者が、同じタイプは同じになることを発見しています。以下のアドレスに掲載しています。
     
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/static/theory5.htm


 ところで、男は女に関心を持ち、女は男に関心を持つようになっていますが、それも生得的なものです。そういう関心を生まれついて持つために、人類は子孫を残すことができました。しかし、男なのに、男に関心を持つ人(ホモセクシャル)もいます。しかし、ホモでもないのに、そういう男たちが実際にいます。たとえば、男ばかり登場させているマンガは、これまでのところタイプ2とタイプ6だけです。9つのタイプ全てにある現象ではありません。(なお、男に関心が強いのは、261ですが、タイプ1の人が作ったマンガ作品をまだ一つも発見してしない)

 母親たちは子が生まれると、子に関心を持つように生得的に設定されています。しかし、母親の中には、たとえば、子どもよりも夫に、夫よりも実母のほうばかり見ている人たちがいます。それが現実です。そういう実際にある変わった現象をうまく説明している心理学理論は皆無です。世界中で、当「エニアグラム性格学」のみです(私同様に、どこかで無名の人が発見して、地道な情宣活動をしているのかもしれませんが)。 いまだに、「性格」というものは後天的に形成されるものだと捉えているところばかりですからね。

 しかしながら、生物学的な見地では「関心」というものは生得的なものです。それでなくては、子どもは生まれず、無事に生育することもありませんからね。動物界でも同様です。親に教えられて、子どもに関心を持つのではありません。教育や環境でもありません。そうせよと、遺伝子が囁いているみたいに自然な成り行きになっています。

 そして、当エニア理論には、人々に「あまり関心を持たれたくないタイプ」がいます。「自分に関心をもって欲しいと強く願うタイプ」もいます。以下のページに載せています。


   http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-1~/15-8.htm
   
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-1~/15-9.htm
 

 何かに「関心を持つ」とか「強く意識する」ことがなければ、私たちの心は、ただ、さまようだけです。何かに意欲的になることもなかったと考えます。絆を結び合うこともできません。なぜ、私たちは何かに関心を持つことができるのでしょうか? よくよく考えると、「関心」とは、不思議な現象です。脳のどこが働くのか、機能としてはどうなっているのか、ぜひとも知りたいものです。そして、なぜ生得的なものなのか、それを解明している理論も学説もありません。調べられている分野もあるにはありますが、まだまだ心理学界には取り入れられていません。

 当会も、ただ、関心を持つ対象がタイプによって違うことを発見しただけに過ぎません。なお、関連したことを以下に少し言及しています。ぜひお読みください。

  http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-201~/15-232.htm 

 
回答に対する返事          椿さんより      2007/03/11

 お礼が遅くなり申し訳ありません。ご回答ありがとうございました。そして似たような質問を
立て続けにすみませんでした。「意味が無い」とのことでちょっとまだすっきりしていないのが正直なところです。二つのコンプレックスの理論のところで、二つがほぼ重なっているタイプ(13679)もあればそうでないタイプ(2458)があり、それが不思議でした。中でもタイプ2とタイプ8の女性の場合が関連していない二つの対象に意識を向けているようで何だか混乱してきてしまっています。今後も勉強を続けていきたいと思っているので、いつかその不思議さが消えればいいのですが・・。

 

 1441 「子どもの心エニアグラム」について質問です 質問者(1w2kk) 2007/04/02

 上記本中、P270で・・・すぐに謝りやすいタイプ2・・・とありますが、謝りやすいのは優等生タイプの1・4・7が対象ではと思ったのですが、いかがでしょうか? タイプ2は謝りにくいはずでは?誤植ですか? 
回答者(りゅうとうまりこ)        1w2kkさん、こんばんは!  200704/03

 著書「子どもの心エニアグラム」それは誤りではなく、誤植でもありません。その箇所を次に書き出します。
 
「タイプ6の子どもの中には調子にのっていたずらしたり、他の子にチョッカイを出す子がいます。その場合、クラスのみんながいるところで叱っても、素直に謝らないことがあり〜中略〜できるだけ二人だけになり静かに尋ねるほうが、すぐに反省します。また、すぐに謝りやすいタイプ2の子どもを先に謝らせたほうが、その後は簡単に過ちを認める傾向があります。先に叱ると、“なんで自分だけ・みんなもやっていた”というような文句が続き、言い訳がうまくごまかそうとするかもしれません」

 あなたの指摘している箇所は、学校内でのことで「先生への注意点」として述べていることです。
「調子にのっていたずらしたり、他の子にチョッカイを出す」という事例です。その事例でないならば、その後の展開は違ってきます。もっと複雑で大きな出来事であれば、これは当て嵌まらないことが起きてきます。

 なぜならば、ちょっとしたイタズラやちょっかいは、この二つのタイプはよくします。それゆえ取り上げています。とくに、2w1と6w7のほうです(2w3と6w5にはまず考えられないことですが、ウイングまで入れて説明すると煩雑でわかりにくくなるので省いています)。そして、ちょっとしたイタズラやちょっかいというような細かい過ちは、タイプ2は素直に謝れるほうです。

 問題が深刻で重大なものになれば、容易に謝れないのがタイプ2です。タイプ6は、その逆です。問題が深刻で重大なものになれば、すぐに謝るほうで、ここにあげた些細なことでは謝りにくいほうです。なぜ、タイプ2は大きな過失には謝りにくくなり、小さな過失では素直に謝れるのか、それを説明するには膨大になりそうです。ちょっと困りますが、少しだけ説明を入れます。

 タイプ2は大人タイプ(9・5・8・2)ですから、重大なことに関心が強く、細かいことは、いわば「どうでもいいこと」に入ってしまうほうです。調子に乗ってのイタズラやちょっかいなどは「些細なこと」になってしまいます。些細なことならば、「善い人間である」ということが、損なわれることではないようで、それで安易にやってしまうのではないかと思います。

 一方、子どもタイプ(1・7・6・3・4)は些細なところで、一喜一憂しています。ちょっとからかわれても、深刻ないじめ問題になってしまうのです。そういう細やかなところで生きているのが子どもらしいところです。ちょっとしたミスでも、あってはならない重大ミスのように受け取るのは、防御タイプ(7・1・4)によくある傾向ですが、広く取るならば、子どもタイプの傾向と、括れるかもしれません。

 次に、ここではタイプ6とタイプ2を対比させて、タイプ6の気質がよりクリアにわかるように説明しているところです。他のタイプと対比させていません。たとえば、防御タイプ(1・7・4)は優等生気質ですから、タイプ1とタイプ6と対比させて述べるならば、タイプ1が素早く謝る可能性があります。しかし、タイプ7とタイプ6では、比較的タイプ7のほうが素直に謝りますが、状況とか、精神状態などで、その逆になることもありますからね。

 ですから、例としてあげたタイプ6の子とタイプ2の子どもは、同じ程度の通常の精神状態であった場合に、このようになりやすいんです。しかも、小さなイタズラの類に限ってのことです。一方、タイプ1が「
調子にのっていたずらしたり、他の子にチョッカイを出す」ということはほとんど考えられないので、このような事例に取り上げることもないんです。
 
 さらに人間関係がどうなのかによって、物事の進み方は違ってきます。たとえば、担任の先生を嫌っていたら、タイプ2の子はなかなか謝らないほうになります。タイプ6がその先生を好いていたら、タイプ6の子のほうがよく謝るのではないでしょうか。関係が良いか悪いかでも違ってくるものです。

 また、いつもはこのようなイタズラなどをした場合、タイプ2が謝りやすいのですが、たまたま当日の朝、タイプ2の子が父親とケンカしてイライラとしており、担任の先生を嫌っていなくとも、つい爆発してしまい、本人は悪いことをしてしまったとわかっていても謝れなくなることがあるでしょう。従って、ケースバイケースですから、本当はとても書き出せないようなことを、書き出しています。

 さて、文章の一部を取り出して、それと他のことを絡めるのは、見当違いなやり方です。私はよく「現場主義」だと書いてますが、著書に事例をよく挙げているのは、そのゆえです。おおまかに説明しても、まるで理解できないだけでなく、誤解が生じますし、曲解される恐れもあります。

 文章の一部を取り出すとか、細部に意識が向いてしまい、物事を全体的にみないのは、防御タイプ(174)によくある傾向です。しかし、あなたはあまりにも単純比較しているのではないでしょうか。タイプ1でも、タイプ4でも、謝らない人たちはたくさんいます。めずらしいことではありません。優等生気質(7・1・4)の人たちは、比較的謝りやすいからといって、どんな時にも、どの人でも、素直に謝まるなど有り得ないことです。

 どのような状況の時に、どのような関係の人と、いつ何がどのようになったのか、それによって人の言動は違ってくるものです。事例を挙げて説明するようにしていますが、その事例ではなかったら、同じ人でも同じ言動をしません。

 ですから、抽象的な質問をしてもあまり意味も価値もないんです。ここでは、いつも事実をそのままに書きだしてくださいと、クドイくらいに説明しています。しかし、各タイプのおおまかな傾向なども書き出す必要があります。そこが説明する側としては難しいところです。
 

 

 1420  タイプ2が「子どもに意識を向ける」についての疑問 質問者(椿)  2007/03/01

 
タイプ2は子供に意識が向き、かつ男性に意識が向く、だから男児により意識が向き、女児にはあまり手をかけない。この構造でよくわからない部分があります。基本理論によれば、タイプ2の意識する対象はあくまで「子供」であって「男児」とはされていません。となると「女児」はどういった位置づけなのでしょうか?  例えば女児集団と成人男性集団を比較した場合、タイプ2はどちらの方により意識が向く傾向にあるのでしょうか? なおNo1239の回答には「娘だけしかいないのならば、比較のしようがありません。」とありますが、私(一人っ子)のレポートの回答には「娘にはあまり手をかけない人が多い。」とありました。母(2w1)のことを考えると確かにそのようだと納得したのですが、そうなると「子供に意識が向くというのは・・?」と疑問が出てきます。上手く質問できず恐縮ですが・・何卒よろしくお願い致します。
回答者(りゅうとうまりこ)      椿さん、こんちには!     2007/03/02

 タイプ2は、子どもに対して意識が向けられています。それは「お母さん気質」だからと言えます。母親が自分の子に関心を持たず、さまざまな心配をしなかったら大変ですからね。そのような役割を果たすべく、タイプ2と名づけられた人たちの「性格」には「おかあさん」というべき人格が備わっていると考えられます。

 それゆえ、タイプ2は、気づいたら、いつも子どものことに目を注いてしまう、いろいろな世話をこまめにしてしまうのです。悪い場合は過干渉にもなりますから、教育ママにもなります。ネグレクト(無関心)のほうにはなりにくいタイプです。

 なお、タイプ2の母親は、子どもに意識を向けていますが、娘と息子を持てば、比較できるためか息子のほうをより意識することは分かっています。娘だけしかいないのならば、比較のしようがありません。


 
「娘にはあまり手をかけない人が多い」と書いたとしたら、言い足りなかったように思います。正確には「息子に比べると、娘にはあまり手をかけない人が多い」です。「性格」というものは、他と比較しなければ、うまく説明できないものだと知ってください。

 タイプ2は、実子が生まれたら、わが子のことばかり考えてしまいます。娘と息子がいれば、より強くより多く意識するのは息子のほうです。次は、娘です。「女児にあまり手をかけない」のではなく、息子を持つと、娘のほうに手をかけることが少なくなるに過ぎません。次に、他人の子どもたちにも関心を向けることが多いんです。教育問題にも関心が強くなりますから、安倍晋三首相(こちらからは2w1らしいと見える)も、教育問題を所信演説(以下)に入れています。
   http://www.kantei.go.jp/jp/abespeech/2006/09/29syosin.html

 ついでながら、所信演説を読んでみたら、驚いたことに、「子ども」という言葉は7回登場しており、「子育て」は4回ですが、「女性」は1回のみです。「子育ての素晴らしさ」ということさえ言っております。こういうところに、「子どもに意識が向く」という理論の正しさが立証されます。

 また、「産む機械」発言をして国会で問題となった大臣もタイプ2w1らしい人と見てます。女性たちに子どもをもっと産んで欲しいと演説しています。一方、民主党の代表小沢一郎さん(こちらからは8w7らしく見える)は国防についての発言が多いので、同じ政治家でも、何を重視しているのか違いがあります。それは元々の気質が、そのように言わしめていると考えるものです。

 さて、あなたの質問、
「例えば女児集団と成人男性集団を比較した場合、タイプ2はどちらの方により意識が向く傾向にあるのでしょうか?」とあります。なぜ、わざわざ「女児」としているのか、「成人男性」と書かれているのか、それが理解できません。

 タイプ2が、その場に成人男女と居合わせたならば、確実に女よりは男を意識しています。その場に、男児と女児がいたら、男児に対する言及のほうが多いんです。しかし、成人女性や女児に無関心というのではありません。程度としての違いがあるというに過ぎません。その場に、男児と女児がいたら、男児のことを言及していることが多いんですが、ある女児が騒ぎを起こしていたら、そちらに関心を向けます。ある成人男性よりも、ある女児が気になることもあるはずです。固定的にみるものではありません。

 あなたのお母さんがタイプ2であったならば、ある場面で一体誰をよく見ているか、成人男性か成人女性のどちらについてよく言及しているか、それを確かめてください。ある場面では男児なのか女児なのか、どちらに関心を向けているか、視線はどこに行くか、そこをよく見てください。女児と成人男性が居合わせた場合、どちらに目を向けているか把握してください。

 理論通りの時もあれば、そうでないこともあるとわかるはずです。しかし、全体的にかつ長いスパンでみれば、常に男性(男児であろうと成人男性であろうと)のほうです。実子ならば娘よりは息子のことを気にしています。

 あなたのお父さんが仮に「8・3・7」で、息子と娘がいたら、息子のことよりも、娘のほうを気にしているはずです。あなたの父親が仮にタイプ9で、母親はタイプ2w1であれば、両親を比べてみたら、違いがくっきりと出ます。2w1の母親の娘への関心の深さは、タイプ9の比ではありません。タイプ9の親は息子にも娘にも、タイプ2の親と比較したら、かなり関心が低いんです。

 母親がタイプ9で、父親がタイプ2であったとしても同様です。この場合もタイプ2の父親のほうが、娘よりも、息子に強く関心を向けています。母親だから娘に関心を持つとか、父親だから息子に関心を持つというものではありません。タイプなんです。生得的にそうなる定めみたいなものです。基本ソフトがそうなっているとしか考えられません。

 そして、「全て息子に意識が向く」とは書いてません。たとえば、娘が障害を持っているとか病気がちであれば、タイプ2も、息子のことより娘のほうばかり気にしています。タイプ2の母親が、娘や息子のことよりも、夫のことばかり気にしていることもあります。たとえば、夫が浮気ばかりしていたら、子どものことより、夫のほうに関心は移ります。個別の事例をみてください。それぞれに事情や状況があり、それぞれに違うからです。 

 そういうおおまかなことです。しかし、大きなスパンでみれば、くっきりと傾向として認められるために理論化しています。そして、これは事実です。しかし、個々の事例をみたら、そうではないことが起きるのは必然的なことです。あなたの質問に答えられるものではないことを知ってください。いつも現場を見ることが絶対的に必要です。その場その場の細かな視点と、対極的な視点、どちらも大切な視点です。

 

o1287   「権威ある人」とは?           質問者(ゆら)        2006/06/26

 前の質問には、「タイプ1は権威主義的で、権威や権力者に弱い〜」とあります。2w1でw1の濃い人もその傾向があるとの事ですが、その事についての質問です。私は子供の頃から、自分の親以外の大人の前では異様なまでに緊張してばかりいて、近所の中年夫婦の犬が子供を産んだので一匹もらってきた時に、お礼を言うにもガチガチに緊張したり(この年になるまで私以外の子供が私ほどにガチガチになっているのを見た事がない)、会社の上司(課長クラスで男性)が優しげで気さくな人なのに、話し掛けられると私は顔が固まるほど緊張してしまったり、今の職場で同年齢だけれど職歴は私よりも長いリーダーの女性(親切で気さくな人)を前にしても、首が上手く回らないくらい緊張してしまったり…。と、上記のように反射的に「年上の人」「目上の人」に過剰に反応するのはw1と関係あるのかとふと疑問に思ったわけです。でもこれだけ書き出してみると、これらの事はどうもただ感情的な反応のような気もしてきて、個人的に神経質なだけ…?とも思い、一度確認したいと思いまして質問させていただきました。「権威ある人」というのは、どういった人達まで含まれるのでしょうか? 以上、よろしくお願いします。
回答者(りゅうとうまりこ)         ゆらさん、お久しぶりです。   2006/06/29

 
「権威ある人」とは、一般的に言われている「権威者」と、個人的に「権威者」と認定する場合があるのではと思います。一般的には、学者や大学教授や医師、弁護士や裁判官のような知的能力が高いと考えられる職業に就いている人になるでしょうか。大学総長などは、最も権威ある人間に思われているかもしれません。

 しかし、大企業の社長とか、銀行の頭取とか、大工の棟梁、空手の師匠、塾や小学校教師でも、その人にとっては尊敬に値すれば、「権威者」になるのかもしれません。有名人であるだけでも、権威的な人物になる場合もあります。「権力者に弱い」という部分ならば、「議員」などの政治家が入るでしょう。自治体でさまざまな委員を務めているとか、名家であるというだけでも、そのように見る人もいると思います。

 上記のあなたの傾向は、
「権威や権力者に弱い〜」ということに関係がありますが、ちょっと違います。それよりも、2w1でw1のウイングが重い人は、「優等生気質」のあるタイプ1の気質を色濃く持っていることが原因になっていると考えられます。

 「優等生意識」とは、誰よりも優れていなければならない、何をやらせても一番でなくてはならないという思いの強い人で、それらに囚われていることを意味します。実際の「優等生」ではなく、その囚われを「気質」として持っていますから、「優等生気質」と分析して、名付けています。

 当会だけが発見した分析で、他には有りません。一般的に「優等生気質」だと思われる方が存在していることはみな知っているわけですが、それが生まれついてのものだとは、誰も思ったことは無いようです。そのような考え方をしている心理学理論も皆無です。エニアグラム界にもむろん有りません。

 防御タイプ(7・1・4)は、生まれついての優等生気質があります。また、防御タイプのウイングを重く持っている人も、この優等生気質を色濃く持っていると分析しており、発見しています。質問文は、その理論を、そのまんまに書き表されています。ただし、あなた自身は防御タイプではないので、防御タイプとは違う反応の仕方をしていますが。

 さて、「自分は優等生でなければならない」「誰よりも優れていなければならない」という動機が心の奥深くに強くあるならば、優等生らしく見える人、優秀そうな人、できそうな人の前では緊張しやすくなると分かるでしょう。同じタイプ2でも、2w2当りにいる人たちはあまり緊張したことがないようです。先日、2w3で3のウイングの軽い30代の男性が、長い人生のなかで、「幼稚園に入った時に一度だけ緊張したことがある」と述べていたのが印象的です。

 タイプ1と1のウイングが重くなるほどに、この「ネバ人間」が活躍しています。従って、自分より格段と優秀な人を前にすると、確実に自分は劣っていることになります。劣っていると思いたくはないが、相手は自分をそのように見ているかもしれません。負けたくないが、負けは歴然としているので、心の中で強い葛藤が起きます。劣っていると思われたくない、でも優秀だと演じられない自分、ダメな自分を曝したくないと、バンバンに心が張ってくるというべきでしょうか‥。
 
 同年齢でも、自分とは違い格段に優秀な人と周囲から認められている人ならば、そのようになる可能性があります。競り合ったなら抜けそうな人であれば、ライバルになるだけで、それほど緊張しないと考えられます。そして、子どもの頃ならば、年上とか目上というだけで、相手はみな自分より優れている人になります。もう少し成長すれば、
「中年夫婦」というだけならば、緊張しないこともあるかもしれません。

 そして、ウイング1が重くなるほどに、神経質になり怖がりになるためか、威圧的な印象のある方の前であれば、緊張すると考えられます。 
 
 さて、タイプ2w1であれば、女性に対して緊張することの無いタイプです。しかし、その「リーダーの女性」があなたからは優秀そうに見えたならば、緊張してしまうでしょう。また、優秀な人であれば、身分も高くなり権力も持て、権威者にもなれる可能性が高いことになります。ですから、「優等生意識」が強ければ、当然に「権威や権威者に弱い」ということに繋がってしまいます。

 なお、
「この年になるまで私以外の子供が私ほどにガチガチになっているのを見た事がない」とあります。しかし、緊張するとガチガチになるとは限りません。体の様子がガチガチに見えるのが、タイプ1に多いので、その近くに位置する2w1でw1のウイングが重い人と、9w1でw1のウイングが重い人によく起きる傾向です。肩もいかつくなり、関節がこわばっていることもあります。

 しかし、緊張すると、ペラベラと喋りだす人がいます。緊張すると体がフニャフニャと前後に揺れだす人もいます。顔が蒼白になり震えている、言葉使いがおかしくなる人もいます。内心ではガチガチでも、ボウッとしているとか、のんびりしているように見える人もいます。緊張しているがそれが全く顔や物腰に出ない人たちも結構います。緊張するほどに怖そうに見える、威嚇しているような目つき、ふてくされた感じに見える人もいます。

 いろいろなんです。「
ガチガチになっている」人のほうが、緊張がきついとは限りません。むしろ、顔が蒼白になり震えている」、「体がフニャフニャと前後に揺れ」「のんびりボウッとしている」という方のほうが緊張度は強いかもしれないと予想します。

 
答に対する返事           ゆらさんより       2006/07/01  

 権威に意識が行きやすい傾向があるとしても、それに対してどう反応するかは人それぞれだと、回答文をよく読んでから思いました。質問文の私の体験については、もう少し、なぜそのような反応になったのか、その時の状況、背景などを細かく考えてみるべきだと今は感じます。ご回答ありがとうございました。緊張した時の反応についてもよくわかりました。

 

 1281    エニア理論で人を決め付けてしまう……    質問者(トンボ)   2006/06/20


 
こんばんは。私は3年程前に4w3と判定して頂いた者です。当ホームページの理論に基づいて人を観察することが日々の習慣になっている私ですが、最近悩んでいることがあります。人の行動を、各タイプの嫌いな部分にすぐ当て嵌めてしまうことです。例えば、怒りの感情をすぐにあらわにして周りの人に気を遣わせている人を見ると「これはあのタイプのあの部分じゃないのか!?本当にむかつく!」なんて心の中で叫んでしまいます。自分の判定なんて当たっているかも分らない不確かなものなのに、人の嫌な行動を心の中で理論付けて決め付けてしまう自分がいます。我慢しきれない時は口に出してしまいます。「お前にはこういうところがある!」なんて言ってしまった日には、後で、俺って何様!?っていう感じでひどく後悔してしまいます。結局私が一番腹を立てているのは、決め付けが多く、器の小さい自分自身のような気がします。このような自分の感情とうまく付き合っていく物の考え方、捉え方など何かアドバイス頂けたらうれしいです。

回答者(りゅうとうまりこ)        トンボさん、お久しぶりです!   2006/06/20

 タイプ4は、自分の短所に意識を集中させてしまう傾向があり、自己評価が低くなり、 「自分には長所が無い」などと言う方もいます。そうなれば当然に、他人を見る場合も、短所のほうに意識を集中させてしまいやすいと考えられます。それ以外でも、何かに意識を集中させてしまい、周囲全体をくまなく観察していないことがあるのかもしれません。

 また、人間を大好きになったり、大嫌いになったりするほうですが、たぶん、大嫌いになる時は、他人の短所ばかり集中して見ているのではないでしょうか。それがすすむと被害妄想に陥り、ついには引き篭りにいたる恐れがあります。そうなれば、人間が怖くなり、軽蔑もしたり、自暴自棄になり、自責が強まるなど、悪循環に陥ります。歯車をそちらの方向に行かせないようにしなければなりません。

 ところで、短所=長所ということを理解できるでしょうか。一つのことに意識を集中させやすいとしたら、その人物の長所を知ろう、観察しようと決めてください(あなたのそこが長所であり短所なんですから……)。ノートに記入するのもよいものです。記入した量が多くなればなるほどに、その人を見る目が確実に変ります。

 あるいは、別の何か建設的なことに意識を集中させることもできるのではないでしょうか。タイプ4で精神状態の良い人を知るにつけ、彼らは建設的な何かに夢中になり追及していると気づくでしょう。あまりにも集中するためか、寝食忘れてしまうくらいです。人目を気にすることさえ無くなってしまうのです。

 また、逆に、生活をとても大切にする方もいます。早寝早起きとなり、毎食しっかりと摂り、健康維持のための運動もして、どうして、これほどまでに前向きで健全になるのかと感心してしまうほどの人も知っています。自分のやりたいことを持っているのですが、行動力も付いているようで、タイプ1と見間違えてしまいます。

 自分を本当に知れば、自分を活かす方法を見つけ出すことができるのではないでしょうか。ウイング3は、ウイング5よりは周囲をよく見ており、殻に篭る傾向は少ないほうです。でも目標を定めて、それに向う場合は集中力が出て、周囲のことなどお構いなしになることもあると思います。

 上記は一例なんですが、あなた自身で、何か建設的な目標を立ててください。嫌な人は嫌で、それはどうしようも無いことです。無理に好きになる必要もなく、エニアグラム理論を使うのも、よく理解できます。私もそうしてしまうことがあり、悪用している自分にハッとすることがあります。しかし、エニアグラムを知ったお陰で、夫々のタイプの良さも分かるようになってきました。嫌いな人や苦手な人が、だんだんと少なくなって来たように思います。

 さて、「短所=長所」に戻しますが、更新したばかりの「ことわざで知る9つの気質」の中に、「怒る者は内空し」という諺を載せています(以下のアドレス)。タイプ2のところに書いてあります。それは、怒りを表面に出すものは内面は空っぽになる、つまり「根に持つことがない」という意味になります。たとえば、よく怒り出すのは、タイプ2w1の人たちの短所ですが、あまり根に持たない気質です。感情を発散させているためで、「根に持たない」というのであれば、長所になると考えられます。
     http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-201~/15-240.htm
    

 一方、タイプ4は怒りをなかなか出せないほうで、それゆえ、人とあまりぶつからず平和路線を行く気質です。みんなに好かれやすい、愛されやすい人たちがとても多いんです。そこだけを見れば、当然に「長所」になります。しかし、一度、相手から怒鳴られると容易に忘れることはできず、よく根に持つほうです。怒りを心の奥に潜ませるためか段々と溜まり、ある時に爆発してしまうのです。爆発させないままの方もいますが、人間を嫌い恐れるなど、結局は精神状態が悪くなってしまいます。

 2w1のように怒りを出さなくとも、かなり皮肉っぽくなり、辛らつにもなり、そうなれば相手も感知して、相互関係で、ついには嫌われ避けられてしまうようにもなります。それでは、怒りの感情をあらわに出さないことが、結果として短所になってしまいます。

 人に対しても、物事に対しても、さまざまな側面から見るようになれば、「決め付け」が簡単にはできなくなってしまうとは思いませんか。たとえ、その時は「決め付け」をしてしまっても、後から気づくようになれば、少し気楽になれ、また少し寛容にもなれるのではないでしょうか。なかなかに遠い道ではありますが、「目標にできるものがある」と思ってみては如何でしょうか? とりとめなく、うまくまとめられないのですが、たぶん、伝わっているのではと思っています。

回答に対する返事            トンボさんより       2006/06/21


 
分り易く回答して頂き本当にありがとうございました。おっしゃるとおりの悪循環に入っているのが自分でも気になっていました。マイナス面にばかりピントが合ってしまい、凝り固まっていました。あらゆる面をバランスよく見ていくことは、私にとって一番難しいことかもしれませんが、これから時間をかけて取り組む課題としては最高にやりがいがありそうです。2w1の件もピンポイントで答えていただきスッキリしました。好循環に切り替われそうな気がします!

