1998年11月下旬のコーカイ日誌



  恒例冬の新ドラマ予測。(98/11/30)
 さていよいよ師走が近づいてきましたが、ここで秋のドラマがクライマックスを迎える前に、早くも1月からスタートする冬の新ドラマの大予測です。まず目立つのはこの冬もマンガが原作のドラマ。今や原作の取り合いとなっているのでは、と思われるほどですが、本宮ひろ志『サラリーマン金太郎』がついに連ドラ化されます。東芝日曜劇場枠(TBS系日曜夜9時)というのはちょっと意外でした。てっきりフジの火曜10時あたりかと思ったのに。バレーボールもドラマも総コケのTBS、キャストも高橋克典、津川雅彦、野際陽子とフジなら4番手以下の脇役ばかりで固めてきました。原作人気だけ。期待薄です。

 さて、そのフジですが、最近不調の月9の『Over Times』は北川「ロンバケ」悦吏子脚本で江角&反町という堅い線できました。さらに脇に木村佳乃、石田ゆり子、椎名桔平と主演級がズラリ。よっぽど下手なことしない限りは25%はいくでしょうね。フジがこの枠を復活させようという意気込みが感じられます。日本テレビ系の月曜10時は中森明菜『ボーダー 犯罪心理捜査ファイル』。筒井道隆、根津甚八、佐藤仁美と脇役はくせ者が揃いましたが、果たして明菜がどうかですね。これでこけると明菜のタレント生命にも関わってくるかも。

 20本もある連ドラをこうして全部予測していくわけにもいかないので、思い切って端折って期待度が大きいものをピックアップすると、これが実は特にないんですねぇ。たいてい冬のドラマというのは春の改編に向けて大物俳優も脚本家も休養している端境期だけに、小粒なものが多いんです。思わずこのキャストなら、この脚本家なら見てみようというドラマがありません。ジャニーズ事務所をみても、この秋はSMAPとV6のクールだっただけに、冬はTOKIOとKinKi Kidsのクールなんですよね。やはりSMAPと比べるとTOKIOじゃ弱いです。

 そんな中、強いて面白そうなのを探せばフジ木曜10時『リング』(柳葉敏郎、長瀬智也、黒木瞳)と日テレ水曜10時『夜逃げ屋本舗』(中村雅俊、篠原ともえ、国分太一)というヒット映画のテレビ化作品。ともにある意味定番というか安心して見られるというところが強みです。またフジ火曜9時『救急病棟24時』は日本版『ER』だとか。江口洋介、松嶋奈々子、須藤理彩というキャストがちょっと弱いですが、この枠だけに期待をしてしまいます。後は日テレ土曜9時『リフレイン』が、堂本剛、遠藤久美子でSFエンターテイメントだそうですから、これはお得意の路線でしょう。脇に佐野史郎、内藤剛志というあたりもいいです。

 さて、この端境期ドラマ群の中から、どれがヒットするか?まあ視聴率的には月9でしょうが、どれか思わぬ伏兵がヒットしてくれないかと思います。意外とフジ水曜10時『お水の花道』(財前直美、上川隆也、一色紗英)あたりがマンガ原作職業ものコメディーということで、最近のドラマのトレンドにのっかっているから良いかもね。僕的には大穴です。
重苦しい自殺。(98/11/29)
 自殺に明るいも暗いもないかも知れませんが、それにしてもオリックスのスカウト三輪田氏の自殺は後に重苦しいものを残しました。自殺の理由など結局本人にしかわからないものですが(もしかしたら本人にすらわかっていないこともあるでしょう)、残された人たちにしてみればやり切れない重荷を背負わされたようなものです。特にまだ高校生の新垣くんにしてみれば、言うまでもなくこの事件はショックに違いありません。恐らく心ない人々が新垣くんにあらぬ中傷を投げかけることでしょう。自分が自殺に追い込んだなどと思いこまなければ良いのですが、それにしたってまとまな神経をしていればかなり堪えるはずです。あえて死者にむち打つようですが、そんな風に彼を追い込んでしまうことがわかっているのに自殺してしまった三輪田氏こそ思慮が足りない(自殺する人間に思慮深さを求めること自体矛盾していますが)と非難されるべきだと僕は思います。

