Q・その他 (31例)                                                            

このページは、2000/01〜2007/07の7年半の間に、Q&A室での質問文と
回答文のなかで選んだもの12例を掲載しています。なお、
赤字の数字は、
質問順の通し番号です。このページを読めば、あなたの悩みや知りたい
ことがわかるかもしれません。何かあなたのお役に立つことがあれば幸い
です。 

1  1403 褒められても、うれしがらない人はいるか  質問者(みかん)  2007/01/21

 
私は、ある習い事の先生をしていた時に、全体としてはできていなくて、点数をつけるなら50点でも、その日の良かったところを一箇所でも褒めようと心がけていました。どんなことでも、小さな事でも良くできていた時は必ず忘れずに褒めました。誰でも先生に褒められることは嬉しいことで、その嬉しさが、その人のやる気に繋がるかなーと考えていました。私自身もかなりの褒められ好きで、少しくらいブルーな気分でも褒められると嬉しくて気分がよくなり素直に喜んでしまいます。しかし、同じ2w1でも、褒められても自分ではできていないと思っているのに何だか複雑で素直に喜べないとか、褒められることが恥ずかしいという人が多いことを最近になって知りました。また、こんなにできていないのに褒められると、先生に褒められないと辞めちゃいそうに思われているのかな?という人もいました。また、褒められたくない。注意だけでいいという人もいます。今まで何も考えず褒めていた私は考えさせられました。w1が重くなるほど(自分に厳しいから?)素直に喜べなくなるのでしょうか?また、他のタイプの人はどのように考えるのかが知りたいです。よろしくお願いします。
回答者(りゅうとうまりこ)       みかんさん、こんにちは!   2007/01/23

 
習い事の先生が生徒を褒めるのはごくごく当たり前の行為なので、さほど問題にはされないと思います。しかし、その関係性によっては、なにか問題が起きることもあると思われます。

 また、他人を褒めることは、簡単そうに見えるかもしれませんが、本当はとても難しいものではないでしょうか。まず、他人を褒めるとは、大人が子どもに対して、また、上の者が下の者に対してする行為であると考えられることもあります。タイプ5が考えやすいもので、それゆえ、タイプ5はめったなことで他人をほめません。子どもでも褒めない傾向があります。

 このような考え方をする人が、後輩や友人から褒められたならば、少し不快に感じるかもしれません。年上や目上から褒められるのも、なんとなく嫌な気分になることもあるほどです。なにしろ、タイプ5にとって自分は大物ですから、褒められるなどは、子ども扱いされることであり、不快になることもあると考えられます。
 
 次に、相手との人間関係がどうなのかで、褒められても不快になる場合があります。尊敬できない相手ならばまだしも、嫌っている相手とか、バカにしている相手から褒められたら、不快になることがあると思います。ですから、よい人間関係が築かれているのかどうか、そういうところを見ないと、褒めるという行為がどのように受け止められているのか、それぞれなので簡単には言えません。

 そして、普通の関係であっても、自分が頑張ってよくやったと思う部分を、相手から褒められると、納得でき、素直に喜べるかもしれません。ここぞいうところを褒めてもらうとうれしいものです。しかし、的外れな褒められ方をされたり、自分にとっては不満足な部分を褒められても喜べないこともあると思います。あるいは、自分のしていることをよく理解していない人物から褒められても、うっとおしいとか、「何も知らないくせに‥」と不満をぶつけたくなることもあるはずです。

  こんな例もあります。たとえば、あるタイプ4の娘さんが、たまたま化粧をしたら、タイプ2の女性から、「今日はきれいね」と言われて、それからは化粧をしなくなったようです。毎日きれいに化粧しないといけないように感じて、プレッシャーに感じてしまったからです。ピンクのかわいい服を着ていたら、「そのビンクよくにあうわね」と言われたために、二度とピンクを着なくなったタイプ4の娘もいます。しかしながら、タイプ4が全てのことでそのようになるのではありません。褒められて素直に喜ぶこともよくあります

 実例としては、15年ぶりに同窓会に参加して、「いつまでも変わらないわね」と、相手は褒めたつもりで言ったようです。「いつまでも若くていいね」という意味でしたが、言われた本人は、「いつまでも成長しない人間、未成熟な奴だと言われた」と取ってしまったのです。

 しばしば他人をよく褒めている人を見ると、その本人は相手よりも自分のほうが上だと思っているので褒めるのではないか、と取る人もいます。自分を善い人間だと思われたがっているようだと解釈している人もいます。相手の機嫌取りをしている、へいこらした人とか、相手におもねると取る人もいるようです。

 褒められたが、「慇懃無礼な扱いをされた」と感じた人もいます。口先だけで、適当に褒めているとわかる人もいて、そういう人には「褒めてもらいたくない」という気持ちになると思います。実際、「適当に褒めておだてておけばいい」というような調子で、他人を褒める人もよくいます。そういう人と、真面目に真に感心して褒めている人がいても、それを区別できないのであれば、褒めるという行為によって、人間関係がゆがむこともあると考えねばならないでしょう。
 
 褒められるのを嫌う人はいないだろう、などと言う方は確かにいますし、実際、素直に喜ぶ人たちがたくさんいます。それで元気がでる人もいます。しかし、上記のように、いろいろな受け取り方をする人もいます。そういう人もいると知っておいたほうがよいのではないでしょうか。


 

  1205  不思議な行動をする女性     質問者(くろまる)      2006/03/04

 接客業をしていたときの職場に、時々不思議な行動をする女性がいました。その日の仕事は、外でお客さんがバーベキューすることになっていたので、その用意などを彼女と私とオーナーでしていましたが、その最中に彼女のエプロンにタレが飛んだらしく、仕事中にも関わらず誰にも何も告げずに大慌てで事務所に戻り、ひたすら汚れをシミヌキしていたそうで、その後かなり長い間戻ってはきませんでした。オーナーはカンカンに怒っていましたが本人はそれよりシミが残ったとしばらく言い続けていました。私は彼女をタイプ9かもと思っていたのですが、これは調和タイプではないというエピソードになりますか?
回答者(りゅうとうまりこ)         くろまるさん、お久しぶりです!   2006/03/06
 
 不思議な行動とありますが、それはどちらかというと「強迫行為」のように感じられます。不潔恐怖症的または、潔癖症的な行動ではないかと思います。仮に、そのような強迫神経症であるならば、どのタイプも罹る恐れはあります。

 ただ、当会のエニアグラム性格学理論では、防御タイプ(714)が潔癖になりがちですから、防御タイプと防御タイプのウイングを重く持つ人たちから捜します。なお、「捜す」というだけのことで、これ以外のタイプになる可能性もあります。

 タイプ9など調和タイプ(369)は、
「不思議な行動」と受け取られることは、通常あまり考えられない人たちです。しかし、タイプ9w1で1のウイングが重い人で、上記のような症状の人がいます。気質とか性格タイプとは関係ありません。

 