 

o1270       性格タイプと遺伝 について          質問者(ミルクバー)      2006/05/31
 
 こんにちは。さて、今回ご質問したいのは性格タイプの遺伝性についてです。性格タイプは遺伝性があるだろうと、どっかで読んだ気がします。私のタイプは4ですが、おそらく母親も父親もタイプは4ではないと思ってます。すると、祖父母の中に私と同じ性格タイプがいたのではないか?と考えました。2親等以内で遺伝性があるとすれば、祖父母の性格や生前の生き方など、興味が出てきます。竜頭さんの今までの情報の蓄積の中で、遺伝性について教えてもらいたいです。お願いします。
回答者(りゅうとうまりこ)        ミルクバーさん、こんにちは!   2006/06/03

 身体は、両親から受け継いだものなので、身体の一部である「脳」も、当然に両親から受け継いだものと考えられます。子どもは、母親からは二分の一の遺伝子を、父親からも二分の一受け継いでいます。

 祖父母のそれぞれから四分の一を受け継いでいますから、当然に「脳」も四分の一引き継いでいます。「心(気質や性格)とは脳の働きです」からね。体質なども遺伝しています。両親よりも祖父母に似ていて、隔世遺伝になることもよくありますから、性格タイプ(気質)が祖父と同じになることもあります。

 従兄弟は八分の一の遺伝子を共有しているので、その中の誰かと同じタイプになることもあります。叔父さん叔母さん、伯父さん伯母さんたちも、同様に考えてください。ただし、最近は少子化で、従兄弟やオジオバが少なくなりましたから、自分と同じタイプが見つからない場合があると考えられます。70年くらい前ならば、兄弟姉妹が5〜10人いるのはよくありました。その時代ならば、従兄弟もオジオバも20〜30人くらいいて、確実に自分と同じタイプの人を、親戚の中から見つけ出せたはずと考えます。

 当会では、「精子と卵子が合体して受精卵になった時に、そのタイプと決定づけられた」という考え方をしています。ですから、生まれながらのもので、「気質(性格タイプ)は、後天的に形成されるものでは無い」という考え方です。これは、他のエニアグラム研究者たちには無い考え方で、決定的に違うところです。

 なお、卵子の中の遺伝情報の中に、自分と世界との関係性である「自己認識」が書かれていると予想しています。精子の中には、世界と自分との関係性(結びつき方)である「世界認識」が書かれていると予想しています。

 その月に、子宮に降りた卵子がたまたま「世界の淵にいると自己認識(7・1・4)」するという情報を持っていて、その子宮に突入できた精子が、たまたま「世界と両価的に結びついていると世界認識(5・9・4)」するという情報を持っていれば、タイプ4という気質の子どもが生まれてくるのではという予想です。単なる想像に過ぎませんが‥。

 母とは、「自分が何者なのかを教えてくれる」ように思われ、それが「自己認識」になると考えるものです。父とは、「世界がどういうところなのか教えてくれる」ように思われるため、それが「世界認識」になると予想しています。

 各母親の卵巣にある卵子が、3種類の遺伝情報を持つのか、片寄っているのか、それは分かりません。父親の精子も、全ての男性たちの精子に、3種類の遺伝情報が備わっているのか、それも分かりません。しかし、家系的には、まるで出ないタイプがあります。タイプ的に片寄りが見られることがあります。となると、卵子や精子の遺伝情報を各自が均等に持っているようには考えられません。ただし、これらは、想像の域を出ないことなので誤解しないで欲しいと思いますが。

 さて、気質というものが後天的に形成されたならば、環境というものは千差万別ですから、とても「9タイプ」というようにキッチリと区別できるものではないはずです。この考え方ならば、タイプ判定など到底にできないでしょう。実際、他の会では、タイプ判定を重視していないようですし、当会のように、細かく詳しく根拠を挙げて説明しているところは皆無です。

 当会のような考えの「生得的」なものであれば、受精卵になった時に決定づけられると考えるしかありません。各々の人たちの育ってきた環境はまるで違い、性別も、人種も能力も相当に違うのに、気質をみれば「瓜二つ」ということがあります。あなたとウイングの重さまで同じになる、そんな人が見つかると、かなりのところまで似ているので、ビックリしてしまうでしょう。

 それゆえ、タイプ判定も、たんに500字という少ない文章からも可能になっています。同じタイプでも違いはありますが、総合的に見たら、他のタイプとは比べ物にならないくらいに共通点が多いからです。これに関しては、以下の文をお読みください。
      
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-1~/15-3.htm


 さまざまなホームページに書かれている文を読むだけでも、判定できます。むろん、訓練を受けなければ無理とは思いますが。お堅い文しか載せていないウェブサイトでも、書き手のタイプを判定できることかあります(むろん、性格の全く出ていないサイトもありますが)。

 それぞれの人たちが「気質丸見え」であり、「私は○タイプである」と名札を付けて歩いているようなものに見えます。後天的に形成される性格も有りますが、気質の比重が圧倒していることを物語っていると考えます。躾や教育というものも、あまり影響を与えていないように見えるほどです。

 ところで「遺伝性について教えてもらいたい」とありますが、その中のなにが知りたいのか分からないので、これくらいにしました。  

  

 

 1232  「2w1で1のウイングが重い」気質について  質問者(もぐら)    2006/04/18

 私は、通信講座において、「2w1で1のウイングは重い」と判定されております。これについて、自分が、2w1以外のどのタイプでもないことは実感できますが、「ウイング1」は果たして本当に重いのだろうか、と疑問に思うようになりました。なぜなら、ウイング1が重いならば周囲からは「真面目な人間」という評判が立つのではないか、と予想するからです。私の学校生活の様子を述べますと、小学生の頃は授業のノートなど取ったことが一度もなく、中学では授業に耳を傾けたという記憶すらありません。担任の男性教師には、「お前は適当でイイカゲンだ。それを直さない限りお前の人生はだめだ」とさえ言われました。同級生のあいだでは、「何でも素早く、おおざっぱ」で通っておりました。高校の授業ではそれなりにノートを取ったり、プリントをファイリングしたりはしていますが、教科書類を手当たりしだいにロッカーへ放り込むので、「ゴミ屋敷」状態です。以上のようなことは、ウイング1が重くても有り得るのでしょうか。
回答者(りゅうとうまりこ)         もぐらさん、こんにちは         2006/04/18

 確かに、
「2w1で1のウイングが重い」は真面目だと評価を受けている人たちがたくさんいます。しかし、そうではない人もいます。逆に、このウイングの人たちが同じような評判となり、同じ評価を受けていたとしたら、そのほうが「おかしい」とは思えませんか? このウイングの人たちは地球上で数百万以上は存在すると思われますからね。

 ところで、タイプ1は権威主義的で、権威や権力者に弱いというべきか、医師とか弁護士や教授というような肩書きの人たちを、人柄などに関係なく、ただそれだけで尊敬したり信頼を寄せる傾向が最もよく見える人たちです。そのタイプ1の傾向をたくさんに持つのが、「2w1で1のウイングが重い人」たちです。

 従って、権威主義的な傾向はくっきりと見えます。しかしながら、基本はタイプ2ですから、攻撃的な気質であり、反発心や反抗心が強い人たちです。反権威主義的にもしばしばなります。しかも激しくなるほうで、盲目的に尊敬するのと逆になるんです。つまり、権威主義者ほど、反権威主義者になるということです。同根、または「同じ穴のムジナ」と言ってもよいかもしれません。

 たとえば、タイプ5であれば、権威主義的なところがまるで無いので、反権威主義者にもなりません。それらに無関心なんです。ニュートラルな位置にいると言えるかもしれません。
       
 なお、「1w2で2のウイングが重い人」も、
「2w1で1のウイングが重い人」と同じような傾向を持ちます。それゆえ、ガリ勉家は、この二つのタイプに多いのですが、実は、まるで勉強しようとせず、勉強をかなぐり捨ててしまう人も、このウイングの人に多いんです。つまり、極端に走りやすい傾向が見られます。いつもガリ勉して励んでいるが、あまりにも励み過ぎて無理が続いてしまうためか、ある日と突然、勉強する気が全く失せるみたいなものです。

 教師が大好きで、担任の家によく出入りするような優等生然とした人も、このタイプに多く、不良仲間とつるんで、授業ボイコットの先頭に立った人で、このウイングの男子とも会ったことがあります。両極端にブレやすいと言うべきでしょうか。教師に期待が多すぎるために、教師が1点でも過失を犯すと、怒り出し、かつ失望して、次には反教育に傾き、遊び倒そうとするかのように、何か悪さをしながら、仲間とつるんで不良している男子たちが存在します。

 公表している「ゴミ屋敷の住人のタイプ」という文章でも、「2w1」の人たちのほうが、清潔に美しく飾り立てた部屋に住む人がいますが、汚いゴミ溜めみたいなところに住んでいるのも、このウイングの人たちに多い、と紹介しています。その理由についても書いていますから、一度お読みください。そこには、「ウイング1が重い」とは書いていませんが……。

   
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-1~/15-30.htm


 また、性的な潔癖さも
「2w1で1のウイングが重い人」に多く、セックスに関する話題が出ると不機嫌になり、けっして口にしない人がたくさんいます。しかるに、「エロチックな作詩」などをするのも、同じウイングの人に多いんです。これに関連しますが、「ぶりっ子という性格」も以下に公表しています。そこには書いてありませんが、実は、2w1で1のウイングがの重い人たちによくある傾向です。ウイングが軽い人たちにはあまり見えないものです。
   
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-1~/15-28.htm


 タイプ1は抑圧型になりやすく、タイプ2は発散型になるほうですが、そのどちらもあり、「2w1で1の境界に近い人」は、まるでタイプ1と見間違うような人たちです。
「2w1で1のウイングが重い人」のようには、均衡が崩れにくいようです。真面目に勉強にコツコツと取り組み、あまり不良めいた方向には行きにくいようです。無理しない生き方ができたならば、右に左にグラクラとしつつもバランスを保って行けそうです。ただし、一度バランスが崩れたらエネルギーが溜まっているので、大きな出来事になる可能性があるタイプと見ています。

 しかし、
「2w1で1のウイングが重い人」は、このバランスが崩れやすく、ある時は大真面目となり、ある時はふてくされてしまうのです。ある女性は聖女っぽく、別の女性は娼婦っぽくというように、激しいためか、かなり両極端なキャラクターの人たちが混在しています。マザー・テレサさんは、1のウイングが重い人だと考えられます。悪いほうの例は挙げられませんが、それもおよそ把握しています。

 「2w1で1のウイングが軽い人」は、この1の気質が少ないために、抑圧することが少なくなり、あまり無理を重ねない人たちです。「2w2くらいに位置する人」になると、まるでそういうところが無いので、一番、お気楽そうに見え、肩に力が入っていません。自然体にも見えるのかもしれませんが、さほどガンバラず……。「2w3で3のウイングが軽い人」になると、諦めが早いというか、諦めるのが得意な人たちと言えるくらいです。

 さて、「抑圧」という内部のほうに押す力と、内部から突き上げてくる「発散のエネルギー」があります。その逆方向の力が働いています。それゆえ、このタイプの行動を複雑にしており、多様にしているようです。「不思議ちゃん」と言われる方がいるのも、その故だろうと考えられます。興味のつきない魅力あるキャラクターの人たちがたくさんに居るように思われます。
 
 当会では、性格というものにも、「作用と反作用」があると解いています。それは力学のような物理現象と同じであるために、特集シリーズにも似たようなことを取り上げています。

 
回答に対する返事         もぐらさんより             2006/04/22

 「タイプ2w1で1のウイングが重い」という気質について、丁寧で詳しいご回答をして下さって、ありがとうございます。自分の性格を、他の方からこれほど的確に表現されたのは初めてのことで、ご回答を読んだ瞬間、感極まってしまいました。

 

10  1214  タイプ2のウイングについて知りたい    質問者(美月)  2006/03/24

 先日このコーナーで攻撃タイプの可能性があると判定していただきました。その中で多数を占めるタイプ2、特に2W1についてもっと知りたいと思うようになりました。有名人のタイプを見るとこの方々が同じ?と思うほどバラエティーにとんでいますが、ウィングの軽重によるものでしょうか。ウイングがかなり重くてタイプ1に近い人、重い人、普通くらいの人、軽い人、ほぼ2W2の人のそれぞれの特徴を教えていただきたいと思います。よろしくお願いします。 
回答者(りゅうとうまりこ)     美月さん、こんにちは!     2006/03/26   

  タイプ2だけでなく、全てのタイプがバラエティに富んでいて、同じタイプだとは見えないはずです。
 そして、「特徴」という言葉について、当会では「特長」を使っています。性格というものは「長短」があるようです。つまり、「長所」と「短所」という言語があるのですから、「特長」が最も合っていると考えられます。また、単に長い短いというだけですから、そのタイプにしかない性格というものはありません。それゆえ、21と22の性格をバッチリと切り離して説明することが困難なものであると知ってください。以下のように、各タイプを「色」で表わせば、性格というものを、どのように考えたらよいか理解できるでしょう。
 

                               
@2w1・1の境界に近い 変化球+抑制型    →禁欲型 抑制型 質素倹約型
A2w1が重い       かなり変化球型    →不思議ちゃん型  派手系 ぶりっ子
B2w1が中間       上下の中間の変化球 →はっきり型  
C2w1が軽い       少し変化球あり     →ザックバラン型
D2w2           直球タイプ        →自然体 オオザッパ系 

 
       1w1 1w2 @  A   B  C  D 2w3  3w2
       → → → → → → → → 

 
性格というものを「色」として考えると、@〜Dまでについて、 区別しながら説明することは難しいことだと分かるでしょう。著書の「究極のエニアグラム」でも、2w1と2w3の違いを簡単に説明しているに過ぎません。まして、ウイングまで細かく説明したり記述するのは、容易ではありません。個々の人たちを詳しく観察して漸くに、「この人はウイングが重そうに見える」とか、「1のウイングは軽そうに見える」と判定できるに過ぎません。

 将来的には、統計的な調査をして、各々を少なくとも、1000例くらいは確認できるようになれば、もう少し紹介がうまくできるようになる可能性はあります。

 基本的な気質については、以下に書き出しています。そして、その「基本的な気質」+A=「2w1でウイング1が重いタイプ」になります。

    http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/cgi-bin/page05/page05-2.htm

@…抑制的・細かい・几帳面・優等生気質・神経質・怖がり・小心・羞恥心強い・緊張強い
A…@とBの中間に当たる
B…@とDの性質が半ば交じり合っている
C…BとDの中間に当たる
D…鷹揚 大胆 おおまか 率直 素直 緊張しにくい 羞恥心かなり少ない 自然体

 
 一例を挙げますが、ある人物の「几帳面な気質」をいたるところで見出せたならば、@のウイングが重いと判定できます。几帳面さがあまりないのであれば、AやBやCと判定できるのかもしれません。ここで分かると思いますが、それは量的な把握を正確にできないと振り分けられないものです。その他、「怖がりな気質」も同様です。量的な正確さを期すのは大変に難しいものと分かるでしょう。


 
※ なお、現在、有名人のタイプは公表を差し控えています。以前は、俳優や歌手、司会者、タレントなどを例示していましたが、それでも判定していたのではありませんから誤解なきようにお願いします。当会で観ているウイングの見方におよそ合っているだろうという予想する人を挙げているに過ぎません。顔相から見ると、硬そうであるとか、神経質に見えない、などという全体的なイメージで観ています。

 従って、正しくかつ詳細に判定するには、正しく判定できる人が、対象者と生活をともにするくらいでないと見つけ出せないだろうと考えています。また、当会も、いまだ研究途上にあり、100%完璧に正しいタイプ判定ができるとは言えません。まだまだ精進しなければならないと考えています。なお、ウイングについては別の項にあり、説明していますので、そちら(以下)をお読みください。

   (12)http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/q&a/past/12.htm
 

 

11 1203  遠隔地で、初級講座を開きたい場合は?   質問者(るるくみ)  2006/03/01

 
エニア初級講座について質問させてください。HPにでている日程は、2005年となっていますが、2006年はどうなっているのでしょうか。また、こちらに、5人以上受講者を集めお呼びする場合、往復交通費×回数分+受講料を負担するということでしょうか。また、ワークの内容的に5人以上集まらないとできないという事なのでしょうか。また、理論の講義などもあるのでしょうか。参加者を集めるためにも出来る範囲で教えていただきたいのですが・・・宜しくおねがいします。そして、初級講座は、遠方の場合たとえば全二回で一回を五時間のように変更可能なのでしょうか。内容的に、無理なのでしょうか?
回答者(りゅうとうまりこ)    るるくみさん、ここでははじめまして!   2006/03/04

 講座の紹介はあまり力を入れていないので、更新しないことがよくあります。早速に、2006/2月を更新しています。(現在は掲載していません)

 ところで、遠隔地の方には、通信講座のほうをお薦めしています。しかし、直接に顔を合わせて受講できる講座は、大変に楽しいものらしく、笑いが絶えないので、当会で初級と中級講座の10回(20時間)くらい継続すると、その後は嵌まって、止められなくなるようです。

 12年以上受講している方もいますが、それほど奥が深く面白さも深まるばかりだからではないかと思います。自分を知り他人を知ることが、どれほど楽しいものになるか、それは体験しないと分からないことのようです。10回で受講費の全額はテキスト代を含めて、17000円となります。通信講座の8回分18000円と金額的にはあまり変りません。 

 ほぼ口コミで、受講体験をした人たちが、新たに自分の友人たちを勝手に集めてくださって、新たな講座ができる、というようになっています。なお、最低5人くらいはいないと、違いを意識しつつ楽しみながら学べないため、最低5人は集めてくださいとお願いしています。理想としては各タイプが一人ずつ9人がいいのかもしれませんが、それはたぶん不可能でしょう。
また、10人くらいの少数のほうがよく、20人となると、このような笑いの絶えない場にはならないでしょう。

 また、理論もタイプ判定も、全てカリキュラムに添ってこなして行きます。そして、遠隔地の場合、時間が取られてしまうので、交通費だけでなく、ケースによっては出張費や宿泊費を受講料にプラスしています。たとえば、東京で5人が受講したいとなれば、月1回で、土日の二日間に設定して、一日5時間ずつ受講できます。この月1回で、10時間となり、初級講座を修了できます。10時間で自分のタイプが分かるような内容になっています。

 次に、翌月の双方の都合の良い土日に同じ設定をすれば、中級講座10時間が修了できます。家族のタイプやつきあいに困っている人のタイプなども判定でき、かつ、なぜ困っているのか、その原因まで分かるようにしています。

 費用ですが、これまでの流れから行けば、東京辺りであれば、5人で、お一人土日の10時間連続講座の受講料はお一人約18000〜20000円程度になります。もしも、2人や3人であれば割高になるのであり、また、講座自体が面白いものになりません。10人くらいならば、一人にかかる費用負担分が減るために、約11000〜12000円くらいにできます。現在のところは、だいたいはこのくらいです。

 ただし、場所代は各自負担となるため、格安の公立の集会所を借りることが多いようです。無料で借りられる所を捜してくれた人もいます。5人くらいの少人数の場合は、そのうちの一人の方の家庭のリビングをお借りして、費用がかからないように工夫することもできます。10人くらいの受講でも、個人の家庭でしており、家庭内のほうが寛げてよいようです。

 要望があれば、ケースごとにご相談しながらやっておりますから、どうぞ気楽にお尋ねください。ただ、最近は多忙になって、断ることも多くなって来ましたので、その場合はどうぞお察し願いたいと思います。

 

12No119Q&A室を利用して質問できることは?       質問者(ゆぅ)   2006/02/21
 
 こんにちは。さて、通信講座を受けるにあたって、「1.記憶した事実をうまく文章として表現できない」「2.残っている記憶があいまいで状況をうまく再現できない」「3.見ていなかった部分(観察力不足)がある」「4.書いた文章をうまく推敲できない」 という主に4つの問題に直面しました。この4つを同時に改善するために実際にあった事をQ&A室で提示して、りゅうとうさんに通信講座のレポートに出す事例としての不備や蛇足を指摘して頂きたいと思います。このような問題にどのように対処したら良いのかなどの理屈を知ってもすぐにレポートが良くなるというわけではないので、実践の中で少しずつ改善していきたいのです。このような事にQ&A室を利用してもよろしいのでしょうか。
回答者(りゅうとうまりこ)        ゆぅさん、お久しぶりです!  2006/02/24

 通信講座は、タイプ判定を通して、自分と他人の性格を知り、価値観や感性の違いなども理解できるようにすることです。文章講座ではありませんから、レポートをよくすることなどあまり必要のないことに思います。たくさんレポートを書くと、自然に文章力はつくようです。うまくまとめられるようにもなります。しかし、それを学ぶ講座ではありませんからね。

 早くうまくなりたいのでしたら、あなたの住まいの近くにある文化センターや教養講座みたいなところにある「文章講座」を受講されたほうがよいのではありませんか。そうでないならば、文章のうまい作家の著書をたくさん読むように心掛ければよいように思いますが。

 また、あなたには文章力があるように見えますから、そのような悩みは杞憂です。いろいろと工夫されているところも見え、努力しているんだなあとみております。私があなたと同じ年齢の時は、あのように書けていません。情けないほどの文章でした。

 また、文章を書き出した時に、添削してくれた友人(タイプ4)がいて、彼女のおかげで少しよくなったみたいです。また、講座のテキストを作ったり、著書を出版するなどが続き、編集のプロ(この方もタイプ4)の方に添削されて、大変な訓練を受けたように思います。その方たちには本当に感謝しております。

 やはり訓練というものは効き目があると思いますが、それ以前の問題があります。「書きたいことがあるのか」という点と、「問題意識はあるのか」というところです。さして内容は無いが、うまい文章を書く方がいますからね。そのほうが多いくらいでしょう。

 また、文章がうまくなるとは、「小手先のことではない」と分かるのではないでしょうか。人生経験を積み、さまざまな悩みや辛さを克服して、豊かな教養と高い見識を持てるようにして、そこではじめて、自分のなかにある「本当に書きたいこと」が明確になってくるのではないでしょうか。

 「文章だけはうまい」のでは、何の価値もないと思っております。うまく書く必要はなく、書くこと事態が客観的な見方ができるような訓練であり、自分の不明さを知る場でもあります。そこからまた学びが始まるのではないでしょうか。

 私から教えられて学ぶのではなく、学ぶ場はどこにもあり、また場を選ぶものではなく、何処からでも学べるようにすることが大切なことだと思っていますし、私自身も、そのように心掛けています。一生学び続けるもので、長いスタンスで取り組むようなものですから、どうか、焦らないでください。

 

 

13 1181      エロチックな詩を書く人のウイングは?       質問者(みなみ)  2006/02/02

 こんばんは。今日はどうしても気になることがあるのでメールを送りました。それはここでの回答についてです。「このようなエロチックな詩は2w1でウイング1がかなり重い人には恥ずかしくてできない。どちらかというと中間辺りから重いほうに傾いている人に多い」「2w3は色っぽい女に見られることを嫌がる女性が少なくない」と回答していらっしゃいます。それを読んで私は、「タイプ1は性的アピールを恥ずかしいことと考え、タイプ3は性的アピールを重視する」のかな、と勝手ながら考えていました。ウイング理論は難しいとのことですが、単純に考えると前者と後者は矛盾しているように感じたので、どうしても気になり質問させていただきました。
回答者(りゅうとうまりこ)     みなみさん、お久しぶりです!   2006/02/07

 それは、説明するに時間がかかりそうな質問ですね。簡潔に書けるかわかりませんが。まず、タイプ1の女性は「長女気質」で、何歳になっても清純な若い娘さんのようなイメージのある人たちです。羞恥心が強く、努力家で向上心が強くて、引っ込み思案という気質です。また、男性に依存的になりがちで、受け身にもなり、男性を恐がりつつも反発心もあり、理想の男性像を追い求める傾向があります。

 タイプ2の女性は「お母さん気質」で、母性的なイメージのある人たちで包容力があり、感情的で行動的、積極性があって勝気です。性的には成熟している人たちで、これはタイプ8も同様で、お父さん気質ですからね。グループとして見ると、どちらも性欲が強く、必然的に恋多き女性になります。

 そうなると、2w1は、この2つの傾向を併せ持つことになります。「お母さん+長女」ですから、成熟した女性らしさと清純な若い娘らしいところを併せ持ち、性欲は強いが、潔癖で羞恥心が強いため、性的な欲求を隠したり抑圧する人たちがいます。受け身にもなるが攻撃的にもなり、男に頼りたがるが、勝気なため反抗的にもなり、ときに包容力もあって、その心理は複雑になりがちです。

 複雑度が深まれば、性的な表現は屈折しやすく、素直になりにくく、従って、判りにくくなりがちです。抑圧が強くなるほど、セックスへの欲求は強まり、そのエネルギーが出口を求めますから、表現も過激になっていくでしょう。エロチックにもなり、無関心そうに見せ、または、恐がったり嫌悪したりします。そのような矛盾した傾向を併せ持つ人もいて、かなり複雑な振る舞い方をする女性もいます。むろん、全ての2w1の女性がそうなるのではありませんが。

 一方、タイプ3の女性は「次男気質」で、あまり女らしくなく少年のようなところがあり、性的な好奇心は強い人たちで、好きになった男性に対しては隠さないで素直に表現する人たちです。男性を恐がらず、あまり期待もせず現実的で、ドライで割り切りがよく、性欲を抑圧するという傾向は見えません。

 このタイプ3の気質を併せ持つタイプ2w3は、「お母さん+次男」ですから、成熟した女性らしさと少年っぽいところを併せ持ち、性欲も好奇心も強く、攻撃的でドライで割り切りがよいためか、性にも率直になり、素直に欲求を表現しやすいようです。性を抑圧しにくいと考えられるので、そうであれば、複雑にもなりにくく過激にもならず、自然な振舞い方をして判りやすくなると考えられます。
 
 また、2w1の女性はフリルやレースものという清純そうな服装をする人もいますが、露出気味の女っぽい服装を好む人などさまざまですが、2w3のほうは飾りッ気の少ない少年風の服装を好み、また、元々女らしさはあるためかとくに強調する必要もなく、逆に色っぽさを嫌う人もいます。また、両者は表面的な印象もかなり違います。

 2w1で、ウイング1が重くなるほど、タイプ1の気質が色濃くなるためか、羞恥心が強くて人前とか公の場でエロチックになることは、とてもできないほうでしょう。それゆえ、
「エロチックな詩は2w1でウイング1がかなり重い人には恥ずかしくてできない。どちらかというと中間辺りから重いほうに傾いている人に多い」と回答しています。

 ウイング1が軽い女性のほうが抑圧しにくいために、率直な表現をしている人たちが多いように見受けられます。また、2w2辺りの女性は、「お母さん気質」だけであり、「お母さんの中のお母さん」というイメージの人になり、最も率直で単純明快、何事にも複雑になりにくい気質です。気さくでさっぱりとしており、隠したり演じることもなく、自然体というイメージになるでしょう。 

回答に対する返事            みなみさんより       2006/02/08

 回答ありがとうございました。やはり難しい質問だったようで。けれども、とても分かりやすい回答でした。「長女気質」「次男気質」を考慮することを忘れていました。それと2w1の女性のことが書かれていますが、2w1の女友だちはまさにそのような感じです。複雑になりがちで性の表現もかなり屈折しているように見えます。しかし、そう見えるのは自分が直球タイプに近いからかもしれませんね。ありがとうございました。それでは。

 

14 1148  ミスをおかした時の反応の違いについて  質問者(ゆら)      2005/12/19

 こんにちは。職場では電子機器の検査の仕事をしています。時たま不具合を見逃してしまう事があり、後で確認を求められるのですが、私の場合、自分の見落としらしい不具合について注意されたのではなく確認されただけでも、ギョッとして(なんで見落としたんだろう!?)と体も硬くなってしまいます。この職場ではそういう事もあると認識されているのか、怒られたりはしないのですが、それでも 私は自分のミスに青ざめてしまいます。が、つい先日同じ職場の中年女性が見落としの可能性のある不具合に付いて確認された後、一人になった時に「こんなに頑張っているのに…」と悔しそうに言いながらハラハラと涙を流していました。少し前まで「そりゃミスしたらあせるよね」と私の態度と中年女性の態度にあまり違いを感じていなかったのですが、今思うと随分と異なる反応のような気もしてきました。私はとても、同じ状況では泣けません。というかギョッとして目が乾いてしまって涙も出てこないという感じです。私の態度は2w1のw1の部分が出ているのかとも思いますが、こんな状況でもタイプによって反応は異なるものなのでしょうか?以上なのですが、よろしくお願いします。
回答者(りゅうとうまりこ)       ゆらさん、お久しぶりです!    2005/12/20

 防御タイプ(7・1・4)は優等生気質ですから、ミスをすることは耐えられないことであり、大変に恥ずかしいことです。防御タイプのウイングが重い人ほど、恥ずかしくてストレスになるでしょう。しかし、他のタイプでもミスをおかすことは恥ずかしいのであり、耐えられない失態です。ですから、反応の仕方や表現の仕方で、程度の違いが測れるというに過ぎません。また、表現の仕方がタイプによって違います。

 例えば、
「こんなに頑張っているのに…と悔しそうに言いながらハラハラと涙を流していました」とありますが、この女性は正直に自分の気持ちを出しています。しかし、タイプ8ならば、涙を流すのは弱い人間だと見られてしまうと予想する人ですから、悔しくても、自分を責めていたとしても、人前では何事も無かったような様子を示す可能性があります。むろん、謝罪もしないかもしれません。

 このように、正直に出さない人がいますが、出せない人もいます。ですから、表現された部分だけを見て、タイプ判定はできません。しかし、タイプが違うと表現の仕方が微妙に違います。尤もクッキリとよく分かる場合もありますが、大抵はよくよく注意しないと分からないでしょう。

 次に、ミスとは言っても、どのようなミスなのかで、後悔と反省の激しい人と、大したミスではないと考える人がいます。電子機器の検査の仕事だそうですが、そのミスが検査全体に及ぼす影響大きいのであれば、自分のおかしたミスに初めて強く反応するというかなり厚かましい人がいます。たとえば、タイプ5w6のほうにありそうです。細かいミスならば、「あそうですか、どうも」で終わってしまい、謝罪もしないままに済ますかもしれません。

 元々感情的にもなりにくいため、大きなミスをしても泣くようなことは考えられない人たちです。同じタイプ5でも、ウイング4のほうはピリピリと激しく感情的にもなります。それでも、職場内の他人がいる前では泣かないほうでしょう。しかし、記憶力や知識など、知的能力を疑われてしまうようなミスをしたならば、ショックは大きくなるでしょうが、数えまちがいや読みまちがい、約束時間を忘れたという類の、知的能力と無関係なミスならば、大したことではないと見て、困惑している様子も見えない人もいると思います。

 大勢に影響がないという細かいミスでも見逃さず、大変なことであるという反応をすれば、防御タイプとそのウイングの重い人たちであると言えるでしょう。そして、職場内という場において、他人のミスに対して、すぐに指摘できるのは、防御タイプではなく、攻撃タイプや攻撃タイプのウイングを重く持っている人たちになります。しかしながら、職場内ではなく、たとえば、インターネットなどの掲示板など、匿名でいられる場においては、これとは違う様相になります。

 家庭内とか親族だけの職場でも、ミスした場合の表現の仕方が違うと考えられます。また、女性は人前で泣くことが、男性に比べて恥ずかしくないようです。従って、いつ・どこで・誰が・何をどうしたのかという点だけでなく、年齢や性別や役職など、いろいろなことを考慮しなければなりません。