 そしてこんな悲劇をひき起こしてしまったのも、やはり現行のドラフト制度自体の矛盾が大きいからです。そもそものドラフトの目的である「戦力均等」「契約金高騰防止」というのは逆指名制度導入以降完全に無意味になっています。抜け穴だらけで中途半端な現行ドラフト制度は、無意味なだけではなく悪影響すら及ぼしています。思い切ってドラフト制度自体を廃止するか、アメリカ大リーグのような方式に戻すか、はっきりとしたどちらかの道を採るべきでしょう。

 それにしても日本のプロスポーツに与えたナベツネの罪は大きいですね。ドラフト制度を始めプロ野球のいろいろなルールをジャイアンツに有利なように改悪していったのもナベツネですし、Jリーグ選手の年棒を無理矢理高騰させて各チームの経営を悪化させたのもナベツネです。横綱審議会で好き放題言っているくらいは大目に見るとしても、日本の3大プロスポーツでナベツネにここまで好き放題やらせているというのはなんなのでしょう?そもそも報道機関がスポーツチームを持つべきではないと思います。マスコミもいくらネタになりやすいからって、ちょっと彼の発言を取り上げ過ぎじゃないでしょうかね。どうせなら三輪田氏が自殺したのもナベツネのせいくらい言ってもいいんじゃないの?少なくとも新垣くんのせいではないからね。うーん、でもやっぱりいい年こいて自殺した三輪田氏が悪いな。自殺は自分自身への殺人だから、人のせいにしちゃいけない、いけない。
ドリームキャストいかがでしたか?(98/11/28)
 CM的には今年最高のヒット(?)かも知れない湯川専務のドリームキャストが発売されました。なんと本物のパッケージにまででかでかと湯川専務の顔をプリントしてある大胆さも、あえて新聞半5段という小スペースでの「自粛広告」も大いに笑わせてもらいましたが、とは言えゲーム機は結局ソフトが勝負。いくらハイパフォーマンスを誇ってみても、それで喜ぶのはほんの一握りのマニアだけでしょう。キラーソフトが少ないセガだけに、今後の展開には厳しいものを感じます。

 かく言う僕は、インターネットにはまって以来、すっかりゲームの世界から遠ざかってしまいました。スペースインベーダー以前、ブロック崩し、いや風船割り(正式名称はなんと言うのかな)の頃からのゲームフリークだったのも今は昔、子どもが熱中している「ポケモンスタジアム」を横目に見ているだけで、自分でゲームしようとは思いません。今回64版の「ゼルダの伝説」にはちょっと心が動きましたが、かなり時間がかかりそうなのを考えると、果たして遊び切れるかどうかと思って躊躇してしまいます。こんなことを計算すること自体、もはやゲームに対してかつての情熱を持っていない証拠。これをオトナになったと考えるべきか、遊び心の減退と嘆くべきかはわかりませんが。

 最後に遊んだゲームは家庭用ゲーム機では「ドラクエ6」、パソコンでは「信長の野望 将星録」。ともに随分熱中しましたが、それでもかつての「ドラクエ」や「信長の野望」ほどに面白かったとは感じませんでした。もちろん僕が飽きてしまったということもありますが、もはやゲームソフト界には本当に新しいゲームシステムの発見がないことも大きな要因でしょう。なんだかんだと言っても、16ビット化以降、ハードのハイパフォーマンス化競争だけが喧伝され、真に新しいゲームは結局登場しませんでした。確かにドリームキャストは凄いのかも知れませんが、そういう意味でもゲーム界自体を本当に活性化できるほどのものかどうか、僕にはちょっと疑問です。
真田広之も陣内孝則も暴れましたね。(98/11/27)
 この秋の2大ドラマ『タブロイド』と『眠れる森』がいよいよ核心に入ってきました。今週、冤罪でシャバに出てきたと思われた2人(真田&陣内)が、ともに激しく殴る蹴るの乱暴狼藉を働いて「おいおい、やっぱり悪人か?」という印象を視聴者に与えています。まあどちらも一筋縄ではいかないドラマだけに、最終回に向けてもう1回くらい(『眠れる森』はもう3回くらい?)なにか大きなどんでん返しがありそうです。

