幹事クリタのコーカイ日誌2005

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2月8日 ● またひとつ年を取りました。

 粛々と誕生日を迎えてまたひとつ年を取ってしまいました。毎年誕生日が来るたびに、この「コーカイ日誌」で「年を取ったけど、どうも実感できない」というようなことを書いていますが、今年はダイエットが成功したこともあって、ますます実年齢と肉体年齢と自分の実感年齢の開きを強く感じています。

 何となく自分の中では30代前半で年を取るのが止まっている感じで、実際にテニスをしていても肉体的な衰えもあまり感じていないし、記憶力も脳の反射神経も相変わらずなので、40代半ばに差し掛かっているという現実に自分自身の認識がついていけません。

 しかも心の奥底には、未だに10代のピュアで幼い自分すら残っています。それを外に出すことは滅多にないし、普段は特に意識もしていませんが、それが残っている自覚はあり、しかも時々ひょいと顔を出すために、ますます実年齢との乖離を不思議に感じてしまいます。

 もっとも自分がいくら若いつもりでいても、周りは全然そうは思っていません。明らかに若い世代の人間からは「オジサン」という括りで見られているし、自分でもそういう役割を引き受けてしまうことがしばしばです。

 上から下を見ると、自分が通ってきた道だけにわかりやすいのですが、下から見た上は未知の部分だらけで見てもよくわかりません。結局20代から見れば、33才も44才も55才も、ひっくるめて「オジサン」と扱われてしまうのです。

 まあ若い世代が思っているよりも中年世代は元気もあるし、楽しいことも多いし、悪くない年代ではあります。僕自身、20代の頃に40代になってこんなに遊んでいるとは想像もしていませんでした。良く言えばもっと落ち着いている、悪く言えばどんよりと元気のない毎日なのだろうと考えていましたから、今の状況はそれほど悪くないと思った方がいいのでしょう。先日書いたように「渇望感」はありますが、それはどの世代でもあるものであって、一概に年を取ったからだということではないでしょう。

 ところで僕は誕生日を祝ってもらうのも、人の誕生日を祝ってあげるのも好きです。ところが時々配慮と遠慮のない若い女性から「今さら祝ってもらって嬉しいような年齢でもないでしょ」などと言われてしまうことがあります。

 でも、そんなことは全然ありません。誕生日を祝ってくれるということは、自分の存在を肯定してもらっているわけですから、素直に嬉しいと感じます。そもそも「嬉しいような年齢じゃない」と言って良いのは本人だけであって、他人からそんなこと言われたくないわ!と思いますし。


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