1998年12月下旬のコーカイ日誌



  ●TBSの30時間生放送。(98/12/31)
 年末のつまらないスペシャル番組が続く中、なんとTBSは30日夜から大晦日夜まで年越し30時間生放送を始めました。日本テレビの24時間、フジテレビの27時間に対抗するための30時間ということになったんだと思いますが、日本テレビの嘘臭いヒューマニズムでも、フジテレビのお気楽な低俗さでもないTBSらしいカラーがどこまで打ち出せるのか注目しています。まあ夏の日テレ、フジに対してこの年末という時期に持ってきたというあたりはなかなか良いと思います。おせち料理作りに忙しい主婦はともかく、里帰りしているような人は基本的にのんびりとテレビを見ていることでしょうからね。

 で、問題はその中身ですが、とりあえず30日のゴールデンタイムは過去のTBS番組視聴率TOP200という、過去映像再利用のありがち企画でした。合間に『ザ・ベストテン』や『8時だよ!全員集合』の特集こそ組んでいましたが、生放送ということもあって、とにかく時間内に収めていくのに汲々としていた感じでした。しかもメイン司会者が日テレ出身の福留功男。TBSの番組を振り返るなら、せめて自分の局出身のアナを起用できないものでしょうか。

 そして、その後の深夜から早朝にかけての番組が「20世紀クイズ王決定戦」。この深夜から早朝にかけて何を流すのか、というのは、その局らしさが出ると思うのですが、フジテレビは毎年もの凄く下らない下ネタ連発のいかにも深夜らしい企画を出してくるのに、TBSは生でクイズ番組。かつて「ウルトラクイズ」や「史上最強のクイズ王決定戦」などの番組でクイズブームというのが一瞬あったのですが、その頃の企画を再び持ち出してきたという印象ですが、果たして小難しいクイズを深夜のだるい頭で見続ける人はどれだけいることでしょうか。どうもつくづく外しているなぁ、TBSは。

 31日は人気番組の焼き直しスペシャルとレコード大賞、そして最後に「20世紀・日本が震えた日」という、またも過去の映像再利用番組。全く紅白に対抗しようという意気込みが感じられない編成です。いくら30時間生放送と言っても、ただ特番をつなぐだけでイベント性もないし、企画にも斬新さがありません。ダメなTBSを象徴しているようで、これでは来年もとても期待できません。
年賀状は出しましたか。(98/12/30)
 ようやく年賀状を全て出しました。多分元旦には届くと思いますが、例年この忙しい年の瀬に慌ただしく年賀状を書かなければならないのは本当は大変な不合理だと思います。本来なら年賀状はのんびりと正月に書くべきものなのです。いつの間にやら郵便局の「年賀状はお早めに」キャンペーンに乗せられてしまって、日本中が元旦に届かなくてはならないと思ってしまっていますがね。

 しかもあれだけの紙資源を単なる虚礼(じゃない場合もありますが、流通量のかなりの部分が虚礼ですよね)に使うというのも、このご時世にどうかなと思います。近年電子年賀状がかなりの勢いで伸びているということですが、まだまだハガキに比べればその流通量には月とスッポンくらいの違いがあります。資源問題を考えても検索性・保存性(複写の容易さも含めて)を考えても電子年賀状の方に理があるような気がしつつ、僕自身、やはりどうせ貰うならハガキの年賀状の方がいいなと思ってしまいますしね。

 年賀状の一番良いところは、年賀状だけで友人とつながっていられるということです。学生時代の友人とはほとんどが年賀状のやり取りだけですが、それでも毎年1枚のハガキが来るだけで安心できますし、いつまでもあの頃のままの関係でいられるような気がします。僕の場合、一番古い友人は小学校3年生(初めて年賀状を出した時です)の頃から年賀状をやり取りしている女友達がいます。すでに30年近い年賀状交換の歴史があり、未だにお互い1回も欠かしたことがありません。しかし最後に会ったのは大学生の時ですから、もう15年以上前です。この10数年の間にお互い結婚し子どもが生まれ、住むところも移り変わりましたが、その経緯は全て年賀状だけで知っています。彼女とは年賀状がなければ、とっくに縁が切れていたことでしょう。年賀状をやり取りしているだけで、ずっと友達でいられるのですから、決して悪い習慣ではありません。