 あなたの職場にいる中年女性は、タイプ8や5では無いようだと予想しますが、これだけの情報ですから、一つのタイプには絞れません。そして、タイプ2w1でウイング1が重い人も、感情的になることがありますから、泣き顔を見せる可能性はあります。しかし、タイプ2w1ではない可能性もあります。そして、その泣き方を見て、タイプ判定できる場合もありますが、それは熟達しないと見分けられないでしょう。

 人間が9つのタイプに分かれるというエニアグラム理論を知ると、それまで気付かなかった細やかな違いに気づいたり、疑問に感じるようになるみたいです。そこが大変によいところではないかと思います。観察をよくされるようになったので、自分とは違う反応ではと、はたと気づかれたのではないでしょうか。

 そんな人たちが確実に増えるので、より多くの人たちに、当会のエニアを知って欲しいと思うところでもあります。
 
回答に対する返事           ゆらさんより    2005/12/22

 ご回答ありがとうございました。職場に同じ検査をする若い女性がいて、質問文の中年女性ととても仲が良く、仕事の合間ににぎやかにしゃべっています。傍から見ると、若い女性と中年女性はとても性格的に明るくくったくもないという意味では似ていて、あまりしゃべらない私と対照的なのですが、上記のようなミスを確認された時の反応は、若い女性と私が同じ感じで、中年女性の反応が違います。若い女性は人との付き合い方などがw1を思わせどうも2w1っぽいぞと思うのですが、中年女性のタイプはまだ見当もつけられません。…というわけで人の性格というのは一つの行為だけでは判断できないなぁとつくづく思います。また質問させていただくかもしれないですが、その時にはよろしくお願いします。

 

15  1145     ある母親の心理について      質問者(さかな)        2005/12/13

 こんばんは。息子と同じ幼稚園に通うあるお母さんは、まだ幼稚園に通っていない末子が催し物などの時に、少し騒いだり走り回ると、頬をぴしゃりと叩いたり、大声で注意をします。ある催し物で、お母さんたちから園に通うわが子の長所を、皆の前で一言ずつ言う機会がありました。事前にそのことを知ったそのお母さんは、とても嫌がっており、当日も緊張をしていた様子で、終わった後も「ああいうの嫌なのよ」としきりに何人かの人に話をしていました。人前で子どもの長所を言うことに抵抗がある反面、叱ることはそうでもないようです。変化球タイプは「内面に矛盾した傾向や作用とか反作用が起きやすく、複雑になりがちで、屈折しやすい性格だと捉えています」と過去のQ&AシのQにあります。上記のエピソードは、この「矛盾した傾向」という部分に当てはまるのでしょうか。よろしくお願いいたします。
回答者(りゅうとうまりこ)      さかなさん、こんにちは!   2005/12/14

 上記だけについてならば、その母親の言動は、「複雑でも屈折しているのでもなく、矛盾した傾向」というのでも無いと考えられます。催しなどでは興奮してしまう気質の子どもがいますから、騒いだりはしゃぎ回るということはよく理解できることです。しかし、母親はその子を理解できないだけでなく、問題行動だと捉えているようです。それで厳しく叱責しているようです。

 そして、そのような様子を他の人たちから見られていることは、その母親は知っていると思われます。周囲の目があるために、また、その人たちに迷惑がかかると思っているので、子を叱っていると思われますからね。子どもが問題行動を起しているのに、その人たちの手前叱らないではいられないという状態にいるのではないでしょうか。また、周囲に誰もいなければ、叱る必要のないことだった可能性もあります。

 従って、その母親の立場になればわかると思いますが、子どもを叱ってばかりいる自分に反省を求められている、そんな雰囲気を感じさせる催しにはならないでしょうか。そこまで考えなかったとしても、ちょっと苦い思いというか、白々しいものを感じさせられるのではないでしょうか。

 
「わが子の長所を皆の前で一言ずつ言うという催し」なるものは、なんだか「みんなで良い母親になりましょう」という「声かけ運動」みたいなものを連想させられます。さながら、交通事故を減らすための声かけ運動に似ているようで、発案者のタイプを想像してしまいます。

 我が子が問題行動を起こさないのであれば、あまり気にすることも無く参加できそうな催しだと思われます。しかし、叱責しているのを周囲から見られている母親にしてみれば、心地良い催しになるのでしょうか? 尤も、この母親の言う
「ああいうの嫌なのよ」という発言ですが、とても素直な反応に思われるものです。第3者である私にとっても、とても同感できるのですから、やはり「矛盾した傾向」にはならないと思われます。

 また、子どもの長所が一つも見つけられないという母親も無くは無いのですが、そのような場に立たされたら、どの母親でも、一つくらい適当にみつくろうことができるように思います。

 余談かもしれませんが、交通事故を減らすためには、声かけ運動というものは効果があると考える方もいるとは思いますが、そうとは思えない人もたくさんいると思います。また、交通事故を減らすには、車を減らすことが一番効果があるのではないでしょうか。次にスピードが出ないように、車に制御装置(可能かどうかはわからないが‥)を付けることをメーカーに義務付けるなどが有効であると、私自身は思っております。

 従って、子どもの問題行動もこれと同じように考えています。真の原因を知り、そこから、より効果的な方法を探すべきであるという考え方です。
 
 子どもの中には、外では良い子になれる気質の子がいますから、それは母親の養育の結果良い子になりおとなしくしているのではありません。この子どものように、大勢の人たちがいると興奮してしまう子がいて、それも母親の養育の仕方でそうなったのではありません。それはあなた自身知っておられることと思います。叱ったり叩いたりしても、興奮している子は抑えられません。それどころか、みなの前で叱っては、よけいに興奮してしまいます。逆効果になっているのに、それに気付かない母親がいるということです。

 子どもの長所を言い合うことで、母親への動機付けになるとか、母親の子への躾方が変わるのを期待できるのかもしれません。しかし、この子の長所に自覚的になれたとしても、この子が興奮して騒ぎ出すという現状は変えられません。どうしたら、その難問に対してより効果的な対処法を見つけ出せるのか、それにかかっています。 
回答に対する返事             さかなさんより      2005/12/16

 毎回拙い質問に、丁寧にご回答をしていただきありがとうございます。この質問をするに当たり、幼稚園のこのお母さんは人目を気にしないので、子どもを人前で叱ることができるとばかり考えていました。「周囲の目があるために、また、その人たちに迷惑がかかると思っている」ので子どもを叱っているという点を考えていませんでした。いろいろな観点から物事を見ようと意識をしているつもりですが、実は、まだまだだと回答文を読んで思いました。
再回答(りゅうとう)            さかなさんへ         2005/12/17

 全タイプの人たちが人目を気にしています。ただ程度の差というものがあります。その方が子どもの問題行動をとても気にしていて、周囲の人たちの存在を忘れていることもあると思います。しかし、しばし忘れるだけでしょう。一時、子どものほうに意識が集中するために、一時周囲にいる人たちの存在を忘れるに過ぎません。従って、「人目を気にしないので、子どもを人前で叱ることができる」というのでは無いと考えられます。

 人目を気にする程度の高い人は、周囲の存在を意識し過ぎており、子どもを叱りたくとも叱れないのです。自分の子どもが騒いでいると、その人たちから自分はどのように思われているのかと思うと、恥ずかしくて穴があったら入りたいほどの気持ちになっているかもしれません。それでもその場では子どもを叱れず、帰宅してから子どもを叱ります。

 あるいは、子どもの問題行動を見て、思わず駆け寄って「ダメじゃない!」と大きな声を出してしまうかもしれませんが、自分の声にすぐに気づいて、周囲の目があると素早く気づき、二言目にはトーンを落として小さな声になるかもしれません。または、自宅の玄関内に入るまで何事もなかったかのように振る舞い、入った途端に激しく叱責する母親もいます。

 これは攻撃タイプ以外の親たちの全てが該当します。つまり、質問にある母親は攻撃タイプの母親だということです。調和タイプや防御タイプの親たちは、家の外では「恥ずかしくて叱れない状態」になります。とくに調和タイプの親が該当し、防御タイプも通常では叱れないほうです。叱るとしても、丁寧に優しい声で叱ることになり、大きな声を出すことはできません。どこか人目につかない隅に連れ出してから叱るということもあるでしょう。

 それゆえ、これらのタイプの親にとっては、子どもを人前で叩くなど恥ずかしい行為であり、逆に、周囲の人たちの視線が自分に集中してしまうのですから、到底にできない行為になります。それを見越して、子どものタイプに拠っては、家庭外では親が自分を叱れないと知って、いたずらなどの悪さを続ける子どももいます。

 従って、そんなことが続くと人目を気にする母親たちは、子ども連れで外出できにくくなります。また、それまでの体験から、子どもが興奮するとわかっている場に連れて行くことが、二度とできなくなることもあります。そういう母親からすれば、子連れで来て、大声を出して叱りさらに叩くという母親の存在は驚異になるでしょう。連れて来るべきではないと批判的に見ている場合もあります。

 一方、自分が驚くべきおかしな人物に見られていることを、質問にあるような母親たちは、全く知らずにいるのです。まして、子連れで来るべきではないと非難されていることを知りません。しかし、攻撃タイプであるこの母親のような人にとっては、子どもが問題行動を起したならば、たとえ人前であろうとも、叱ることは親としてごく当たり前の行為になっています。すぐその場で叱らないと子どもには分からないだろうと見ています。逆に、悪さをしているのに、すぐに叱らない親たちを見ると、「それだから躾られず、そんな子になるのだ」と不信に思って見ていたりします。 

 タイプが違うと価値観が違いますが、その落差は大きく、それも当会のエニアグラムを学ばない限り、分からないことのようです。とても興味深い質問でしたので、あえて踏み込んで再回答してしまいました。

 

16 1135          タイプ4への偏見が生まれないか             質問者(夜の鶯)  2005/11/26

 この間「タイプ4の可能性が高い」と教えて頂きました。タイプ判定、本当にありがとうございます。そして、精神疾患も若干ですが快方に向かっているようです。さて、書店でエニアグラムの本を見つけました。タイプ4について書かれていましたが、いろいろ疑問点がうかんできました。それは、竜頭式エニアグラムと他のエニアグラムの大きな違いです。他の会のタイプ4は「自己陶酔的で自意識過剰」とか、「現実に満足できず普通の生活をしたがらない」とありました。これを見たとき、確かにそういうところも少しはあると思うけど、そのように書かれたらタイプ4に対して、ある種の偏見が生まれるのではないかと危惧しました。それについて竜頭さんはどうお考えですか? また、竜頭式と他の会との歴然たる違いはなんですか? 個人的には竜頭式のほうが正確に捉えていると思うのですけど・・・。
回答者(りゅうとうまりこ)     夜の鶯さん、こんにちは!       2005/11/26

 タイプ4の人たちのなかには、
「自己陶酔的で自意識過剰、現実に満足できず普通の生活をしたがらない」という方も存在すると思いますよ。しかし、そうではない方もいて、いろいろだと思われますから、それだけを取り上げて、間違いか正しいかを判断することはできません。

 また、偏見というものは、どこでどのように生まれ出るものか全く分かりません。また、どのタイプにも欠点がありますから、欠点だけを注視していたら、どのタイプに対しても偏見を持つようになるかもしれません。タイプ4だけが偏見を持たれるとは思えませんが。そして、無知な人のほうが偏見を持つことが多いようなので、知識を得て賢くならねばと思うのですが。

 また、他の会とは、エニアグラム図形の読み方から違います。性格とはどのように考えるものかなども違います。他の会には、理論というものがあるようには見えませんし、各タイプの性格分析も違います。同じように考えるところはわずかで、違うもののほうが多いくらいで、とてもここで簡単に説明できるものではありません。

 また、何故こんなにも違うのかと問われることがありますが、私のほうが問いたいようなことです。当然に、当会のほうが正しいと思っていますが、他の会の人たちも自分のほうが正しいと思っているはずですからね。従って、あなた自身が学んで、自分で見つけていくしかないと思います。学び続けた人だけが判断力がつき、本物を選び出せるのではないでしょうか。

 

 

17 1127  「屈折している」とは!        質問者(さかな)    2005/11/10

 こんにちは。変化球や屈折という言葉で、ウィングについて説明されているのを、サイト上で何回か拝見いたしました。そこで質問になりますが、当時、私(2w1)は、属していたサークルの部屋で仲間5〜6人と袋詰めの作業をしていました。その時に、尋ねて来ていたサークル関連の人が帰るというので、仲間たちが玄関まで見送りました。私だけが部屋で挨拶をして、そのまま作業を続けていました。玄関まで見送ることも嫌でしたが、部屋に残っていたことも嫌でした。普段の私ならば、こういう状況では仲間と共に玄関まで見送ったと思います。しかしこの時は、親しくない人に、そこまでするのは偽善だと思う自分の気持ちに、正直であるべきだと思いました。後日、仲間の一人から、「○○さんにあんな面があったんですね」と言われました。こういう矛盾した気持ちが、屈折しているという表現に当て嵌まるのでしょうか。なお、この時は、作業の締め切りが迫っていたわけではなく、また、サークル関連の人と、仲間同士は、面識が殆どなかったと記憶しています。よろしくお願いいたします。
回答者(りゅうとうまりこ)        さかなさん、こんにちは!     2005/11/10
 
 よく使われる「屈折している」という心の状態を顕す言葉については、私自身も考えていたものですが、うまく説明できるのか、ちょっと心許無い!と言うのが正直なところです。

 ところで、「光(波)は屈折する」ということはよく知られています。コップに水を入れて、その中にストローを斜めに入れると、ストローが水面のところで折れ曲がったように見えます。これは光が屈折しているために、私たちの目にそのように映るということです。たとえば、実際よりも20度くらい傾いて見えているとしたら、それを「心の屈折」として当て嵌めてみると……。

 自分の放った言葉が、そのままには相手には入らず、20度くらい斜めに傾いて入っているように感じること、と言えるかもしれません。または、相手の放った矢(言動)が、自分のなかにはそのままに入らず、内側に曲がりくねってしまうようなイメージ、と考えられるかもしれません。よくある簡単な説明としては、「素直ではない」とか「性格がひねくれている」「へそ曲がり」などが多いようです。

 しかし、「素直ではない」と「屈折している」がイコールとは思えず、どうも違うように感じられます。これでは納得できず、具体的で分かりやすい例はないかと、インターネットで探してみました。
 たとえば、「喜んでいる顔より、嫌がっている顔がみたい」という一文がありました。これならば、「この書き手は屈折している人だなあ」と言えるのではないでしょうか。「素直じゃないなあ」という表現では合わないように思われます。

 さて、「他人が喜んでいる顔など見たくない」というならば、「素直じゃないなあ」という表現が合っていると考えられます。ところが、「嫌がっている顔が見たい」が付け加わると、その心は屈折しているように感じるのですから、問題はここにあると分かるでしょう。相手の放った矢に対して、拒否したり否定しているだけならば、「素直ではない」と思うだけです。しかし、苛めているような、どこか攻撃的になっている部分が見えます。

 つまり、自分に向けられた矢を振り払うだけならば、自己防衛だけであり、相手を素直には受け入れられない状態を顕しています。しかし、自分に飛んできた矢を掴んで、その矢を相手に突き返しているような様相です。相手の言動に腹が立ったので、一矢報いたいが、矢をそのまま放つことができないので、まわりくどい言い方で攻撃的になっているのかもしれません。または、相手の放った矢が自分に突き刺さったので、相手に一矢報いたい思いがあり、しかしあまり露骨に攻撃できないために、ひねった表現をして反撃していると考えることもできます。

 さて、このように考えると、あなたの質問にあるエピソードを見ると、とても素直な自己表現をしていると分かるでしょう。「屈折には当たらない」と考えられます。

 そして、タイプ2w1は全体主義的になりやすいところがあり、「みんなと一緒に行動する」ことが当たり前みたいに思っている人たちがとても多いことは知っています。全ての2w1がそうなるのではありませんが。ただ、「玄関まで見送ることも嫌でしたが、部屋に残っていたことも嫌でした」とあります。やはり、「みんなと一緒」から外れるのは、嫌なことなんですねえ。そういうことは全く辞書にないタイプがありますからね。そのタイプの人たちからすれば、他人に言われてから気づくようなことではないでしょうか。

 従って、基本的には「みんなと一緒に行動しなければならない」という気持ちが強いが、時にしたくないという気持ちにもなるということでしょう。それは「素直に従えない」というだけですから、やはり「素直ではない」のです。たとえば、その時に、「偉い人たちはお見送りしないと…」などと言って、本当は見送りたくないのに見送った後で、チラリと小声で述べたなら、かなり屈折した人に見られるのではないでしょうか。

 最後に、「みんなと一緒」という考え方をとても嫌う人たちがいます。それを
タイプ2w1の人たちに理解してもらいたいと思っています。また、あなたも押し付けられているように感じたので、素直に従えなかったのではないかと思います。タイプが違うと価値観が違いますが、互いに自分の価値観を、他人に押し付けないようにしたいものですね。
回答に対する返事               さかなさんより   2005/11/16

 ご回答をありがとうございました。言葉を吟味することの大変さや大事さを、改めて感じています。心の状態を、より的確な言葉で表現したり、把握できたら、もっといろいろな世界が見えるのかもしれませんね。また質問をさせてください。ありがとうございました。

 

18 1125   人見知りが強く、シャイなタイプとは?    質問者(りんちゃ)   2005/11/08

 人見知りが強く、シャイに見える人というのは、各タイプにいますか?  タイプ8、5などは決してシャイには見えない、であるとか。人見知りが強くシャイということで、タイプがしぼれる、もしくはあるタイプは除けるということがありますでしょうか? 
回答者(りゅうとうまりこ)         りんちゃさん、こんにちは!     2005/11/08

 「人見知りが強くシャイ」については、下記のアドレス、当会の基本理論の一つ目に載せています。このサイトに興味を持って頂けたなら、一度は基本理論のところを読んで欲しいと思っています。
   
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/static/theory1.htm

 防御タイプ(7・1・4)の人たちが、グループとしては最も人見知りが強くて、シャイです。次に、調和タイプ(3・6・9)というグループに属する人たちです。最も人見知りが少なくシャイさも少ないのは、攻撃タイプです。ここで留意して欲しいのは、「少ない」と書いていることです。人見知りゼロ、シャイさはゼロという方はいません。

 攻撃タイプの中で比較するならば、最も人馴れしやすく、人への警戒心が少ない人たちが、タイプ2です。それゆえ最もオープンな気質で、自分の失敗談も語ることがあります。タイプ2にとっては「世界は肯定的なところ」であるようで、人を信用しやすく、弱点なども隠さないでいることが多い人たちです。

 ところが、同じ攻撃タイプであっても、タイプ8にとっては「世界は否定的なところ」ですから、人々をよく観察しており、いつも警戒しているのが普通のことです。失敗談を言う場合は、かなり選んで語るほうであり、しかも過去の失敗談になるでしょう。恥ずかしい行為は人前で曝さないようにかなり神経を尖らせています。タイプ8にとって周りの人たちは全て「敵」ですから、慣れ親しむことは容易ではないほうです。また、そのつもりも無い人たちです。

 同じ攻撃タイプのタイプ5にとっては、「世界は否定的でもあり肯定的でもあり、どちらとも言えないところ」です。タイプ8のようにいつもスキを見せないとか、全ての人たちを「敵」と見ているわけではありません。しかし、人には容易に近づかず親しむつもりもないようで、自分だけは蚊帳の外、展望台から人々を見下ろすような位置に立って見ている人、と言ったら、タイプ5が少しは理解できるでしょう。

 なお、攻撃タイプはかなり恥ずかしい行為でも平然としている方が結構います。前のところで、タイプ8は「恥ずかしい行為は人前で曝さないようにしている」と書いているので、矛盾すると思われるでしょう。しかし、なにを恥ずかしいと感じるのか、そこが問題であり、本人がそれを決めています。ですから、他人からは恥ずかしい行為に見えても、本人には恥ずかしい行為にならない場合があります。

 調和タイプは常識感覚が優れているので、社会や人々から見て恥ずかしいと、一般が感じるようなことは、めったにはしないほうです。全くゼロとは言えませんが。なぜならば、人はいろいろな過失をしますし、感情が昂ぶって、思いがけないことをする動物だからです。

 防御タイプは、些細なことでも、かなり恥ずかしいと感じる人たちです。攻撃タイプからは恥ずかしいとは微塵も思えない行為が、防御タイプにとっては、二度と人前に出られないくらいな恥ずかしいことになっていて、青ざめていたり、後々まで思い出して、恥ずかしかったと述べたりします。落差が大きいようで、あえて数値化するならば、攻撃タイプの恥ずかし度を10とするならば、防御タイプは500と考えたほうがよいのであり、実態に合っています。人見知り度についても、攻撃タイプ10で、防御タイプは500、調和タイプは250くらいと見積もります。

 従って、テレビ番組を見て、「人見知りでシャイな方がいる」そうですが、そうではない方もいるとは思いますが、その差は、たとえば10と20くらいの差になるのかもしれません。10と250とか、10と500の差になる場合もあると思われます。よくよく観察していないと、差というものは見つけ出せません。そして、250や500の数値の人たちは、超恥ずかしがり屋さんですから、応募しそうにない番組になるのかもしれません。が…、

 それだけでは絞れません。名をあげたい、有名になりたい、芸能プロにスカウトされたいと強く思っている方ならば、シャイな人でも勇気を奮って応募するかもしれませんからね。それはどのタイプにも有り得ます。ですから、いろいろな角度から見られるようになれば、タイプを絞るのは簡単ではないと分かるでしょう。いろいろな角度で見られないために、タイプを早く絞ってしまいタイプ誤認をするのではと思います。 

 

 

19 1084         タイプ4の方の人つきあいについて        質問者(さかな)   2005/09/14
 
 こんにちは。今回の通信講座の「友人に対しても不満を持ってしまう自分が嫌だった私(2w1)は、同僚(タイプ4)だったらどうだろうと思い、そのことを尋ねてみると、同僚は、「僕は、嫌いな人とは付き合わないで、好きな人しか友達にならないから、そんな問題は起こらないよ」と、あっさりと答えました。この箇所からの質問ですが、同僚の場合、「人間を警戒して、人をよせつけない人」の反応だったのかもしれませんが、人間に対して複雑になりやすく、かつ防御タイプのタイプ4ならば、友人関係の付き合いのことを、このようにあっさりと一言で答えられるのだろうか? と疑問に思いました。また、「嫌いな人と付き合わない」という言い方は、自分が友人を選んでいるという印象を持つのですが、実際は、人を警戒してしまうために、結果として、苦手や嫌いな人をよせつけないという意味合いで使われているのでしょうか。よろしくお願いいたします。
回答者(りゅうとうまりこ)        さかなさん、こんにちは!    2005/09/14

 人は、言行一致する時としない時があると、ご存知でしょう。たとえば、マンションに一人住まいの独身者に「家に帰っても、誰もいないのでは寂しいでしょうね?」と尋ねた場合、「寂しいとは特に思わないよ」と応える人がいたら、あなたは、その人が正直に答えていると思うのでしょうか? 本人は正直に答えたつもりでも、言葉うらはらな場合があるかもしれません。毎晩のように酒を飲まないと眠れず、かなりの寂しいがり屋であることが、真相なのかもしれませんよ。

 また、ウソを言うつもりはなく、「なんで自分はあんなことを言ったのか分からない」という体験は有りませんか? 本当は寂しいのに、強がりを言っているのか、はたまた「寂しい人間に見られたくない」という見栄なのか。真相は当人に聞かないと分かりません。しかし、当人も自覚している時とそうでない時があるのではないかと思います。当人の自宅での様子をみたら、言葉通りらしく、寂しがり屋なところがちぃっとも見つけられなかった、ということもあると思います。

 いつも回答していることは、「本人の言うことでなく、どのような行動をしているのか、それを見て判断する」です。その同僚は、嫌いな人と、本当に付き合わないようにして来たのでしょうか? 言行一致している場合もむろんあるでしょう。しかし、一致しない場合もあるはずです。嫌いな人とつきあったことがあると、「よくよく考えたら思い出したよ」と言うかもしれません。

 好きな人がいて、自分からつきあいたいと積極的に交際を申し込んだことがある人なのかもしれません。その同僚は、そういうことは一度もしたことが無い人なのかもしれません。このようなことは、このタイプにはかなり存在するのですが。友人はいたが、傷つけられて、つきあいを切った人もいるはずです。その後は友人を作らないと決めた方も存在します。しかし、いつも拒絶されるほうばかりで、自分のほうから拒絶したことなど全く無いという方もいるでしょう。

 人間への思いが複雑になりがちなのが、タイプ4の人たちです。しかし、果たして、自分が複雑な心理状態にいると自覚できるのでしょうか。タイプ2の人も、自分が父親や実子に対して複雑な心理状態になるらしいと、当会の理論を学ぶ前に自覚できた人がいたとは、あまり考えられません。このように、「自分で自分の心がわからない」ことが、誰にでもしばしば普通にあります。自分の心の状態を自覚しつつ、よく理解して、そのままを正確に、いつも相手に伝えられているのでしょうか。そんなことは無いはずです。

 さて、あるタイプ4の人は、家族に恵まれており、寂しがり屋だと自覚はしていても、「嫌いな人と付き合ったことは無い」と断言します。あるタイプ4は本当に孤独で、「嫌いな人でも、相手は自分を好いてくれているようで、誘われると断れずに、毎回のように付いて行く」と言います。前者は、同じタイプであるにも関わらず、後者の行動が理解できないと言うのです。

 これは創作なんですが、実は、とてもよくあることです。当人の置かれている環境が違えば、まるで正反対のことを言う場合があります。しかし、タイプ判定をすれば、どちらも同じタイプになりますが、自分とは言動が違うので、理解できなくなるのです。当然、タイプが違えば、理解し難いことが沢山あるのではないでしょうか。そして、さして意味のない言動とか、矛盾したことをつい言ってしまうことも、よくあるのではないでしょうか。

 「苦手や嫌いな人をよせつけないという意味合いで使われているのか」とありますが、当人の心づもりに、そういうものがあったかもしれません。しかし、無かったのかもしれません。どちらなのか見当もつきません。また、嫌いな人であっても、いつしか好みの人になることもありますからね。なお、タイプ4は、本当は人間が大好きなのですから、「人をよせつけないぞ」と言っているにもかかわらず、結局、人間を追い求めてしまっていますからね。

 タイプ2の親も、息子が自分の言うことを聴かないので、「勘当だ!」とか「家を出ていけ!」と厳しく言うことがあります。本当は勘当する気持ちはなく、家も出て行って欲しくはないのでは。人の言っていることを、そのままを信じてはいけないことがよくあります……。

 

20 1076  家庭環境によってタイプは変わるのでしょうか 質問者(さくらんぼ) 2005/09/05

 こんにちわ。子どもは育つ家庭環境で、タイプまで変わるのでしょうか?ある偏った家庭内で、違うタイプの子どもが暮らしていく場合、そのままでは生きていくのが辛いので、その家庭に合った性格に変わることがあるのでしょうか?

回答者(りゅうとうまりこ)       さくらんぼさん、こんにちは!       2005/09/05

 当会では、性格タイプ=気質という考え方をしており、環境がどれほど変わっても、生まれ持った気質は変わらないと見ています。体をハードだとすると、心(性格とか気質)はソフトですから、受精卵になった時に、たとえばタイプ8と決定づけられたという考え方をしています。従って、タイプが変わるということは、パソコンのソフトを変えるようなもので、パソコンには可能ですが、人間には不可能なことです。

 ただし、人間は学べる動物ですから、環境に応じて対応を変えられ生きて行くことができます。酷い環境にいても、よく学びよく耐えて、立派な人物に成長した方もいますからね。しかし、ある人は酷い家庭環境にいたためだと自己弁護して、何事にも投げやりとなり、学びも放棄して、自堕落になってしまい、自分の不幸を嘆くだけの人生を過ごしてしまうのです。そんな人も実在します。両者ともに性格が変わったように見えると思いますが、当会はどちらも生まれた時の気質のままであると見抜いてしまうと考えてください。

 ある人のタイプ判定を、2歳の時にタイプ8だと判定したとしたら、30歳の時にもやはりタイプ8なんです。仮に、このタイプ8の男性の父親が、酒乱で大変に暴力的で、かつ職を転々として、不安定な家庭であったとしましょう。母親はやさしい人で息子を可愛がっていたが、10歳の頃に、夫に失望して母親は家を出てしまいます。

 それが原因で、15歳頃には、ぐれだしてしまい父親に反抗的となり、やくざとつきあったり暴走族にもなり、かなり荒れた青年期となりました。子どもの頃の勉強家らしさはどこにも見当たらず、まるで人が変わったように見えるのです。

 しかし、当会にタイプ判定を依頼されたら、やはりタイプ8だと答えるでしょう。20歳頃には再起して、小さいながらも事業を興して、父親を見返そうと頑張ったためか、事業がうまく行き、30歳の現在では立派な起業家として尊敬されているとしましょう。

 この男性の性格は確かに大きく変わったのですが、タイプ8としての範囲内での変わり方に過ぎません。15歳の頃にタイプ4となり、30歳ではタイプ7に変わるということもありません。タイプが違うと、価値観から人生観、行動パターンなど全てにわたって大きく違いがあります。

 ですから、タイプ8がある時期に、おとなしくなっても、タイプ4のおとなしさに変わるのではありません。起業家になって元気活発になったからといっても、タイプ7の元気さとは違い、またタイプ7と判定されることも無いでしょう。これに関することを以下のところでまとめていますから、できましたらお読みください。
    http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-1~/15-3.htm

 さて、親と同じタイプの子であっても、うまく行かないだけでなく、険悪になった親子もいれば、大変な仲良しの親子がいます。親と違うタイプに生まれても、親と大の仲良しになっている例も数え切れないくらいありますが、絶縁状態になった親子もいます。タイプの問題ではありません。

 不幸な家庭に育っても、自分の努力で乗り越えられる人がいますが、不幸を嘆き不平不満をこぼすだけで、何の努力もしない人がいます。それもタイプの問題ではありません。恵まれた家庭に育ち、知的能力も高かく、両親から深く愛されているのに、人を恨み社会のすね者になってしまった人も実在します。

 ですから、最終的には自分の意志の力に拠るのではないでしょうか。タイプが変わるのではなく、このタイプだからダメということもなく、本人の「よりよく生きたい」という気持ちと、それを貫こうとする意志如何、努力如何で、その後の運命は違って行くのではないでしょうか。

 

 

21 1071    「風と共に去りぬ」について          質問者(古葉)   2005/08/13

 はじめて質問します。「風と共に去りぬ」の原作者はタイプ8とのことですが、登場人物の「メラニーとアシュレイ」もタイプ8なのでしょうか? 教えてください。
回答者(りゅうとうまりこ)        ココさん、はじめまして!     2005/08/14

 映画「風と共に去りぬ」は、随分と以前に観たもので、あまり確かではありませんが、「メラニーとアシュレイ」は地味でおとなしいが、芯はしっかりとした性格だったように記憶しています。そうなると、タイプ8では無い可能性があります。     

原作者のマーガレット・ミッチェルさんは、確かこの一冊しか出版していないと思いますが、自伝的な作品だと聞いたことがあります。自伝的なものならば、実在する人物をモデルにして書いた可能性があるのではないでしょうか。そうなれば、登場人物たちが作者自身のタイプでは無くなる可能性があります。

 なお、映画を観ているだけで、
原作は読んでいませんから、やはり原作を読まないとご返事できません。原作を読んでも「アシュレイ」のタイプが全く分からなかったとしましょう。その場合は、実在するモデルになっている人物の性格を、仮にタイプ4だとすると、この作品では「タイプ4+タイプ8」という混合した性格になるでしょう。「メラニー」のモデルになるような実在した女性がいて、その女性がタイプ9だとしても、作品のなかでは「タイプ9+タイプ8」になるのではと考えられます。

 人は他人の言動を観る場合、ほとんどが「自分流に解釈」しています。ミッチェルさんの身近にも、タイプ4やタイプ9の人たちは存在していたと思われるので、そのような人物を登場させられるでしょう。しかし、その人たちを、自分の創作する物語に登場させる場合に、果たして、いつもタイプ4らしい行動を取らせることができるでしょうか? タイプ9らしいものの考え方を表現できるでしょうか?