  1183   「強い人間」とは?      質問者(クロ子)       2006/02/05

 人間の強さについての質問です。ここで指すのは精神的な強さです。(この表現も何かしっくりときませんが) 何かを盲信している人間程強い人間はいないのではないかと思うのですが、どうですか? その信じるものとは自分でもいいし他人でもいいし、正義か悪なのか、しかし、主に思想指すことにしたいと思います。強い思想は自らの理想などというある種偶像化された壊れにくい物になりやすいのではないかと考えるためです。タイプ2だけにあてはまることかもしれないので、うかつに「これだ」ということは言えませんが…) ジャンヌ・ダルクなどの殉教者がいたし、戦争中自らの意思で自害した一般市民がいたのではないかと思うのですが。私の知識では正直彼らのことはよくわかりません。もっと他の理由もあったのかもしれません)  自分のタイプ以外のことは理解しにくいというのは確かにそうだと思うので、私一人の考えをそのまま自分の中に飲み込むのは危険だと思い質問したいと思いました。私の考える事なので、今まで沢山の人がもう答えを出し尽くした考えだと思います。自分で読み返してみてもかなり屁理屈な質問なのですが、よろしくお願いします。
回答者(りゅうとうまりこ)               クロ子さん、こんにちは!   2006/02/09

 
「強い人間」とは、各種能力に優れて、博学で洞察力もあって賢く、かつエネルギーがあり実行力も備わっている人ではと考えています。能力といってもさまざまで、腕力や統率力も入ります。判断能力が有り、しかも敏捷とか、計算能力がある、忍耐力がある、情報収集能力があるなど、多くの点で他の人に比べて格段と優れていなければ、「強い人間」とは言えないだろうと考えています。

 そうなれば、
「盲信」というものには、「賢い」とか「智慧」に該当するものが入っていないと考えられます。賢さや智慧が無くとも、盲信しているために、エネルギーがあり実行力がつくことがあると思います。その人がもともとに指導力があるとしたら、多くの人たちを動かせる人物になって、かなり強そうに見えると思います。しかし、私からは、大迷惑な人に見えます。そんな人物が指導者になったら、と想像するだけで恐怖心が沸いてきます。たとえば、麻原彰光とその弟子たちです。

 宗教に殉じる人、思想に殉じる人、その他、昔から数えきれないほどいて、現在でもパレスチナで自爆テロをする人が後を絶ちません。結婚が決まっていたのに自爆という手段に訴えた若い女性がいたこと、脳裏に鮮明に残っています。その死が無駄になっていることを理解できなかったようです。アメリカ貿易センターに飛行機ごと突入したアタという名の男性も忘れられません。しかし、その後、彼らの望む方向に世の中は変っていったのでしょうか? そのきざしはあるのでしょうか? たとえば、ジャンヌ・ダルクという少女の決起によって、フランス人民の暮らしがよい方向に行ったのでしょうか? 

 さまざまな
「思想」がありますが、マルクス・レーニン主義思想ほど、世界を席巻したものは無いように思います。私自身も、同時代の青年の例にもれずにいた時期がありますが、私のなかでは、完璧に壊れてしまった思想です。理想に燃えていた青年たちほど、社会をよくしたいと熱心に取り組んでいたように思います。

 現在、それらの青年たちのタイプを思い起こすと、全てのタイプの人たちがいたように思います。ただ、タイプ2はもともとに数が多いので、そんな青年にもタイプ2が多くいただけではと思っております。また、指導的な人としてタイプ2は多かったように思いますが、私の周りで記憶によく残っているのは(遠い過去のことでタイプが当たっているかわかりませんが)、タイプ1や4、タイプ6や7や9の方たちです。

 現代の若者たちも惹かれているらしいチェ・ゲパラさんのような革命家が、カッコよく見えるのは理解できないことではありません。しかし、虐殺された小説家の小林多喜ニさんはあまり知られていませんが、私にはもっとカッコよい人に見えます。しかし、当人はただ惨めで辛かっただけであり、戻れないところまで来てしまっただけで、自分を強い人間だとは思わなかったのではと想像しています。

 エスペラント語を世界共通語にしようというザメンホフの思想や、その運動も忘れたくないものですが、もはや風前の灯火です。この思想に共鳴していた私は、現在でも英語を覚えたくないのですが、エスペラント語も話せないままで、残念に思っております。エスペランティストである由比忠之進さんも忘れられない方で、ときの政府に抗議して焼身自殺しています。私からは、とても強い人に見えたのですが、本当にそうだったのかと考えるようになっています。

 ここで回答しつつも、青春時代に知った「強そうに見える人たち」を、思いがけずたくさん想起して、その顔も想い出してしまいました。思い出すにつれ、残念というよりも悔しいという想いが湧き上がってきます。理想を掲げて熱心に活動して、さらには自己犠牲した人たちのことを考えると、彼らの行動が無意味であったとは思いたくありません。否定したくないのですが、その理想や理念、行動から教訓を引き出し、学ばねばならないと思っています。

 4、50年も経っていないのに、あの燃えるような思いはすっかり影をひそめてしまいました。個々人としては、転向もせず生涯を貫いた「強いと思われる人たち」はいたでしょう。しかし、それらの思想も短期間に消滅しているのが現状です。従って、過去の歴史から学べないなら、賢い人とは思えませんから、つまりは「強い人間」とは考えられません。

 また、
「盲信」とは、自分で考えることを止めた人のように思えます。そして、イデオロギーで人間社会は動いているのでは無く、むしろ宗教のほうが人間社会をつき動かしているもののようにみえます。それを超えるものとしては、金と名声ではないでしょうか。

 そして、
「自分を信じる」とよく言いますが、何かを遂行するためには、自分を信じなければ、パワーが出てこないでしょう。しかし、現実世界をどのように認識するのか、何をどのようにすればよいのか、方法や手段はどうするかなど、より良い社会にする、より良い自分になれるよう見極めるためには、「自分を信じてはいけない」のではありませんか。自己否定を幾度もしたほうがよいということもあると思います。

 何よりも、まずは「知ること」だと私は思います。自分がどれほど無知であり、不明であるかを知れば、「自分を信じる」などは、かなり愚かなことではないかと思われます。スポーツ選手が、自分を信じると言う場合とは、別次元のことです。

 以前にも、当室で回答したことがありますが、「きつい=強い」にはならないと考えています。攻撃タイプ(825)のことを「きつい」と書くようにしていますが、「きつい」と、とかく強そうに見えます。しかし、タイプ2自身が知っているように、本当は弱い自分がいて傷つきまくっていたりします。タイプ8でも同様で、自分の弱さを自覚しているために、強くなりたい願望が強いタイプと見ています。

 ところが、タイプ2の中には、「きつい」ために、「自分は強い」と思い違いしている人がいます。逆に、弱い自分だけを見て、きつい自分に気づかない人も多そうです。

 賢さとは、遠い未来、せめて100年後の社会も見通せて、そのためにち密な計画を立案して効果的に動けることで、「賢さ」が入っていない「強さ」は、強さとは言えないと考えています。ただ、きついだけで愚かであれば、社会を混乱に陥れたり、暴力を肯定したり、破壊をもたらす恐れがあると考えています。

 

