幹事クリタのコーカイ日誌2013

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7月4日 ● 父の気持ち。

 今日は9年前に死んだ父の誕生日。今になって突然思い出しました。父は74才で死にましたから生きていれば今年で83才ですが、まあ死んだ親の年を数えても仕方ないので、そうではなくて、父が今の僕と同じ年の時はどうしていたかなと思いました。

 父が52才の時には僕は22才。新入社員でした。1年目の6月末まで東京で研修を受けていて、7月に名古屋に赴任。と言っても実家に帰ってきただけですけど。さすがにこんな僕でも一応は新人らしく緊張しながら毎日出社していた頃でしたが、当時の父の思い出とか会話とか、さっぱり記憶にありません。

 逆に会社の先輩や上司との会話は結構覚えていて、ランチをご馳走してくれたり、飲みに連れていってもらったり、もちろん仕事を教えてもらったりしながら、それなりに楽しく過ごしていました。実家は田舎で当時終電がやけに早くて、飲みに行っても11時前には栄を出ないと終電に間に合いませんでした。結構頻繁に終電を逃していたので、これは早く実家を出て便利なところで一人暮らしをせねばと考えていました。

 ただその話を父にした記憶がありません。母にはそういう話をした記憶があるのですが、なぜ父には話さなかったのかと言うと、単に会話が少なかったというだけではなく、僕が家を出ると父が寂しがるだろうなというのが何となく感じていたからです。

 僕の父は恥ずかしがり屋の寂しがり屋だったので、口に出して言うことはほとんどありませんでしたが、そう思うことはわかっていました。父とは反対の男勝りの性格でさっぱりした気性の母は、出ていくなら出ていけばという態度でしたから、結局ギリギリまで父だけには言わずに、いきなり新入社員の年の12月に家を出て一人暮らしを始めました。

 まあまだその頃は弟が高校生で家にいたので良かったですが、弟が金沢の大学に進学して家を出てからは父は相当寂しかったようです。もちろんその頃は自分のことで手一杯ですし、父の気持ちなど一切考慮しませんでしたが、父が死んで9年経ってようやく最近、当時の父の心境を思いやれるようになりました。遅すぎると言えば遅すぎますが、ただ自分が今度は子どもたちに巣立っていかれる番であることを考えて、当時の父のように寂しくても何も言わないでおこうとは思っています。



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