幹事クリタのコーカイ日誌2008

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9月6日 ● 失恋と死別の悲哀の差。

 昨日Mさんが突然亡くなったと聞いてから、ずっとMさんのことを考えて悲しみに沈んでいます。もう丸2日くらいたちますが、大きな声で笑うことはおろか、話す声さえつい沈みがちです。夜、寝ようと思って部屋を暗くしてベッドに入っても、ついあれやこれやとMさんの思い出が浮かんできて「もういないんだなぁ、二度と会えないんだなぁ」と思うと、じんわりと哀しい気分になります。

 ショックなことがあると人間はなかなか眠ることができないものです。例えば失恋した時も同じように眠れないのですが、失恋と死別は悲哀の質が違います。失恋は身がちぎれるような、切り裂かれるような痛みを伴った「悲しみ」ですが、死別は暗く深く沼の底に沈んでいくような「哀しみ」です。

 失恋は激しく能動的ですが、死別は静かで受動的です。僕は4年前に父が逝った時のことを思い出しました。父も突然の死ではありましたが、決してもう長くはないだろうと覚悟を決めていたところもあったので、「死んだ」と聞いても号泣するようなことはありませんでした。むしろ意外と平静な自分に驚いたくらいです。

 でも通夜の夜、午前3時頃に棺の前で線香の番をしながら一人ぼんやりと座っていて、本当にしみじみと哀しみが全身に巡っていったことを、今でもありありと思い出すことができます。失恋はまだ一縷の望みがあります。しかし死別は諦めるしかありません。なにをどうしたところで元には戻りません。だからこそ深く静かに哀しみが身に沁みるのでしょう。

 Mさんの奥さんやお子さんたちも、僕が感じたような深い「哀しみ」を感じているのでしょうか。それともあまりに突然のことに呆然とした後に、激しい「悲しみ」を味わっているのでしょうか。