 たぶん、逐一彼らに「あなたなら、この場合、どのように行動するだろうか」と尋ねなければ、物語を進ませることはできないだろうと考えられます。そして、最初の頃の性格描写の部分だけはタイプ4でも、その後になると、まるでタイプ8そのものみたいな言動をしている可能性があります。そのようなものばかりではないかと思われるからです。

 登場人物たちをうまく性格別けをしなければ、優れた作品にはなりませんから、どの作家も実在の人物などの行動パターンを参考にしつつ、いろいろに織り交ぜて作品を作っていると考えられます。しかし、作者の感じ方や考え方が、登場人物のセリフや行動の仕方に自然に入ってしまうと考えられます。

 なぜならば、当会を受講して各タイプの性格をよく理解できるようになっても、状況設定をした中では、タイプ4はどのような行動を取るのか、タイプ9はどうなのかと質問しても、まるで予想できないようです。タイプ4の受講生は、同じタイプ4のことであれば、あまり外れずに予想できるのですが。それでも、10代で学生をしているタイプ4の女性に尋ねても、50代の学校教師をしているタイプ4の男性の行動は予想できなくなってしまうのです。

 それほどに、9つのタイプの行動パターンが違い、価値観や人生観が違い、タイプが違うと皆目見当がつかないようなの
です。同じタイプでも、まるで分からないくらいですからね。

 作者も日頃、人間観察をしているはずですからね。おとなしい人物や軽薄な人物、自信のない人たちを、ミッチェルさんも自身の作品に登場させることはできるでしょう。しかし、一見したところ「おとなしそうに見える人物」を登場させているに過ぎないのではと考えられます。「メラニーとアシュレイ」も、最初は内気で弱々しそうに見えていたのに、その後は結構逞しい人物だなあと、ちょっと意外に感じたことを覚えています。

 現在、原作を読む時間が取れません。なにしろ長編物ですから、とても無理です。ご協力できなくて申し訳有りません。

 

22 1065 矛盾していると思われるところ!         質問者(ゆぅ)    2005/08/06

 こんにちは。今回はエニアグラム性格学のタイプ8・3・7に関する分析の説明をお願いします。275 鈴木秀子さんのタイプ(過去のQ&Aのエニアグラム理論と当会への質問(25)を参照)で「私と世界は否定的に結びついているタイプ8・3・7」はグループで見た場合とても家庭を大切にする傾向がある、とされています。しかしタイプ8・3・7の行動原理(バックナンバーの上級者用エニアグラム理論(24)を参照)では、兄弟姉妹も我が子もライバル!とあります。とても複雑で一見矛盾しているようにも見えるのでが、どういう事なのでしょうか。この二つが両立して、兄弟姉妹や我が子が敵なのに味方であり、味方なのに敵であるという矛盾した存在なっているのでしょうか。それとも、状況によってコロコロと敵になったり味方になったりするという事なのでしょうか。前者ならばとても苦しそうで、後者ならばとても忙しそうです。
回答者(りゅうとうまりこ)         ゆぅさん、こんにちは !        2005/08/08

 とても鋭くて、よく学んでおられるような質問だと感じました。そういう質問をして欲しかったくらいです。

 まず、具体的な事例を上げて説明してみましょう。母親が「世界は否定的に結びついているタイプ8・3・7」で、子どもが小学校で他の子とケンカとなり、骨折させたという事件が起きたようです。担任の先生から連絡が入り、この母親の子どもが先に手を出して、相手の子を突き倒してしまったようです。

 この3つのタイプの母親は、まずは我が子の過失であるとは考えない傾向があります。あるいは、母親も困っているような腕白な子であれば、「またやったな!」などと心の中では考えているかもしれません。しかし、担任に対しては、我が子を守るような発言をします。「相手の子から、うちの子は口の暴力を受けていませんか」、「正当防衛ではなかったのか」、「元気の良い子はケンカくらいするもので問題視するほどではない」等々。

 いろいろな言い回しがあると思いますが、社会や他人に対しては、家族を守り、また、かばうような行動パターンを取るのが、837の人たちです。そして、悪かったのは我が子のほうであると知ったならば、帰宅してから、「なんてことしてくれたの!」と叱り飛ばすかもしれません。
 家庭内ではしっかりと躾しますが、家庭外での他人との間に起きたイザコザならば、たとえ、我が子を信用していなくとも、素早く我が子を守る体勢に入る人たちです。それゆえ、家族を守り大切にする傾向があると解析しています。(ついでながら、交通事故に出遭った場合も、謝罪の言葉を発しないように注意しているタイプです)

 この母親がタイプ2w1だとしたら、担任に、まずは謝りの言葉を発するかもしれません。タイプ9w1の母親も、事情を知らないうちから「ご迷惑をかけて済みません」と、まずは謝る可能性があります。謝るとか謝らないよりも、事情をしっかりと調べて原因を見つけ出し、冷静に対処することが大切ではないでしょうか。しかし、どのタイプも、自分の本能の成せるままに行動してしまう傾向が見えます。

 ところで、この腕白な男児が成長して、成績は優秀であったために医者になれたとしましょう。父親は、タイプ8・3・7と仮定します。我が子が医者になったのですから、とても誇らしく、自慢の息子を他人に見せびらかすかもしれません。そこまではよいのですが、芸能プロダクションにスカウトされてしまったと仮定してみましょう。そのうちに、テレビにも出て脚光を浴びている息子を見てしまうと、この父親は誇らしいという気持ちもありながらも、内心はねたみとしっと心に悩まされる可能性が出てきます。

 なぜならば、8・3・7は、目立ちがり屋で、注目を浴びたいという欲求が強い人たちです。息子が医者に出世するくらいならば、ねたまない可能性がありますが、さらにテレビの人気者になってしまったなら、父親にとって、自分との格差が大きくなり過ぎます。とても祝福する気持ちになれず、ライバル心は高まり、気持ちが逆立ってしまうのです。

 童話・白雪姫に関する文章を、いつか「昔話や童話でタイプを理解する方法シリーズ」として取り上げる予定です。「白雪姫と母」との関係が、ある時点からライバルに変わってしまったというお話ですからね。

 しかしながら、他のタイプの母子や父子でも、そのような関係になることがあります。むろん兄弟姉妹間でも夫婦でも、同様な関係になることがあります。たとえば、娘が玉の輿にのり、大金持ちと結婚したならば、ねたむほどではなくとも、淋しい気持ちに襲われたり、娘と会いたがらなくなってしまう人は結構多いのではないでしょうか。

 兄と弟と仲が悪くて、兄が弟をいじめることがありますが、その弟が他人から苛められたと知ったならば、助けに駆けつけている兄もよくいます。妻が出世して課長になり、夫のほうが平社員で窓際族にでもなってしまったら、夫婦の間には穏やかざる空気が漂いはじめる恐れがあります。実際にも、それが原因で離婚した夫婦も存在します。

 一方が幸せになると、差が出るために、他方は自動的に不幸になってしまいます。差を大きくあけられたほうに、ねたみ心が芽生えて、両者はライバルとなり、次第に貶めたいという気持ちが育ってしまうのです。従って、8・3・7だけに起こるものではありません。

 いつも書いてますが程度の差があり、他のタイプと比較すると、8・3・7というグループに属する人たちが家族を大切にする気持ちが強く、また、家族とライバル関係になりやすいのです。他のタイプにはまるで分からないとか、絶対に有り得ないということならば、タイプ判定は簡単にできるのですが、そうではないために難しいものになってしまいます。

 動物たちの行動を見ても、助け合い協力し合う場合もあれば、奪い合い騙し合っている場合もあります。それは血縁関係のない間柄にもよくありますが、夫婦や親子や兄弟姉妹の場合もしばしばあることのようです。人間だけにある矛盾とか、複雑な心理というものではありません。また、体験すれば納得できるのではないでしょうか。

 家族は運命共同体ですから、全員がともに幸福であれば、ねたみ心は起きないでしょう。また、自己実現している人や、そんな自分自身に納得できる、自分に満足できる人たちだけが、そういうこととは無縁になるのではないでしょうか。 

回答に対する返事            ゆぅさんより       2005/08/09

 タイプ837に関する二つ分析の矛盾について説明していただき、ありがとうございました。脚光を浴びている息子を見た父親の例のように両立して悩むこともあり、仲の悪い兄と弟の例のように状況によって敵になったり味方になったりもあるという事なんですね。そして、それがタイプ837や人間という枠に限定した矛盾とか複雑な心理ではない、という事にも納得のいく限りです。

 

23o1045       エログロ描写や残酷描写について   質問者(あけみ) 2005/07/10


  先日は「ハイジ」についての丁寧な解答をありがとうございました。だいぶ以前に、ここの質問コーナーにマンガ「ベルセルク」についての考察があり、この作品は4W5で、なぜそうなのかを、主人公ガッツやグリフィスたちの言動から分析していました。なんとなく、中性的なグリフィスは4W3のように見えたですが、彼も同じ4W5なのですよね。この作品を呼んでみたら、エログロ描写や残酷描写がかなり克明に描かれていたので、怖がりと言われるタイプ4W5の作品だといわれるとはとても意外な気がしました。4W5の作品には、なぜか「ベルセルク」のようにエログロ描写が多いそうですが、どうしてW3でなくW5に多いのでしょうか?

回答者(りゅうとうまりこ)       あけみさん、お久しぶりです!  2005/07/10

 マンガ作品を一人で作るならば、そこに登場する人物は作者の分身みたいなものですから、全て同じタイプになると考えられます。

 主人公のうちの一人であるガッツが男らしくて、グリフィスが中性的であったとしても、それでウイングが違うなどということはありません。
実際、4W3でも4W5でも、中性的な人がいますが、そうでない人もいますからね。たとえば、実在の友人に4W3がいて、その人をモデルとしてグリフィスという人物を創作すれば、ウイングをうまく描き分けられるのではないかと思います。

 次に、怖がりな気質の強い人たちこそ、怖い作品が作れるのは、よく考えたなら当然のことだと分かると思います。「餅は餅屋へ!」と言うではありませんか。その道のプロはやっぱりプロだけのことはあるという意味ですが、たとえば、稲川淳二(こちらからは7w6らしく見える)さんはよく怪談話をしており定評があるみたいですよ。怖がりの人に怖い話をさせたら、一番にうまく語れるはずではないでしょうか。

 ホラー作品をよく作り活躍している人たちを見ると、タイプ4と7が圧倒的ですからね。しかしながら、残酷な描写は、タイプ2や8の作品にもありますから、タイプ4だけにある特長ではありません。ただ、残酷な描写というよりも、グロテスクな印象の濃いものがあり、その作者のタイプを探すと、しばしば
タイプ4W5であることを発見しています。残酷描写=グロテスクではないように思われますし、似ている部分もありますが、少し違うように思われます。妙に生々しく美しく見えるくらいに残酷に描かれていると、グロテスクという表現が当て嵌まるように思われるのですが。

 ところで、以下のページの
No608には、オーブリー・ビアズリという画家について少し述べています。
     
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/q&a/past/02.htm

 「“僕の目的はひとつ。グロテスクであること。もし僕がグロテスクでなければ、僕は何物でもない」(ビアズリ伝)”。 美意識の強い気質であり、“美”を追求すれば、当然に対極にある“醜”にも関心を持たざるを得ないのではないかと思います」なとど回答しています。また、対極にあるものは同根であるとか、異質なものでは無いと考えられるのです。

 絵や詩、マンガ作品を見ても、W3は繊細で上品で情緒的で、清楚でフェミニンなイメージの強いものが多いようです。しかし、W5の絵、たとえば、かの有名なヴァン・ゴッホ(4W5と判定)ならば、繊細というよりも強烈な色調で大胆で骨太、くどいと感じさせるものが結構あります。女性のフリーダ・カーロ(4W5と判定)も強烈で激しい色彩の作品が多く、グロテスクな絵も残しています。むろん、W5の人のなかにも、W3のような繊細で上品で清楚な作品も数え上げられないくらいにあります。

 そして、
W3でなくW5にエログロ描写が多い」理由は、まだよくわかりません。W5のほうが、W3よりは正直で包み隠さない人が多いとか、W5のほうが、5の攻撃的な気質があるために、攻撃的で大胆になりやすい傾向はあります。完璧主義があるために、残酷な描写を丁寧にち密に描いてしまうので、グロっぽくなるのかもしれないとも思います。しかし、それが理由になるのかは分かりません。また、W3がグロテスクなことは全く考えたことが無いとは思えませんし、また、他のタイプにも存在するはずであると考えています。とくにタイプ7も可能性があると予想しています。

 現段階では、まだうまく説明できないのであり、それ以外にもたくさんに、分かっていないことがあります。当会はまだ発展途上というか、まだ完成されていないというだけでなく、完成させられるのか、とも考えています。人類の性格とか気質とか、そのような広大な問題を前にして、どこまで解明できるのか、どこまで多くの人たちに納得してもらえるように説明できるようになるのか、時に暗澹たる気持ちに襲われることもあるほどです。


 

24 1008   2w1と1w2の違いを知りたい   質問者(連絡船)   2005/05/29
 
 こんにちは。以前に、タイプ2w1と判定していただきましたが、まだ自分はタイプ1ではないかと迷いつつも、分かりません。2w1と1w2の違いではっきりと分かるものは有りませんか?
回答者(りゅうとうまりこ)       連絡船さん、こんにちは!   2005/05/29

 あなたは、1のウイングが重い方なので、タイプ1の性格を色濃く持っています。その場合、ご自分をタイプ1と思われるのはよくあります。こちらに、自分はタイプ1であると連絡されて来た方の多くは、いろいろと尋ねて見ると、タイプ2w1であったと後から判明できたりしています。しかし、本人がどうしてもタイプ1だと信じて疑わない方もしばしばいます。むろん、こちらも無理矢理にタイプ1にしたい訳ではなく、私どもにはどちらであってもよいのです。

 本人が自分を知ることが重要なのであり、私たちがたとえ本人よりも本人の深い動機をよく知っていたとしても、他人事ですからね。どのタイプであっても構わないのであり、冷たく感じるかもしれませんが、自分のために自分を知る必要があるだけです。タイプが一致したり見解が一致できるようにすることが目的ではありません。

 
「2w1と1w2の違いではっきりと分かるものは有るか」という質問ですが、実はかなり違うというよりも、似ているところはあっても、ことごとく違うんです。この二つのタイプを熟知すれば、間違えようがないことが分かって来ると思います。しかし、ほとんどの人たちは、他のタイプのことを自分流に解釈したり、自分なりにイメージしてしまい、学ばない限りは判別できないようです。よく「色眼鏡をかけて自分と他人を見ている」と回答していますが、色眼鏡をかけていると本人も知らないためではないでしょうか。

 最近の講座で、受講生が知り合いを1w2だと思っていたらしいのですが、2w1の間違いではないかと考えられるエピソードがありました。たとえば、タイプ1は、後ろから来る人たちを恐れるというか、かなり驚くことが多いようです。その知り合いが、職場のロッカールームが狭いので体がぶつかるかもしれないと予想して、しばしば「うしろ気をつけて」と言うのだそうです。その他、几帳面で怖がり、神経質などの性格が見えて、タイプ1らしいと思い、受講生はこのような人がタイプ1に違いないと思ったようです。

 しかしながら、そのエピソードを聞いて、その言葉使いからはタイプ1らしく思えないので、再度、その知り合いを観察したほうが良いと助言しました。まだ、判定はできていませんが。その事例から、タイフ1らしく思えない部分とは、「うしろ気をつけて!」と、他人のほうに注意を促している点です。これは「世界の中心にいると自己認識しているタイプ」に多いもので、どちらかというとタイプ2w1のほうです。1w2の人たちは、自分が相手の行動に気をつけているほうで、受け身になるほうです。

 ただ、これは「多い」と書いているように、絶対的なものではありません。言い回しがタイプ1と見ると違和感がありますが、この一事例だけでは判定しません。タイプ1として見た場合に、違和感のある言い回しが随所にあれば、タイプ1の可能性は低くなると判定します。当会では、このような加算式の判定法を使うことがよくありますが、こちらのほうが精度が高くなると思っております。

 ちょっとした言い回しに、タイプがクッキリとよく出ています。表情なども、ほんの少しの目の動き方などから、その心理を予想したりします。たった一つのセリフから、タイプ判定できることもあります。それほどですから、どんな些細なことでも、基本タイプが違うと判明できることがあります。選挙時、1%くらいの低い開票率で当確が出ることがありますが、それと同じなんです。これまでの情報の蓄積から、ここへの質問文だけでタイプがくっきりと出て判定できることがあるということです。

 「二つのタイプは、こういう違いがあるよ」と、例を上げて紹介しても、実は理解が進むというものではありません。いろいろと事例を上げて説明することがありますが、かえって混乱する方が多いようです。また、事例をあまりにたくさん知っているために、何を紹介してよいやら分からないこともあります。それよりも、あなたの事例から、あなた自身の体験や言動から、あなた自身を知ることが、一番に大切ではないでしょうか。他の人のことを知る必要はないのです。まずは自分自身ですからね。

 そして、あなたがタイプ1だとしても、他のタイプ1の人と同じ言動をするとは限りません。環境が違い、状況が違い、能力も年齢も性別も健康状態も、全て違うタイプ1の人たちと、あなたとにある共通の気質を探し出す、ということです。各タイプを熟知して、いろいろなケースに習熟しないと困難なことだと分かっていただけると思います。

 なぜだか、タイプ判定は簡単だと思う方が多いのですが、学べば学ぶほど難しくなるものだと知ってください。まあ、タイプを知ることが難しいのですから、当会の講座は成り立っているのであり、それをご教授することが当会の講座なのですからね。よかったら通信講座を受けてみませんか。

 あなたからの以前の情報量は少なかったので、もしも、詳しく違いを知りたいのでしたならば、日頃の生活ぶりから、最近の気になったエピソードなどを詳しく書き出してください。その時に自分が実際に言ったセリフをそのままに書くなどして送ってください。あなたのその状況においてのお気持ちや心情などではなく、事実としてあったことを書くのが最も大切です。またも有料となってしまい申し訳有りませんが、納得できることが見つかるかもしれません。よろしくお願いします。

 

25  944  ウツに罹りやすいタイプはありますか?   質問者(海) 2005/02/12

 こんにちわ。先日はタイプ判定ありがとうございました。とりあえず、自分は4w5と思って生活しております。ところで、私は鬱病とよく似た病気で現在通院中なのですが、発症して6年たったいま、大分良くなったもののなかなか治りません。タイプ4は、憂鬱になりやすいと聞いたのですが、性格と関係しているのでしょうか? もしあるなら、なにか少しでも緩和する方法はあるのでしょうか?  
回答者(りゅうとうまりこ)     海さん、お久しぶりです!  2005/02/14  

 うつ病は、アメリカでは男性10人に一人、女性の5人に一人は一生に一度は罹るなどというデータがあります。日本ではそれほど多くはないみたいなことを言われています。しかし、それほどによく罹る病気ですから、全タイプが罹っていると考えたほうがよいのではないでしょうか。

 また、6年経っているそうですが、何が原因でそうなっているのかは、詳しく事情を聞かないと分かりません。まずは心と体の両面から元気を取り戻す必要があると思います。一度、規則正しい健康的な生活とは、どんな生活なのか、あなたなりに考えてみてください。若い体は一週間でも体を動かさないと、すぐに筋肉が衰えます。筋肉の衰えは心にも影響を与えるかもしれないので、できるだけ体力をつけるようにしてください。

 うつ病になると無気力になりがちで、何かをしたいという気持ちが萎えてしまいます。しかし、うつ病から脱出するには、「絶対にここから抜け出してみせる」みたいな強い決意と実行力が要ります。無気力になっている人に、何かを決意してやりなさいと進めるのは、無理なことなのですが、無理を承知で、それを勧めるしかありません。

 たとえば、足の骨折で手術をした人でも、現在はすぐにリハビリをしなければなりません。それはかなり苦痛を伴うものですが、本人の意志に任せたら治りが悪くなるために、無理してもリハビリに通わせられます。うつ病も同様で、少し調子が良くなったら、すぐに心のリハピリをしたほうがよいと考えています。

 また、筋肉は使わなければ衰えますが、同様に「意志」も使わなければ衰えてしまいます。意志薄弱みたいになっている方が多そうです。ちょっとしたことでよいのですが、たとえば、散歩を毎日1〜2時間はするとか、散歩した後に仮眠して十二分に休養を取ったら、次は詩の朗読を30分くらいやるとか、暗記などもするとよいのではないかと思います。

 声を出すのも、意志を付ける一つの方法で、それら、決めたことを毎日確実に実行できるようにすると、意志力はそれ以前に較べると格段に強くなると思います。一度、試してみませんか。むろん、一週間では効果は出ません。3ヶ月くらいは見てください。散歩したりジョギングしたり、大きな声を出して勉強したり暗記などを続けると、気力が回復して来たと自覚できるようになるのではないでしょうか。そして、段々に体を鍛える時間や勉強する時間を増やして行くのがよいと思われます。これは一例なので、参考にして、あなたらしい方法を見つけ出してください。

 

26  896  エニアグラム理論の将来性について 質問者(ミルクバー) 2004/12/10

 エニアグラムは数千年の歴史を持つそうですが、現在まで時を経ても全世界にその理論が普及したとは、到底思えません。私には今後も普及せず、結果的に自分自身や人間関係に悩む人が傷を舐めあう理論として細々と受け継がれるだけな気もします。竜頭さんの理論はしっかりしており納得させられるのですが、エニアグラムには様々な会派があり、将来、対立が予想されるように思います。そもそもエニアグラムの理論は複雑で、理解するには地味で根気がいる作業が必要なようです。いつの日か、皆が当たり前のようにエニアグラムの理論を語りあう日が訪れるのでしょうか?今後のエニアグラム全体の将来について、ご意見お願いします。
回答者(りゅうとうまりこ)            ミルクバーさん、お久しぶりです! 2004/12/12

 エニアグラム図形そのものは数千年前からあると、ものの本には書いてあります。しかし、その図形から「性格類型論」が説かれていたのではないようですよ。他のエニアグラム本も、「究極のエニアグラム」にも、そのように書いてあります。読み違えているのではと思います。エニアグラムの由来については、前田樹子さんという方が詳しく調べており、「エニアグラム進化論」(春秋社)というタイトルで著書を出していますから、そちらをお読みください。

 この図形を使った性格類型論の始祖は、ボリビア人のオスカー・イチャーゾという方だと言われていますが、私には調べようがないので、事実なのか分かりません。1970年頃のことです。従って、30年余しか経っていないのであり、ごく一部の人たちが注目していたに過ぎないものです。

 ところで、かつて、太陽が地球の周りをまわっていると一般に信じられていました。その頃に、地動説を唱えることは大変に厳しい状況に追い込まれることです。あなたもそんな時代に生きていたら、たとえ地動説が正しいと考えていたとしても、そんな考え方は普及しない、誰も信じない、社会に受け入れられないだろうと思ったかもしれません。それでも、「地動説」は正しかったのであり、もはや、それを「説」とは言いません。宇宙科学に無知な時代から、それほど経ってはいません。

 そして、まだまだ私たちは無知なままなのではないでしょうか。その一つが人間の脳についてです。心の座は脳にあるのに、それが解明できていない段階で、心理学者たちは確信的に自分の学説を人々に説き、かつ教え導いて来ました。それはかつての時代に、天動説を確信的に説いていた学者みたいなものと思っております。どうしてそんなことが言えるのかと唖然とするような理論や考え方が、今だに流布しており、そんな心理学が大学の講座でも主流なのではないかと見ています。

 そんな折に地動説を唱えだした人々がいましたが、いわば、それは現在、エニアグラム性格類型論を唱えている人とよく似ていると思われます。しかしながら、地動説を唱えるとは言っても、事実をよく調べている研究者と、理論もなく観察もしないまま直感的にそのように思っている人たちがいたのではと思います。

しかし、最終的には、何が正しかったのか、どの学説を唱えた人が本物であったのかは決着しました。それと同じように、現在、エニアグラム性格類型論を説く人々はたくさんにいますが、いずれ決着がつくはずです。しかも、それはもう直ぐであろうと考えています。急速に脳の構造が解明されているからです。

 むろん、当会の理論が、最も事実をうまく説明していることが認められると考えています。一方、他の会派の性格分析はまるでおかしいと当会では見ています。かなりおおまかなところでは一致していますが、まるで別物と思うほどに違う理論です。というよりも、他の会には理論と言えるものが無いと考えています。

 これまで一同に会して議論を戦わせるようなことが皆無でした。つまり、どの会も自分たちの考え方が正しいと思っていて、他の会を無視している状態にいるのではないでしょうか。内々で他の会を非難したり批判しているということはあるかと思います。しかし、私の耳には入っていません。当会も、このようにHPという公開上で批判しております。批判していることを隠してはいません。

 そして、他の研究者たちと顔を合わせたことは一度もありません。また、その機会を作ろうと尽力する人物も現れていません。従って、対立することは無く、これからも無いままなのかもしれません。

 そして、地動説が事実だと証明されたように、エニアグラム性格学もやがて事実であると証明されると見ています。しかしながら、証明されても普及されるとは限りません。ごく最近でも地球が太陽の周りをまわっていると知らない、そんな方がいると新聞記事として載っていたくらいですからね。

 また、間違った性格類型論でも、それを間違いだと認識できないほど理解力がない人のほうが多いと考えられます。血液型性格類型論などは世界の中では、日本だけで流布されているもので、以前にも書いてますが、「話にならない」のです、従って、当会が正しい理論を持っていると分かっていただけるとは思えません。ごく一部の人たちだけであると見ています。

 また、たとえ、当会の理論が世に認められても、人々を救えるなどとは思えません。事実を知りたいとか、本当のことが知りたいと思う方も、あまりいないのではないでしょうか。それよりも、自分の耳に心地良いことだけを聞いていたい人たちばかりだと思っております。

 そして、どうしてもハッキリとさせねばならないと思うことは、当会の理論は、事実をそのままに反映している理論というだけに過ぎません。
人間関係に悩む人が傷を舐めあう理論」ではありません。事実を知ることは、人を癒すことがあります。いろいろなことで悟ったり諦めることもできるようになります。しかし、事実を知って、傷つく人たちがいます。また、事実を知るには勇気が要る場合があり、理解力も要ります。理解力の無い人たちが多いと考えられるので、みなが理解するなどは有り得ないことと思っています。
 
 また、事実を知るためには探究心が要ります。しかし、自分が救われたいだけであり、探究心の無い人たちのほうが圧倒的に多いようです。
皆が当たり前のようにエニアグラムの理論を語りあう日が訪れる」などは無いと見ています。そういうことがあるとしたら、それは血液型類型論みたいに、テレビ番組で面白おかしく取り上げられる程度でしょう。それよりも、特定のタイプへの偏見が作り上げられる危険性のほうが多いと考えられます。

 自分のタイプは損しているとか、あるタイプを嫌悪するなどという悩みを、次々と繰り出してくるだけです。あるタイプは犯罪者になりやすい、などという偏見も作られてしまうかもしれません。正直、ガックリとするようなことが多く、そういうことをいろいろに考えてしまいますから、広めたいという気持ちが萎えてしまうのが実態です。地球が太陽の周りをまわっていようが、たとえまわっていなくとも、どうでもいいと思うように、人の心がどのようなものなのか知りたい気持ちもなく、事実などどうでもよい、という人ばかりではないでしょうか。

 
当会が事実を発見して解明しているならば、後世まで残るだろうと思います。そうでなければ残らないだけです。今の私にできることは、知りたいと言ってくれる方がいたら、当会の理論をできるだけ詳しく伝える努力をするだけです。研究生も育成しており、後継者も探しています。しかし、とても虚しいことをしているのかもしれません。