 ところで先日なにかで読んだのですが、60才になったら、そうやって長年年賀状をやり取りしている相手にまとめて年賀状を返す、という話がありました。確かに自分が過去に出してきた年賀状というのは、自分自身を雄弁に語る歴史です。40年、50年分の年賀状を見せられたらとても懐かしいでしょうね。もっとも毎年判で押したような変わり映えのしない印刷だけの年賀状を出していたら、それを返して貰っても全然嬉しくないでしょうけどね。もっともそんな年賀状、相手も残しておいてくれないかも知れませんが。
歌謡曲全盛期は日本の全盛期か。(98/12/29)
 28日の昼下がり、NHK衛星第2で「思い出の紅白歌合戦」というタイトルで、昭和49年の紅白歌合戦を完全放送していました。まあ古い映画やドラマを再放送するようなものかも知れませんが、古い歌番組を完全再放送というのはあまり聞いたことがありません。

 昭和49年と言うと僕は中学2年生。その頃は毎年紅白は欠かさずに見ていたなぁと思いながらチャンネルを合わせましたが、最初から懐かしさに目を見張るような素晴らしい内容でした。司会は白組山川静夫アナ、紅組は佐良直美。白組のトップバッターは初出場西城秀樹『傷だらけのローラ』、紅組はこれも初出場山口百恵『ひと夏の経験』。そう、この昭和49年の紅白で初めて新御三家と高一トリオが全員揃ったのです。

 この後もアグネスチャンが歌う時にはバックで踊っていたのが、天地真理や南沙織(彼女が意外に小柄なのは再発見でした)。小柳ルミ子も含めた三人娘も健在です。合間のコントにドリフターズ(もう志村けんが入っていました)や三波伸介が出てくるし、コントにブルース・リーネタが使われたりと、本当に懐かしの70年代大爆発です。

 ビックリしたのは紅組出場者によるラインダンス。なんとあの山口百恵が足を丸出し!後年では考えられない貴重な映像です。貴重と言えば、小坂明子『あなた』や殿様キングス『なみだの操』、海援隊『母に捧げるバラード』などの一発屋組も貴重な映像。もちろん紅白の顔である三波春夫や村田英雄、美川憲一、森進一、五木ひろし、島倉千代子、和田アキ子、由紀さおりらも揃っていて(そうそう、まだザ・ピーナッツも引退前です)、とにかくバラエティ豊かな顔触れによる豪華な紅白でした。NHKが敢えてこの昭和49年を選んだ意図が実によくわかります。この頃の歌謡曲は、本当に広く大衆のための流行歌でした。昭和を代表する最も華やかな紅白がこの昭和49年だったのでしょう。

 さらに考えればこの昭和49年はドルショック、オイルショック後とは言え、まだまだ日本経済は元気に成長を続けている時でした。光化学スモッグなど公害問題も顕在化しており、田中角栄の列島改造論、長嶋茂雄の引退と戦後を象徴するような人物が渦中にあった時期でもありました。昭和も50年代に入ると、いろいろ先行きにも不安感が漂うようになりましたから、日本が一番無邪気に元気だったのがこの頃だったのかも知れません。

 29日の午後には昭和63年の紅白を再放送する予定のようです。こちらはまだ10年前。NHKがどうしてこの年を選んだのか。一週間後には平成になるという昭和最後の紅白歌合戦に何が見えるのか、ちょっと僕は期待しています。
モチベーションが勝負を分ける。(98/12/28)
 サッカー天皇杯準決勝、残念ながら名古屋グランパスエイトは延長戦の果てに清水エスパルスに敗れてしまいました。1点リードされていた後半、福田・ストイコビッチに加えて野口に小倉まで投入した4トップ(?)の超攻撃的布陣で1点のビハインドを跳ね返したところまでは良かったのですが、やはり延長ともなると攻守のバランスが崩れたままでは持ちこたえられませんでした。天皇杯はここ2年連続で初戦敗退でしたから、ベスト4まで進んだのならグランパスとしては、まあまあと言うところでしょう。

