特集シリーズ                             
                                   

 
   
適度な関心とこだわりを持とう 
   
……何事もバランスよく中庸が肝心……
  

 
人間は好奇心が強い動物だと言われています。また、人間はさ
まざまなことに関心や興味を持つので、自分を取り巻く世界を少
しずつ理解できるようになりました。地球の主(あるじ)のような
存在にまでのし上がったのは、好奇心の強さがあったからだと考
えることができます。

 また、一般的に関心を持つこと、好奇心が強いことは、かなり
良いことのように思われています。しかし、関心も度が過ぎれば、
なにがしかの弊害があるかもしれません。好奇心があり過ぎると、
思わぬ災難に遭うかもしれません。また、「過ぎたるは及ばざる
が如し」という諺もあります。
 そこで今回は、これまでに無い少し変わった視点から「関心」
という心の働きを取り上げようと思います。



1 初めは、ちょっとした興味 

 事の初めは、「興味」や「関心」と呼べるようなものだったの
かもしれません。好奇心の強い人ならさまざまなことに興味を向
けています。興味などまるで無かったのに、ヒョンなことから関
心を抱くようになった方もいるでしょう。

 また、ちょっとした興味から始まった事でも、関心が強まり出
すと、次第に自分なりの考え方をそこに投入します。いろいろと
工夫したり調べたり、それに関われば関わるほど、強く引きつけ
られるようになります。
 次に、関心の対象が固定化されるようになると、それはいつし
か「こだわり」と呼べるようなものなるでしょう。

 ところで、「興味がある」とか「関心がある」というだけなら
ば、「移り変わりやすいもの」ですが、「こだわる」ようになる
と、「あまり移り変わらないもの」と考えられます。対象に対し
て意識的な働きかけが多くなるほどに持続しやすいものです。

 そんな段階に入ると、こだわっていることを表現したくなり、
誰かに語りかけたくなるのではないでしょうか。「やってみると
面白くて、止められなくなりそうだ!」などと、親しい人に話す
のかもしれません。

 また、「こだわり」がもっと深くつき進むと、やがて、知らず
知らずにその事に「囚われ」やすくなります。他のことに気持ち
を振り替えることができにくくもなるでしょう。遂には、それだ
けしか眼を向けられず、妥協できにくく、柔軟性が無くなってし
まう可能性もあります。

 さて、このような一連の心の動きを、以下のように整理できま
す。

  
 
無関心→興味と関心→こだわり→固執→執拗→囚われ→コンプレックス

                                        
浅い←…………………………………………………………………→深い          
単純←………………………………………………………………→複雑

 
話題にしない→素直な表現→強い否定→支離滅裂→異様な反応→黙殺


2 次第に深くなり、複雑になる  
                          
 別の言い方に変えて説明を続けます。こだわり方も徹底してく
ると、いつしか、「固執」と呼べるような、硬いニュアンスが加
味されます。それでなくてはダメで認めないとか、自分だけでな
く他人にも強要したりする人がいます。例えば、「この薬が一番
に効くから、騙されたと思って飲みなさい」などです。 

  
 他人から見ても、「いろいろなことにこだわりのある人だなあ
!」という感想を抱く段階なら、周囲とのあつれきも無いでしょ
う。「お好きなように!」と言われるだけで弊害はありません。
しかし、固執してくると、周囲から見ても、それに縛られている
ような印象を受けます。

 従って、「固執」と「執拗」は似ており、続く「囚われ」もよ
く似たニュアンスがあると考えられます。それ以外には認めない
とか、その方法でないと納得できず、そうせねば気が済まなくな
るでしょう。縛られている紐があるなら、相当にきつく縛られて
いる感じがします。

 このような状態に入ると、周囲の人たちが批判したり、非難め
いたことを言いだすようになるので、当人は「強く否定」せずに
はいられません。そして、批判する人間を攻撃するかもしれませ
ん。物事に対して断定的となり、奇異な発言をする可能性も出て
きます。
        

                        
3 とうとう適度な状態ではなくなる

 さて、「囚われ」と「コンプレックス」とは近いものがあり、
何かに囚われていると、冷静な判断力が効きにくくなります。客
観的に見てもかなり執拗で異常であるとか、「もう少し別の方法
を取り入れても良いのでは?」と進言しても受け入れてくれませ
ん。

 ここまで来たら、ひがみっぽくもなり、「頑固」「頑迷」など
と、他人から言われるかもしれません。本人も、自分はどこか変
だ知っていたり、なぜかイライラとしますが、困ったことに、い
つも忘れられない状態になります。
   

 気持ちの整理がつかず、急に関係のない人にあたり散らすかも
知れません。こうしてかなり囚われてしまい、複雑な心理状態に
陥ってしまうのです。複雑な心理状態が長期間継続されるように
なれば、それは、まさに「コンプレックス」です。

      
 やがて、「支離滅裂」なことを言いだし、「異様な反応」をし
て、怒り方も激しくなります。あるいは憤怒しているとか、憎し
みやねたみが強くなり、相手を「黙殺」したい心理状態にもなる
かもしれません。話題にするのも不愉快で、口にしないようにな
る場合もあります。
 こうなると「無関心」な人と同じように話題にしないので、表面
的に見ていると区別できません。

