幹事クリタのコーカイ日誌2011

[ 前日翌日最新今月 ]


 
8月17日 ● ネットはもう隠れ里ではない。

 最近ツイッターでの安易な発言を発端とした騒ぎが多いです。昨日も「まんべくん」だか何だかの中の人が問題を起こしたようです。なにせそもそもが「つぶやき」ですから、「ランチなう」みたいなどうでも良いことでも気楽に書けるのが良さだったわけで、その延長線上で安易な発言をしてしまうのもわからないではありません。

 ただ「ランチなう」のような、情報としてほぼ無価値だけど毒にも害にもならない言葉なら良いのですが、普通なら言葉には出さないような内に秘めた毒を吐き出したり、相手を選んで喋るような偏った意見や不謹慎なジョーク、犯罪的行為の告白、また仕事上の機密情報を、ついつい「つぶやき」だからと勘違いしてツイッターに書き込むのは、今やかなり危うい行為になってしまいました。

 僕がツイッターを始めた2年前はユーザー数もせいぜい100万人程度で、周りの大半の人は「なにそれ?」状態でしたから、本当に自由につぶやくことができました。あまりにみんなツイッターを知らないので、周囲の友人に「ツイッターやりなよ」と伝道して少しずつ仲間を増やしていきましたが、その途中で「これは自分で自分を縛っているな」と気付きました。フォロワーにたくさん知人がいることがわかっていると、もう何でも自由に書くことはできません。この「コーカイ日誌」と同レベルの機密保持意識が必要になってきました。そう、ブログ以前のweb日記や個人サイトも昔はもっとフリーダムだったのに。

 未だにツイッターは便所の落書きだと思って書いている人、また行きつけの飲み屋での愚痴と同じレベルでつぶやいている人は、実はこれが電車の中で大声で叫んでいるのと同じだと言うことにそろそろ気付いた方が良いと思います。ツイッターはそれくらいパブリックな場所だし、その上どんどん転載されて自分では管理できないところにまで広がっていってしまいます。本当に書いても良いことなのか、誰が読んでも問題ないことなのか、それをよくよく考えてからつぶやかないと、いつどこで火の手が上がるかもわかりません。

 ネットはかつて「世間」からの隠れ里のような時代がありました。しかし、今では世間そのものです。パソコン通信時代からネット界に居座っていたオヤジにとっては、次々と隠れていたユートピアを発見されていくようで残念で仕方ありませんが、そうなることを願ったのもまた自分たちなのです。




twitterでもつぶやいています@kanjikurita

gooブログでも読めます「幹事クリタのコーカイブログ」