 『タブロイド』は真田広之がやはり青島ビンゴ事件の真犯人で間違いないでしょう。残る問題は動機だけですね。死んだ娘が絡んでいることは確かですが、芸能人になりたい女性をお偉いさんに斡旋していたビンゴや、佐藤浩市と因縁深そうな悪徳政治家との関係がまだわかりません。それと一度は冤罪ということでキャンペーンを張った夕刊トップの責任問題、それに常磐貴子の恋愛問題はどうなるのか?

 『眠れる森』はいよいよ陣内孝則が動き出しました。木村拓哉を拉致したのは、恐らく陣内の目的を知っていると判断しての脅迫でしょうね。中山美穂の父親は木村拓哉の動揺ぶりと中山美穂に別れを告げたところから、夏八木勲で間違いないところでしょう。一家惨殺事件の犯人も夏八木か?中山美穂は実の娘であるために殺せなかったが、かと言って姿を思い出されては困るので、木村拓哉にも偽の記憶を埋め込んで中山美穂を15年間見張らせた、という可能性も大きいですね。木村拓哉は夏八木勲の本当の子どもはではなく、施設から引き取って偽の記憶を埋め込まれたんですね。

 で、陣内の目的は一体誰か?やはり夏八木勲かなぁ。わからないのは原田美枝子ですね。あのクリスマスの日に失踪宣言でしょ?犯罪になんらかのカタチで絡んでいることは確かだよなぁ。どうして中山美穂と仲村トオルの関係を邪魔しようとするのか?それとユースケ・サンタマリアがまた怪しいですよね。こいつは木村拓哉の見張り役かな?本上まなみは、ここでいったん木村拓哉に優しくされて舞い上がっているところを殺されてしまうんじゃないかと睨んでいます。ユースケ・サンタマリアも仲村トオルも、みんな死んでしまいそう。

 タイトルバックで推理すると、黒い服を着ている仲村トオルが怪しくて、白い服の木村拓哉と中山美穂は純白、白い服の上に黒い服を着ている陣内は冤罪と思っていました。しかし、服の色よりも、本上まなみは倒れるし、仲村トオルも倒れるから、あれは死んでいくという象徴なのかと思います。ユースケは飛び降りているよなぁ。そうそう、木村拓哉と中山美穂はタイトルバックではすれ違いですよね?となると、中山美穂も死んじゃうのかな?

 いずれにしてもまだ残り4回もあります。この時点で夏八木勲が犯人か、と思わせといて、実はもう一ひねりありそうな気もしますね。ここまで引っ張られると最後まで見ざるをえません。クリスマスイブにはデートするよりも『眠れる森』を見ると言って早々と家に帰る人も多いかもねぇ。
少子化が生んだ日本漫画学会。(98/11/26)
 京都精華大学では2000年春に「マンガ学科」と「日本漫画学会」の設立を計画しているそうです。これまでにも京都精華大には美術学部デザイン学科内に「マンガコース」があるのですが、これを芸術学部マンガ学科として独立させ、現在の一コマ、四コマ中心の研究から、ストーリーマンガやアニメ制作まで広くテーマに取り入れていくそうです。さらに並行して「日本漫画学会」も設立し、マンガ家のみならず経済学者、文化学者らにも参加を呼びかけるとか。

 僕も「マンガ時評」というページまで作っている人間だけに、マンガに関してはかなり高い関心を持っています。ですから今まで日本の大学にきちんとマンガを研究するところがなかったことの方がおかしいと思いますので、この京都精華大の計画には大賛成です。なにせマンガはこれだけの大きな文化に成長しているにも関わらず、学問の世界ではこれまでずっと無視され続けてきたのも同然なのですから、今回の計画は遅すぎたくらいです。

