幹事クリタのコーカイ日誌2013

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7月3日 ● カバーソングは古典落語。

 昨夜の『火曜曲』でカバーソング特集をやっていました。昨年12月にも「カバーアルバムブーム」で詳しく書いたように、僕には昨今の音楽界のカバーブームは「ヒット曲の知名度に寄っかかって売れない歌手を楽に売る」ためのものが多すぎると思います。カバーは一般に知られていない隠れた名曲を発掘してこそだろうと思うわけで、誰もが知っている有名曲をあえてカバーしても大抵の場合オリジナルを超えることはないからです。

 ただ昨日いろいろなカバー曲を聴いていて思ったのは、このままカバーブームが定着していくと、日本の音楽界はそのうち落語のようになっていくのではないかということ。つまりカバーは古典落語と同じで、江戸時代からあるような古いネタをいろいろな落語家がそれぞれの味付けでやるように、定番曲を若手や中堅や名人が歌って「年を取って味が出てきたね」とか「まだまだ青いな」とか言いながら聴くものになるんじゃないかと。

 中には「新作命」なんて思ってオリジナルを作って聴かせるアーティストもいるわけですが、そっちの方が珍しくなってきたり、「新作もいいけどやっぱり古典をちゃんと勉強しなきゃ」なんてうるさがたの古いファンから言われたりしちゃうわけです。

 「川の流れのように」とか「島唄」なんてのは「大ネタ」扱いで真打ちしか歌っちゃいけないとか、駆け出しは「時代」とか「赤いスィートピー」や「夏色」を歌うもんだ、とか。ようやく「M」を歌えるくらいに出世したんだね、めでてぇやみたいな。

 いや、まあ冗談ですけど、なんかカバーソングを駆け出しの新人も売れなくなったベテランもみんなが争うように出しているのを見ると、本当に「時そば」でも「長屋の花見」でも「目黒のさんま」でもやってやがれと思ってしまいます。



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