幹事クリタのコーカイ日誌1999

 
 12月10日 ● 傷つくのは若者の特権?

 幹事をやっていると、いろいろと腹の立つことも多くあります。基本的に人の世話をするのが幹事なのですから、その苦労に対して感謝されるどころか逆に裏切られるような目に遭うたびにガックリと落ち込んだり傷ついたりという経験を何度もしてきました。

 ただ若い頃に比べて、最近は同じ様な目に遭っても立ち直りが随分早くなってきました。「前にもあったことだ」「まあしょうーがないや」「人は人」という風に、経験を積んだことによって、心にガードをかけるのが上手になってきたのでしょう。ちょっとくらい傷ついても、いつまでもその傷口を眺めたりいじくったりしていないで、さっさと絆創膏を貼って忘れるようになりました。

 ただ、これは単に年を取って、デリカシーがなくなり鈍感になってきたから傷つかなくなったということだけでもありません。いや、もちろんそういう面もあることは間違いないのですが、それとは別に「傷つく」という行為に対する照れや恥ずかしさというものを感じるようになったからです。

 「傷ついた」という言葉の甘ったるいニュアンス。それに40才近い男としては恥ずかしくなってしまうのです。いい年して「ボク傷つきました」なんて、なに甘ったれたことを言ってるんだよ、って感じですよね。もうそんな子どもみたいなことは言ってられないという自覚があるからこそ、余計に「傷つく」ことができにくくなっているのだと思います。

 よくweb日記でも「あなたの文章に傷つきました」なんてメールを送ってくる人がいるということですが、僕のサイトにも時々そういうニュアンスの抗議をしてくる人がいます。まあ傷つけたなら申し訳ないな、と少しは思わないでもないですが、自分に明らかに非があるのならともかく、大抵の場合は「なに甘えたことを言ってるんだ」なんて感じてしまいます。

 それとともに、良くも悪くも「傷ついた」と言える人は、自分の若さ(精神的なものも含めて)に疑問を感じていない人なんだろうな、と思います。大人にとって「傷つく」ことが未熟の証だとすれば、逆にそれは「若者の特権」であるとも考えられます。ただまあ、傷ついたからと言って、あまり得なことはないですから、やはり早めに大人になってちょっとやそっとじゃ全然傷つかない生き方の方が暮らしやすいとは思いますけどね。

 
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