          


4 素直な人と屈折した人
 
 さて、浅くて単純であれば、“素直な表現”をしていますが、
深くて複雑になれば、“素直な表現ができにくい”と言えます。
 このように見ていくと、何事にもいい加減になりやすく、アバ
ウトで、物事へのこだわりが少なければ、複雑な心理状態に陥る
ことは少ないだろうと考えられます。まさに素直な性格の人に見
えます。

 一方、素直さがどこにも見えず、何に対しても講釈が入り、そ
のとらえ方も斜めから見ていたり、辛辣で冷水を浴びせるような
ことばかり言う人がいます。この場合はかなり複雑な心理状態に
あることを表わしています。とかく屈折した表現をして、自分や
他人を受け入れることのできない精神状態になるでしょう。

 一般的には、素直な性格は良いことのように思われていますが、
しかし、それは一面ではどんなことにも淡々として、どうでもよ
いのだと、投げやりになる傾向があると考えることもできます。
このような人はコンプレックスとは無縁なのかもしれません。し
かし、人生や物事に深く関わらない、どこか底の浅い軽薄な人に
見える可能性があります。

 一方、こだわりが強く、執拗になって追求した人たちが、人類
に貢献するような発見や発明などをしていると考えられます。そ
うなると、執拗さも時に大切な性格要素ではないでしょうか。
 しかしながら、囚われが多すぎて、しつっこくて、さまざまな
ことに縛られて身動きできず、窒息しそうに苦しんでいる人もい
ます。そんな場合は、やはり囚われから解放される必要があるで
しょう。治療や休養が要るのかもしれません。
 

 
5 教育熱心か、ネグレクトか

 幼児を持つある母親が、子育てに自信が持てずに悩んでいまし
た。「息子が私の言うことを全く聞かず、よその子をいじめるの
で叱ることが多い」と訴えるのです。

 カウンセラーは、「その子の良いところを見て、ほめてあげる
ように」と助言したようです。母親は毎日のように、ほめられる
ことを探したと言います。なんと驚いたことに、母親は褒めた回
数を数えていたのです。「15日の月曜は8回、16日は9回、17日
は4回」と回数を記録していたのでした。

 これは「関心が異様である」ことを表わしています。彼女は、
関心を他の方に振り向け
られない心理状態になっています。
 幼児を持つ母親は、とかく関心を子どもに集中させます。しか
し、順調に育っていれば、関心が少しずつ低くなっていく傾向が
あります。しかし、当の母親は、子どもが順調に育っているよう
には見えないようで、しかも、自分の子育てに自信を持てず、カ
ウンセラーの助言を懸命にこなそうとするのでした。

 この母親のような状態になれば、関心が高いというよりは、も
はや「コンプレックス」と呼べるような状態だと言えるでしょう。
エニアグラムでみるなら、タイプ2の母親にしばしば起きるもの
です。しかし、他のタイプの母親もあり得ることです。夫や家族
の助けや支えが無いと、どのタイプの母親でも同様な状態になり
ます。

 現代はストレス社会ですから、子育ての不安が原因だとは限り
ませんが。母親たちは、子どもをキチンと育てなければならない
と、必死に自分を追い込みます。けれど、心の中では、子どもな
どいなくなって欲しいとか、病気になって死んで欲しいなどと、
過激なことさえ考え出してしまうのです。あまりにも苦しいため
に、そこから逃れられるならと、異様なことを考え出してしまう
のです。

 一方、生まれたばかりの我が子なのに「関心があまりに薄い」
と言えるような母親もいます。幼児は母親に関心を持ってもらわ
ねば、生きていかれない生き物ですから、これも度が過ぎれば異
様となります。順調に生育していく可能性は低くなるでしょう。

 事実、子どもに関心を向けず、ミルクさえも満足に与えず、放
置して子どもを死なせた母親が起訴された事件が幾つもあります。
このような育児放棄を「ネグレクト(拒否)」と言いますが、新聞
紙上を賑わしています。

 動物の中にも、子どもに全く関心を向けない親鳥がいたり、ス
トレスから、産まれたばかりの我子を食べてしまったトラもいま
す。

 これに関連した記事「シンデレラはタイプ3か7か」のアドレ
スです。ここと併せてお読み願えたならと思います。

 
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-201~/15-231.htm


6 まとめとして

 適度の関心を持てないことが、多くの悩みや困難を引き起し、さ
らには人命に関わるような大変な事件を起こしています。そんなこ
とを知れば、「関心の向け方」がバランスよく適切であることが、
いかに難しいか考えさせられることです。 

 さて、あなた自身は何に囚われているのか、何にきつく縛られて
苦しんでいるのでしょうか。あるいは、全てに対して関心が持てず、
人生に退屈しているのでしょうか。生きる意欲というものは、何か
に関心を持たなければ、無くなってしまいます。

 意欲的に生きるとは、「高い関心」を維持していくことだとも言
えるでしょう。しかし、それも適度さが必要で、深刻な状態に至ら
ないように保つ必要があるようです。