幹事クリタのコーカイ日誌2009

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9月27日 ● 伊勢湾台風50年&山口百恵。

 1959年(昭和34年)9月26日夜、東海地方を未曾有の台風が襲いました。名古屋では満潮と重なって4m近い高潮となり、名古屋南部一帯が海となりました。5000人以上の死者を出したこの台風は「伊勢湾台風」と名付けられ、未だに東海地方に住む人々の記憶に刻み込まれています。

 と言っても、すでに50年前の話。僕だって生まれていません。もっともうちの両親はかなりの被害に遭っているので、子どもの頃に繰り返し伊勢湾台風の話は聞かされました。この時、両親はちょうど結婚式を挙げる1週間前。父は新居となる名古屋市港区のアパートを借りて家財道具を揃えてすでに住み始めていましたが、この台風で当然のごとく床上浸水。せっかく揃えた家財道具はダメになり、むしろ父が流されもせず無事だったことが奇跡だったくらいでした。

 母は小牧市の実家の寺にいましたが、強風で寺の本堂が倒壊。母たちは倒れる寸前に身一つで逃げ出したので命だけは無事だったのですが、こちらも家財を失ってしまいました。祖父はこの台風をきっかけに小牧の寺を廃寺として三重県に移ります。この時、両親のどちらかが死んでいたら、僕は生まれてなかったわけですから、本当に2人ともぎりぎりのところで助かったから良かった、という話を何度も聞かされてきました。

 両親は結婚式を1ヶ月延ばし、港区のアパートに住み始めましたが、この台風の記憶が生々しかったのか、僕が生まれて1年経つ前に小牧市に引っ越しました。港区に住んでいたのはわずか2年半くらいのことです。当時の記憶がある名古屋の人は未だに「土地の低い場所には住みたくない」と言います。名古屋の街が東部の丘陵地帯へ向かってどんどん発展していったのは、この伊勢湾台風の影響も大きいのではないかと思います。

 ところで伊勢湾台風でもう一つ思い出すのは、1976年に放送された山口百恵のテレビドラマ「赤い運命」。伊勢湾台風で取り違えられた赤ん坊2人の数奇な運命を描いたドラマで、その後、綾瀬はるか主演でリメイクもされました。当時かなり純度の高い百恵ファンだった僕としては、地元の伊勢湾台風が背景にあるドラマとして、より熱中して見ていた覚えがあります。百恵は伊勢湾台風の年に生まれているので、よりリアリティを感じて見ていました。百恵映画も好きですが、やはり百恵ドラマの方が未だにゾクゾクきます。