 もう一方の準決勝は優勝候補筆頭の鹿島アントラーズがこの天皇杯限りで消滅する横浜フリューゲルスに敗れてしまいました。本来の実力を考えればこれは波乱なんですが、ことこの天皇杯に限って言えば横浜フリューゲルスはダントツの優勝候補と言ってもいいでしょう。なにせこれで最後ですから、選手もサポーターも気迫が全然違います。ある意味、優勝疲れ(?)しているアントラーズとでは勝負になりません。

 精神論だけでは勝てないのがスポーツですが、メンタル面が大きく勝負を左右することもまた事実。今のフリューゲルスの鬼気迫る戦いぶりは、日本のスポーツ史に残るほどのものだと思います。泣いても笑ってもチーム最後の試合となる元旦の決勝戦はもっと凄いことになるでしょうから、エスパルスもかなりやりにくいことでしょう。なにせエスパルス自身、1年前は存続問題で揺れた球団です。救われたチームと救われなかったチーム。なんとも皮肉な決勝戦になってしまいました。

 さて、社会人・大学・高校ラグビーも始まりましたし、高校バスケも大詰め。高校サッカーや箱根駅伝なども含め年末年始はスポーツファンにとって楽しみなゲームがいっぱいです。テニスでなかなか勝てない自分のメンタル面での見直しも含めて、気持ちが分ける勝負の綾みたいなものを中心に、今年は注目して見ていきたいと思っています。なにせスポーツ中継はつまらないおせち番組よりは数倍面白いですから。
今年もテニス納め。(98/12/27)
 我々のテニスサークルも発足から丸13年。昨日で今年のスケジュールを終え、後は忘年会を残すのみです。昨年もこの時期にテニス納めのことを書きましたが、今年は昨年以上に盛況で大いにテニスを楽しめた1年でした。昨年は数字の上で全て新記録の1年でしたが、今年はその昨年の記録をさらに上回りました。練習回数35回→49回、参加者実数55人→63人、延べ参加人数500人→715人、最高参加者数19人→23人、平均参加者数14.3人→14.6人。まさに年間通じて飽くことなくテニスをし続けてきたという印象です。

 しかも単にたくさんのメンバーでたくさんテニスをしたというだけではなく、他のサークルとの親睦がさらに深まったのが今年の特徴でした。他サークルとの交流試合はなんと13回。月1回以上のペースです。お陰でいろんなサークルの方と知り合うことができ、その縁で大会などにも幾度か出場、さらに幅広い交流が生まれました。サークル内だけでテニスをしているとマンネリになりがちなのですが、こうして他のサークルとテニスをすると、いろいろな刺激を受けることができます。それがまたサークル活動にフィードバックされるので、よりサークルが活性化していったという印象でした。

 多くのサークルと交流が生まれることで感じたのは、テニス仲間が爆発的に増えたことです。サークル内でメンバーが増えていくのには限りがあります。しかし、他のサークルと知り合うと一気にテニス仲間が倍増したような感じで、5つのサークルと交流が生まれれば5倍にも増えた気がします。スタンドアローンのパソコンがパソコン通信ネットや社内LANなどにつながった状態がサークル内交流だとすれば、そのネットワーク同士が結ばれるインターネットこそがサークル間交流でした。来年も早々からサークルの垣根を超えてテニスを楽しむ機会がすでに用意されています。ますます発展していく1999年。うーん、仕事もこんな調子で発展していけば明るいんだけどなぁ。
フリーウェイは50年後?(98/12/26)
 なんでも国は(正確には国土開発幹線自動車道建設審議会というものらしいですが)高速道路13路線221kmを基本計画から着工を前提とした整備計画に昇格させることに決めたそうです。また建設相は道路公団に対し28区間588kmの着工を指示したとか。両方合わせて事業費はなんと10兆6千億円。なんでいきなり高速道路の建設を急がせたのかと言えば、もちろん景気回復のため。公共事業にガンガン金を使って何とかしようということなんですが、それにしても10兆円とは大盤振る舞いです。もちろん高速道路が整備されるのは、その地方に住む人にとっても、また企業にとっても便利になることですから、決していけないことだとは言えませんが、ただ他の公共事業と違ってちょっとこれには問題があります。