   1413 人間関係力テストについて     質問者(勇)     2007/02/13

 
先日テレビで「人間関係力テスト」というものを放送していました。どのような内容なんだろうかと思って見ていましたら、写真に写っている2人の関係性(親子とか友人とか夫婦とか恋人とか)を当てるものや、人の顔をしばらく見た後に、今見た人の顔を当てるものがありました。詳しくはhttp://www.tv-asahi.co.jp/test2007/の体験版に載ってあります。
 就職活動中にも、似たようなテスト(顔の表情を見て、その人の感情を当てるテストなど)を受けたことがあります。このようなテストで、本当に人との関係性をよくできるかどうか分かるものなのでしょうか。
回答者(りゅうとうまりこ)      勇さん、こんにちは!     2007/02/14

 体験版にトライしてみました。10点満点中の7点でした。後から正解が書いてあるサイトが見つかり、不正解だった3つを確認しましたが、どうしても腑に落ちません。
 
 1つ目は「2つの写真を見て、恋人同士はどちら?」というものです。正解は、二人の男女が手を後ろに組んでおり、男性は下を向いていて、二人は目を合わせていませんが、女性は少し笑顔で、男女の間がそれほど離れていませんが、くっついているのでもありません。女性は少し上体をそらしているように見えます。不正解だという写真には、男女が向きあっており、緊張している様子もなく何か話していて、女性は相手の目を見ているが、笑顔ではないが手振りが入っています。

 5度も見直しましたが、私にはどちらも恋人同士には見えず、恋人ではないと言えるものもないと考えます。私の答えが「不正解」になる理由が分かりません。たとえば、大学内でサークルなどがあり、その後一緒に男女が何かしゃべりながら歩いているようなイメージです。もしも恋人同士であるならば、ふたりともに手を後ろに組んで歩くのだろうかと。そんなことは特殊なことで、通常はあまり考えられない振舞い方ではないでしょうか。そして、女性が笑顔というだけで、正解になるとしたら、何も考えない人のほうが「人間関係力がある」ということになってしまいます。もしもそうであるならば、納得できません。

 2つ目は「隠し絵を探す」というもので、時間内に見つけられませんでした。素早く隠し絵を見つけられるようになれば、人間関係力は付くのでしょうか。それが分かりません。関連づけられません。

 3つ目は「外国人が何を話しているか?」というものですが、私は母親が病気になって不安になっているほうだと思いました。ところが正解は、浮気が見つかり謝っているほうなんだそうです。ところで、浮気が見つかって謝るのは、たぶん妻に対してだと思いますが、悲しそうな声を出して、妻に平謝りしているような感じに見えます。「魔が差して、つい誘惑に負けた」などというような、いろいろと弁解がましいことを言っているようにも見えます。「もう二度としませんから、今回だけは許してください。誓約書でもなんでも書きます‥」という感じです。

 こんなことを言う男性がそれほどいるとは思えません。可能性としては、エニアグラムのタイプならば、タイプ7w6か6w7か、3か4にもいるだろうか、というくらいです。しかも、その中でも、そんなふうになるのは、少数なのではと思うほどです。たとえば、真剣な顔つきで土下座するか、怒り出したり開き直るか、憮然としたままであるとか、沈黙したままで、ただ「ごめん」の一点ばりというものが多いのではないかと思います。追求されて逆ギレするか、最後まで浮気を否定するか、「うるさい!」と怒鳴って暴力的になるか、壁などをへこますか‥‥。

 あまりにもステレオタイプ(ステロタイプ)的というか、想像力の無い人たちが作ったというべきか、お粗末な質問に見えます。また、「母親が病気になって不安になっている」というならば、どのタイプでも心配そうな顔つきで話す可能性が高いと思うので、私ならばこちらを正解にするだろうと思います。

 ところで、変な質問だなと思ったものは、「中央の女性の妹は?」というもので、右が正解になっています。私もたまたま右にしましたが、左は少し離れて立っているので「妹ではない」という意味なのでしょう。しかし、妹と仲良しではない人たちは一杯いますからね。ここから、姉妹が仲良しだと思い込む人が、人間関係力があるということになっています。それは肯定的に見る人たちが考えているからで、私ならば、正解は「どちらともいえません」というものを作って、そちらをクリックすれば、正解にするのではないかと思います。

 「センスのいいジョークは?」という設問もありますが、たまたま私自身は正解でしたが、「センス」というものは、人によってかなり違うものです。どのセンスがよいのか、ダサいのか、判断できるようなものではないと思います。また、それが「人間関係力」と、どのように関連性があるのか、そこも理解できません。ちゃんと説明されているのですか? たとえば、洋服のセンスはあるのに、周囲の人たちからは鼻つまみ者に思われている人が現実いますからね。

 そして、「センスのいいジョークは?」という質問に対して、100問全部正解の人がいて、その人たちの人間関係は全員良かったと、判定できるような大々的な調査をしているのでしょうか。「隠し絵」を素早く見つけた人たちについても、その人間関係は良かったと判定できる根拠はあるのでしょうか。そして、ひとりの人間とその周囲にいる人たちとの人間関係がよいのか悪いのか、そういうことだとて、容易に調べられるものではありません。たとえ、調べたとしても、「この人の人間関係は全て良好だ」と判断できる人間が、果たしているのでしょうか?

 人の顔を見るテストもありましたが、顔全体を見てから、次に目だけが載っていて、最初に出ていた顔の人の目はどれなのか? という質問もありました。しかし、講座などでは、多くの人たちが顔の表情から、その人の心の状態を見抜けないんです。たとえば、あるタイプ2の母親が、タイプ4の息子の表情を見て、傷ついていると思って見たが「全然平気そうだった」というものがあります。どうやら、「傷ついている」というのがアリアリと誰にも分かるようなものでなければ、「全然平気」になってしまうようです。

 また、驚くようなことに出あうと、「キャー」と大声を出す人たちと、驚いても声を出さず表情も変らない人たちがいますが、それを見て「驚いていない」「平然としている」「落ち着いている」になっていたりします。本人は驚いたと言っているにも関わらず、「驚いたとは思えない。うそでしょ!」となかなか認めてくれない、ということもあります。また、本人は大変に恥ずかしがっていたのに、周囲の人たちは、その当人を見て「淡々としているように見えた」、「恥ずかしいと思っていないので図々しい」などと語っている人もいるくらいです。そのような例を挙げるならば、あり過ぎて‥‥、ここら辺りで止めます。

 相手の顔をクリアに記憶することと、相手の顔つきから正しく相手の心理を見抜けるというものではありません。相手の心理を正しく読み解くことができなければ、よい関係は作り出せないように思います。誤解も多いのですが、しばしば、まるで逆な解釈をしている人たちがいます。なぜ、顔をよく記憶することと人間関係力がつくことが一致するのか、それも関連づけられません。

 さて、10問だけしか見ていないのですが、テストを作った人たちは、本当に人間のことをよく知っている人たちなのかと疑いたくなります。設問がとても簡単なので、場面設定がよくわからないとか、人間関係はどうなっているのか、それをチャンと設定してから質問してくれないと答えられないなあと、いろいろに考えてしまいます。全部を見ていないので分かりませんが、クリックすることが難しいものが多いのではないかと予想します。その手のものがよくあるからです。というよりも、ほとんどがそうです。