 そして、努力しても分かってもらえそうもないと判断したものには、回答も返答もできません。大変に失礼なことをしていると思い恐縮しています。しかし、言葉のやりとりだけですから誤解が生じることが多く、説明するに時間を取られます。当会は小さな会であり、協力者はいますが、ほとんど一人で運営しているようなものです。現状ではとても無理なので、こちらで選んだ質問や問い合わせしか答えていません。どうかお察しください。

 立派な学問があり、幾年も学生として通っていても、何も学んでいないと思われる人はどこにもいます。どんなに素晴らしい考え方がそこにあっても、それを素晴らしいと認識できる人は少ないのではないでしょうか。当会でも、できれば中学生くらいが分かるようなものにしたいのですが、現状では大学生程度の学力が無いと理解できないのではないかと見ています。著書「究極のエニアグラム」が難しくて分からないという方が少なくありません。読解力が要るようです。
 
 しかしながら、時代の速度はますます速くなっていますから、それほど遠くない時期に、いろいろな会が淘汰されて、どこかの会の理論が残るでしょう。それが当会であるのか、他であるのか、あなた自身で見つけ出してください。探究心があればトライされるだろうと思います。

回答に対する返事         ミルクバーさんより   2004/12/16

 とても丁寧な回答をして頂きありがとうございました。傷を舐めあうという表現は適切ではありませんでした。つまりは、社会的に認められていない虚しさを表現したかったのです。私は、エニアグラムを面白いと思いハマッてしまいましたが、世間の大部分は特に興味を抱かないことに失望してしまいます。しかし、現時点で私にも、研究生になり、エニアグラムの理論を勉強しようという探究心がないのも事実です。人ごとのようになってしまいますが、竜頭さんの理論をこれからも陰ながら支持、応援していきたいと思っています。

 

27  891 成長の方向のカラーについて 質問者(やまもと)  2004/12/05

 こんにちは。仏教の僧侶が着ている袈裟について質問させて下さい。タイは仏教の国ですが僧侶はオレンジの袈裟を着ています。お釈迦さまはタイプ4ではないかとありましたが、タイプ4の成長方向タイプ1のシンボルカラーは、オレンジ色です。釈迦がオレンジ色を着ていたのかオレンジ色に決めたのか知りません。直感的にオレンジを選んだのでしょうか。実は私自身もタイプ4で、ある時期からなぜかオレンジ色が好きになったのです。成長したいという思いが出てくるとそういう本能が働くのでしょうか?そういった例が受講者の方や感想メールでありますか?  
回答者(りゅうとうまりこ)     やまもとさん、こんにちは!  2004/12/07

 タイのお坊さんの袈裟(けさ)の色について調べてみましたが、いつの時代のどこで誰が定めたのか分かりません。どなたか知っている人がいたら、ぜひともお知らせ願いたいとも思います。

 ネットで調べたところ、「小部経典」というお経の中の「無礙解道」の項に、「仏陀がそのすぐれた力をはたらかせる時、仏陀の体から青、黄、赤、白、樺、と、輝きの六色の光を放つ」とあります。タイやビルマなどのお坊さんたちは、この「樺」の色の袈裟をまとっているようです。この色は、「あらゆる侮辱や迫害、誘惑などによく耐えて怒らぬ」という意味を表わしているのだそうです。

 また、あの黄色い色はウコン(英語ではターメリック)で染めたとも言われていて、仏教の発祥の地であるインドでは手に入れやすい染料です。たとえば、青色とか紫などは、希少な染料で、しかも幾度も染めないと出ない色です。つまり、かの袈裟(けさ)の色は、宗教的な意味合いからというよりも、手軽に染められる色なので採用されたのではないかと予想するのですが。

 日本にも600年頃、聖徳太子が冠位12階を定めて、役人の身分を色別できるようにした史実があります。その場合も、紫、青、赤が上位で、黄、白、黒などは下位です。染物体験をしたことがあれば分かるのでしょうが、下位の色は手に入りやすい染料で、染めの工程も簡単です。しかし、紫や青を出すには大変に多くの工程が必要で、古代ならば、原料がめったに手に入らない高価なものではなかったかと思います。

 次に、タイプ4の方がオレンジ系や黄色系を好むことはよく聞いています。しかし、そのような色は大嫌いで絶対に着られないと訴える方もいます。オレンジ色は下品な感じがして嫌だと言ったタイプ4の方もいます。ですから、人それぞれなのです。ただし、元気なタイプ4の方のほうがより成長の方向の色を好むのではないかと感じられたりもします。タイプ2も、本来はオレンジや朱色系なのですが、落ち着いている方は、成長の方向にある紫系などを好むようにも感じられます。
 
 ただし、これは「感じられる」と言っているだけですからね。そして、成長したいのならば、成長の方向の色を生活の場や衣服、小物などに取り入れたほうがよいかもしれない、などとアドバイスすることもあります。

 紫など気持ち悪くて着られない、と訴えるタイプ2の人がいましたが、紫が大好きだという方もいますからね。タイプ8も、元々のシンボルカラーである「白と黒」という服装になることが多いのですが、あるタイプ8はオレンジとか赤色など、とても着られないと言いますが、あるタイプ8は赤を好んでいます。
 カラーは、人の心理に影響を与えるものだと知られています。成長の方向の色が大嫌いになったり大好きになる傾向があるならば、気質や心理状態と何らかの関連性があると考えられるところです。

 

28 873  犬も9タイプに分かれるのか? 質問者(ミニチュアダッグスフンド)  2004/11/14

 下記のHPを閲覧させていただきました。そこでは、犬も性格がありエニアグラムを適用できるとのことでしたが、犬には「チワワ」や「ダッグスフンド」など100種以上の犬種がありますし、また大きさや体格の特色も千差万別です。本とかでも、チワワとダックスフンドでは明確な性格の違いを明記されたりしていますが、先生のいう犬の性格というものはこの犬種別の性格を超えるもの(またはそれ以上に基礎といえるもの)なのでしょうか? それとも各犬種別にエニアグラムの適用のされかたも異なるということなのでしょうか? お忙しいところすみませんが、教えていただけると幸いです。ぜひともよろしくお願いいたします。
        
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-201~/15-216.htm
回答者(りゅうとうまりこ)  ミニチュアダッグスフンドさん、はじめまして!2004/11/20
 
 「犬種別の性格を超えるものなのか」という質問ですが、当然に超えるものです。というよりも、種を超えており、哺乳類が9つのタイプに分けられると考えています。そして、先にはっきりとさせたいのですが、生物学的な分類では、犬も1種であり、人間も1種なんです。人間にモンゴロイドがいたり、コーカソイド、ネグロイドがあるように、犬にもチワワやダックスフンドがいるということです。そこでの100種とは、品種という意味に近いのではと思います。  

 そして、モンゴロイドが温和で、ネグロイドが攻撃的だという言い方がされていたりします。しかし、私たち日本人はモンゴロイドにあたりますが、全ての日本人が温和ではないことは、既に皆さん知っていると思います。エニアグラムでみたら、攻撃タイプの中でも短気ですぐに攻撃性を出すのは、タイプ2w1・7w8・8w7等々です。おとなしいとは言えない人たちがこのタイプに多いのですが…。

 つまり、モンゴロイドが温和だという一般的な見方があるとしたら、それはあまりにもいい加減でおおまかで何の意味もない見方です。ネグロイドが攻撃的と言いますが、世界大戦のような大きな戦争はすべて、ネグロイド以外の人種が巻き起こしたものではないでしょうか。

 なお、ドイツ民族は質実剛健であるなどと言われたり、日本人は働き者でおとなしいとか、イタリア人は陽気で明るいなどがあります。しかし、実際には、日本人がみな働き者であるわけでなく、おとなしい人たちばかりではありません。フリーターとかニートと呼ばれる人たちが多くなったのですから、働き者の日本人という言い方は変えなくてはならないでしょう。というよりも、そのような性格に関する言い方は、あまりにもオオザッパ過ぎて、「話にならない!」といっても過言ではありません。

 犬についても、これと同じように考えればよいのではないでしょうか。「チワワは極めて忠実である」とか、「秋田犬は気が強い」、「ダックスフンドは明るくて遊び好き」などと書いてあったりします。人間の性格だとて、かなりいい加減なことを言っているのですから、いわんや犬においてをやです。

 どの民族であろうとも、9つのタイプが存在しますし、民族を一括りにして考えられるものではありません。また、幾匹もの愛犬を飼っていた人ならば、一匹一匹、性格が違うと知っているでしょう。同じチワワでも、性格タイプの違う犬を飼わないと、違いは見えないと思います。

 なお、あなたの読んだ上記のアドレスに、付け足した文があり、下記に載せています。ムックという名の犬は雑種で、タイプ7w8で少しだけ8のウイングのある犬だと紹介しています。そこに、ケビンという名のコーギー犬も登場しており、タイプ2w1のようです。両タイプの違いが、クッキリと出ており、人間とそっくりそのまんまです。雑種犬とかコーギー犬などの違いを超えているだけでなく、人間とも共通なのですから、種を遥かに超えています。
                   
http://www5a.biglobe.ne.jp/~katsuaki/mukku00.htm

 そして、第55話では、ムックは音に敏感だと書いてありますが、Q&A室にも、音に敏感で騒音に悩まされている話が出ています。ムックの飼い主で、書き手である男性が「ムックが臆病な性格になったのは、生まれつきの性格もあるが、環境も大きく影響しているのかもしれない。どんな性格の大人になるかは、素質と環境によるのは人間も犬も同じことのようだ」と書かれています。

 この男性の言うことは一般的な考え方ですが、エニアグラムでさまざまな人たちを知ると、この考え方では納得できなくなります。また、臆病という性格は、教育や躾とは関係なく、生まれながらの気質であることは、いろいろな研究調査から明らかにされています。しかし、それらの専門書が読まれることは少なく、古い間違った考え方がいつまでも流布されているのが現状ではないでしょうか。血液型による性格なども、以前よりもよく取り沙汰されているようで、まさに「話にならない!」のです。

 NHKなどでも、好奇心に関する遺伝子が見つかったと報道されています。シナプスで脳内伝達物質ドーパミンをキャッチするD4受容体をコードする遺伝子の一つで、このD4受容体をつくる遺伝子が長いほど、ノベルティ・シーキング(novelty seeking好奇心や冒険心)が旺盛なのだそうです。

 好奇心などというものは、従来の考え方ならば、教育とか環境などの影響が大きいものになるでしょう。しかし、そうではないことが分かってきたのですからね。ただし、D4受容体をつくる遺伝子が長い人であっても、刺激の無い生活を長く続けたら、好奇心や冒険心は減退するのではないでしょうか。その人よりD4受容体をつくる遺伝子が少し短くても、刺激のある楽しい活気のある生活をしていたら、前者よりは、好奇心と冒険心は強まる可能性はあるのではないかと思います。環境からの影響がゼロなどとは考えられませんからね。

 当会では、エニアグラムの9つのタイプとは「気質」を意味しており、遺伝的に定まっているという考え方をしています。(なお、他の会では、気質ではなく、養護者の養育の仕方とか環境や教育などでタイプが違ってくるという考え方です)

 そして、タイプ7が臆病だとか好奇心が強い、母親に向く、女性好き等々……と当会は解析しています。(他の会ならば、臆病とか好奇心が強くなるのは、環境や教育からの影響という考え方になるのでしょうか)

 そういう共通の気質を持っているのがタイプ7ですが、同じタイプ7の人たちといっても、本当にさまざまです。個々人でみるとバラエティに富んでおり、環境や教育の影響によって、さまざまな違いを生んでいます。同じタイプでも一括りにできないのですが、民族を一括りにできないのと同じであり、犬種をも一括りにできません。それゆえ、タイプ判定は難解なのですが……。
29  869    「鶴の恩返し」と「アンパンマン」         質問者(しましま)    2004/11/12

 
こんにちわ、特集シリーズを読んで、思い出したことがあります。この鶴の恩返しには、織るのに羽を抜いて織ったとは書いてないのですが、アンパンマンを見ていたとき、迷子に自分の顔の一部を、差し出して、「これを食べて、元気を出して」という場面があり、私は体の一部を差し出し、食べると言う事に、違和感を感じました。他の鶴の恩返しでも、羽を抜く行為に何もそこまでしなくても、と思います。欧米のように体は物としてみるという考えがタイプ4にあるのですか? 人を助けるのは、痛みが伴うと考えているからでしょうか? 回答をお願いします。
回答者(りゅうとうまりこ)     しましまさん、こんにちは!     2004/11/17
 
 タイプ4の創作品のなかに、自分の身を削って人を助ける行為があることは知っています。「鶴」が自分の羽根を抜いて反物を織るのは、自分の頭にあるアンパンを取って差し出す「アンパンマン」とよく似ています。また、そのような質問は受講生たちからもしばしば出ます。

 ところで、仏教説話のなかに、 「捨身飼虎」と呼ばれている有名なお話があります。法隆寺の「玉虫厨子」に描かれており、学校の美術の時間で聞かされて、記憶によく残っていたものですが。お釈迦さまを当会では、タイプ4であろうと判定しており、質問にあることと少し似ている説話です。なお、他の会では、タイプ5と見ているようですが…。

 ……お釈迦さまがまだ王子である頃に、遊んでいるうちにはぐれてしまったのか、トラの母子と遭遇します。母トラと7頭の子どものトラが飢え死にしそうになっているのを見て、トラの母子を助けるため、自分の身を食べさせようとします。しかし、母トラは食べる元気もないようです。王子は竹を切って体に突き刺し、 血を出して近づくと、母トラは血のにおいに誘われてようやく元気を取り戻して食べることができ、またお乳も出るようになって子トラも救われたという話です。……

 さて、助けを求められている場合、いろいろなことが考えられますが、その場には自分しかいないならば、自分のできることをするでしょう。自分が持っているものを差し出すというのも、一つの方法です。他の人たちがいれば、その人たちと協力して助けるのかもしれません。

 しかしながら、タイプ4は、とかく人と協力し合うという発想を思いつきにくいタイプです。もともとに協調性の低い気質なので、他人も協力的になってくれるだろうと考え及ばない傾向はあります。しかし、それも時と場合に拠ります。もしも海水浴をしている時に、溺れそうになっている人を見たら、近くで泳いでいる人に協力を求めるのではないでしょうか。
     
          Aさん   Bさん       Aさん ⇔ Bさん       
            ↓   ↓             ↓   
             Cさん              Cさん

   (個々人がそれぞれに相手を助ける) (他人と協力し合って相手を助ける)
      タイプ4に多い              タイプ2・6・1に多い

 タイプ4は、他の人たちと理解し合えないと思いやすいので、他の人たちが自分と同じ思いを持っていると想像しにくいようです。それで協力を依頼する発想に欠けるため、自分一人で相手を助けることをなります。何かいい智慧を思いつけば、それで助けるでしょう。しかし、咄嗟の時は、とかくパニックとなり思いつかないことがあるかもしれません。また、なかに、自分は無能で生きる価値が無い、もしも、差し出せるものがあるならばわが肉体しかない、などと思っている人がいたら、トラに我が身を与えるなどという発想は自然に出るでしょう。

 お釈迦さまをタイプ4ではと予想しているのも、当会ではそんな傾向を持つタイプだと分析しているためです。また、なぜか「死」を否定的には見ないで、「救い」と見ることも多いタイプです。さらに、タイプ4は「心だけで生きている」ような人たちで、「身体性が欠如している」と考えられるところもあります。体は所詮、入れ物や物にすぎない、それゆえか、「魂」というものがあると思いやすく、魂の痛みに耐えられずに魂の救済を求めていたりします。

 同じタイプ4でも魂というものはない、と考える方も結構いますから、「考え方」は個々人に違いが大きいのですが、頭にある「アンパン」を差し出すくらいなことは、ごく自然な発想になると思います。とかく、タイプ4は、心に受けた傷には敏感で、体に受けた傷(病気やケガ)には意外に鈍感だったりする傾向もあります。対極にいるタイプ9は、タイプ4とは逆になりますが。

 なお、あなたの言う「欧米のように体は物としてみるという考え」とは、唯物論という意味なのか、それとも他のことで、それとは意味が違うのか分かりません。欧米の人たちが唯物論者が多いとは聞いたことがなく、一神教の人たちのほうが唯心論になりやすいのではないでしょうか。むしろ、日本人のほうが無神論者が多くて、唯物論的な考え方をしやすいと思うのですが。

 タイプ4の「身体性欠如云々」と、「体を物としてみる」は似ているようですが、ちょっと違うように思います。ですから、「人を助けるには痛みをともなう」云々とは関係が無いように思います。
そして、人は自分の持っている能力で助けられるならば、そうするでしょう。しかし、自分が数学の能力を持っていても、腹をすかしている人は、それでは助けられませんからね。
回答に対する返事    しましまさんより    2004/11/22

 865
869の回答を有難うございました。とても参考になりました。お忙しそうですね、いつも、このホームページを楽しみにしている私にとって、気が引けますが、お体を大事にして、がんばってください。

 

30   866   シンボルスターについて    質問者(やまもと)    2004/11/09

 少し前にUPされた「9タイプのシンボルスター理論」について質問させて下さい。惑星の太陽からの並び順と成長の方向(水タイプ3→金タイプ6→地タイプ9)(火タイプ8→木タイプ2→土タイプ4→天タイプ1→海タイプ7→冥タイプ5)が同じになっているのですがこれは偶然? それとも必然? 私には全くわからないのですが、竜頭さんはどのようにお考えですか? 最近は海王星と冥王星の順番が逆になったりしてるし、想像にすぎず意味のない質問かなぁ? 何気なく読んでたら気になってしまったので教えて下さい。
回答者(りゅうとうまりこ)    やまもとさん、こんにちは!   2004/11/14

 先に、冥王星の軌道についてですが、他の惑星と較べると非常に風変わりで、他の惑星とは反対の方向に回転しています。また、他の惑星の軌道は、ほぼ円になりますが、冥王星は大きな楕円の軌道なので、海王星よりも太陽に近くなることがあります。

 エニアグラムという図形は、「宇宙と生命のシンボル」であるとグルジェフという神秘学者が説いています。それが何を指しているのか、当初の私にはまるで分かりませんでした。しかし、人の性格を9つに類型化できるということが、本当に事実であるならば、それは他のこと、私たちにとって未知の何かをも指しているはずではないでしょうか。

 たぶん、必然的な力が働いているために、いろいろなところがパスルみたいにうまく嵌まってしまったのだと思います。工夫をこらしたり、試行錯誤して得たものではありません。宇宙に法則があり、その法則を見破れば、法則が指し示している通りに配置すればよいだけなのです。

 真実の発見とは、私たちには見えなかったこと、それまで隠れていたことが一気に飛び出してくる、そんなイメージで私たちの前に顕れるものではないでしょうか。当会の幾つもある基本理論も、苦労もなく、突然に短い期間で一気に発見できたものであるとお知らせします。以下のアドレスに「9タイプのシンボルスター理論」を載せています。

     http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-201~/15-213.htm
    

 
(注・現在、冥王星は「惑星」ではなくなりました。しかし、将来的に、9番目の惑星が登場する可能性もあるのではないでしょうか。私たちはまだまだ知らないことぱかりですから)

回答に対する返事      やまもとさんより   2004/11/16

 9人家族や9つの菩薩理論などもとても判り易く興味深いです。このHPと竜頭さんに出会えた事に感謝ですネ。これからも楽しみにしています。

 

31   859   親との複雑な関係について     質問者(Halfsoul)   2004/11/05

 防御タイプと親との関係について、特集コーナーの「鶴の恩返し」の記事に、「親との関係で見えない太い絆があり、まるで縛られているのではないかと思わされるほど」とありました。ここでいう「親」には、姻族の義父母なども入るのでしょうか。それとも実の親だからこそ反応が複雑になるのでしょうか?よろしくお願いします。
回答者(りゅうとうまりこ)     Halfsoulさん、こんにちは!  2004/11/07

 全て「実親」という意味です。姻族の義理の親は入りません。しかしながら、親と複雑な関係になるのは、全ての人たち、全てのタイプというのではありません。むろん、タイプ4だけでもありません。十二分に子を愛して、理解力もあるような親であれば、どのタイプであろうとも、子どもと良い関係になっているでしょう。そうすれば、複雑な関係にはなりません。実際、とても仲良しの親子がいますからね。

 逆に、義父母であろうとも、仲が悪くて、いろいろな誤解が続くと、複雑な関係を作り出してしまいます。恋愛関係でも同様です。つまり、全てのタイプの人が、全ての人と、複雑な関係になる可能性があるということです。

 そして、人間関係だけでなく、国と国、民族と民族が複雑な関係になることがあります。パレスチナとイスラエルは、そのよい例かもしれません。最近のニュースでは、アラファト議長が重体らしく、大変な騒乱になると予想して、この地区は緊張が高まっているようです。アメリカとイラクという二国間も複雑な関係を作り出しつつあるように見え、憂慮すべき事態に来ているのではないでしょうか。
回答に対する返事       Halfsoulさんより        2004/11/08 

 明瞭な回答をありがとうございました。人間関係は一つ一つ、コミュニケーションを積み上げて築いていくものなのですね。実親に対しては潜在的な期待があるせいで複雑な反応になるのかな?と思いました。国の例えはとても分かりやすかったです。国も人のように個性があると感じられることがあります。ありがとうございました。

 

32   854     エニアグラム図形について        質問者(Halfsoul)  2004/10/29

 いつも興味深くサイトを拝見させて頂いています。「エニアグラム性格学とは」の中の円状の図形を見ていてふと思ったのですが、この図形を、曼荼羅のように、二次元よりも大きな次元の世界をある所から見下ろした図だと想像して見ることに支障がありますでしょうか。例えば、成長の方向と後退の方向の線で結ばれた、交わらない二本の線として図形を見た場合、その図は平面ではありえないことになります。ほんの一例ですが、タイプ9-3-6で結ばれた面をxy座標の平面として見なし、z軸の+方向のどこかに2-5-8、-方向に1-4-7を置くといった具合です。タイプ9-3-6の面を動くものとして捉えるとさらに次元が増えてややこしいかもしれませんが「エニアグラムは、宇宙や生命に関する『最も根本の法則』」というイメージに合っていて面白い気もします。他にも、座標を視点の位置のように捉え、「世界とともにある」タイプ3,6,9の面を世界のように見て、中央の離れた高みにタイプ5を置いたり…などと連想して楽しむとやはり理論的にか支障がありますでしょうか。愚問でしたら失礼します。
回答者(りゅうとうまりこ)        Halfsoulさん、はじめまして!  2004/10/31

 どのような想像をしようと、それは個人の自由なので、こちらには何の支障もありません。 また、当会の理論は、隠れていた事実を発見しただけで、想像して作ったものではありません。ですから、あなたの述べていることと、次元が違うように思われます。

 いろいろな類型論がありますが、ほとんどは想像して作ったり、思索して作り出したもののようです。しかし、エニアグラム類型論は、どうも、発見されたもののように思われます。また、沢山のエニアグラム研究家がいるようですが、まだ解明されていない謎の図形です。この図形をどのように読み解くのか、それぞれの研究者たちがいろいろにトライしていることと思いますが…。

 ただ、私はすでに、当サイトで、エニアグラム図形は平面上なので、あのように書かれているが、実は「球形」であるはずだと公表しています。「世界」というものを、図形で表わすとしたら、球形以外には考えられません。人類世界、太陽系世界、細菌世界、ミクロの世界 等々があり、世界は多層かつ重層構造であることも知られています。一個人の心の状態も、球形で表わすのが最もふさわしいのではないでしょうか。

 人間の性格をエニアグラムという方法で推察できるようになると、心とか性格というものも、まるで化学反応のように見えます。または物理現象となんら変わらないように思えます。そうなると、宇宙というマクロな世界も、全ての生命も、ミクロな世界も、人の心も、同じような原理が貫かれているだろうと予想できるのではないでしょうか。

 現在、世界には「4つの力」があるとされていますが、もうすぐに「3つの力」に整理されるような理論が作られる時代となりました。さらに、その3つの力を1つに絞る「大統一理論」が近い将来に生まれ、かつ証明されようとしています。世界とはどういうところなのか、どのように形作られたのか分かるような時代に来ているようです。

 エニアグラム図形は、その世界を形作る統一原理みたいなものを、大まかに図として表わしているのではないかと私自身は予想しています。人間の性格や心理の研究をしていたはずが、次第に、量子色力学とか超ひも理論など、とても難解で不得意分野とぶつかってしまい、頭を抱えている昨今です。

 謎の図形ですから、想像たくましく、あれこれと考えられると思います。しかし、一番大切なことは、事実を正確に知ることであり、事実のなかからこそ、想像というものは真に自由に羽ばたくのではないでしょうか。事実からかけ離れた想像は、どんなことでも可能になり、それなりに楽しめるものとは思います。そして、いろいろな理論と組み合わせられ、また、新たな理論も作ることができますが、個人の楽しみに過ぎません。

回答に対する返事         Halfsoulさんより   2004/11/01

 丁寧な回答ありがとうございます。りゅうとうさんが事実の中から発見された数々の理論には、日常生活を送る上で大変助けられる思いがしています。「球形」だとの記述を見落としてしまい失礼しました。やはり見たままの円というわけではないのですね。ばかばかしい妄想かと不安になっていたのですが、これで安心して見られます。「世界を形作る統一原理」をエニアグラム図が反映しているとなると、当然宇宙の構造と関わってくるのですね。解明されるのが楽しみです。いつか球形のエニアグラム図を見たいです。

 

33  805    タイプ3が女集団に向くとは?             質問者(夏の魔物)   2004/09/17

 「9つのタイプは特定の対象に意識が向けられている」ということですが、非常に面白い傾向だと思います。その中でタイプ3は女集団に意識が向けられるそうですが、その点について質問させて下さい。「世界と私は否定的に結びついている」ので愛情を渇望する度合いが強いタイプが、例えばタイプ7のように母親コンプレックス、タイプ8のように性愛の対象を求めるパートナーコンプレックスとなるのは、なんとなくですがその気持ちがイメージできる気がします。少し不思議に感じたのは、タイプ3の「男性」も「女性」も女集団へ意識が向く点です。タイプ8のように性愛パートナーが意識が向けられる対象となるならわかりやすい気がしますが、タイプ3が男性・女性問わず意識の向かう対象が女集団となるその動機はどのようなものなのでしょうか?なぜ女集団が対象で、女集団に何を求めているのでしょうか?また、男性も女性も、女集団に意識が向かう動機は同じものなのでしょうか? 一方、タイプ6は不安を感じやすいので、力強い男集団の一員になることで気持ちの安定を求める、というのはタイプ6が男性女性問わず男集団に意識が向かう動機としてわかる気がしました。
回答者(りゅうとうまりこ)     夏の魔物さん、こんにちは!   2004/09/21

 私たちは、思春期頃から性ホルモンが分泌されて、異性に引かれるようになります。なぜ、引かれるようになるのか、それがまだ解明されていませんが。ところが、それ以外にも、人間性として、「他の人に引かれる」という現象があります。それは個々人の体験によるのかもしれませんが、「引かれる」ということ事態、摩訶不思議なことであり、本能的なことで、自分で制御しているものではありません。気がついたら、誰かに引かれているのですからね。

 「動機」とありますが、そういうものではありません。あなた自身が誰かに引かれている場合、その動機を尋ねられて、明確な回答ができるのでしょうか。当会では「性格=本能」と定義づけていますから、ある対象に引かれるのは本能的なものだと考えております。
 
 男性が女性に引かれるのが定まっているように、親は自分の子どもに引きつけられます。子どもも親に引きつけられています。このような「引きつけられる」という機能が本能的に定まっていなかったら、私たちは群れを成して生きる動物として進化していなかったはずです。

 このようなことは、一般的によく知られていることであり、誰もが疑問に感じていないごく当たり前の本能的な行動様式です。しかし、何故、人は人に引きつけられるのでしょうか。よくよく考えたら理解に苦しむことです。その機能は一体どこからやって来たのかと、しばしばよく考え込んでいます。いずれは脳機能の全てが解明されるでしょうから、この「引かれる」という現象の在処と、その機能の仕方が解明されるだろうと思います。

 さて、私の画期的な発見とは、エニアグラムという類型化したもので見ると、それぞれのタイプの人たちが、それぞれ引かれる対象が定まっていると見つけたことです。
当会には6つの基本理論がありますが、それ以外にも幾つもの画期的な理論を見つけ出しており、性格分析もドンドンと深まっています。以下に、「9タイプの家族名といろいろな呼び方」というタイトルの文を公表しています。お読みください。

  
 http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-201~/15-215.htm

   
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-1~/15-29.htm

 タイプ3の本質性を見るならば、次男タイプと呼べます。少年っぽい気質です。または、タイプ3の性格を総合的に見たならば、まさに「次男気質」と言え、それが理解できるようになれば、より一層にタイプが理解できるようになります。同様に、タイプ7は「長男気質」と言い、タイプ8は「お父さん気質」と考えたならば、とてもスッキリとタイプ7や8の性格が分かるようになるでしょう。

 この3つのタイプの本質性は、いわば「男性」です。従って、このタイプに生まれると男女の違いに関わらず、「男性性」が強いと考えられます。男性性が強いのですから、女性を意識する程度が、他のタイプより強くなるのではと考えられます。

 一方、タイプ1は「長女気質」 タイプ2は「お母さん気質」、タイプ6は「次女気質」です。この3つのタイプの本質性は、「女性性」が強いと考えられ、女性性が強いために、男性に引かれやすい傾向が、他のタイプよりも強くなるのではと考えられます。