 ご存知のように日本の高速道路はバカ高い通行料を取ります。本来「フリーウェイ」(無料道路)であるはずの高速道路ですが、日本の場合は使用者負担で事業費を償還していく方式を取っているために、あらかじめ建設後30年間とかは通行料を払わなければならないことになっていました。しかし名神高速ができてすでに35年。とっくに償還期間を過ぎているはずなのに、未だに高い通行料を取られるのは、次から次へと作られる新しい高速道路の事業費まで負担させられているからです。しかも最も需要の見込める東名・名神高速道路の上がりで、あまり儲からない地方の自動車道の事業費を賄う方式のため、通行料は値上げこそすれ安くなる気配なんてかけらもありません。最近では償還期間(=有料期間)も40年と長く設定されていて、当分タダになんてするもんか、という気配さえ感じられていました。

 しかし、余りにもこの通行料の高額さに非難を浴びていたため(だけかどうかはわかりませんが)、最近は儲からない田舎の自動車道は建設に待ったをかけられていました。ところが今回、かなり多くの不採算路線が新たに整備計画に昇格してきたのです。これまでは日本列島の背骨にあたる路線の建設を進めていたのが、今回は東北横断道、中国横断道、四国横断道など、あばら骨にあたるような路線が中心です。当然、東京や大阪など大都市に向かう路線よりも儲からないことは明白。そこで今回、とうとう償還期間は50年にまで延長されてしまいました。半世紀にわたる償還期間なんて、それは道路の寿命が先に来てしまうのではないか、というようなふざけた話です。

 いくら景気回復のために公共事業に金をつぎ込もうとは言っても、今回のような後々に禍根を残すようなものにまで金を使うのはやめて欲しいと思います。作ったところでいつもガラガラの高速道路のために、東名・名神を利用している多くの人がバカ高い通行料を払い続けなければならないのですから納得いきません。それに思い切って最初から通行料など無料にした方が、観光や物流などにいろいろと経済波及効果があって景気回復にも効果的かも知れませんよね。そういう思い切った逆転の発想はお役人にはないのかなぁ。
『眠れる森』に怒りモリモリ。(98/12/25)
 なんなんだぁー!と思わず叫びたくなるような『眠れる森』最終話でした。あまりに単純、あまりに安直、あまりにいい加減。いくつも張ったはずの伏線は伏線でもなんでもなく、単なる2時間サスペンスドラマ並みの結末。これではせっかくのイブの夜、デートもせずに家に帰った多くの独身男女に怒られますよ。まあミステリーではなく単にキムタクとミポリンのドラマとして見ているなら、結構映像も音楽も凝っていたので良かったのかも知れませんがね。

 まず腹立たしいのは仲村トオルの犯行の杜撰さ。彼が真犯人というのは、すでにタイトルバックの映像から随分前に予想されていたことでした。この「コーカイ日誌」でも11月27日にそのタイトルバック説を書いています。もちろんこんなことは第3話あたりですでに予測がついたことです。そう思わせておいて実は仲村トオルの犯行にはもっと複雑な裏がある、例えば単独犯ではなく仲村・岡田・原田親子3人共謀説のような複数犯説でなくては話は面白くありません。だからこそ先週12月18日の「コーカイ日誌」で、あえて複数犯であることに期待を寄せたのに、このざまです。

 しかも動機が動機です。単に親友の恋人に横恋慕しただけで一家3人を惨殺しますか?そりゃ現実にはそういうこともあるかも知れませんよ。でもサスペンスでそれはないでしょう。しかも仲村トオルの当日のアリバイである岡田真澄の証言も、実にいい加減でした。酔っぱらって帰ってきたら息子がいた、なんて、そんないい加減なアリバイでいいんでしょうか?そもそも偶然に頼っているだけで、全然アリバイ工作にもなにもなっていないじゃないですか。動機も単純、アリバイ工作もいい加減。これだけのサスペンスの犯人としてはお粗末過ぎます。どこが完全犯罪なんだか。笑ってしまいます。

 さらに腹立たしいのは数々の伏線(と思われたこと)のほとんどが、そのまま手つかずで終わってしまったことです。岡田真澄が絵に描き入れる十字架はなんなのか?失踪した原田美枝子の不可解な行動の数々は?そもそも原田美枝子はなんで失踪したのか?どうしてあの日にたまたま死亡宣言がされたのか?揃いも揃って蘭の花が好きだった原田美枝子、夏八木勲の妻、中山美穂の関係は?川で溺れ死んだ中山美穂の幼なじみの少年の本当の死因は?陣内孝則はどうして出所してすぐに仲村トオルではなく中山美穂の行方を探したのか?「クリスマスプレゼントは何が良い?」という電話の意味は?本上まなみはどうして仲村トオルではなく岡田真澄に会いに行こうとしたのか?「俺たちの隠れ家で待っている」というユースケのダイイングメッセージの意味は?