 設定が単純過ぎるんです。これでは、単純に受け止めて、何も考えようとしない人たちが単純に答えた場合に、「人間関係力がある」と判定されるのではないかと‥‥。

 人間関係は、単純であることよりも、複雑な場合のほうが多いのではないでしょうか。また、複雑だと思っていたら、原因はとても単純だったりもします。そして、この人にはAという反応をしたが、別の人と同じようなことが起きた場合Bという反応をしてしまう、ということがよくあります。人は、状況や場面、相手の人との関係から、違う反応をするものです。たまたま腹の虫が悪くて、いつもは耐えていたのに、ついキレタということもあります。

 相手は上司で従わねばならないが、苦手な人なのでとか、妹のことを嫌っているが、それを隠しているとか、母は大切な存在だが、なんだかうとましいとか、そんな微妙な心の揺れ動きまで見抜くことはできにくいものです。また、そんなふうに複雑な心理状態の人たちが一杯にいるのですから、推察したことは、なかなか当たらない場合が多いのではないでしょうか。

 当講座では、ある場面を見たら、より多くの解釈ができるようにと指導します。たとえば、タイプ8ならば、こういう場合、どのような行動をとるか、タイプ6ならばどうか等々。ですから、9つの解釈を考えたり、また18くらいまで予想できるようにすれば、一つくらいは当たる可能性があるだろうと指導します。

 しかし、このテストは、何も考えないでトライしてください、というのですから、何も考えずに高い正解率を得たら、その人たちがよい人間関係を作れているのでしょうか? それは証明されているのでしょうか? 少しでも調査したのでしょうか。不可解!!

 心理テストを作るときに、たとえば、各タイプの人を10人集めて、計90人の人たちに相談しつつテストを作れば、少しは精度の高い心理テストの問題を作ることができるのではないかと思います。しかし、それは有り得ないことであり、作った人たちが、たとえば、多数派のタイプ2が圧倒的に多く、2、3人が他のタイプだったならば、片寄った心理テストができてしまうのではないでしょうか。

 最も肝心な点ですが、
テストに習熟して正解度が高くなったとしても、人との関係性をよくできるということなど全く考えられません。テスト自体に問題があるのですからね。次に、どんなに優れたテストができたとしても、人との関係性をよくできることは有り得ません。それを喩えるならば、車校でのペーバーテストがとても難解だが、それを幾度もやって正解率を上げたら、実地の自動車運転がうまくなる、と言っているようなものです。

 このようなものは、単なるお遊びに過ぎないものです。真剣に取り入れるべきものではありません。巷にある性格診断テストも、ほとんど片寄ったものぱかりです。作成した人の気質がくっきりと出ているだけですから、よくそれだけで作成者のタイプを判定をしています。ご自分をタイプ2だ主張しているカウンセラー方の性格診断テストを覗いてみたら、まるまるとタイプ4の気質が羅列されているだけのテストでした。

 ご自分をタイプ4だ主張している心理学者の性格診断テストを覗いてみたら、まるまるとタイプ2だけの性格を羅列して書き出しているに過ぎなかったことも覚えています。もう少し他のタイプが混ざっていても良さそうなのにと。小説などを創作する人たちが、いろいろな登場人物を作りだしますが、作者の性格のいろいろな側面を別々の人格にしただけと考えられるものばかりです。たまに、家族などをモデルにするので、違うタイプが登場するこはあります。それと同じことが、心理テストを作る場合にも起きていると考えられます。

 さらに、少数派の1・3・5・8に出会ったことがない人たちがいます。そういう人が作成したならば、これらのタイプの心理をテストに採り入れることはできません。また、人間関係力テストというものを、たとえばタイプ5の人に作らせたら、たぶん、今回のようなテスト内容とは違ってきたのではないかと思います。ここから、今回のテストの作り手の性格が少し垣間見られます。想像力のない、いろいろな解釈を思いつかない人たちではないかと推察します。

 人間関係力を高めたかったならば、人間たちとより多くつきあい、より多くのタイプの人たちと出会うようにして、討論したり、できるだけ一緒に学び一緒に働くことではないでしょうか。部下になったり上司になったり、教師になったり生徒になり、社長にもなれば日雇労働者にもなって、いろいろな立場を体験することです。そして、議員になり、車掌になり、掃除人になり、画家になり、俳優になり、たこ焼き屋になるなど、多彩な職業を体験したほうが人間関係力はつくのではないでしょうか。また、体験するだけでなく、常に、そこから学ぼうという意欲を持ち続けている人が、力をつけるものと思われますが‥‥、あなたは、どう思われますか?

追加として
  人間関係力テストは時間制限がありました。自動車の運転上達には、素早く正しい判断ができることが重要です。それでなくては命に関わりますからね。しかし、人間関係では命に関わるようなことなどめったに起きません。それよりも、事実を正確に掴むこと、そのためにより多く情報収集すること、多方面からじっくりと時間をかけて考えねばならないことが多いように思います。

 誤解しないように慎重になる、自分の考え方や気持ちを正確に率直に伝えられること、また、相手の話もじっくりと聞けて、相手の立場に立って考えられるようになることのほうが大切ではないでしょうか。つまり、このテスト方法自体が、人間関係力について調べるに、ふさわしくない方法だと考えるものです。

回答に対する返事        勇さんより       2007/02/18

 
人間関係力の質問への回答ありがとうございました。私は、体験版ではなく、TVで放送されていたものを回答しましたが、正解率は5割強でした。そして、その番組によると私の人間関係力は平均以下ということになりました。自分で言うのもなんですが、私は周囲の人と協力関係を作ったりするのがそれなりにできていると思っています。そこで、納得できずに今回質問しました。長文で回答してくださったので、それについて私なりにいろいろ考えました。まず、人との関係(恋人同士はどちらか)を当てるテストにしても、外国人が何を話しているのか当てるテストにしても、情報が少なすぎて当てるのは不可能じゃないかと思いました。その人に会えば分かるかもしれません。また、人の顔を見るテストですが、これは人間関係力と全く関係がないとも言えないと思います。職業として、人と多く会うことがある人(営業職など)は、人の特徴を覚えやすい方が有利です。 ユーモアに関しても、番組でお笑い芸人が正解がないよな、と言ってましたがそのとおりだと思います。枠にはめて人を見るのは簡単だし楽だとは思うんですが、発想そのものが危険な香りがします。もう少しだけでも、想像力を働かして番組を作ってほしいですね。

 

  1179   口ばっかりで実行が伴わない人?     質問者( )  2006/02/01

 日頃から大げさに「いつもあなたがどうしているかと考えている」「あなたに何かあったら食事も喉を通らない」・「悩みがあったら何でも行ってくれれば、できる限りのことはする」等と、大袈裟に言う人に限って、実際に何か事が起こったときには冷淡だったり、関係ないという態度だったりするのはどういうことでしょうか。実際に心配したり力になってくれるのは、普段はあまり上記のようなことを言わない人が多いように思います。このような事に遭遇するたびに、実際には助ける気がなかったり、心配していないのであれば調子のいいことを言わなければいいのに、一体何を考えているのだろうと不思議に思います。
回答者(りゅうとうまりこ)        吉さん、ここでははじめまして!  2006/02/05 