 ・873→お父さん気質・長男気質・次男気質→他のタイプより女性に引かれやすい
 ・216→お母さん気質・長女気質・次女気質→他のタイプより男性に引かれやすい
 ・594→おじいさん気質・おばあさん気質・末っ子気質→男女のどちらとも言えない

    
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-1~/15-38.htm
 
 たとえば、タイプ1は父親に引かれるのです。と、同時に、男性にも引かれていることを発見しています。タイプ3にとっては、父親の存在はかすみがちで、母親に引かれ、そして女性にも引かれていることを発見しています。これらの理論を、ここで全部説明することはできませんから、どうぞ、上記のページをお読みください。事例については、この質問コーナーにもよく出ていますし、幾つも文章で説明しています。探して読んで欲しいものです。

 人間は、いろいろな人たちに引かれますが、それも全ては本能的な行動パターンです。しかし、個々人としてのタイプ3が、女性たちに何を求めているのかは分かりません。それはあなたが女性に何を求めているのか、男性の友だちに何を求めているのか、それをあなた自身に問うてください。全ての人たちがおおまかに見たら同じようなものを求めていると思いますが、詳細に見たら、全ての人たちが違うものを求めているのではないでしょうか。

  ( 一般的なもの )         ( 当会が発見したもの )

 男性は女性に引かれる   男性性の強いタイプは、女性に引かれるタイプ
 女性は男性に引かれる   女性性の強いタイプは、男性に引かれるタイプ
 親は子どもに引かれる    親性の強いタイプは、子どもや年下に引かれるタイプ
 子どもは親に引かれる   子ども性の強いタイプは、親や年上に引かれるタイプ
 人間は人間に引かれる   仲間集団や人間一般に引かれるタイプ
                    
             ( もう一つの当会が発見したもの )
 ・人間たちに引かれる→9 ・性の対象者に引かれる→8 ・子どもに引かれる→2
 ・世界事象に引かれる→5 ・父親に引かれる  →1   ・母親に引かれる→7
 ・男集団に引かれる →6 ・女集団に引かれる →3   ・人間たちに引かれる→4

 上記のように、一般的に知られている傾向だけでなく、私が発見した上記の傾向を知ると、人間関係が重層的になっていることが分かると思います。そして、重層的になっているから、人間関係が複雑になり、それぞれの人たちの行動が理解できにくくなります。しかし、重層的になるほどに、人間関係は安定するのではないかと考えられます。

 たとえば、男が「剛」で、女は「柔」の強さがあると考えられ、また、男が「短期決戦型で、女が「長期決戦型」であると、一般的に考えられると思います。しかし、男のなかに柔的な強さを備えたタイプがいて、女の中に剛的な強さを備えたタイプがいたほうが、より人間社会は安定度が増すと考えられます。

 また、子どもたちがみな母親に引かれて、母親だけを追いかけたならば、母親はギブアップしてしまいます。子どものなかに父親に引かれるようにセットされたタイプが必要ではないでしょうか。親のほうでも同様です。息子を欲しがる傾向のある親のタイプと、娘を欲しがる傾向の親のタイプ、とに別れていたほうが、安定して男女同数が保てるでしょう。
 
 また、父親性の強いタイプは、配偶者を得たいと必死になるようにセットされる必要があります。その次には、母親性の強いタイプが作られ、子どもを守る意識が高くなる必要があるでしょう。子ども性の強いタイプも必要で、親や年上の人たちに引きつけられて守られながら、互いに家族を構成する一員になれるのではないでしょうか。 

 人間は人間に引かれ、人間は性愛の対象者に引かれ、親と子どもは互いに引かれるように、生まれながらにセットされているのです。誰もが人を求めており、一人では生きられないのが人間です。もしも、「引かれる」という本能が備わっていなかったら、ヒトは今日まで生き長らえることはできなかったのではないかと。 

 

34  770    韓国映画「冬のソナタ」について   質問者(新年会)  2004/08/02

 特集シリーズの「映画で性格を知ろう・その2」興味深く拝見させていただきました。評判になっている韓国映画「冬のソナタ」について、次のように掲載されていました。「原作者は、タイプ4w3の方だと考えられます。しかし、監督は他のタイプではないかと予想しています。細かく見ていくと、タイプ4の描写としては、あまりにも異質に感じられるものばかりです」とあります。どの辺りがタイプ4として、あまりにも異質なのでしょうか? 幾つかの点が妙に引っかかり、ココ数回のドラマがどうも集中して見られないのです。お忙しい所、大変申し訳ありませんが、具体例をあげて説明していただけると大変嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします。
回答者(りゅうとうまりこ)    新年会さん、こんにちは!  2004/08/10

 「冬のソナタ」については、講座でもビデオを見ながら取り上げています。主人公の二人が出会う初登校の日の15分間だけを見て、タイプ4w3と判定しています。わずか15分で、この映画の原作者のタイプを読み取ろうとするのですが、講座では2時間近くを要して、タイプ判定の根拠を示しています。従って、ここで書き出すのは大変な作業になります。そこで、質問は3つありましたが、済みませんが上記の一つだけにさせていただきましたから、ご了解願いたいと思います。

 まず、全体のストーリー展開から見ると、主人公の二人は、最初は元気そうなのですが、次第に運命に翻弄されているだけに見えます。強い意志でもって困難に立ち向かうふうには見えず、周囲の人たちに遠慮して、自分らしく生きられないようです。

 物語の最初で、ユジンは、コートのボタンを幼馴染のサンヒョクにかけてもらっています。幼馴染とはいえ同級生男子から、そんなことをされているのに気づいていないのがユジンです。周りには同級生たちがいるのですから、女高生ならば恥ずかしくて困ることではないでしょうか。ユジンはちょっと幼ずきる人なのでしょうか。幼馴染からみたら、世話の焼ける子なのかもしれません。そして、ユジンは、常識的で場に合った行動を取れる調和タイプでは無いのかもと予想できる場面です。 

 次に、初登校のバスの中。主人公ユジンは、もう一人の主人公・ジュンサンにもたれかかって居眠りしてしまいました。ジュンサンは見知らぬ女高生が自分の肩で眠っており、下車すべき停留所で降りられなかったようです。ユジンが気づいて、「どうして起こしてくれなかったの」と少し怒った表情で問いますが、ジュンサンは何も言わず、二人は目と目を合わせます。その後、二人は急いで学校に向かいますが、遅刻してしまいます。

 さて、見知らぬ女高生が自分にもたれて眠っていても、初登校の日なのですから、遅刻しないようにせねばならないはずです。バスが傾いた弾みでうまくすり抜けることができたはずなのに、ジュンサンはそうはしませんでした。美しい女性だから、そのままにしていたのか、または、そういうことがうまくできない人なのか、どちらかです。
 タイプ4ならば、後者になりがちです。調和タイプならば、うまくすり抜けて遅刻しないような行動を取るほうではと予想できますから、上記と併せると、調和タイプの可能性は低くなります。

 そして、もしもタイプ4の男子高校生であるならば、そんな間近い場面で目と目が合うとしたら、ドギマキするか気まずそうな様子をするか、ちょっと困ったなあという表情になって欲しいものです。ところが、ジュンサンは、あまりにも、あっけらかんとして、「それがどうしたの」みたいな表情をしています。

 このジュンサンがタイプ2や7だとしたら前者のような動機だと考えられ、それをきっかけに、この女高生と会話ができそうで、その先の展開が違ってくることでしょう。また、ジュンサンは、この段階ではまだユジンに興味が無かったようだと、その後の展開から推察できるはずです。そうなると、バスで居眠りしてもたれかかって来た人を、うまく外せない性格の人であった可能性はあるでしょう。

 次に、遅刻したジュンサンは、ひらきなおっているのか校門前でタバコを一服吸います。その態度は悠然としており、ゆっくりと煙の行方を見ています。とても堂々としており、学校なんか目じゃないみたいな態度です。しかし、一歩、教室に入るとポツンと立っているだけで、堂々とした様子は微塵もありません。学業成績は優秀な人のようですが、クラスの人たちに打ち解けません。どこか人をはねつけているような雰囲気で、孤独で影のある様子をしています。このような場面で、主人公に、こんな行動パターンを取らせるとしたら、防御タイプの可能性を感じさせます。

 なお、タイプ4ならば、校門前でのタバコの一服は、もっと複雑な表情をして欲しいものです。タイプ4は、元々に人目を意識しやすいのですから、転校生になれば視線は自分に集中しますから、大変に緊張してしまいます。緊張すると分かっているので、タバコを吸ってしばし心の準備をして落ち着かせているのではないかと。しかし、脚本にはそのような意味合いがあると書いてなかったのではと考えられます。タイプ4の監督ならば、校門前で一服する転校生なのですからね。このような演技では満足できず、捨て置けないことではないでしょうか。それとも、監督はタイプ4で、しかも当事者能力がない方なのでしょうか?

 なお、チェリンという女高生は、主人公に一目ぼれらしく、ジュンサンにお熱を上げています。ボールを渡す時に見詰めていますが、どうも相手から見詰め返されてはいないことに気づいていません。かなり舞い上がっているように見えます。これも防御タイプらしい行動パターンだと考えられます。

 さて、このように一つ一つの場面で、どのタイプの可能性があるのか探って行きます。当会は点数加算式でタイプ判定する場合があり、可能性の高いタイプを幾つか上げて、最後にそれを集計します。そんな方法で「冬のソナタ」を観察すると、高得点だったのがタイプ4w3でした。そして、タイプ4w3だと判定できると、次第におかしな演技だと感じさせられるもの、理解できにくい目つきだなあとか、物腰などが性格に合わない、などと気になり出します。

 全体的な行動パターンは、タイプ4w3の性格が確実に投影されていると分かるのに、どうしてだか部分的にピッタリと嵌まらない演技が見えて来るのです。それゆえ、「細かく見ていくと、タイプ4の描写としては、あまりにも異質に感じられるものばかりです」と書いています。

 結論として言えるのは、映画を一緒に鑑賞して、その場面ごとの演技などについて、ともに語り合わないと、タイプ判定についての説明は容易ではありません。こうして書き出すのも大変な作業で、忘れてしまったことや思い間違いがあるかもしれませんしね。
 このように、映画作品のタイプ判定について、その根拠を説明するのは、大変であるため、今後は受け付けられないかもしれません。とくに長編ものは時間を取られるので、全編見ることなどなかなかできません。どうかお察しください。

 

 

35   733     心を数値で表わす                    質問者(やまもと)    2004/06/23

 こんにちは。以前タイプによる感じ方の差を数字の大きさで表わした回答がとても判りやすくおもしろかったです。他にももっと例があれば教えていただきたいのですが、お願いできますか? 感情の大きさだけでなく、例えば人から見られていると感じる視線の量とか。タイプ4はかなり大袈裟な数字になりそうですね(笑)
回答者(りゅうとうまりこ)      やまもとさん、お久しぶりです!  2004/06/25  

 人の心を数値にして表わすと分かり易いので、使うことはありますが、本当はとても曖昧すぎて誤解を招く恐れがあるものです。タイプが違うと、かなり違いが大きいのだということ、落差が大きいと分かっていただくためだけに、数値を使っていると思ってください。

 たとえば、「人から見られていると感じる」、その視線量みたいなものがあるとしたら、おおまかには、防御タイプは100、調和タイプは50、攻撃タイプは10と考えてもらったほうがよいかもしれません。この対比が10・5・1ではなく、100・50・10だと思っていただいたほうが、現実に近いからです。しかしながら、「対比は30・18・10では無いのか?」と尋ねられても、それが正しいのか間違いなのか、私には説明しようもありません。

 また、ウイングが違うと、同じタイプでも数値は違います。7w6と7w8では、7w6のほうが見られている自分を意識する量は多そうです。2w1と2w3では、2w1のほうが多そうで、5w4と5w6では、5w4が多そうです。しかし、多そうではありますが、ここも数値に表わすことはできません。たとえば、5w4で4が重い人と、5w6でウイングが重い人を較べたら、数値の違いは大きいと考えられます。しかし、ウイングが軽い人同士で較べたら、数値の違いは大きくないようです。むろん、この段階でも数値で示して、対比できるものではありません。

 もっと有ります。同じタイプ6w7でも、ある人物は、人から見られる自分をかなり強く意識していますが、もう一人はそれほどでもなかったりします。精神状態によって違うからです。職業や立場などでも違いは出てきます。女優と保健婦さんでは違いますし、上司と部下でも違います。このように詳しく説明を加えたり、正確を期すようにすればするほど、数値での説明は不可能になります。

 肝心な点なので、あえてお知らせします。まず事例があり、その事例の問題点を知るために、数値なども引用して説明しています。先に数値を示しても、それはあまり参考にはならないでしょう。あなたにとっての知りたい人を、もっと正確に理解しようとする場合、数値で示すと相手をよりよく理解できるので、その数値自体も生きて来るのだということです。それを脳裏から外さないようにお願いします。

回答に対する返事        やまもとさんより      2004/06/26

 質問コーナーの回答ありがとうございましたm(__)m文面から竜頭さん少し疲れている感じがしたのですが気のせいでしょうか? カウンセラーって悩みを聞くので大変でストレスが溜まりますよね。エニアグラム教えて頂いたおかげで心が楽になり本当に助かっています(^-^)ありがとう。
再回答(りゅうとうまりこ)      やまもとさんへ    2004/06/26

 そのように取られたのは、どの個所なのか分かりませんが、疲れてはいません。なぜかタイプ4やタイプ6の方によく疲れているのではとか、元気がないのではなどと言われるのですが、当たらないことが多いようです。元気なのに疲れているのではと、心配されると少し複雑な気分になります。疲れているときに、元気そうだねと言われることもあります。

 いろいろな方がその人なりに解釈していることも多いのですが、そのように感じさせたとしたら、私のいたらないところだと思います。また、文章がきつそうに感じる方が多いようで、耳に優しい暖かさに満ちた言葉を求めている人には、当サイトは向いていないだろうと思います。冷たく取られないように、それなりに注意はしているのですが、結局は、自分らしい言葉使いしか出来ていないようです。

 そして、悩みを聞くのは大変に疲れる場合がありますが、アドバイスを活かして良い関係を作り出してくれる人も多いのです。幸いにも、救われたとか良い関係になったと報告を受けることが多いので、とても嬉しく思い元気づけられるものです。やまもとさんにとっても役に立っているとしたら、大変に励みになります。ありがとう。

 

36   710     調和タイプを知りたい                質問者(Hagen )     2004/05/27

 
以前の回答の中に、「人々の輪の中にいたい、疎外されたくないという思いが強ければ」とありますが、この言葉について質問します。調和タイプとは、例えば、自分が多数派の輪の中に入っていれば、仮にその場で他の人がその輪の中に入られずにいても、見て見ぬ振りをするのでしょうか。自分が疎外されてさえいなければ、他はどうでもいいと思ったりする人たちなんでしょうか? 彼等が行動する決め手になるのが、行動しても、自分が引き続き確実に輪の中にいられる、疎外されないといった状況なんでしょうか?
回答者(りゅうとうまりこ)     Hagenさん、こんにちは!  2004/05/30

 調和タイプといっても、さまざまに行動パターンが違います。また、あなたの予想した行動をする人は、調和タイプ(3・6・9)だけでなく、防御タイプ(7・1・4)でも攻撃タイプ(8・2・5)にもいます。

 事例を上げて説明してみます。中学1年のクラス内という設定だとします。タイプ6の男子にとって気の合う友だちがいたとします。その子はクラスに溶け込めないようです。すると、タイプ6の子はその友だちに対して、いろいろと気遣い、よく声をかけているでしょう。元気なタイプ6ならば、クラスの輪の中に入れようと骨を折ったりしているでしょう。元気がない子ならば、それどころではありませんからね。

 タイプ6が嫌っている子ならば、クラスの仲間から疎外されていても、気遣いはしません。みんなと一緒になって疎外するかもしれません。ただ黙って見ているだけかもしれません。元気のないタイプ6ならば、自分も疎外されるかもしれないと不安になっているでしょう。

 また、家が近所で日曜日には一緒に遊ぶ子が、クラスではみんなから疎外されていたとします。その場合、タイプ6の子は、クラスの中では見て見ぬ振りをするかもしれません。しかし、積極的にクラスの子たちと話し合いを持ち、なんとか輪の中に入れようと努力する子もいるかもしれません。たぶん、とても自信をつけているタイプ6です。

 腕白なボス的な存在がクラスにいた場合ですが、クラスの子たちを召使みたい使い、何か命じたり、誰かを標的にいじめていたとします。そんな場合、あるタイプ6の子は、そのボス的な男子の手足となって、その子を積極的にいじめてしまうかもしれません。しかし、元気なタイプ6の子は、ボスにとりなしたり、いじめられないように、そっと気を利かせているかもしれません。要領よく逃がしてあげられるかもしれません。別のタイプ6の子は、心の中で同情しつつも、何も出来ない自分を不甲斐ないと思っているかもしれません。戦々恐々として、怖がってばかりいるタイプ6もいると思います。

 このように具体的な場面設定をして、説明するとわかると思います。人は人間関係によって違う行動を取ります。相手を好きか嫌いかでは、対応は違います。それは、どのタイプであろうとも同じです。また、いじめられる側にはなりたくないので、強い子に従ってしまう子は、その他のタイプにもいます。

 また、その子の精神状態も関係します。同じタイプでも自信と余裕のある子、指導的な立場にいる子と、からっきし意気地の無い子が、同じような行動を取るはずはありません。また、学業成績が優秀でスポーツ万能なのか、秀でたところがまるで無いのかも関係します。

 ただ、調和タイプは、周囲の人たちをよく見ています。その動向だけでなく、気持ちなども感覚的に察して、嫌われないように気をつけて行動している人たちが多いのです。むろん、攻撃タイプも防御タイプも嫌われたいと思っている人などいませんから、配慮しているはずです。ただ、程度が違うというだけです。みんなと違う行動ができにくい、大勢に従ったほうが無難なので、合わせるという機能が強いのが調和タイプ(3・6・9)です。

 また、周囲に合わせていても、不安や不満はありますが、それでも合わせないでいるほうが、もっと不安になります。それゆえ、調和タイプにとって、周りを見ないとか、みんなと歩調を合わせないで自分勝手な行動のできる人たちが分かりません。一人になりたがる人、疎外されたほうがまだましだと思う人たちを、全く理解できないのです。異質に感じたりもします。

 調和タイプの行動原理は、それ以外のタイプには分かりにくいようです。以下のところや、バックナンバーには、調和タイプの実際の振舞い方を、幾つも事例を上げて説明しています。探し出して読んでみてください。少しずつ分かってくると思いますが。

   
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-201~/15-225.htm

 

 

37  671       人によって神経質の基準が違う?          質問者(JUN)  2004/04/14

 会社の上司からは「神経質で」「些細なことを気にする」と言われることがよくありますが、母親からは「神経質」と言われた事はなく、「図太い」といわれます。人によって「神経質」か「無神経」かの視点が違っているためだと思いますが、これもエニアグラムタイプによって、「神経質」か「無神経」を判断するための着眼点が違うからなのでしょうか?  例えば、仲間のつぶやきシリーズで「タイプ7w8の母親」では、タイプ9の人から見た7w8の人。「身近にいる7w8の人」では、4w5の人からみた7w8の人について書かれています。前者では「怖がり」な面について書かれていますが、後者では「神経質」「怖がり」という点は一切触れられていない感じがします。
回答者(りゅうとうまりこ)       JUNさん、こんにちは!  2004/04/16

 見落としているのではと思いますが、後者には「強そうにも見えますが、とても恐がりです」と書かれています。

 さて、性格に関することでは、ほとんどの人はあまり正確に表現しようなどと注意していないと思われます。また、実に観察していないことが多いのです。たとえば、とても暗くて辛そうにしている人を指して、「あの人はボウとして、何の心配もなさそうに見える」と言う方がいて、一体、何を見てそのように判断しているのかと、唖然とすることがあります。緊張して顔をこわばらせているだけなのに、「私をにらんでいるみたいで怖かった」などもあります。

 また、子どものことで悩んでいるというので、その子の性格を伝えてくださいと言ってもほとんど語れない人が少なくありません。お話を聴きながら、タイプはどこかと探すのですが、容易に見つけられず、こちらの頭のほうがおかしくなりそうな場合もあります。ことほどさように、人は、自分のことも他人のこともあまり分かっていない、ということではないかと思われます。

 従って、性格に関することで、さまざまに他人から言われていることを、真実だと思わないほうがよいのではと助言したいくらいです。良いふうに見られていたら、「その通りだ!」と受け取り、悪く見られていたなら、「観察していないので分かっていないようだ!」と受け取ればよいと思って欲しいくらいです。

 また、人それぞれに着眼点が違うのもよくあることです。しかし、最も多いのが、自分と相手の性格を見比べて判断していると考えられます。

 たとえば、神経質な人は、他の人たちを神経が太いように感じることがあります。また、あなたのお母さんがあなたよりも神経質な性格だとしたならば、あなたは「図太い性格の息子」に見えるでしょう。しかし、叔母さんがあなたよりずっと神経が太い人ならば、あなたのことを神経質と見るかもしれません。

 人は誰もが、自然に自分と他人を比較しています。しかし、狭い範囲内で比較していることが多いのですから、正しいとか間違いという問題ではありません。各自が自分流の解釈をしています。そして、性格が正確に語られることは少ないことを知って欲しいと思います。

回答に対する返事          JUNさんより   2004/04/19

 回答ありがとうございます。一通り目を通したと思っていましたが、見落としていました。
これでは、軽率なところばかり目立って、無神経に見えかねないかもしれませんね。他人が自分の性格を正確に言えないとすると、自分も、他人の性格を正確に言えていないことが多いと思います。また、自分が、あまり神経質にならない点に神経質になる人をみると、「神経質だ」と思ってしまい、自分が神経を使ってやっていることを、いい加減にやっている人をみると「無神経だ」と思ってしまうような気もします。

 

38   654     いじめに遭うと、タイプは変わるか?              質問者(さくら) 2004/03/27

 はじめまして。エニアグラムでは、「いじめ」によってタイプが変わる事がないということですが、私はどのタイプか教えて頂きたいのです。私自身、いじめられていた時期と、その後の時期で、性格が180度変わってしまったと思っています。自己診断ではタイプ2と出ました。次に多かったのはタイプ4と6でした。タイプ2の特長である「人を助けたい気持ち」「人の役に立つことで自分を褒めて貰いたい気持ち」などはとても強いと自分で思っています。ただ、いじめられていた時期は、タイプ4または6の傾向が強い気がしました。ネガティブで、自分の世界を大事にしていて、他人を拒絶するようなところがありました。特に男性が怖くて男性恐怖症に近いような状態にもなっていました。どちらの時期のタイプが正しいのか、教えて頂けますでしょうか。よろしくお願いします。
回答者(りゅうとうまりこ)      さくらさん、はじめまして!    2004/03/31

 当会の理論は、「性格タイプ=気質=基本ソフト」です。いじめられる体験をしたからといって、気質が変わるとか基本ソフトが変わるなどは有り得ないと考えます。別のソフトと入れ替えて、別のをインストールしなければ、気質もタイプも変わらないのですからね。

 さて、いじめに遭っていた時期ならば、どのタイプでも辛くて苦しいのであり、ネガティブにもなり、人を信じられずに、自分の世界にこもりがちになります。その頃の性格が、タイプ4とかタイプ6に見ていたというならば、それはあなたの読み込み間違いであり、間違ったイメージを持ってしまったのだと思われます。

 タイプ4や6の方がいつもネガティブであるはずがなく、全ての4と6が、他人を拒絶などしていませんからね。逆に、「人を助けたい」「人の役に立ちたい」などという思いは、他のタイプにもあり、4と6にもあり、タイプ2専用ではありません。

 男性恐怖症とありますが、それに関する具体的な記述がないので、こちらには全く理解不能な言葉になります。たとえば、当会には、男性に意識が向き、男性を怖がりやすいタイプは、2・6・1という理論があります。しかし、人間はさまざまな怖い目に遭い、その原因が男性にあったとしたら、どのタイプであろうとも男性恐怖症になる可能性はあります。

 また、自分は神経質で傷つきやすいと、しばしば書いて来る方がいますが、それも、実は全く理解不能な言葉なのです。なぜなら、全タイプが神経質であり、傷つきやすいのですからね。神経質であると、こちらが納得できるとしたら、具体的な記述(=事実)からだけです。
653では2つのタイプに絞れていますが、それは事実が書いてあるためです。

 そして、性格が180度変わってしまったと、あなた自身感じているのは事実なのでしょう。家族から見ても、性格が変わったように思われるなども、しばしば聴くことで珍しくはありません。それどころか、酷い体験をしていなくとも、180度性格が変わったと主張する方さえしばしばいますからね。

 
しかし、たとえば、タイプ1の女性が、タイプ8にはなりません。世界観も価値観も、人生観も、普段の立ち居振舞い方も、全てに関して違うので、タイプが違うのですからね。どんなに変化しても、気質(=性格タイプ)は変わっていません。

 変わる以前のあなたを見ても、変わったあなたを見ても、当会では同じタイプと判定できます。たとえば、タイプ2は「明るく元気」と書くことがありますが、それはグループとしてよくある傾向といつも書いてます。タイプ2の人たちが全て元気で明るいなど有り得ないのです。暗くて陰気なタイプ2がいます。

 そして、明るく元気な人と、暗くて陰気な人を、同じタイプ2であると判定できるようになれるとしたら、学習して習得しなければ不可能です。9つのタイプの性格を習熟してこそ、同じタイプと判定できるようになります。表面的なところばかり見ていては、まるで「性格」というものを理解できないでしょう。

 結論ですが、これだけではあなたのタイプは分かりません。あるタイプだとはっきりと分かる核心的な情報が載っていれば、短い文でも判定できることがたまにはありますが…。タイプ判定は難しいもので、自分一人で探していると幾年もかかる人がいるようです。早くタイプを知りたいというのでしたなら、「タイプ判定室」をご利用ください。

 

39  641    調和タイプのことを知りたい              質問者(くろまる)  2004/03/14

 こんにちは。調和タイプの常識の範囲について質問します。私は防御タイプですが、自分が常識人であるとまではいかなくても、人から見て、外れるおかしな行動というものは分かっているつもりです。ウィングのせいもあるでしょうが、むしろ調和タイプの知人がしている服装や行動が変わっているなぁと思うこともあります。個人的には常識というものは「無い」と考えるのですが、「世間一般で言われている常識」も理解しているつもりですから自分が逸脱しているとも思えないのです。この場合、調和タイプといえど個々で見ていくと個人差がある、という場合でも、やはりそのタイプとしての範疇内での行動だとは思うのですが、常識的な行動というものの境界はどこまでのものをいうのか知りたいのです。変わっていると言われるだけでは調和タイプでないと言えない、その理由を教えてくださいますか?「変わっている≠個性的」なのでしょうか。
回答者(りゅうとうまりこ)       くろまるさん、こんにちは!  2004/03/15     

 ある人を指して「変わっている」と言えるのか言えないのか、「個性的」と言えるのか、どちらも主観的なことですからね。客観的な基準があるようなものではありません。通常よく使う、あいまいな表現ですから、正確とか厳密に答えられるようなことではありません。

 「調和タイプの知人」
が、本当に調和タイプ(3・6・9)なのか、正しく判定できるているのか、という問題が、まずあります。あなたが調和タイプだと思った方が、攻撃タイプ(8・2・5)や防御タイプ(7・1・4)という可能性はあると考えているからです。

 なにしろ、タイプ判定はとても難しくて、正解率が約2割で、観察していない人の場合、ゼロ正解率です。というより、絶望的と言えるほど観察していないのが現状ではないでしょうか。当会の講座を10年間もみっちりと学んでいる人でも、間違えることが多いのです。むろん、私自身も100%正解にはなりません。

 次に、調和タイプの人たちが、個性的になりたがり、個性的な服装のできる人に憧れることがあります。個性的になりにくいがために、そうになれたらという願望も出て来ると分かるでしょう。しかも、それは若い頃であり、調和タイプも加齢するごとに、個性的というよりも無難な方向に行きます。また、調和タイプも、職業や周囲の人間に影響されます。芸能人になれば、多少なりとも過激な服装をするようになると考えられます。「芸能人の常識」になるからです。また、奇抜な服装ばかりする友人を持つと、対抗意識も芽生えますからね。

 従って、服装がたまたま「変わっている」からといって、それだけではタイプ判定はしません。調和タイプと判定するには、さまざまな局面を見ます。

 
「常識的な行動というものの境界はどこまでのものをいうのか知りたい」とありますが、具体例を上げないと説明できません。いつも観念的なところで、「ああだこうだ」と考え出すと、袋小路に入ってしまいます。注意してください。

 ここで攻撃的で優位的な物言いをする交通指導員と出会い、その言い方に対して、それぞれの人たちが、どのように反応するか考えてみましょう。例えば、自分は50歳の男性でタイプ6w7だとします。相手の指導員は20歳の男性でタイプ2w1だとします。この場合、タイプ2は年長の男性に対して、それほど露骨な態度を取らないはずです。ですから、不快感を抱くようなことは、たぶん起きにくいと思われます。

 次に、自分が20歳の男性で、6w7だとします。この指導員2w1も20歳の男性です。きつい口調の注意を受けて、「きつい指導員だなあ」と思って嫌な気持ちになるかもしれません。でもどこ吹く風という様子で通り過ぎるほうが多いのです。また、嫌な気持ちにもならないかもしれません。6w7はきつい男性には歯向かわないタイプで、かえってきつい男性を好むこともあるからです。また、不快になっても、我慢する可能性のほうが強いのです。

 たとえ、虫の居所が悪くても、相手は知人ではなく、見知らぬ人であり、場所は公道なのですから、通行人が多数います。そんな場で大声を上げたりなどは恥ずかしいことだ思い、誰かを傷つけたいすさんだ気持ちの時でも、そのような場では発散させないでしょう。帰宅して家族にあたるほうです。タイプ3と9もほぼ同様になりやすいのです。