 これらの伏線があったからこそ12月4日には原田美枝子犯人説まで考えたのに、全く見当外れになってしまいました。伏線が伏線ではなく単なる攪乱でしかなかったからです。これらの謎が全部きちんと最終話で結びついて綺麗に謎解きしてくれると期待していたからこそ、何回もここで取り上げて推理もしていたのに、こんな単純な結末ではガックリです。ラストの木村拓哉が死んだのかどうなのかなんてことはどうでもいいです。この手はもう『高校教師』の二番煎じだし、そもそも『あしたのジョー』が元ネタですから。それよりも今までばらまいた全部の謎をきっちりとクリアにして欲しいなぁ、マジで。最後の最後でミソをつけた『眠れる森』。これならやはり10月31日に書いたように王道の恋愛ドラマの方が視聴率も取れて良かったんじゃないのかなぁ。最初に書いたように、ミステリーじゃなければ良いドラマだったんだからさ。。。でもミステリーなんだろ!
メガネは顔の一部、なんだけど。(98/12/24)
 最近メガネを替えました。ここ数年、ずっと茶色の丸いセルフレームのメガネをかけていたのですが、さすがに古くなってきたのと飽きてきたので、今ちょっと流行っている中田っぽい細いフレームにしました。セルからメタル(色は茶というか銅色ですが)にしたし、レンズもガラスからプラスチックにしたので、随分と重量が軽くなって結構かけ心地は良くなりましたし、見た目にもシャープになったと思います。

 ただ問題は僕があまりにもメガネが似合うせいか(なにせ小学1年の時からメガネをかけているので顔がメガネ顔になっているようです)、メガネを替えても周りのほとんどの人が気づいてくれないのです。メガネ自体は前のと比べて意図的に差が出るようなものを選んだにも関わらず、ようやく2、3人の女性が気づいてくれたくらいです。「メガネは顔の一部です」というコピーがあるくらい、メガネというのは顔の真ん中にあって顔の印象を左右するツールのはずなのですが、それでもこんなに気づかれないというのはどういうことでしょう?

 実は今年のゴールデンウィークに僕は口髭を生やしました。生やし始めた時はみんな「また生やすの?」(昔3年ほどヒゲをたくわえていたことがありましたから)と聞いてくれたのですが、その後1ヶ月ほどで剃ってしまった時は、結局誰も気づいてくれませんでした。本当に妻でさえ気づかなかったくらい、誰も気づいてくれなかったのです。今回のメガネも同じで、どうやら人は自分が思っているほどには人の顔なんか見ちゃいないようです。自分の顔に最も興味があるのは自分である、ということです。そう言えばうちの妻はヒゲだけではなくメガネも気づきませんでした。うーん、これは興味と言うよりも愛情の問題かも知れませんが。
ドラマをコンテンツ化するフジテレビ。(98/12/23)
 風邪引いて何もできないし、寝ているのも飽きてきたので仕方なくドラマをずっと見ていました。フジテレビ系列では22日夜7時から『踊る大捜査線』のスペシャルを、そして10時からは『ソムリエ』の最終回スペシャルを放映しました。

 ともに人気ドラマなのでご覧になった方も多いでしょうが、『ソムリエ』は90分スペシャルにも関わらず、延長した分はほとんどが今までの総集編。『踊る大捜査線』に至っては、最初30分間がずっと総集編でした。一度使ったネタでまた商売しようというフジテレビらしい阿漕さがよく出ていた2本でしたが、特に『踊る大捜査線』は、番組自体が秋のスペシャル完璧版という名の通り、一度秋に放映したスペシャル版をまた少し新しい部分を取り直しただけの焼き直しですから、もう同じネタで何回も美味しい思いをしようという究極の番組です。しかもきっちりと劇場用映画の宣伝も入れて、一体どこまで儲ける気かと呆れるほどです。

