幹事クリタのコーカイ日誌2009

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9月3日 ● 立浪の「3」を永久欠番に?

 今季限りで引退する中日の立浪の背番号3を永久欠番にしようという署名活動が行われているそうです(こちら)。確かに立浪は名選手です。通算二塁打数の日本記録も作りました。中日の球団史上に残る選手であることは間違いありません。ただ、僕としては永久欠番にするには抵抗があります。

 立浪は「細く長く」の名選手です。数々の通算記録を作ったことからもわかるように、高卒ですぐにレギュラーを獲得してから、大きな怪我でブランクを作ることもなく、コツコツと不惑になるまで働いてきました。その積み上げた数字が今では球団記録を次々と塗り替えているわけです。

 しかし、反面立浪には「太い」活躍を示してくれた記憶がありません。立浪が中日に在籍している間に何回もチームは優勝しましたが、立浪がMVPに選ばれたことはありません。長年やってきてベストナインも2回だけです。通算記録では十分に日本を代表する選手と呼べる数字を残しているのですが、実際の印象はあくまでもチームの主力レベルで、全日本のレギュラーかと言われると首を捻ります。立浪の名シーン、印象に残るプレーは?中日ファンの僕ですらパッと思いつきません。要は「記録」には残っても「記憶」にはあまり残っていないのです。

 立浪の前の「ミスタードラゴンズ」と言えば高木守道です。通算安打数では立浪に抜かれてしまいましたが、オールドファンは今でも「守道が一番」だと思っています。バックトスに代表される華麗な守備は日本の球史に残ります。ベストナイン7回は日本の二塁手で最多。盗塁王も3回獲得。プロ初打席でホームランを放ったり、4打数連続本塁打など、小兵の割にパンチ力もありました。当時全日本チームを作ったらセカンドは高木の指定席でした。

 その高木の背番号1ですら、中日は永久欠番にしていません。お陰でその後、中日ファンは背番号1を背負って活躍する福留を見ることができました。立浪の3だって、昔は中利夫の背番号でした。中は高木と1・2番を組み、ON全盛時の1967年に首位打者を獲得した名選手です。盗塁王も獲得したこともあるし、外野手としての守備も一流でした。

 高木の1と中の3が、福留の1と立浪の3になったように、今後はまた別の誰かが1と3を背負って活躍してくれた方がファンとしては嬉しい気がします。