幹事クリタのコーカイ日誌1999

 
 11月13日 ● いつまで「王様」をこき使うのか?

 天皇即位10周年とかで式典が行われました。恐らくはなにも思想的な考えも持たず、単なるイベントのひとつとして参加したYOSHIKIやGLAYについてどうこう言う気も起きませんが(まあ今さらながら「ロックは死んだ」なんて言いたくありませんからね)、いつの間にか日の丸の掲揚が学校に当たり前の如く強制され、知らぬ間に記念硬貨まで発行され、「天皇陛下バンザイ」なんて叫んでいる善男善女が数多いるのが平成11年、2000年まで残り1ヶ月半、自自公政権の元で右傾化が激しい日本の現状です。

 ところで現在、王制をとっている国は世界で29ヶ国だそうです。200近い独立国がある地球上でわずか15%程度の国家しかもう「王様」はいないのです。完全なる世襲制で生まれた時から特別扱いされる貴重な一族を未だに「保護」している数少ない国家のひとつが日本だということです。

 僕は現在の天皇(今上天皇という言い方も好きではないです)に対して「よく頑張っているな」という感想を持っています。良くも悪くもカリスマ的存在だった父・昭和天皇に対する批判を鋭く理解し、決して日本が再び戦前のような好戦的国家にならぬように、また天皇がその象徴として利用されることのないように、彼なりにブレーキをかけようとする意志を発言の端々に感じるからです。

 しかし折に触れて感じられる現天皇のそうした努力を見るにつけ「21世紀に王様は必要ない」ということを僕は改めて思ってしまいます。確かに外交的儀礼上皇室があった方が便利なことが多いのはわかります。芸術や文化、また福祉などの分野においても皇族が参加することによる啓蒙推進的役割も大きいでしょう。メリット・デメリットを比較して論ずれば、皇室費に莫大な費用さえかけなければメリットの方が多いかも知れません。でも、問題は単にメリットが大きいか小さいかということではないのです。

 皇族に限らず現在の世界の王族は、ほとんどがみな基本的人権を著しく侵害されている被差別者です。日本のように憲法に定められていなくても、彼らは政治に一切口出しができない象徴的存在であり、職業選択の自由も居住の自由も移動の自由も結婚の自由も信教の自由も認められていません。行動も発言も全て細かくチェックされ規制されていて、政治や経済について発言することはおろか、恋愛ひとつままならず、好きなアイドルが誰か、良く見るテレビ番組が何かさえ言わせてもらえせん。基本的人権がここまで無視されている人々が世界中に未だに29家族もあるのです。

 彼らは誰も好きこのんで皇族・王族に生まれついたわけではありません。自ら「やめたい」と言ってもおいそれとは認めてもらえず、生涯を国家のために無償で捧げることを厳しく要求されるのです。いわば国家に利用されているだけの人生。一度しかない人生を、ここまで他人に決められて、敬う顔をしながら、実際にはこき使われている彼らが、本音では自分たちのことをどう考えているか聞いてみたいものです。

 古代や中世はもとより、近世ですらも遠く過ぎ去りました。時代はもう21世紀になろうとしているのです。なのにまだ制度として「王様」を残しておくべきかなのかどうか、彼らの人権についても論議をせずに放置しておいていいのか、僕には甚だ疑問です。せめて自分で選んだ道なら、いくら辛くても納得できるでしょう。天皇制を残すなら(と言うか、現在の日本の状況で天皇制廃止なんて可能性は1%も無さそうですからね)少なくとも若いうちにどこかで一度は、皇族として生きていくか、それとも皇族をやめて普通の人間として生きていくかを選択させてみてもいいかも知れません。

 「王様」という名の奴隷をこき使うしたたかな国家とその民。「民主」国家に「君主」がいる矛盾は、実は「君従制」だったと考えれば理解できます。でもそろそろ彼らを解放してあげてはどうでしょう?「王族解放宣言」をする21世紀のリンカーンは、当分現れそうにもありませんが。

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