 上記のような大げさだと取られる言葉使いをする人はいますが、それは親子関係なのか、恋人関係なのかわかりません。兄弟とか友人関係では無いように思われますが、どの関係を指しているのか、それによって違うように思います。

 とりあえず、親子関係でのやりとりを考えてみましょう。どちらかというと、母親が子どもを心配して口にするようなセリフのように見えます。
「あなたに何かあったら食事も喉を通らない」のほうで、父親ならば、「悩みがあったら何でも行ってくれれば、できる限りのことはする」と言うのかもしれません。親子関係で常日頃に、そのようなことをしばしば語るタイプがあることはわかっています。
 
 「何故そのようによく言うのか」と言えば、心配性でいろいろな不安を思いつくからではないでしょうか。また、その親にとって、その子の存在は大きいため、いつも頭の中心にあり、忘れにくいためだと考えられます。そして、「できる限りのことをしたい」と、本当に思っているのではないかと思います。親子の絆を深めたいという願いのようなものが込められており、それは親子関係がいつでも壊れてしまうという不安を持っているためではとも考えられるところです。……@

 上記とは少し違う人もいます。心配性でいろいろな不安を思いつきますが、その親にとって、子の存在は小さく、頭の片隅には在っても、つい忘れてしまうのです。そんな親でも、子に何か起これば「できる限りのことをする」つもりだと思います。しかし、子どもには何も言わないのではないでしょうか。親子の絆について、あまり考えたことが無い可能性もあります。……A 

 上記2つとはまるで違う親がいます。そのようなことを日頃言わないのは、心配性ではなく、不安なこともあまり思いつかないからではないでしょうか。その親にとって、その子の存在は大きく、「子どものためなら〜」と真実思っているのかもしれません。子の存在は大きいので、いつも気にかけているが、口うるさく干渉しやすくなるだろうと予想できるでしょう。親子の絆は築かれていると思い込みやすく、親子関係が壊れにくいとは予想していない可能性もあります……B
 
 4つ目として、心配性ではなく、不安なことを思いつかない人がいます。子の存在は小さく、忘れがちである親がいます。このような親ならば、そのようなことを口にしていないと考えられます。子どもから何か求められたら、それなりにやってくれる可能性もありますが、求められなければ何もしないかもしれません。親子の絆について、あまり考えたことがない可能性もあります。……C

@親は不安で心配性 → 心配を口にする  → 子の存在が大きい→ 助けてくれる親?
A親は不安で心配性   → 心配を口にしない → 子の存在が小さい→    同上
B親はそれほど心配しない→ 心配を口にする  → 子の存在は大きい→    同上
C親はそれほど心配しない→ 心配を口にしない → 子の存在は小さい→    同上

 あなたはニ分割しているようですが、上記のように四分割が考えられます。なお、実際にはこの4分割では足りず、9分割にもならず、類型化できるものではありません。なぜならば、親自身を取り巻く環境と精神状態などが関係するからです。上に「助けてくれる親?」と書いてありますが、@からCまでのどの親が、実際に助けたり支えるのか、それは分からないためです。

 さて、
実際に心配したり力になってくれるのは、普段はあまり上記のようなことを言わない人が多いように思います」とあります。それが本当のことならば、AとCが該当しそうです。しかし、本当にそうなのでしょうか? それほど困難なことでなければ、普通の精神状態にいる親ならばできそうです。しかし、後退している親ならば、そうはなりません。Aの親は、配偶者や自分のことだけで精一杯になるのかもしれません。不安感が強いと、うまく子どもを支えられなくなる恐れはあるでしょう。冷淡になり、逃げ出すこともあるのではないでしょうか。しかし、余裕があり自信を付けたならば、適切な手助けをする可能性もあります。

 Cの親でも、Aの親のようになる場合があります。配偶者や自分のことだけで精一杯とか、仕事のことだけで手一杯で余裕が無いのです。子どもが苦しんでいても、察知しないだけでなく、求められても賢くないので適切な手助けができない親がいます。もともと不安感が少ないので、手助けくらいすぐに実行に移せるかもしれません。しかし、適切なものになるのか、それは親自身の能力とも関係するものではないでしょうか。

 Bの親でも、@やAの親のようになる場合があります。子どもの存在は大きく大切に思っていても、ケンカばかりしている親子関係ならば、手助けしない可能性もあります。子どもが自分の思い通りにならないので、意地になってしまうのです。日頃から子どもに対しての期待が大きく、躾たがり、さまざまなことで介入してくる恐れがあります。子のほうでは、その支配欲には耐えられなくなるかもしれません。しかし、この親が余裕があり自信をつけているならば、心配していても、それをあまり口にせず、必要な時に必要なだけ援助してくれる、真に親らしい親になるのかもしれません。

 なお、そのような理想の親は存在しますが、少数ではないでしょうか。また、その親が病気がちであれば、能力はあっても、実際の役に立つのでしょうか。状況によって違ってきますからね。

 さて、@の親ですが、「できる限りのことをする」と口で言いながら、現実になると逃げ出すとしたら、自信がなく余裕もない、社会的な体験もなく力量も備わっていないのではないでしょうか。

 「
心配していないのであれば調子のいいことを言わなければいいのに、一体何を考えているのだろうと不思議に思います」とあります。次のようなことを考えているのではないなと予想します。「子どもが死んだら自分はどうなるのだろう・何か恐いことが起きるかも・自分は一人ぼっちになるかもしれない等々」 そうなっては恐いので、事前にいろいろな心配事を子どもに対して、つい口にしてしまうのではないかと。

 ところで、親になったからといって、急に賢くなったり、能力がつくものではありません。親に期待する人は多いのですが、それは基本的に間違いです。また、あなた自身が、誰かに期待された場合、それに答えられる人間になっているのでしょうか。全く期待されないのも辛いものですが、期待が過剰になるのも苦しいものです。

 誰もが口ばっかしですが、当サイトでも言葉でのアドバイスでしかありません。タイプ判定と、単なるものの見方や方法を提示しているに過ぎません。私も口ばかり動かしている人間です。過大な評価をされたり、過剰に期待をされては困ります。そして、口ばっかしの人間を非難できる人は、果たしているのでしょうか? 「言うは易く、行うは難し」と諺にもあるのですから。

 人は、「自分を一番に大切にする」動物です。親も、我が子よりも自分自身を守るように出来ているのです。ただ、よくできた人間で余裕があり、能力や体力のある人だけが、他人(実子も含める)のために適切な手助けができるに過ぎません。また、それはタイプとは関係ないことです。

 そして、人間だけでなく、動物たちもみな、自分の心配をすると同時に、家族の心配をしています。口で言っている人は心の中でも、そのように思っているんです。家族に対する心配事を口にしない人は、実際にも家族のことなど忘れているのかもしれません。しかし、日頃は忘れていても、その時になったら、助けてくれれば良いのです。そうなる人は実際にいますが、そうならない人物もいます。その時にならねば、どちらに転ぶのか分からず、その人物の精神状態や力量に拠ります。