 現在放送界は地上波デジタル放送時代を間近に控え、各局ともコンテンツの確保に必死です。ヴェルディ川崎から読売新聞社が手を引き日本テレビに渡したのも、単にナベツネの川淵嫌いというだけではなく、日本テレビならサッカーもコンテンツのひとつとして持っている意味があるからです。フジテレビも最近唯一好調なドラマ群を定番化して自社コンテンツとして確保し商売にしていこうという意図が明確です。今まで現代劇としては『北の国から』くらいしかなかった定番ドラマが、今や『踊る大捜査線』を完全に定番化しましたし、恐らく今年大ヒットした『ショムニ』『GTO』も同じように定番化してくると思います。本当は『古畑任三郎』あたりもそうしたいのでしょうが、三谷幸喜が飽きちゃって書いてくれないのかも知れません(あ、でも正月に特番やるのか)。

 定番化するドラマというのはロンバケ、ラブジェネのような恋愛ドラマは向きませんし、『眠れる森』のようなサスペンスも難しいでしょう(キムタクのドラマばかりだなぁ)。やはり一話完結にしやすい刑事物や教師物が一番。今後もフジテレビのドラマからこの路線は切れることなく登場すると思います。ま、面白ければいいんですけどね、視聴者としては。ただあまりに長々と総集編を見せられるのだけはちょっとうんざりですが。
トイレから離れられない。(98/12/22)
 胃腸風邪にやられてしまいました。21日夕方からダウンしてずっとトイレに籠もりっきり。吐き気と下痢でヘロヘロです。丸一日近く飲まず食わずを続けていたら、アッという間に顎はとがるし腹はへっこむしで、またもや「風邪で速効ダイエット」を実現してしまったようです。とりあえず出すものを全部出してしまえば、後は徐々に体力の回復を待つしかないのでしょうが、この公私ともに忙しい時にいまいましいことです。

 この「コーカイ日誌」を書いているくらい元気があるなら会社に行けそうなもんですが、なにせトイレから15分も離れているのが不安なトイレ依存症。それにそもそも歩くとまだフラフラしていますし、やはり歩いて地下鉄乗って駅で乗り換えて、なんて難関を越えられそうにありません。今日はもう少し元気が出てきたらメールとファックスで在宅勤務しようかなぁ。はぁ、ヘロヘロ。
競争は楽しい時もあるけれど。(98/12/21)
 先月に続いてまたテニスサークル対抗の団体戦に出場しました。先月は準優勝したチームに予選ブロックで1勝3敗(4試合勝負です)で負けて決勝トーナメントに進めなかったため、今回こそはと思って臨んだのですが、結果はやはり準優勝したチームに予選で1勝3敗で負けてしまいました。全く進歩がないどころか、試合内容はむしろ悪くなっていたような気がします。

 もちろんいろいろ言い訳はいろいろありますが、試合後のお茶の席で話していたのは、結局まだまだその程度の実力なんだろうと言うことでした。いわゆる力不足です。ただ試合というのは、真剣にやっているだけにいろいろと反省点も見えてきますし、なにより今度こそ、という思いを新たにするあたりが良いですね。優勝しない限りはどこかで負けるわけですし、負ければやはり悔しいからもっと練習をしようと思います。普段の練習だけではマンネリになりがちなところを、試合に出ることで刺激が生まれ目標も設定できます。ここのところ良く試合に出るようになったので、我々のテニスサークルの実力も全体には随分と伸びてきたように思います。負けちゃいますけどね。

 スポーツに限らずこうした競争心が発展につながるというのが資本主義の大原則でしょう。ただ一定のルールに則ったスポーツですら、競争心が良い方向に向かわないとプロ野球のスパイ疑惑のような歪んだ結果をみせることがあります。いわんや食うか食われるかの経済競争では、本当に正しい発展につながっているのかどうか難しいところがあると思います。また教育現場で過度の競争を煽り立てることによって、子どもたちのストレスを増大させていることも間違いありません。運動会のかけっこで順位をつけないなどという行き過ぎた平等主義も、逆に偏差値で全て輪切りにされる受験制度の裏返しでしかありません。ある意味、競争至上主義がまかり通っている現代で、本当に人間は競争しないと発展できないものなのかどうかを誰かもう一度検証してみて欲しいものです。楽しい競争ならいいけれど、辛く苦しいだけの競争がなんだか世の中多過ぎはしないでしょうかね。


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