 日本のマンガは世界的に見ても特殊であり、またその高度さ緻密さにおいても他に類をみません。と言うよりも、日本のマンガ文化はすでにアメリカやヨーロッパのコミックとは次元の違う段階まで発展しており、もし比較検討するなら文学や映画と同列に並べるべきものだと僕は考えています。「日本漫画学会」がきちんとそのあたりを理解した上で研究分析し、世界に向けて発信していってくれれば、かつての有害マンガ論争のような低次元な議論は起こりにくくなることでしょう。

 ちょっと心配しているのは、この計画が結局大学の生き残りのための目玉企画になっていることです。少子化時代に向けて今どこの大学でも生き残り競争が激化しています。京都精華大にとっては、その目玉がマンガなわけです。これはこれで仕方ないことでしょう。ただ、だからと言って、マンガ好きを集めて安易なマンガ家養成講座のようなものにしてもらっては困ります。もちろん卒業生の中から優れたプロのマンガ家が結果的に輩出するのは構わないのですが、あくまでもマンガ描きではなくマンガ読みの専門教育がポイントだと思います。良い批評が良い作品を育てるのです。現代文学や映画・演劇を研究するのと同じことなのですから。そして京都精華大で成功すれば、有名私大、さらには国立大学でもマンガ学をコースに取り入れるかも知れません。東京芸大もしくは東大文学部あたりが頂点になって、日本全国、いや世界中にマンガ学のすそ野が広がる日が待ち遠しいです。うーん、その時は僕もどこかの大学が講師として読んでくれないかなぁ。思いっきり語っちゃうのに。
会社生活42年。(98/11/25)
 昨晩は今月で定年退職する会社の大先輩M津さんの送別会がありました。僕は幹事としていろいろバタバタ走り回っていたので、ゆっくりお話をするチャンスもなかったのですが、このM津さん、18才で入社して以来広告制作一筋に42年だそうです。それを聞いて「うーん」と思わず唸ってしまいました。42年。とんでもなく長い時間ですよね。

 僕は会社に入って16年目です。気がつけば若手と呼ばれた日は遠く過ぎ去り、いつの間にやら中堅扱い。もし60才の定年の日まで会社にいるとしても、すでに折り返し地点が見えてきています。最近自分より若い連中と仕事をすることに慣れていたので、すっかりお尻も重くなって、気分的にも疲れた感じがするのですが(態度がでかいのは新入社員以来変わらないとのことですが)、42年目のM津さんを見ていると、16年目くらいで落ち着いていていいんだろうか、と改めて考えてしまいました。

 山好きのM津さんは、定年後はネパールに行ってボランティア活動をすることを考えているそうです。還暦を過ぎてからネパールでボランティア!まだ30代の僕が疲れてくたびれて溜息をついているのに、この行動力と若さの差はなんなんでしょう?会社生活、サラリーマン生活というのは、自分のエネルギーや人生を切り売りしているようなものだと考えがちですが、どうやら本当に上手に会社で生きていくには、それじゃあダメみたいですね。逆に会社からエネルギーを吸い取っていくくらいのしぶとさが必要なようです。会社生活42年のキャリアから何かを学んだ気がした送別会でした。
テニスサークルのサミット。(98/11/24)
 愛知テニスメーリングリストが主催するオープン大会が東山公園テニスセンターで開かれました。この大会は公的な機関・団体や企業は一切関与していない、まさに愛知県(一部岐阜県も含む)のテニス好きが集まって開いた手作り大会ですが、10サークル12チーム約100名が集合した、ある意味名古屋圏のテニスサークルのサミットのような集まりでした。

 学生主体のサークルがあれば、ご夫婦で参加している熟年カップルが中心のサークルもあります。テニス歴も年齢も職業も収入も社会的地位もさまざまな100人。勝ち負けよりも、普段はいろんな場所で活動している各サークル、各人が一堂に会して1日テニスを楽しんだというところに意味があります。もちろんテニスの強弱はプレーヤーとしてはこだわるところですし、その白黒をつけるのが大会なのですが、所詮誰もサンプラスに勝てるわけでもヒンギスに勝てるわけでもありません。立場や年齢を超えて一緒にテニスというスポーツを楽しみ、テニスを通じての人間関係を築いていくことの方が、はるかに趣味のテニスとしては大事なことだと僕は考えていますし、多分そう考えている人たちが今回の大会に集まったのだと思います。