 ただし、どちらに転ぶのか、相手のことをよく分かっていれば予想できることです。むろん、当会のエニアグラム講座を学べば、相当に予想できる力は付きます。しかしながら、予想できないまま、その人物に期待するのは、期待するほうが不明だと言えるのではないでしょうか。誰にも頼らずに生きられるように、自分に力と知恵を付けるしかありません。極言すれば、これに尽きます。
 

 

   1098   男の前ではコロッと態度が変わる女は     質問者(古葉)    2005/09/25

 「恋のから騒ぎ」というテレビ番組で、女性陣が「女の前では横柄なのに男の前ではコロッと態度が変わってお酒注いだり、灰皿出したり急にまめまめしくなる女の人って嫌ね」と言いました。さんまさんは「いいやないのー!動くんやからぁ」と言い、女性陣は「えー!男の前でコロッと態度変わるんだよ!女の前では動かないんだよ!」と答えました。さんまさんは「ええやないのー!それでも灰皿出したりお酒ついだり動くんやろ?動くんやったらええやんか」と言いました。男性には都合のいい女性なのですから、さんまさんが言うのは男性論なのかな? と思ってましたが、もしかして、そういう女性が嫌だと思うのはタイプ2の感覚なのでしょうか。
回答者(りゅうとうまりこ)         古葉さん、こんにちは!     2005/09/29

 明石屋さんまさんは、こちらからは7w6らしく見える人ですが、判定しているのではありません。そして、彼を見ていると「よく動く」ことを評価しているように見えます。そして、女性たちからチヤホヤされたり世話されることを望んでいると考えられます。タイプ7w6自身、よく動く人で、サービスなどもよくしてくれる人たちです。ですから、サービス精神が無いとか、腰が重くて動かない人を見ると、よく理解できないようです。「よく気づく」や「よく動く」ということが当たり前みたいな人なんです。

 そして、タイプ7は、「女性に意識が向けられるタイプ(8・3・7)」で、この3つのタイプは女性に対して厳しい視線を出す人たちです。女は女らしくして男のためにサービスしたり動くべきだという価値観を持つ傾向があります。

 また、タイプ7は優等生気質で、基本的にはかなり礼儀正しい人たちです。先輩や目上であれば確実に敬語を使い、場合によってはへりくだったり持ち上げたりと、気遣いもよくする人たちです。それゆえ、さんまさんは、礼儀を知らない女性に対してなら、「そんなんしたらダメでしょー!」と言いたくなるでしょう。しかし、本音は「信じられない女がいる!」と思っているかもしれません。そのような女性たちをたくさん見ているので、慣れているとは思いますが。

 しかし、837の男性は、女性好みでもあるんです。大勢のきれいな女性に取り囲まれると、うれしくなってしまう傾向があります。「さんまさん、さんまさん」とチヤホヤされて、人気者になりたがっていることがよく見えますが、さんまさんにとっては、願ってもない番組ではないでしょうか。女性にもてたいという思いがありますが、一方で女性は怖いと感じており、かつ収録中ですから、
「そんなんしたらダメでしょー!」と、やんわりした言い方をしているように推察します。

 また、お気に入りの女性への態度は、他とかなり差が開く人たちです。身近にいるタイプ7も、好みの人間と、嫌っている人とでは、コロリと態度が違うので、すぐにその心を見破れるくらいです。つまり、男性の前でコロッと態度が変わるのは、よく理解できる人なんです。タイプ7w6にとっては、それが普通なんです。男が女を求めるように、女も男を同じくらい求めており、異性の気を引くために、よく動くのは当たり前のことだと考える人たちです。

 というよりも、そのほうが「かわいい女」に見えるのではと思います。逆に、下欄の1090にある「アカンベー」をする女性は、「かわいい子ぶっているが礼儀知らずである」と思っているのではないでしょうか。なお、以下に「ぶりっ子という性格」というタイトルで、9つのタイプを性格を分析しています。
    
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-1~/15-28.htm

 
1090の件ですが、あなた自身、かなり年下の男性に注意して、自分が後ろを向いた隙に「アカンベー」をされていると知ったら、不快にならないでいられるのでしょうか? さんまさんや、そのようなことをされた人たちの気持ちを察したならば、「かわいいじゃん」という共感が、その人たちからは、どんなふうに見えるのか、少しは理解できると思いますが‥。

 ところで、不可解かもしれませんが、タイプ7w6の男性は、きつい女性を好む傾向もあり、お母さん的なイメージの強い女性に惹かれている人たちがとても多いんです。恥ずかしい話を赤裸々に話す女性といるのは、「とてもオモロイ」ので好みますが、一方ではその厚顔無恥さに、「目が点」になっているのではないでしょうか。この相反する傾向が見えたので、「女性に対して複雑な心理状態になりやすい」、それを整理して、理論として整えました。

 なお、「さんまさんが言うのは男性論なのかな?」とある部分は意味が分かりませんから、答えられません。


 さて、「男性に強く意識が向けられるタイプ(261)」が、「男の前ではコロッと態度が変わってお酒注いだり、灰皿出したり急にまめまめしくなる女」になります。とくに、ハッキリと分かる女性は、2w1に多く、次にタイプ6w7となります。従って、同属嫌悪と言えるのではないでしょうか。男性陣への関心が高くなければ、かつ男性からの評価を得たいという思いが無いならば、他の女たちの行為に目くじらを立てたり、嫌がるなどという気持ちは起きません。
 
 タイプ7も相手によってコロリと態度が違うことがよくある人たちですが、それは「男性陣」に対してではありません。「好きな男性」とか、自分を好いてくれたり評価してくれる「人」です。それが、たまたま「男性」であると、先に挙げた「女性陣」たちと見分けがつかなくなります。

 また、タイプ7はかなり受け身です。自分を好いてくれる人を好むほうが多く、自分から好きになる傾向は、タイプ2と較べて圧倒的に少ないタイプです。

 261の女性たちも、嫌いな男性にはそのような振る舞いはしません。しかし、男性陣に対してなら、「尽くす女・かわいい女・上品な女・しとやかな女・よくできた女・面白い女・オープンで人柄が良さそうな女・男を立てる女・か弱い女・従順な女・理知的な女・優秀な女・辛抱強い女・働き者の女…」等々を、それぞにします。それぞれに各自がよいと思う女性を演じる傾向があります。

 細木数子さん(こちらからは8w7らしく見える)ならば、さしずめ「賢い女・クールな女・礼儀正しい女」を演じるのかもしれません。その気質からして、「かわいい女・か弱い女・尽くす女・面白い女」は、とても演じられないでしょう。男勝りで強気な女性ですからね。

 その違いがあるために、「かわいい女」を演じる女性たちは、「尽くす女」に嫌悪を感じてしまうのです。「賢い女」を演じる女性は、「か弱い女」や「オバカな女」を嫌悪するのです。
1090に登場する女性たちならば、「面白い女・かわいい女・オープンで人柄の良さそうな女」のミックスみたいで、それゆえ、「尽くす女、かわいい女」に対して、対抗心があるように見えます。