 もっと強い怒りを感じた場合は、訴え出る所を探して、匿名で非難するような電話とか手紙を書く方もいると思います。つまり、直接的なぶつかり合いをしないほうを選ぶタイプです。

 ところが、自分がタイプ2w1の20歳の男性だとすると、同じ年齢の攻撃的な指導員に対して、むかつきもせずに通り過ごす場合があります。全てのタイプ2w1が同じ反応はしませんからね。虫の居所の悪い2w1は、「この野郎、偉そうな言い方をして!」と、短気なので怒り出す人がいるはずです。この指導員が40歳くらいで、自分は20歳で相手が年上だとわかっていても、場合によっては突っかかっていく可能性もあります。タイプ8w7も、こことよく似ています。そして、タイプ7w8も通り過ごすことができにくく、怒り出しやすいタイプです。

 つまり、タイプによって反応が違います。精神状態によっても違い、年齢や立場が違っても、反応は違ってきます。それでも、この指導員に噛み付く男性がいたら、調和タイプではない可能性があると見ます。どこ吹く風で通りすぎる男性を、みな調和タイプと判定しません。2w1でも、どこ吹く風になります。

 これは、ただの一場面に過ぎません。沢山の場面を見て、タイプ判定をします。このようなことが再々あるならば、常識的な行動をとりにくい人であると見て、最後に集計して「調和タイプではない」と判定するのです。

 一方、調和タイプも、後退するとおかしな言動をするようになります。常識的に見ておかしいと思わざるを得ないことを実際にします。しかし、このような公道では、おかしな言動をしにくいのです。家族や身近な人たち、知人で、あきらかに立場的に下だと思う人に、おかしな言動をしたり攻撃的になります。

 さて、いつも変わった服装をしていれば、「変わった人に思われたい人」なのです。いつも派手な服装をしていれば、「目立ちたい人、注目を浴びたいと思っている人」と読み取れます。いつもキレイにお化粧していれば、「キレイな女性に思われたい人」なのです。しかし、たまたま変わっていたり、たまたまオシャレだったりしたなら、まだ読み取れません。

 「個性的な人だと思われたい人」という場合もあります。それは本当に個性的なのか、実は個性的ではないから、そのように思われたいだけなのかもしれません。どちらにしても、人の評価や表現の仕方は、とてもあいまいなもので、厳密に捉えられるものではありません。そのような類の言葉に振り回されないようにしてください。

 また、「常識」というものも、あいまいなものであり、不変のものではありません。20年前の常識と現在の常識は違います。厳密な意味での境界というものも無いと言えるでしょう。「常識」も[性格」も、流動的なものであり、相対的に見るものです。

 

40  630 2w1でも母親と複雑な関係になりますか?  質問者(みさく)  2004/02/24

 何度もすみません。先日心療内科の先生から軽いパニック障害という事で診断されてしまいました。私は先生から2w1と判定されています。自分でも自分を受け入れられないとおかしくなってしまうものなのですか? 過食に走り、引きこもりになり、他人を傷つける行為をしてしまっています。先日、母が入院して手術をした時に、気弱になっている母を間のあたりにし、幼い頃に母に弱音を吐かせてくれなかった、優しくして貰えなかった事が走馬灯のように蘇り、かなりの怒りと憤りを感じて、そんな顔を見せないで欲しい、強い母でいて欲しい、自分だって、そうやってその強さを信じてバネに生きてきたんだからと...。病気をいたわるよりも、恨みぶしになっている自分がおりました。竜頭先生が言っておられるように、私は何時も複雑に母に心をかき乱されます。2w1の自分でも母に複雑な気持ちを持ちますか? 宜しくお願い致します。 因みに私の両親は離婚しておりまして、六歳位から義理の父がおります。 
回答者(りゅうとうまりこ)    みさくさん、お久しぶりです!  2004/03/01

 タイプ2は本来、父親に対して複雑になりやすいタイプですが、母親との関係がうまくいかなければ、当然、複雑な思いが去来するでしょう。親子関係は、関係を切りたいと思っても、容易ではありません。それゆえ、さまざまに関わりすぎて、終いにはこみいった関係になる可能性が高いのです。また、夫婦関係や恋愛関係など、密度の濃い人間関係ほど、複雑になりやすいのは当然のことなのです。

 2w1の娘が母親に複雑になるとしたら、それは母親が同じタイプではないケースだと考えられます。たとえば、2w1同士の母娘ならば、どちらも短気で、どちらも張り合うほうなので、よくケンカするかもしれません。しかし、互いに動機が分かり、気持ちもよく分かり合えるので後を引かず素直になれます。とくに青春期を過ぎる頃からは、仲良くなり友だち同士のような関係になる可能性が高いのです。

 推察すると、同じように攻撃的な性格を持つ母親であると、さまざまにぶつかり合いが生じるでしょう。たとえば、タイプ7w8が母親であると、2w1とは世界観も価値観も、人生観なども違うので、いがみ合う関係になりやすいようです。母親と縁を切ったという2w1の娘さんも知っています。相続権も放棄したという例もあります。

 タイプ7w8は、8の攻撃的な性格があり、娘を自分の思い通りにしたがるところがあります。また、女性に粘着的になりやすいタイプなので、自分を慕わない従わない娘ならば、「可愛さ余って憎さ百倍」となるかもしれません。そうなると、娘(2w1は攻撃タイプ)のほうでも攻撃性があるため、黙って引き下がれません。そんなこんなで、複雑な因果関係が出来上がってしまうのです。また、タイプ2の息子と最悪な関係になることもあります。

 むろん、他のタイプもあります。このように、母と娘がともに攻撃的で、負けず嫌いで容易に退かないと、深刻な関係になりやすいのです。攻撃的でなくとも、何かの出来事で悪い関係に発展することもあるはずです。しかし、母娘の全てがそうなるのではありませんからね。やはり、どちらも成長しているならば、平穏なよい関係を作り出せていると思われます。

 なお、母親に複雑になりやすいタイプであるはずなのに、父親に対して複雑な心理状態に陥っている3・4・7・8の息子がいます。たとえば、タイプ7w8の息子とタイプ2の父親という組み合わせです。さらに広く取るならば、タイプ3や4や7の息子とタイプ2の父親という組み合わせは、複雑になりやすいようです。なぜなら、タイプ2の父親は息子に粘着的となりやすく、自分を慕わない従わない息子に対して、「可愛さ余って憎さ百倍」となる可能性が大です。

 一方、息子のタイプ3・4・7は、父親の存在は小さいほうなのにも関わらず、父親のしつこさや攻撃性に辟易として、しまいには癇癪を起こして反撃して、素直に従えなくなります。ここでも裁判沙汰となり、息子が相続権を放棄したという例を聴いております。上記と逆パターンです。むろん、娘との関係で最悪になるケースもあります。
 
 タイプ2の父親が良い精神状態であれば、息子を追い詰めないのですが、ジコチューで余裕のない父親であると、子どもとの関係はよくなりません。上記のタイプ7w8の母親も、良い精神状態であれば、娘を追い詰めないのですが、わがまま勝手の余裕のない母親であると、子どもは追い詰められて、反撃するでしょう。そして、娘のほうも余裕がなくなり、母親を憎み出し、こうして最悪な母娘関係を、相互に作り出してしまうのです。

 また、タイプ8の息子とタイプ2の父親という例や、タイプ8の母親とタイプ2の娘という例を知りませんから、分かりません。たぶん、互いに相手に干渉しない可能性が高く、複雑な関係になりにくいだろうと予想します。

 さまざまな局面を見て、総合的な判断をしないと、タイプ判定はできないことが、お分かりいただけたと思います。そして、
「自分でも自分を受け入れられないとおかしくなってしまう」のは、全タイプに起こり得ることです。3月5日にアップする「童話シリーズ」はシンデレラ物語を取り上げていて、ここ似ていることを書いています。ぜひお読みください。

 序でながら、脳にある「扁桃体」は、「好き嫌い」などの価値判断をしている部位だと知られています。つまり、「好き」とか「嫌い」という感情が、脳レベルでは密接に関係しているということです。

 好きだった母親との関係が悪化すれば、嫌いに転じますが、密接な部位であるため、スッパリと切り離せません。好きであると同時に嫌いなのです。好きなら好きだけ、嫌いなら嫌いというだけならば単純ですが、好きだけれど嫌いというのでは、複雑(complex)になってしまいます。

 「好き」が進めば「愛」に発展して、「嫌い」が進めば「憎しみ」となり、「愛と憎しみが髪一重」となるのではと考えられます。ストーカーの心理も、これに似ていると考えたらよく理解できると思います。

 また、「恐怖」も扁桃体が判断していますから、「好き」な人を怖がり、「怖い」人を好きになったりするのではないでしょうか。たとえば、タイプ7は、女を怖がりますが女好であり、母親を怖がりますが母親好きです。タイプ1は、男を怖がりますが男好きで、父親を怖がりますが父親好きです。

 このように、心の座は脳にあり、脳の働きを解明すれば、いずれ当会のエニアグラム理論は、事実であると解明されるだろうと考えています。
 
 最後になりますが、こじれた母娘関係の改善は、とても難しいと考えられます。娘の側の努力だけでは、うまく行かない可能性が大です。しかし、あなたの場合、立場が逆転しつつある時期に来ています。つまり、段々と実力の付いてきた娘と、だんだんと老衰する母親なのです。
 母上は、年齢的にも体力が落ち、気弱になっているのですから、やさしい労わりの気持ちを持って接して欲しいと思います。自分には絶対に出来ないこと! に、勇気を出して挑戦してこそ、人は成長するのかもしれませんからね。

回答に対する返事      みさくさんより   2004/03/12

 お礼が遅れまして申し訳ありません。先日は本当にありがとうございました。みさくです。母との関係と自分との心のケアに少し臆病になっていたのかもしれません。お返事頂き、救われた気がします。毎日欠かさずに、これからも拝見させて頂きます。本当にありがとうございました。

 

41  619       対極のタイプについて                       質問者(みずほ先生)   2004/02/16

 竜頭さん、こんにちは。バックナンバーの特集コーナー(9)「タイプ4にあるネオテニー的な形質」の中で、 タイプ4とタイプ9は対極の性格で、「エニアグラム図での対極に位置するタイプは、全て、性格も対極にあります。 上記二つのタイプに限りません」とありますが、9つのタイプ全てに対極のタイプがあるとすれば、 「対極に位置する2つのタイプ」の組は4つでき、4つのタイプに4つの対極タイプがあるということになりますが、それだと 1つタイプが余ってしまいます。ある1つのタイプには対極タイプが無い、あるいは、ある1つのタイプには対極タイプが2つある、 ということになると思うのですが、どちらかが正しいのでしょうか?
回答者(りゅうとうまりこ)           みずほ先生、こんにちは!    2004/02/20

 いろいろと学んでいらっしゃるようですね。いずれ誰かが指摘するだろうと予想をしていたことですが、気づいて頂けたとは、うれしい限りです。

 当会では、9つのタイプと言う場合、おおまかに分けているのであり、実は幾つにでも細分化できるという考え方をしています。3つに分けるという究極の理論も持っています。このような理論を持つのも、唯一当会だけであることをまずお知らせします。

 従って、ウイング別に2つに分けるなら、18タイプあることになり、また、1つのタイプを4つに分けたら、36タイプになります。

 性格は連続性のあるものと捉えてこそ、真実の姿が見えてきます。以下のところに、「性格をスペクトル分解する@」という文章を発表していますが、別の言い方もしており、「性格を円環として捉えている」というものです。

 実際、エニアグラム図は円であり、当会は、円周上の位置によって、タイプが違うという理論を持っていますから、性格を円環として捉えるのは必然的なのですが。そして、「性格」というものを色でたとえると、さらによく理解できるので、しばしば色を使って説明しています。

    @
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-1~/15-27.htm

                                    


 上記では、タイプ4w5とタイプ9w8が対極の位置にあり、青色として図示しています。つまり、9個という奇数ではなく、偶数にすれば、対極としてキレイに収まります。「タイプ4にあるネオテニー的な形質A」では、ウイング別に解析していません。たまにウイング別に説明することがありますが、とても煩雑になります。かえって、主題が分かりにくくなるので、9タイプにすることが多いのです。

 なお、ここでは、各タイプのシンボルカラーの色を使って説明していません。趣旨をわかりやすくするために、対極のタイプを同じ色にしています。

   A
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-201~/15-209.htm

 
しかし、昔話シリーズにある「三年寝太郎はタイプ4w5か9w8なのかB」にあるように、4w5と9w8が対極にあり、両者は似ていないのに、よく似ているところがあると、紹介しています。2w3と7w6が対極にあり、表面的には似ているが、全く似ていない部分があることも分かっています。その他も同様です。しかし、まだ全部をうまく説明できません。

   
B
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-201~/15-226.htm

 
当会は、いまだいろいろな研究課題に取り組んでいます。さまざまな発見もまだ続いています。研究生はいますが、当会とはいっても、実は竜頭が一人で研究を重ねているのが実態なのですが。早く研究生たちが育ってほしいと思っています。

 

42  612   エニアグラム理論の違いについて          質問者(ささこ)  2004/02/11

 鈴木秀子さんや、和泉育子さんなどの(だれかとは同じなのかもしれませんが‥)学派とは違うのですよね? どのように違うのでしょうか。タイプ2が尽くす人とは竜頭さんの学派では考えない、みたいなことが書いてあったように記憶しているのですが、そのように同じエニアグラムでも考えは理論が変わってくるんですよね? 気になるので、教えてもらえないでしょうか。よろしくお願いします。
回答者(りゅうとうまりこ)     ささこさん、はじめまして!    2004/02/13

 他の会派と当エニアグラム性格学研究会とでは、ほとんどのところで違うと言っても過言ではありません。共通のところが僅かにあるだけです。どのように違うのかという質問ですが、それに答えるとしたら、一冊の本くらいの量が必要です。とても、ここで簡単に説明できるものではありません。

 あなたが本当にエニアグラムを知りたい、学びたいと考えておられるのなら、出版されているエニアグラム本を全て読むくらいなことはしてください。つぎに、どこが違うのか比較しながら丁寧に一つずつ確認してください。そういう積み重ね、そのような地道な努力をした方だけが、真実を見抜く力がつくのではないかと思います。

 そして、真実を見抜く力がなければ、どんなに丁寧に説明されても、うまく説明されても、どちらが正しいのか理解できず、判断もできないと思いませんか。

 たとえば、ブランド品の偽物が一杯に出回っているそうですが、偽物と知らずに買う人がいます。本物と偽物と区別できるようになるには、そのブランド品を熟知する必要があります。偽物と知らずに売っている店員さんに、「この品は偽物ではないでしょうね?」と確認しても、「偽物ではありません!」と言われるだけです。店員さんの言葉をそのまま信じてはいけないのです。あなた自身に本物と偽物を見抜く能力が要ります。

 また、自分のタイプを知りたいとよく依頼されるのですが、自分という人間をまるでわかっていない方があまりに多いのです。「あなたはタイプ1ですよ」と回答すると、「そうかなあ」とか「その通りだと思う」と言ったりします。別の人が、「あなたはタイプ4ですよ」と回答すると、「そうかなあ」「そんな気もする」となってしまいます。

 判定者の言いなりになったり、または右往左往するだけで、自分が何者なのか全く判断できないのです。他人に決めてもらうしかない人もしばしばいます。また、或る人は、どのタイプも自分のタイプではないように感じて、自分は10個目のタイプではないかと言い出すのです。

 人間関係も同様です。本当に相手のことを知りたい、よい関係を築きたいと願っている人ならば、相手に何かを望むのではなく、自分のほうが何かにトライして、自分がまず努力しなければならないとは思いませんか。

 気楽に質問されたのだと思います。あなたの知りたいという気持ちが本当ならば、手始めに、今夜からでも、このサイトの理論を読んでください。

 

43 606  各タイプは精神年齢が違うのか?   質問者(みずほ先生)    2004/02/03

 こんにちは。各タイプを家族名で象徴した場合、大人タイプと子供タイプに分かれますが、そこからさらに精神年齢別に分けることは可能なんでしょうか? 大人タイプの中でも、タイプ9(おばあさん)と5(おじいさん)は、タイプ8(お父さん)と2(お母さん)より大人っぽい、子供タイプの中でも、タイプ7(長男)と1(長女)より、タイプ3(次男)と6(次女)の方が子供っぽく、タイプ4(末っ子)は、さらに子供っぽい、というような傾向があるのか、ということです。
回答者(りゅうとうまりこ)      みずほ先生、こんにちは! 2004/02/07    

 どうやら9つのタイプは、「役割年齢」が違うようです。それで長男とか次男などと呼ぶようになったと考えてください。

 ただし、「精神年齢」というのでは、あまり適切ではないと考えられます。9つの性格をよく見ると、一種の役割まで担っているようだと分かってきましたが、「精神年齢」だとすると、年齢の低いタイプは、人間的に未熟という意味に取られてしまう恐れがあります。実際、子どもタイプ(1・7・6・3・4)は、子どもっぽいので未成熟に見えたりする場合が多いのです。がしかし、大人タイプ(9・5・8・2)が人間的に優れた人が多いのかと言えば、そうではあるとは、とても言えない現状があります。 

 従って、「精神年齢」とは見ずに、「役割年齢」と呼ぶほうが適切なのかもしれませんが、まだ決められるところにありません。
     
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-1~/15-38.htm


 例えば、男と女と較べた場合、どちらが優れていると言えるのでしょう。男性たちは、自分たちが優れていると主張することが多いのですが、男には男の良さがあり、女には女の良さがあります。それぞれに特長があって、それぞれに嫌な一面があり素晴らしい一面を持っていると思いませんか。

 大人と子どもと区別した場合も、それと同様だと考えて欲しいのです。大人の良さと悪さがあり、子どもの良さと悪さがあります。一般的には大人たちは自立的で依存せず、知識量が多いと考えられます。しかし、全ての大人たちが、「できた人物」ではありません。子どもは自立していないとか依存心が強くて、知識量も少ないかもしれません。しかし、無垢さ純真さ、好奇心の強さや柔軟性、また子どもらしい智恵も持っており、偏見の少なさなどは長所です。

 例えば、物理学やその他で大活躍しているのは、タイプ4に多いのですが、子どものようなというべきか、既成概念に囚われにくい資質が、そのような大発見に繋がったのではと推察します。

 エニアグラム類型論で分けた9つのタイプは、当会の理論では、大人タイプと子どもタイプに区別できます。当会だけが発見しているものですが、それは単に「役割年齢に違いがある」というだけに過ぎません。子どもタイプの「精神年齢」は低いのかもしれませんが、人間的な価値はどのタイプでも同じであると考えています。男と女、大人と子ども、大人タイプと子どもタイプ、幾つもある分類は、単に区別して観ているだけのものです。そこに落差はなく、差別意識もありません。

 アジア人と欧米人と較べても、どちらが優秀であるとは言えません。白人と黄色人種なども同様ではないでしょうか。いろいろなことで、差別意識を持つ方がいて、近代になっても、それらの意識は無くなっていません。残念なことです。しかし、差別意識を持つ人がいたら、その人のほうが人間的に未成熟で、優れていない、愚かな方ではないかと考えています。

 確かに、現実には愚かな人はいます。軽蔑したくなるウザイ人も、実際にはいると思います。しかし、それはその個人に対してであり、その人の属するグループまで含んでしまうのは、如何なものでしょうか。エニアグラムも一般に広まるようになると、「○タイプは嫌らしい人たちだ」「○タイプはおかしい人」「○タイプは犯罪者や変質者が多い」などと言い出す人がいると思います。今でも、それらしいことを言う人がいますからね。

 さて、9つのタイプは、役割年齢があるようで、年齢順に書き出します。タイプ9(おばあさんタイプ)→タイプ5(おじいさんタイプ)→タイプ8(お父さんタイプ)→タイプ2(お母さんタイプ)→タイプ1(長女タイプ)→タイプ7(長男タイプ)→タイプ6(次女タイプ)→タイプ3(次男タイプ)
→タイプ4(末っ子タイプ)

 年齢順が、5→9→2→8→7→1→3→6→4という考え方ができるかもしれませんが、正直に言えば、まだうまく説明できないのです。ただ、よく観察していると、年齢がこのような順序であると、納得できるような現象があるためです。

 また、例えば、同じタイプ7の人たちでも、個々に見ると、「役割年齢」が高い人と低い人がいます。タイプ4のなかにも、小学生くらいな年齢に見える人がいたり、大学生くらいの年齢に見える人とさまざまです。また、グループとしてみると、上記のような年齢順になるだろうと紹介しているに過ぎません。

 当エニアグラム性格学研究会は、成長段階にいるのであり、説明できない様々な現象を抱えており、沢山の発見もしていますが、まだまだ研究途上です。みなさんの参加を待ち望んでいる次第です。ただ、賢くても差別意識のある方は、参加を拒否をさせていただくかもしれません。

回答に対する返事      みずほ先生より     2004/02/09

 回答ありがとうございました。とてもわかりやすく理解できました。

 

44     448   境界線にいるタイプはありますか?  質問者(みやい) 2003/07/25

 はじめまして。一年くらい前にこちらを見つけて以来、ずっと更新されるのを楽しみにしています。すごく充実して濃いサイトだと、いつも感心して読んでいます。初めて質問しますが、たとえば、これまでにタイプ1なのかタイフ2なのか判定できない人はいませんでしたか? 私の知りたいのは、タイプ1の性格とタイプ2の性格が半分半分で、どちらだと判定できない人がいるのではないかという点です。どちらかに判定できるに違いないと思ったり、分からないので質問してみようと思いました。よろしくお願いします。
回答者(りゅうとうまりこ)      みやいさん、はじめまして!    2003/07/26

 実は、これは受講生たちにもよく尋ねられています。私自身は、これまでどちらに判定したらよいのか全く判別できなかった、という人はいません。ただ、判定に時間を要しました。情報量がたくさんにあれば、いずれ、どちらかに判定できるだろうと考えています。

 ただし、理論的に考えると、もしかして、その中間にいて、どちらかに判定できない場合はあるだろうかと、いろいろに考えてはいます。いつものように比ゆ的な説明をしますが、タイプ1を液体だと見て、タイプ2が気体だとします。例えば、水であるならば、沸点100℃で液体から気体になります。

 しかし、もっとミクロにみたら、99.95℃と、99.99999999℃では違います。このような99.99999999℃の時、それは限りなく気体に近いのに、気体とは言えないのかもしれません。いやいや気体だと言う方もいます。どちらだと区別できないと考えることもできます。           
 それと同じで、限りなくタイプ2に近いのに、タイプ2とは言えない人がいるかもしれません。このように考えると、タイプ1とタイプ2の性格を半分ずつ持っている人間は存在するかもしれないと考えています。しかしながら、私たちは、そんなミクロのところまで知る必要はなく、また、そこまで正確に判別したり、区別する必要があるとは思えません。

 元々に、9つのタイプはおおまかな区分けです。当会は、もっと詳しく18タイプにもでき、63タイプにも区別して判定しています。性格タイプを連続体として把握しているからで、幾通りにも細分化できるのです。そして、細分化しつつも、おおまかに捉える必要があるのが、性格というものです。

 いつも書いてますが、あいまい模糊としたものが性格というものです。一定不変の自分というものはありません。いつも自分という存在を動いているものと捉える必要があります。厳密に判定する意味などなく、逆に、正確を期すことばかり考えると、性格というものを理解できなくなるでしょう。

 また、エニアグラム図自体が、動く図形として捉えるものだと、グルジェフというエニアグラム図形を西欧に伝えた人が語っています。

 私たちの日常生活上は、液体か気体かを識別できればよいのであり、実際、確かに 区別できます。それと同じで、私たちが目の前の人々を観察するとき、タイプ1なのかタイプ2なのか、情報が多ければ確実に識別できます。それだからこそ、タイプ判定室を用意しており、いろいろに役立てられています。

 しかし、逆もまた真なりで、厳密であるにも関わらず、あいまいかつ流動的な側面も、同時に認識しなければなりません。相反するものを同時に把握できなければ、類型論は成り立たないと考えています。

 

 

 45  418     宗教の影響で、性格は変りますか? 質問者(MIKEKO) 2003/06/01
 
 
宗教による性格への影響についておたずねしたいのですが。私は、タイプ2w軽い1の可能性が高いと言われ、断定はされてないのですが、その判定は正しいと思います。しかし私はw1に「違和感」を感じるのです。その理由は過去10年以上にわたって宗教団体に所属していたからなんです。3年前に精神的に無理した結果、身体が悲鳴をあげてしまい、連絡を絶ちました。その宗教団体での居心地の悪さがあり、遠く離れて自分を振り返ると、かなり洗脳されていたのだと思います。性格もピリピリしてきたように思えます。
 何が言いたいかというと、w1のあけすけさや軽快さが私にとっては、もともとあまり縁が無く、今思えば宗教団体の空気に合わせるために軽快さを「演じていた」ような気がします。顔も変わりました、3年、5年、10年とやって行くうちにそこの宗教団体独特の顔になったように思えます。洗脳からはだいぶ開放されたつもりでいますが、影響は残っていると思います。w1が宗教の影響によって変わって見えてしまったのでしょうか。人為的なものであれば私自身を元の場所に戻してやりたいとおもいました。この団体に居て生かせなかった私個人を取り返すためにです。これに対して、どのようにお考えですか?

回答者(りゅうとうまりこ)      MIKEKOさん、こんにちは。  2003/06/02

 実は、宗教からの影響とか、躾や厳しい教育などで、「気質」というものは変わらないと見ています。

 例えば、両親からスパルタ式の教育を幼児の頃から受けた2w1がいます。体罰は毎日のようにあり、挨拶や礼儀作法、勉強など、全てのことで厳しく管理されたようです。そのためいじけたり、ビクビクもして、性格がゆがんでしまったと、本人が自己申告しました。しかし、結婚して親元を離れたら、その頃とは全く違う性格になり、明るくて軽快となり、本人は、性格が変ったと言います。〔なお、タイプ2が、親の暴力や虐待に遭っているという話はしばしば聴いています〕

 しかし、もう一人の2w1は、放任主義の両親で、躾られたことはなく、ずっと明るく軽快だったと、後から分かったようです。本人は、自分のことをずっと暗い性格だと思い込んでいたと語っていましたが。この両者がワークに参加していますが、ほとんどのことで同じようなものの見方や考え方をしており、価値観もほぼ似ています。
 
 当会では、「気質=基本タイプとウイング」と言います。気質は一生変らないので、タイプ判定ができます。たとえば、先に紹介した人と、その幼児の頃に面談しても、タイプ2w1と判定できますし、後から紹介した人も、同じ2w1と判定できます。仮に、環境や躾や宗教による洗脳なとで、性格が変ったように見えても、タイプ判定室に来られたら、いつも同じタイプと判定されるでしょう。

 仮に、それらの影響によって、性格=気質が著しく変容するというならば、タイプ判定などできません。また、9つというタイプに類型化することもできません。環境も教育も一人ひとり違うのですから、100人いたら、100タイプあることになり、エニアグラムなどウソっばちな理論ということになります。

 なお、2w1の人たちが、全てあけすけで軽快などということはあり得ません。〔上記の二人はたまたま該当していますが〕 グループとしてみると、他のタイプより、その傾向の強い人たちが多くいるというに過ぎません。あけすけとは言えないw1もいれば、重苦しい雰囲気のw1の人も結構います。タイプ2は世界中で何億人といるはずで、いろいろでなくては、かえっておかしいとは思いませんか。

 また、何を持って「あけすけ」と言えるのでしょうか。「軽快」も同様です。あなたを見た人たちが、あなたを「あけすけ」とか「軽快」だと感じるかもしれません。しかし、そうは思わない人もいると思います。性格を形容する場合、ほとんどの人たちがかなりいい加減に使っていることが多いと考えたほうがよいのではないでしょうか。

 当会では、性格をよく「薄皮饅頭」に喩えますが、アンコが気質で、薄皮の部分が環境や躾、教育や本人の努力などで付くものだと見ています。誰もが薄い皮しかついていないので、タイプ判定がすぐに、かつ容易にできます。この考え方については、下のアドレスに書いてあります。
   
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-1~/15-3.htm  

 比ゆ的に言うならば、その薄い皮の部分の色とか形状などが、可変なのです。例えば、不幸になると、皮が灰色に染まるだけであり、幸福になると、白く染まるのかもしれません。幸福続きで、しかもドンドン成長して行くと、白色が次第に黄金色になり、皮が厚くなってしまい、アンコが表面から見えなくなるだけと考えます。

 あやしいカルト集団だとしたら、その人たちの影響で、皮は汚い色に染まるのかもしれません。しかし、その団体を離れたら、いずれ元の色に戻るのではないでしょうか。傷が深すぎて、元に戻らない人もいるかもしれませんが。

 また、幼児の頃にスパルタ式の躾を受けたなら、その皮はゴワゴワに固まっていたかもしれません。しかし、その親から離れられら、本来のあるべき色に戻るでしょう。ひどい親から離れられずにいると、皮は腐りだしてしまうかもしれませんね。もっと酷くなると、皮だけでなく、アンコまで侵されて、部分的に腐ってしまうのかもしれません。

 暴力的な夫と暮らすと、無口で陰気になり、離婚して、次に優しい人と暮らしたら、しだいに明るく軽快にもなるでしょう。それは、性格が変ったのではなく〔タイプやウイングが変るのでもない〕、相互関係による反応的なものではないかと思います。

 また、幼児の頃から、同じような酷い環境にいる方は、自分本来の色を知らずにいるでしょう。そして、現在はむごい親元から離れて、自分らしく伸びやかに生きていたとしても、不運が訪れて、また、皮が固くなって、終いにはゴワゴワでくさい臭いを放つようになるかもしれません。