 よく考えるとこれはインターネット(パソコン通信も含む)での交流に近いものがあります。お互いの立場や年齢に関係なく気楽な交流ができるネットワーク。これこそパソコンがもたらした一種のユートピアでした。そしてこのオープン大会も、メーリングリストとインターネットのWWWがあって始めて成立した大会であったことを思うと、テニスとパソコンネットワークの幸せな果実を我々は享受したということでしょう。

 しかし、勝ち負けを超えたところに意味があるとは言っても、負けて悔しいのもまた事実です。実際今回はサークルとしてはベストメンバーを揃えながら、競り負けてしまいました。強豪と戦って競り合えるようになったとも考えられますが、やはり競り合った時に頭ひとつ抜け出して勝てるかどうかが、本当の実力でしょう。まあ負けて覚える相撲かな、という言葉がありますが、テニスも負けて覚えていくしかないですね。そもそも弱いから勝って覚えたくても無理だしね。
F1相撲・琴錦の優勝と初場所展望。(98/11/23)
 7年前に琴錦が優勝した時は23才。次の大関は間違いなしと思われたものです。しかしその後、何度も好成績を残して三賞を獲得し三役を維持するものの、結局大関には上がれずに若手の台頭に押されるように平幕へと陥落していきました。先場所など幕内下位で取りながらも星が上がらず、このまま引退か、と囁かれ始めた矢先の今場所の快進撃。ベテランの活躍はベテランも若手も刺激しますから、これで少しは大相撲が活性化するといいと思います。

 それにしても今場所の上位陣は不甲斐ない成績でした。貴乃花12勝、武蔵丸11勝も合格点ギリギリですが、若乃花9勝、貴ノ浪8勝は、二子山部屋であることを考えると負け越しと同等くらいの情けない成績です。ただ今場所の場合は、上位陣が単に不甲斐ないというよりも、彼らを追う三役、平幕上位陣が実力をつけて迫ってきているという印象が強かったと思います。

 前半活躍した魁皇は結局8勝に終わりましたが、大関候補一番手の千代大海10勝、同じく大関候補のライバル栃東も10勝、出島が9勝。またちょっと前の大関候補である武双山9勝、琴乃若10勝、そして土佐の海が12勝。これに8勝の玉春日と安芸乃島、怪我で最後に休んでしまったために7勝にとどまった若の里、そして優勝した14勝の琴錦。来場所これらの力士が幕内上位にズラリと揃うのですから、横綱大関陣にはかなりきつい取組が続くことでしょう。特に若乃花は故障も抱えていることもあり、来場所も不調が続くようだと早くも引退という声が聞こえてくることになるかも知れません。

 最後に協会に文句をつけたいのが、琴錦と土佐の海の快進撃のあおりを受けて貴乃花と千代大海、若乃花と琴乃若の取組を組み損なったこと。横綱と関脇・小結の取組がないなんて、やっぱりそれはまずいでしょう。琴錦と土佐の海を横綱大関にあてはじめたのは12日目から。いくらなんでも遅すぎます。中日を過ぎて幕内下位に好成績の力士がいたら上位との対決を組むべきでしょう。千代大海は大関候補筆頭です。横綱との取組がなくて10勝を上げてもね、ということになってしまいますよ。
小沢一郎は筋を通す政治家ではなかったのか。(98/11/22)
 自民党と自由党の「自自連立」について、「やっぱりやったか」という気はしましたが、それでも小沢一郎に託した最後の期待を裏切られた思いがします。自民党が政権維持のためならどんな無節操なことでもやるというのは、社会党と連立した村山政権樹立時からわかっていたことですから、今さら驚きもしません。しかし、そんな自民党に見切りをつけて、新しい筋を通す保守党を目指していたのが小沢一郎ではなかったのでしょうか?

