金曜日の朝、突然支社長に呼ばれて「４月１日付けで東京本社勤務、業務命令だから」と言われてしまい顔面蒼白。いま満喫している名古屋での生活が全て崩壊すると考えると倒れそうなほどショックです。こんな時は知恵袋に相談するしかありません。慌てて昼休みに電話。「ちょっとお茶飲まない、クリタさん？」。そう、東京転勤を告知されたのは、今では僕と同業他社に勤務するＭっちゃんでした。

　Ｍっちゃんが東京転勤をほのめかされたのはもう随分前のことです。東京から来た支社長は調子の良いＭっちゃんのことを気に入っていて、自分が東京に戻る時にはぜひ名古屋から連れて行こうと決めているよう。さらに東京の局長にも紹介されて彼にも気に入られてしまったのですから、すっかりＭっちゃんの東京行きは既定路線と言って良いでしょう。

　ただＭっちゃん本人はいたってお気楽で「まだまだ大丈夫だよ」とのんびりしていました。「いざとなったらオヤジが脳梗塞だから東京に行けないって言うから」なんて。でもＭっちゃんはこの１年ほとんど仕事をしていません。２人しかいない制作部門なのに、もう１人の人に仕事は集中していてＭっちゃんは毎日ブラブラしているだけ。それはいつでも東京に異動できるように身軽にしておこうという支社長の考えだったのですが、それにも気づかずに極楽トンボを決め込んでいたＭっちゃんは大慌てです。

　Ｍっちゃんはいま両親の家の離れに住んでいます。家賃はおろか光熱費も払っておらず完全にパラサイト状態。子どもはいないし奥さんは働いているので、自分の給料はほぼ小遣い状態。以前にマンションを高値で売り払った貯金があるので老後の資金も何千万円単位で持っています。もちろん両親が亡くなれば母屋も含めてＭっちゃんのものです。人生の三大支出と言われる「教育費」「住宅ローン」「老後資金」のひとつも考えなくて良いというのですから本当に恵まれた人生です。

　仕事が暇なので楽しみは先日拾ってきた子猫と遊ぶことと、ずっと付き合っているバツイチ子持ちの「雌豹」というあだ名の女性。とにかく日本中の４６才男性を１００万人集めてきても、きっと上位１００人に入るくらいハッピーな生活を送っています。

　しかし、それも東京転勤になってしまったら全ては崩壊してしまいます。子猫と雌豹とはお別れ。単身赴任になるにしても奥さんと一緒に行くにしても家賃光熱費は当然払わなくてはいけませんし、生活費も高いので今のように遊びにお金は使えません。仕事は間違いなくハードになるので残業と休日勤務の毎日でヘラヘラ遊んでいることはできないでしょう。パラダイスは終わってしまうのです。

　唯一Ｍっちゃんが東京転勤に「１０％の期待」をしているのは「東京にはキレイな女の子がいるかも」ということだけで、しかし、お金もないハゲで小太りの冴えない既婚中年男性に引っかかるキレイな東京の女の子はまずいないことでしょう。期待するだけムダです。

　Ｍっちゃんに残された道は諦めて東京に行くか、退社覚悟で転勤を断るかの二者択一。一応「３年から５年」という期限付きの転勤条件らしいのですが、そんな約束が当てにならないことなどサラリーマンを経験した人なら誰でもわかります。ましていま名古屋で唯一味方の支社長が東京に戻ってしまったら、名古屋にはＭっちゃんが戻ってくる場所はなくなってしまうのです。東京行きは片道切符だと覚悟した方が良いでしょう。

　転勤を断るのはもちろん大変です。「業務命令」と最初に釘を刺されてしまいましたから、父親の病気程度では転勤撤回は無理でしょう。同居している母親も奥さんもいるのですから、Ｍっちゃんが看病する必要はありません。単身赴任すれば済むことです。それでも断るということはクビか、正社員から派遣か契約社員への降格、良くても左遷でしょう。唯一の味方である支社長の顔を潰すのですから、もはや会社に居場所はないと考えた方が良いでしょう。

　もっとも、Ｍっちゃんは会社を辞めたところで、実際には前述のように住むところもあるのだし奥さんも働いているのですから生活に困ることはないのですけどね。失業保険を貰いながら新しい職場を探すかフリーランスになれば良いのです。僕としては東京転勤になって新しいＭっちゃん伝説ができるのも楽しいし、このまま名古屋に居座ってくれても楽しいし、どちらでも構わないんですけどね。

　金曜日夜にＭっちゃんが僕にかけてきた電話では「やっぱりオヤジを病気にして転勤を断ろうと思うんだよね」ということでした。「クビになる覚悟をして転勤を断った方がいいよ」とアドバイスしておきました。変に虫の良い答を期待して転勤を断ったら支社長を怒らせるだけですから。どういう結論が下されるのかわかりませんが、続報にご期待ください。