 むろん、他のタイプの女性でも、そのような女は嫌う場合がありますが、他のタイプはそれほど「好き嫌い」の世界にいませんからね。また、その行為を「嫌う」ということは、自分の中にもある傾向で、自分の中に全く無いものならば、それほどに嫌うことは無いと考えられます。たとえば、オシャレしたり化粧が濃い女性を異様に嫌うのも、オシャレや化粧に関心が高いためです。そういうことに気づかない人は無関心なんですから、嫌うこともありません。

 一方、女性によくもてる男性を、男性たちはやはり嫌うものです。女にサービスしたりチヤホヤする男を見ると苛立つのは、タイプ837のほうが多そうです。「女性に強く意識を向けるタイプ」だからです。他のタイプの男性にもむろんいますが、この3つのタイプと比較すると断然に差があります。

 男たちも、女性陣に対して、「強い男・おもしろい男・有能な男・優しい男・男らしい男・誠実で人柄の良い男・ワイルドな男・気遣いのある男・かわいい男・クールな男・理知的な男…」等々をしています。これも各自が良いと思う男性を演じているのです。明石屋さんまさんは、確実に「面白い男」を演じてしまう人で、「強い男」をしていません。その方法(戦術)でもって、女性陣からもてるようにしています。同じタイプ7でも、ビートたけしさん(こちらからは7w8らしくみえる.)は、「強い男・有能な男・面白い男」をしていると思われます。

 つまり、誰もが異性から好かれるような人間を演じているのであり、自分の好かれる方法(戦術)と他とは違うために、他の方法(戦術)を取る人間を理解できません。理解できないだけならばよいのですが、嫌なヤツ・変なヤツとなり、嫌悪してしまうのです。

 また、どのタイプであろうとも、男は女を、女たちは男たちを求めていますから、相手を獲得するための方法(戦術)を持っています。あまり意識しないままに演じていることが多いので、自分の戦術には気づかないだけではと考えられます。他人の戦術には違和感を感じて、すぐに気づくというに過ぎません。

 とかく嫌な女だと思う場合があるかもしれませんが、「自分も誰かから、嫌な女だと思われている」ことを知っていることが大切です。「自分のほうから相手をよく観察すること」、そして、「相手から観察された自分という人間をよく知ること」、この二方向を交差できることが、自分を成長させるためには重要なのではと思います。

 

  1090   注意されて「あっかんべー」をする女性!  質問者(古葉)  2005/09/19

 

 あるテレビ番組で明石家さんまさんが女性のスタッフか助手か忘れましたがその女性に何かのことで注意し、その女性はさんまさんが立ち去り際、背をむけたとき、「あっかんべー」をしたそうです。さんまさんはそれに気づいてしまい、番組の中で一緒に出演していた女性陣に、「そんなあっかんべーなんてしたらあかんでしょ!」と語りました。女性陣は、「えー!かわいいじゃん!」と言い合いました。私もかわいいと思ったのですが、さんまさんは「そんなんしたらダメでしょー!」と強く主張しました。妙に印象に残ってるんですが、もしかして、そういったシチュエーションで「あっかんべー」をする女性をかわいいと思うのはタイプ2がしやすい発想なんでしょうか、それともタイプは関係ないのでしょうか。
回答者(りゅうとうまりこ)         古葉さん、こんにちは!    2005/09/22

 小学生くらいまでの子ども同士がするのであれば、
「かわいいじゃん」と思うこともあるかもしれません。しかし、成人した人であれば、失礼な行為だと思われます。あまりにも不躾ではないかと、私個人としては考えます。

 当人も、かわいい女を演じたつもりなのかもしれません。しかし、さんまさんは、何かを注意しているのですから、かしこまって聴いていなければならないことだとは思いませんか? 
「あっかんべー」そのものは、かわいい仕草なのかもしれませんが、注意を受けている人がするべきこととは思えません。第三者からは、相手を小バカにしているように見えると思います。

 「かわいい仕草」にかこつけて、バツの悪さをごまかしているとも考えられます。年上の人や目上から注意を受けた場合にごまかすのは、とても失礼であると思わざるを得ません。ちょっと調子に乗りすぎていると思うほどです。以上は、私個人の感想ですから、注意や意見をしている訳ではありません。

 さて、明石屋さんまさんは、こちらからはタイプ7w6らしく見える人です。優等生気質があるように見えます。礼儀正しいところがあると思います。ですから、
「そんなんしたらダメでしょー!」と言うと思います。庶民的で親しみやすく面白い話をする人なので、緊張してかしこまることは無いのでしょうが、少し遠慮がなくなってしまったのではないかと予想します。

 また、そのような事を聞いて、
「かわいいじゃん」と言う女性がいたら、タイプ2と判定できると考えています。他のタイプにはとても恥ずかしくてできない行為です。唖然とする方も多いと思います。細木数子さんならば、厳しく叱責するところではないでしょうか。女性の礼儀に厳しい人だと、つとに知られていますからね。

 なお、その番組名が書いてありませんが、日本テレビの「恋のから騒ぎ」という番組であるならば、タイプ2w1の女性たちが多いように感じられます。恥ずかしい話を赤裸々に話せる女性たちばかりに見えます。仮に、女性陣を9人揃える場合、エニアグラムの9タイプとすれば、そのような反応にはならないだろうと予想します。

 
ところで、なぜ叱られてバツが悪くなるのか、という点ですが、たぶん、お母さん気質が原因だと考えられます。お母さんは主に叱る人なので、叱られると腹を立て、承服できにくい気質です。親や上司や教師に叱られるならば、我慢できることもあります。

 しかし、相手は「お笑いのさんまさん」なので、一応は素直に「すみませ〜ん」などとかわいく言っているかもしれませんが、口先だけではと思います。内心はその注意に異を唱えたいのであり、気持ちは釈然としており、または腹を立てているのではないかと予想します。しかし、それを出せない状況で、気持ちに苛立ちがあり、不快に思っているので、つい「あっかんべー」なる行為をしたと考えられます。

 また、もしも相手がさんまさんではなく、井筒数幸監督であったならば、たぶん、そのような行為をしなかった可能性があります。「お笑い芸人」に対しては呼び捨てにしたり、少し見下して見る方もいるようです。

 政治家の小沢一郎さんのような怖い男性とか、大学教授などの権威的なイメージのある男性ならば、とてもできない行為ではないでしょうか。やっぱり少し小バカにしていたとしか考えられません。感心できないだけでなく、不快な行為だと感じる方は、私だけではないと思っております。

 

 