 確かに彼の政治手法の強引さには辟易させられるものも多く、好きか嫌いかと言われれば僕も決して好きではないのですが、ただひとつ、小沢一郎という強面の政治家の正論を曲げない信念の強さだけは、凡百の政治屋とは違うという認識を持っていました。新進党を解体して自由党を作ったときも、その純粋さを目指す志を貴重だと思いましたし、それゆえ先頃の参院選でも意外に健闘できたのでは、と考えていました。

 しかし、ここで小沢一郎が自民党と手を結ぶことは、彼が野合だと批判した「自社さ連立」と同じく、ただ自民党=小渕政権の延命に手を貸すだけにしかならないと思います。全くこれまでの小沢の主張と矛盾しますし、とどのつまりは自由党は自民党に取り込まれて存在意義を失い、小沢はさきがけ・武村の二の舞になりかねません。もちろん小沢には小沢なりの目論見も計算もあるのでしょう。内側から揺さぶることで自民党を変えていこうということなのもかも知れませんが、果たしてあの「ぬえ」のような自民党がそう簡単に変えられるでしょうか。結局単なる「自民党小沢派」の旗揚げに終わるのでは、という気がします。

 ともあれ自自連立によって、政権の枠組みがスッキリすることだけは確かです。保守は自自、リベラル野党は民主党、最左翼の共産党、そしてキャスチングボートを握る公明党という図式です。最近どんどんイメージダウンしている民主党ですが、この自自連立をきっかけにもう一度イメージを浮上させることができるチャンスが巡ってきました。愛人騒動など下らないことをやっていないで、政策で勝負して欲しいものです。
「分かる授業」の思い出。(98/11/21)
 昨日の「コーカイ日誌」で文部省が発表した新学習指導要領について取り上げ、「分かる授業」というのは「興味を持てる授業」であることだと書きました。そう書いているうちに僕は、昔実際に自分が受けた「興味が持てる=分かる」授業を思い出したのです。

 高校生の時、当時「物理1」と言っていた物理の初級の授業がありました。僕はガキの頃からの純文系人間ですから、物理なんて聞いただけで最初から裸足で逃げ出したくなるほどの抵抗感がありました。しかし、この時教えてくれた川田先生は、普通ならもちろん使うであろう物理の教科書を1年間ついに一度たりとも僕たちに開かせずに、僕のような人間にも楽しく物理の初歩を学ばせてくれたのです。

 川田先生の授業は毎回物理実験室で行われました。必ず先生が自ら作ったプリンとで授業は進められます。その日のテーマについて、例えば加速度とか重力の法則とかドップラー効果とかについて、グループに分かれて実験をさせ、それで得られたデータを基にして先生のプリントで物理法則を確認するのです。毎回わいわいとグループで実験してデータを取って、それで得られた数値が実際の法則に合致していた時の喜びと驚き。もちろん先生の指導法が上手だったからでしょうが、僕たちには本当に生きた授業でした。単なる数字と英文字の羅列にしか見えない物理の法則が、実験を実際にしてみることで文系人間の頭にも具体的なイメージを結ぶことができたのです。

 毎回プリントを作って実験を指導するよりも、教科書を読んでいる方が教師はずっと楽でしょう。でもその手間暇を川田先生がかけてくれたお陰で、僕は文系であるにも関わらず物理だけは得意科目となり、5教科7科目という膨大な負担を強いられた共通一次試験(僕たちは第1期生でした)でも、物理は満点を取ることができました。化学はボロボロだっただけに、つくづく川田先生のお陰だと感謝しています。

 そして、試験の点数だけではなく、物理という学問自体に抵抗感を持たずにすんだことも僕は大変ありがたいと思っています。試験の点数が取れる授業よりも、その学問が好きになる授業というのが真のあるべき姿でしょうから。「分かる授業」というのは決して「薄っぺらな授業」ではないことを、文部省にも現場の教師にも、もう一度考えて欲しいなと思っています。


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