 皮を厚く豊かにするのは、その人自身の努力がいると思います。真に人の成長のために役立つ教えや実践を持つ宗教組織ならば、人は率先して努力するようになるかもしれません。そんな人の皮は黄金色となり、柔らかくて美味しそうな匂いを放つようになると思いますが。

 不幸にうちひしがれている人は、自分を見失い、理性的な判断力が鈍ってしまいます。これは全タイプにあることで、そんな時期を狙って、宗教団体から勧誘されることが多いみたいで、どのタイプの人でも簡単に落とされているようです。タイプ8は絶対にそんなことは無いと考える人がいるみたいですが、例外は無いと思います。人はみな弱虫です。

 そして、当会では、「理性的な判断力をつけて真実を知る」というワークになるでしょう。ワークを通じて、多くの方が弱い自分、欠点だらけの自分を受け入れることで、逆に優しくて逞しくなって行くみたいです。「信仰の力」というものは強いらしいのですが、「自分を信じられる」というだけでも、十ニ分に力になるように思いますが。

 なお、「他力本願的」なものが宗教であるとしたら、こちらは「自力本願的」と言えるかもしれません。私自身は無神論派で、信仰心は皆無ですから、自力本願的な方法がベストであると考えています。

回答に対する返事           MIKEKOさんより  2003/06/04

 
わかり易くて丁寧な回答本当にありがとうございました。貼って頂いたURLのバックナンバーもあわせて読み、りゅうとうさんのエニアグラムでは生まれ持った本質に着眼点を置いていることが良くわかりました。私は自己判定の材料を日常の「心の化学反応」のみに囚われていたようです。これでタイプ間違えをしてしまう訳だと自分の誤りを「納得」しているところです。観察眼を養うにはまだまだですがエニアグラムが更に楽しく思えて来ました。

 

46  268  「エニアグラムの事実性」について     質問者(トオル)  2002/10/11

 日々、エニアグラムの「事実性」に驚きながら、こちらのサイトを楽しく拝見しています。ところで、この「エニアグラムの事実性」について、今回質問したいのですが、これは生物学的、遺伝学的な事実と捉えればよろしいのでしょうか。エニアグラムの起源にまつわる推論の中で、論者によっては何らかの宗教的なものを想定している記述が、その著作の中に見られるのですが、こちらでは、エニアグラムはそういった神秘的な事柄とは関係のない、純粋に科学的な事実であると捉えていらっしゃるのでしょうか。エニアグラムにおける宗教的な事との関係も含めて、竜頭さんはどのように御考えですか。
回答者(りゅうとうまりこ)      トオルさん、こんにちは!     2002/10/12

 「エニアグラムの事実性」とありますが、「性」は付かず、「事実」あるいは「真実」を指していると考えています。それだからこそ、はじめて出会った頃は驚愕し、つぎに畏敬の念も覚えました。そして、現在も日々、事実であることを証明したいと懸命になっているのだと、考えていただけたらと思います。

 事実なのですから、人間を生物学的とか遺伝学的など、さまざまな見地から、それを明らかにできるだろうと見ています。しかし、残念ながら、私の力の及ぶところではなく、途方にくれているのが実態です。優秀な方の参入を願うばかりです。

 なお、どうやら、エニアグラム自体は宗教的・神秘学的なものが源流になっているようです。しかし、私自身は無神論者であり、無宗教派であり、事実だと認められるものしか関心も興味もありません。エニアグラムに出会って、「事実」が含まれていると感じたので、研究してみたいと思うようになりました。

 ただし、神秘学者のウスペンスキー・グルジエフ(エニアグラムを西欧に伝えた人)・シュタイナーなどの著書を読んで、物事の捉え方や考え方として参考にできるものはあると思い、よく読んだほうではないかと思います。しかし、現在は全く読んでいません。また、それらの中に、とんでもなく荒唐無稽だとしか言えないものまで含まれており、「事実」なのか、「虚偽・虚構、または空理空論など」なのか、しっかりと区別できるようにならねばと自戒しています。

 また、オスカー・イチャーゾさんやドン・リチャード・リソさんの説いたエニアグラムがあったればこそ、当会の「エニアグラム性格学」の産声を上げられたのです。従って、現在も尊敬の念を抱いており、偉大な人たちだと思っているのも事実です。しかし、説いたその中身に過ちがあると考えており、尊敬はしていても、「否と言わざるを得ない部分がある」と主張しており、それは撤回できません。

 

47    258     自我の座について  質問者(徳)    2002/09/24

 
こんにちは。このコ-ナ-では初めて質問させていただきます。
左脳・右脳・大脳辺縁系のどこかに自我の座があるということについて疑問を抱いたのですが医者の方の著書「脳内革命2」という本にはタイプ4にありがちな「嫌い」等という否定的な感情は右脳にはなく左脳にあるのではないかと書いてありました。そして同じタイプ4にある創造的な傾向は右脳にあると書いてあります。実際の医者の方の著書なので事実をもとに書いてあると思いますが、それが本当だとするとタイプ4の自我の座がどこにあるのか分からなくなってしまいます。ほかにもこの本には自我の座についていろいろな事が書いてありエニアグラムと結びつけると矛盾点が多すぎます。僕の理解が甘いせいだと思うのでその辺の事詳しく教えてください。
回答者(りゅうとうまりこ)      徳さん、こんにちは!

 当会の「自我の座理論」は、実証されたものではありません。単なる理論であり、予想であり、自我の座の位置が、人によってそれぞれ違うので、それで性格が違うのではないかと考えると納得できるのです。そう考えないと、理解もしにくいために紹介しているものです。以下のように書いてあります。もう一度読んで確認ください。

 
「こうした予想はできても、それを確認できる環境や立場ではなく、研究機関でもありませんから、単なる予想です。 従って、これらの見方や考え方を仮説として取り上げて、研究して下さる人が出てくることを願う次第です」

 次に、「自我の座」については、研究者によって考え方が違い、さまざまに言われている段階であり、まだ実証されていません。それが実証されたら、その年の最大のニュースになり、ノーベル賞を獲得するでしょう。その著者の考え方が載っているだけであり、当サイトも、私の考え方を載せているに過ぎません。
 どちらの考え方が正しいのか、立証されていないのですから、当会の理論のほうが正しいと立証される可能性もあります。

 また、「嫌い」という否定的な感情が左脳にあるというのも実証されていません。そして、左脳は「主に、言葉の理解や論理、数学的な考え方、順序立てて考える、その他あり」であり、この機能が、右脳にまったく無いのではありません。「主に、ここの部位が司っている」のです。想像性も、右脳だけでなく、左脳の機能の中にもあります。脳はその部位を破壊されても、他の部位が成り代わって機能できるようになっており、補完的な機能を備えています。ですから、右脳だけに感情機能があるのではありません。

 次に、医者が書いた本なら、事実が書いてあると考えるのは、あまりにも、その肩書きを信用しすぎです。医者もいろいろで、記憶力がよくて試験に受かっても、実際には愚かだと言える人もいます。科学者でも、間違った理論を正しいと主張して、後年、間違っていると立証されたことがあります。例えば、アインシュタインも、ある人の理論を否定していました。後から、自分のほうが間違っていると撤回しましたからよかったのですが。自分の間違いを認めない科学者や医者も、かなりの数、存在しています。そんな事例は数え切れないほどでしょう。

 なお、「脳内革命2」は読んでいませんので、この方の考え方が間違っているのか、正しいのか、賢いか愚かなのかは判断できません。誤解しないでください。

 次に、私の著書を読んだり、カウンセリングを受けて、「りゅうとうさんはこんなことを書いていた」「こんなこと言っていた」などがしばしばあります。しかし、そんなことは言った覚えがない場合が煩雑にあります。著書や文章に残っていれば証拠がありますから、そんな覚えはないと相手に立証できます。しかし、口答の場合は、立証できません。

 自分が言ってもいないことを聞き手や読み手が勝手に解釈したり、間違えて記憶されるのです。そんなことが多すぎて、発言するほうとしては、一種の恐怖を感じるほどです。相手の話を正確に聞いてない人があまりに多いことを知っていただきたいと思います。

 その著者が立証されてもいないことを、事実だと書いていたなら、その著者がおかしいのです。しかし、その方(「脳内革命2」の著者)は、単に、「そのように考える」とか「自分はこのような理論を展開している」と述べているだけかもしれません。

 人はいろいろな考えを思いつくものです。その考えを述べたり本にするのは当然です。出版社も、事実を書いた著者の本だけを出版するのではありません。本は、売れる見込みがあれば、でたらめな内容の本でも出版します。実際、そんな本のほうが多いように感じられます。

 良心的な出版社でも、書いてある内容が事実だと、確認をとってから出版しているとは限りません。無能な編集者もいます。そんな場合は、おかしな考え方をしている著者だなあと、発見できないかもしれません。
 
 なお、とんでもなくおかしな理論を展開している愚かだとしか見えない大学教授も実在します。肩書きに惑わされないようにしてください。次に、脳のことを知りたいならば、1冊だけ読むのではなく、脳に関する著書を10〜50冊くらいは読んでください。そうすると、片寄らずに学べますし、さまざまな考え方があり、その違いも大きいことが分かってくると思いますが。

 

48  257 各タイプの意識の向けられる対象について 質問者(D.D.M) 2002/09/24

 はじめまして。エニアグラム(このHP)に出会ってから、積年の疑問や蟠りの点が少しづつ線に変わってきたような気がします。有難うございます。今でもバックナンバーは何度も読み返してます。
さて、「各タイプの意識の向き」についてですが、調和タイプは集団に向いています。これは調和タイプですから、納得です。防御タイプは親に向いていますが、これは自己防衛戦略として逃げたときに守ってもらう対象だからなのでしょうか?
回答者(りゅうとうまりこ)       D.D.Mさん、はじめまして!    2002/09/25

 よく読んで下さっているようで、ありがとうございます。さて、結論から言うと、防御タイプが親に意識を向けるのは、
逃げたときに守ってもらう対象だから」ではなく、「生存率を高めるためである」と考えています。

 どのタイプも自己防衛力を働かせていますが、防御タイプは、日頃から、より過敏に防衛力を働かせています。常日頃から細心な注意力があり、感度がよいと言えます。なにしろ、危機が迫ってからでは遅いのです。そんな人たちですから、怖がりで臆病、神経質、細かいことに気づくという性質が必然的に備わります。
 また、記憶力も高く、一度苦い体験をしたらこりごりで生涯忘れられないくらいです。それも、再度苦い体験をしないための必要な能力ではないでしょうか。また、記憶力に優れるので、秀才を多く輩出しています。

 まず、乳幼児は、全タイプが母親に意識を向けています。しかし、次第に父親や兄弟などに意識が向けられ、近所のおばさんにも関心を向けるようになります。つぎに、意識の向け方がタイプごとに違ってきますから、調和タイプは防御タイプよりも、早い時期に、隣近所の人たちにも意識を向けるようになると思われます。全タイプの関心が同じところに向かないので、それが性格の違いになると考えられます。

 ところで、防御タイプ(1・7・4)は、乳幼児の頃、かなりよく泣く傾向があるようです。激しく泣いて親たちを悩ませ、親の関心をひきつけるようです。例えば、タイプ1の乳児を持ったタイプ2の母親が、ベランダから捨てたいと思わず考えたほどだと言います。また、あまり泣かない乳幼児は、攻撃タイプに多く、親に忘れ去られやすいかもしれません。もっとも、腹が空いたとか、お尻が濡れた場合などは、かなり大きな声を張り上げるようで、自分の要求を貫徹するという感じです。

 しかるに、防御タイプは、なぜ泣いているのか理由か分からないほど、常時泣いている子がいます。むろん、あまり泣かない子もいますから、誤解しないでください。つまり、親の関心とか意識が、常時、自分に向くようにしていると考えられます。

 なお、イスラエルの動物行動学者A・ザハヴィの説を紹介します。「鳥のヒナが口を大きく開けてピーピーと鳴くのは、ヒナが親鳥にエサが欲しいと要求しているだけでなく、キツネがその声を聞きつけて食べに来るよと、ヒナのほうが親鳥を脅迫するためだ」という考え方です。

 しかし、大きな声で鳴くと、キツネに発見される危険性が高まりますが、親鳥に忘れられる危険性は少ないでしょう。大きな声でなかないと給餌もされず、親鳥に死んだと見なされるかもしれません。つまり、ヒナは大きな声で鳴くか、小さな声で鳴くべきか、どちらかを選択しなければなりません。結果として、ヒナは大きな声を出しているのですから、たぶん、そのほうが生存率が高いのだと思われます。自然界では、いつも生存率の高い戦略が選択されるのではないでしょうか。

 従って、防御タイプは、大きな声で泣いて、親の関心を自分に引きつけているのであり、それで生存率を高めているタイプだと考えられます。そうなると、子どものほうでも、親への関心がいつまでも継続して、親のほうに意識を向けることになると思います。

 

48   256   コンプレックスについて     質問者()         2002/09/21


 タイプ1,2,6は、父親に対して複雑な感情を持ちやすいと書いてありました。そこで、思ったのですが、これらのタイプの方で、父親が何らかの理由で生まれつきいない方は、父親というものを知らずに育つわけですが、それでも複雑な感情を抱くのでしょうか? 知り合いで父親の存在を知らずに育った方がいて、その人のタイプはよく分かりませんが、その人がタイプ1,2,6であるのと、そうでないのでは、違いというものは出てくるのか? と思い、質問させていただきました。

回答者(りゅうとうまりこ)           勇さん、こんにちわ!    2002/09/22


 タイプ1・2・6の「父親コンプレックス」は、父に対して複雑な心理状態になりやすいタイプと、当会では解いています。 従って、生まれた時に、既に父親が死亡していたとしても、同様に複雑な心理状態になりやすい気質を持っていることに違いはありません。

 例えば、理想的な父親を持つ友人がいたら、羨やむかもしれません。実在の父がいないので、父に替わる人を探し出そうとするかもしれません。 第二の父を求めるかもしれません。
 また、自分が苦難に遭うと、「こんな時、父がいてくれたならなあ」と、父を思い出すかもしれません。父親が自殺などしていたら、 子どもを置いて死ぬなんて許せない、なぜ、子どものために頑張らなかったのかと、死んだ父に怒りをぶつけるかもしれません。

  父親が立派な事業をしており、途中で挫折していたなら、自分こそは、父の事業を受け継いで、父に成り代わって完成させようと考えるかもしれません。 死期が近づいていると知っていたのに、無計画に自分という子を産んで、辛い人生を歩ませる元々の原因を作ったのは、父親だと非難するかもしれません。

  あるいは、実在の父がいないために、憧憬が大きいとか、父親を美化するか、父的な役割というものに、こだわりがあり、わだかまりもあるかもしれません。 また、事実として、そんな方々と出会っており、さまざまに聞いています。

 人によって、また、精神状態によって、いろいろなのですが、そのような傾向を総称して、「父親コンプレックス」といい、 「父親に意識が向く」と分析しています。つまり、父親が生きていても、死んでいて顔も知らなくても、この3つのタイプは、 父親や父的な役割をする人への関心が高いのは同じなのです。また、その複雑度(コンブレックス度)は、人によって違いがあるため、 一様なものではありません。

 

49  255  エニアグラムとMBTIとの関連について   質問者(Loser)     2002/09/20


 お久しぶりです。覚えていらっしゃるでしょうか?以前何度か質問させていただいた者です。 丁寧に答えてくださって非常に感謝しています。最近、MBTIという、このサイトでも触れられているユングの考え出したタイプ論から派生した性格分類に関する本を読みました。 (自分が運転免許を取るときに受けさせられた性格診断テストが、どうやらこれだったらしいということで興味を持ちました)
 このMBTIにおける分類と、エニアグラムでの分類との関連について考えをお聞きしたいのです。というか、本当のところは、 そもそもこの二つは全く関係ないものなのかもしれませんが、それぞれ似たような分類の傾向があると思うのです (自分はエニアグラムにおいて分類されたそれぞれの性格を厳密に知っているわけではなく、それはMBTIにおけるそれも同じことなのですが、 「性格を分類するもの」という共通点がある以上その可能性は否めないのではないかという意味において)。
 詳しく言えば、外向-内向のことは説明がありましたが、感覚-直感、思考-情緒、決断-柔軟、の分類とエニアグラムとの関連に 関する考えもお聞きしたいと思っています。余談ですが、MBTIで分類された16パターンの内、内向-直感-情緒-柔軟のタイプは、 どうもエニアグラムにおけるタイプ4w5に、自分には思えて仕方がありません(どちらもその性格に関する記述を、多少読んだに 過ぎませんから断定などできませんが)。

(注・この頃は質問文は500字以内にという規定がありませんでした)

回答者(りゅうとうまりこ)  Loserさん、お久しぶり!   2002/09/21


 MBTI(マイヤーズ・ブリッグズのタイプ指標) についてはあまり知りません。ただ、MBTIを見ると、E(外向) I(内向) S(感覚) N(直感) T(思考) F(感情) P(認知)  J(判断)というように、各要素に分けています。そして、そのどれに優先性があるか見て、ある人はENFJ型といい、ある人はINFP型だとしています。 
 まず最初にユングの8類型があり、それをもとに幾つかの要素(=指標)を、後から組み合わせて、ENFJ型はAさんの型であるというものです。

 まず、「外向型」と「内向型」ですが、ユングの詳しい説明をかなり以前に読んでいますが、難解という面もありましたが、残念ながら全く理解できませんでした。ユング派の故・河合隼雄氏の著書も読んでいますが、そこでも理解不能で他の人たちに尋ねたこともあるほどです。むろん、うまく説明してくれる人と出会っていません。その他、「感覚型」などもそうで、何をもって「感覚型」となるのか、皆目見当もつきません。

 この理論は、現実の人間を見ずして作り上げた理論のように、私からは見えます。当会では、「性格はセットとしてある」とよく言いますが、 性格は、バラバラに割った幾つかの要素を、寄せ集めたものではありません。

 なお、身体を「五体」とも言いますから、5つの部分に切り離すとして、MBTIの型は、たとえるなら、五体を別々の人間の死体から取り寄せて、 1つの体に合成したフランケンシュタインのようなものだと思います。現実にはフランケンシュタインなど作れないので、これは、あまり良い「たとえ」 ではありません。しかし、体は1つの統合体であるように、心も1つの統合体なのであり、ホリスティックに捉えるべきものではないでしょうか。

 MBTIのENFJ型というものは、Aさんの性格を知りたい時に、 よく言い当てているのかもしれません。しかし、AさんのMBTIの型を知っても、ある状況に置かれた時に、Aさんがどのような行動を取るのか 予測できるのでしょうか。私には、その理論からは、生きている人間が全く見えて来ません。

 「生きている人間」を理解したいなら、別々の部分に切り離して考えられるものではありません。 そのような理論は、まさに「死んだ人間」を見て、「こんな性格だったね」と後から説明しているようなものではないでしょうか。

 従って、人間の性格を幾つかの要素に分けられるとは、とても考えられず、また、それを後から組み合わせても、一体、何が出て来る というのでしょうか? 「性格を分類するものという共通点がある」のは確かですが、それだけではないでしょうか。 エニアグラムと関連づけて説明できると言う方はいます。しかし、私はどうしても関連性を見つけられません。 

 当会は、「性格とは自己防衛戦略」だともいい、Aさんがタイプ8であるなら、危機的な状況ではリーダーとなって、仲間たちを指図して、 危険を回避させるか戦うだろうと予測できます。つまり、タイプ8を生きている人間として見ています。また、その本性が「お父さん的」で、 家族や仲間を外敵から守る意識の高い人だとまで説明できます。

 また、それ以外でも、いろいろと説明し続けています。果てなく続き、タイプ8の説明を完結させられません。このサイトも、まだまだ延々と続けられそうで、ネバーエンディングストーリーなのです。 また、そうでなくては、おかしいのではないでしょうか。

 一方、MBTIは、Aさんの性格をうまく説明できるというだけに過ぎません。言い当てているだけなのです。それで完結しており、 その先はありません。そして、行動を予測できないのならば、その型を知ったからと言って、現実の役に立つのでしょうか?
 
 ユングの類型は8つですから、エニアグラムに当て嵌めると、タイプ3に相当するタイプがないとリソ氏は言っています。つまり、 それは、8類型理論そのものが、「欠落している」のであり、「不完全なものだ」という証拠みたいなものだと思われるのです。 1つのタイプが足りないというのなら、根底から、類型の仕方を変えるか、または、根底から間違っていると見なければなりません。 タイプ3だけが、この世にいない人間になってしまいますからね。そんなバカなことはないはずです。1つのタイプが欠落しても、 「なんら問題がない」と考えて良いのでしょうか?

 リソ氏はユング理論だけでなく、フロイトやその他の性格類型とも関連づけることができると言っています。しかし、これは全くおかしな話です。
 真実は1つしかないのです。Aという理論は、人間性の真実を顕していると主張して、他人にまで説いているならば、Bという理論と一見似た部分があっても、 「Bは真実を顕していない! 」と主張するか、はたまた、「異質なもので関連づけられない」と主張しなければならないと思います。

 タイプ3という性格があり、タイプ3と名づけられた人間は実在するのですからね。それを認めているなら、その型の人が入っていない類型論は、 理論そのものが間違っていると見つけ出さねばならないはずです。
 
 当会では、ユング氏をタイプ4w5と判定しており、ナランホ氏も4w5で、彼は「性格と神経症」の著者ですが、荒唐無稽な偏向した考え方を平然と書き著しています。 立証されてもいないことを断定的に言うなどもあり、一度は読んで、それを確認して欲しいと思います。そして、リソ氏もタイプ4w5と判定しています。 3人は共通の傾向があります。難解で分かりにくい文を書く人たちという点において。

 タイプ4w5は、理論のための理論を作ることがあると見ています。人間を嫌い恐れる傾向があり、人間を理論的に把握して、整理分類などして、 安心感を得たいからではと考えざるを得ません。また、学問好きな人たちが多いので、どんなことも「学問化」させる傾向があると見ています。 HPや掲示板などでも、さまざまな難解な理屈を大量に「カキコ」しているタイプ4w5をいたるところで見ています。そのようなものを読むと、 極論するなら、空理空論とも言え、「理論作りごっこ」をしているかのようにさえ感じます。

 エニアグラムは、タイプ4に「現実を見よ!」と教えているのではないでしょうか。タイプ1は現実主義者であり、タイプ4の成長の方向にいる人たちです。

 最後に、ある性格理論を知ると、その理論の中から自分の性格を見つけたり探しだしてしまうのではないでしょうか。 占いも同様で、自分が無意識的に求めているものを見つけてしまうので、「あたっている」と感じるのだと思われますが。どうでしょうか? 

追加として。
 長年、講座などもして、タイプ判定を仕事にしてきましたが、「自分を全く知らない」という人たちばかりではないかと思います。エニアの正しいタイプを見つけられる人が、2割にも満たないという現状があります。他人のタイプについても、誤認するのが普通のことで、通信講座などでも、正解率は1〜4割くらいで、ゼロという方もいます。

 それほどですから、MBTI(マイヤーズ・ブリッグズのタイプ指標) は、どのように導き出したものなのか、そこが問題ではないでしょうか。自己申告であるならば、それらは本人の真の姿を映し出したものなのでしょうか。仮に、質問に答えた項目を集計して、或る人を「ENFJ型」だと機械的導き出して、それで自分のことがわかるようになるのでしょうか? かなり疑問です。

 ユングの8類型も、フロイトの類型も、心理学読本の最初のところで紹介はされるでしょうが、すでに非現実的なものになっています。実際のカウンセリングや治療の現場などで活用されていません。クレッチマーの三類型と同じ運命を辿るだろうと考えています。

回答に対する返事          Loserさんより     2002/09/27


 自分は、生きているたくさんの人間を綿密に観察しているわけではないので何ともいえませんが、竜頭さんのMBTIとエニアグラムについてのお考えはよくわかりました。ただ具体的には、例えばMBTIで直感型と感覚型に分類されている人間の特徴又は傾向の中の一部(物事を決める際に、前者は発想やインスピレーションを重視し、後者は過去の自分の経験から判断を下す、など)と、エニアグラムにおいて分類された人々の性格の傾向とで、かぶるものがあるかどうか、などということを聞きたかったのです(「私はどうしても関連性を見つけられません」とおっしゃているので、この段落は意味がないかもしれませんが)。 
 

再回答(りゅうとう)              Loserさんへ       2002/06/29


 質問の意味を少しだけ取り違えていたようですね。済みませんでした。ただ、「エニアグラムとMBTIは、 異質なもので関連づけられない」という回答は、間違っていないと考えています。
 しかし、部分的に分けて見るなら、ある部分は関連づけられるかもしれません。それでも、よく考えていただければ分かると思いますが、 部分に切り離して関連づけようとするなら、ほとんどの性格類型、性格分析と関連づけられるのではないでしょうか。

 さらに、タイプ4は「直感型」だと考える研究者がいるようで、リソ氏も「霊感を受けたり、直感的だ」と著書で述べています。しかし、 当会では、そのような特長がタイプ4に著しいとは考えられません。当会では、右脳型タイプ(2・3・4)がイメージ力があるため、直感的に なりやすいのではないかと思うのですが、それ以外の、タイプ1も、タイプ7もタイプ8も、結構、直感的に物事を判断する傾向があるようです。 また、意外に見られるかもしれませんが、タイプ6の人も、しばしば直感に頼る傾向があります。
そうなると、残りはタイプ5と9だけです。
 
 タイプ9が感覚型のように言われることがありますが、それが本能的な反応を意味するならば、行動タイプ(1・8・9)は、すべて感覚型になるはずではないでしょうか。感情タイプも、かなり感覚的な発言をしますし、感覚が明敏なように見受けられます。また、 当会では、防御タイプが、最も危険を察知する能力が細やかで早いと見ていますから、「感覚」も明敏であるように見えます。調和タイプも、 仲間集団の動向や気持ちなどに、感覚的に反応していると言えるかもしれません。そうなると、ここでは残りはタイプ5だけです。8つのタイプのうち、 どこが著しいのか、全く判断できません。

 そして、身近なタイプ5を見ると、事実を知らねばとか、どんなことでも知っておかねばならないという性格であることは良く分かりますが、 感覚も直感も他のタイプと比べて、とくに劣性とは見えません。タイプ5は、言語表現としては、感覚的とか感情的な言い方をあまりしないので、 かなり理性的な人に見えます。しかし、タイプ5でも賢いとはとても思えない人はかなり存在しており、そんな人は理性的には全く見えません。
表面的にだけ見ると、タイプ9によく似ており、感覚タイプのようにさえ見えます。

 また、感覚型を
「過去の自分の経験から判断を下す傾向が優先」 というならば、私は全タイプがそのようにしているはずだと考えます。どのタイプに優先か、全く見当もつきません。

 最も困ることなのですが、「感覚」と「直感」との違いがはっきりしないのです。感覚的には分かったような気がするのに、 全く分からないとも言えるのです。それを考えついた元祖のユングの著書を読んでも理解できず、今回、再読もしましたが、やはり同じで、 理解不能です。むろん、MBTIも、表面的に考えたり、あまり考えないようにするなら、分かるような気がしますが、実は、理解不能で困惑しているというのが、正直な感想です。

 最後に、「かぶるものがあるが、かぶらないものもあると考えられる」というのが、回答になると思います。そして、普通に考えても理解できず、 頭が混乱するような理論は、真実を指し示していないのではと疑っています。実際、私も、よく理解できてない時は、難解なことを書く傾向があるようです。しかし理解が進むと、分かりやすい説明ができるようになっているのではと思いますが。

 

50    110 精神病とタイプの関係    質問者(めぐる )    2001/11/16

 こんにちは。質問させていただきます。クレッチマーの3類型はご存知だと思います。粘着(癲癇)気質、循環(躁鬱)気質、分裂気質の3つですが、このうち、循環(癲癇)気質についてはよく判らないのですが、躁鬱気質と分裂気質は、それぞれ、タイプ2とタイプ4によく似ているように感じます。見当違いでしょうか。タイプ2やタイプ4が、躁鬱病や分裂病になりやすいということはあるのでしょうか。鬱病といえば、タイプ4がかかりやすそうではあるのですが。
回答者(りゅうとうまりこ)     めぐるさん、こんばんわ!     2001/11/17

 クレッチマーの三類型は有名ですが、それは「体型的類型」です。しかも、精神病患者を対象として調べており、発病前の性格観察から、人間の気質を三つに分けられると考えたようです。
 ですから、細長型の体格の人は、内閉型または分裂型気質の傾向があると見ました。肥満型の体格の人は、同調性気質または躁鬱性気質の傾向があり、闘士型の体格の人は、粘着性気質またはカンシャク(てんかん)性気質の傾向があると見たものです。

 細長型の分裂病者は、5233例あり、その病前性格は、非社交的・無口・敏感で鈍感・心に内と外があると書かれています。
 肥満型の躁鬱病者は、1361例あり、その病前性格は、社交的・融通が効く・ものにこだわらぬ・愉快な時と憂うつな時が周期的にくると書かれています。
 闘士型のてんかん病者は、1505例あり、その病前性格は、硬く几帳面・きれい好き・丁寧だが時として激怒する・義理がたいとありました。

 これで観るなら、細長型の分裂症型の性格は、エニアグラムならば、1・4・7・5・8・9が該当するかもしれません。肥満型の躁鬱症型の性格は、1w2・2・3・4・6・7・8・9まで入れたほうがよいでしょう。闘士型のてんかん症型の性格は、1・2w1・4・5w4・7・8w7・9w1ぐらいまで入りそうです。
 ですから、あなたの予想とは違います。そして、結果的に言うならば、この三類型で気質を分けるのは無理だと分かるはずです。

 なお、タイプ1の人に、細長型や肥満型、闘士型の体型の人がいることが分かっています。他のタイプも全て、この三体型があります。クレッチマーの三類型は、よく紹介されるものですが、たぶん、歴史の闇に埋もれていく運命にあるものと考えます。