 1067 自分のした事は良い事か悪い事か知りたい 質問者(フレデリック) 2005/08/08

 この前電車に乗っていた時の事です。尋常じゃない位の蝉の声が聞こえ、周りを見ると隙間無く蝉を閉じこめた虫かごを首からぶら下げた親子連れがいました。蝉も混乱していて、悲鳴のように鳴きわめいていました。私は嫌な気分がしてイヤホンで音楽を聴き始めました。音楽を聴きながら、『蝉って10年くらい土の中にいて、やっと生まれ変わって空を飛んでいたのに捕らえられて、あんな場所に無理矢理詰め込まれてしまう。なんて不条理なんだろう。こんな悲鳴を上げるために生まれたわけじゃない』と勝手に感情を高ぶらせてしまい。ついその親子に「そんなところに詰め込むなんて、可哀想だと思いませんか?」と抗議してしまいました。すると子供が泣き出 してしまい。何言ってるんだこの人と言う目線があちこちから感じられました。その母親も「変なヤツ」みたいな目でこっちを見てきて、騒ぎだと思った車掌さんまで来てしまい。それで何も言えなくなり、蝉は車掌さんに預けられ、僕は次の駅で降りました。僕の行為はやっぱり変だったのでしょうか? しかし、蝉の側から考えればあまりにも残酷だと思うのですが…、
回答者(りゅうとうまりこ)               フレデリックさん、こんにちは!   2005/08/10 

 電車内でセミが虫かごに入れられて鳴きわめいていたならば、大抵の人たちは気になってしまうでしょう。狭い電車内なのですから、騒音公害に該当するかもしれません。車掌さんがその時に居合わせていたならば、困った顔をしつつ注意したかもしれません。

 さて、個人的には、あなたの行動に同意するほうで、基本的には正しい行動ではないかと思います。しかしながら、物事で良いとか悪いと区別できるようなことは、あまり無いように思われるのです。そして、ある人はあることが気になり、別の人は別のことを気にして、それをつい口にしてしまうのです。じっくりと考えて口にしたり行動していることなどは、そんなにはないと思われます。

 その親子も、あまり考えないままに、セミ捕りに興じてしまったのではないでしょうか。あなたもあまりの面白さに熱心に何かトライしていると、知らず知らず他人に迷惑をかけているかもしれません。そんな想像をしてください。人に迷惑をかけていることを他者から指摘されて初めて気づいた場合、人はかなりのショックになると思いませんか。

 ですから、正論を主張する時、いけないことだと指摘したり注意する場合は、相手のショック度を考慮できるようにしてください。そういうことができたならば、真に思いやりのある人間になれるのではないでしょうか。
 
 「セミ捕りは面白いからね。夢中になって捕ってしまったんだと思うけど……」などと、相手に共感しつつ、少し控え目に語ると良いのではないでしょうか。心掛けても、なかなかにできないことなのですが……、覚えておけば、いつかは発揮できるかもしれませんからね。「自分が正義の士で、相手は悪者」という図式にしては、物事は悪い方向に向かいます。

 誰もが、自分が動物虐待をする悪者であるとか、冷酷で非常識な人間だと思われるなど、心外なんです。その親子も、そんなつもりはなかったのではと思いますから、「過失に当たる」のではないでしょうか。過失というならば、誰もが過失するものですからね。

 次に、あなた自身が怖がりであるためか、周囲にいる人たちから、自分が非難されているように感じています。
「何言ってるんだこの人と言う目線があちこちから感じられ」「その母親も変なヤツみたいな目でこっちを見て」などです。私がその場に居合わせていたら、周囲にいる人たちは、あなたが自分たちの代弁者だと思って、ホッとしていたようだと見たかもしれませんよ。または、子どもの泣き声にイラツイテいた人が多かった、母親も指摘されて気づき、それでショックの様子であったと解釈して、あなたに報告するかもしれません。

 人は誰でも、物事をどのように感じるのかを頭脳の中で情報処理しています。タイプ4はとかく酷いことを言われているとか、拒絶されているなどという解釈をしやすい傾向があるようです。情報処理の仕方が、被害妄想的かつ否定的になりがちと見ています。事実を正確にキャッチしているのではなく、物事をそのように解釈する「翻訳機を装着している」と考えてください。ですから、できるだけ、その翻訳機を作動させないように、物事を建設的かつ前向きに見る習慣をつけてくださいね。

 さて、「セミ捕り」だけが酷い行為ではないと思うのですが。それが残酷なことならば、食料として食べるつもりがない「魚釣り」も、酷い行為になってしまうのではありませんか。豚や鳥や牛肉を食べることも残酷なことになってしまうでしょう。そして、それよりも、もっと残酷なことが毎時間・毎秒、私たちの知らないところで繰り広げられています。

 数え切れないほど無数の犠牲の上に私たちの現在の生活が成り立っています。そういう現実を、まずは先に知り、そしてよく学んでください。それを知って、問題点を理解できるようになってください。そのうえで、私たちはどういう生き方をしたらよいのか、じっくりと考えてみてください。他の人や他の生き物たちに迷惑をかけないような生活とは、どのような生活なのかを、これを機に考えて欲しいなと思います。

回答に対する返事         フレデリックさんより    2005/08/12       

 回答ありがとうございました。僕も別に相手が悪意を持っていたなんて少しも思っては居ませんでした。相手がどうだったからと言う事や、行為としての道理からでは無く、僕自身の蝉の気持ちの代弁者みたいな傲慢な気持ちから「可哀想だと思いませんか?」と言ったんだと思います。翻訳機の意味は解ります。自分が恐がりだったから、他人に変わり者と思われてると感じてしまったんですね。実はただ道を歩いている時も感じているので、普段から普通の行動が取れているか気にしながら生活しているんです。数え切れないほど無数の犠牲の上に私たちの生活が成り立っている、そう一日100回自分に言い聞かせたいと思います。アインシュタインもそう言っていたみたいです。生きるとは恐ろしいモノですね。自分は何も考えずに生きていたとしか言えません。

 

 1030  「主人」と呼べない女性とは       質問者(スー)   2005/06/19
 
 お久しぶりです。自分の夫、他人の夫に限らず、夫の事を「主人」や「旦那」と呼ぶことに強い抵抗を示す女性がいます。どうやら、男性の立場が上であるような呼び方をする事に抵抗があるようなのです。私は男ですが、もし自分が妻の立場だったらどうかとか、自分の妻(私は独身ですが)を「主人」のような呼び方で呼ぶとしたらどうかとか、言葉自体の認識はどうなのかなどと、自分なりに色々と想像したり考えたりしてみるも、どうにも理解に苦しむ事です。なので、これはもう、その人の妙な拘りとかではなく、何か本質的な部分の問題なのではと思った次第です。それで、こういった事もタイプに関係しているものなのでしょうか。ちなみに、その女性は「生まれて一度も女で良かったと思ったことはない」とも言ってました。
回答者(りゅうとうまりこ)       スーさん、お久しぶりです!  2005/06/23   
 
 男性優位の社会であっても、それらに気づく人と気づかない人たちがいます。被差別者なのに、そうと知らず無自覚なままの女性たちがいます。つまり、気づいた女性は、「主人」「旦那」と呼ぶことに抵抗を感じてしまうんです。また、男性優位とはいっても、男性たちの中でも各種の差別があり、悩んでいる方がいますが、差別されていながら気づかないでいる人もいます。

 まず、女性であるということだけで差別を受けている体験ならば、個人的に幾つも書き出せます。しかし、そうなると紙面は幾つあっても足りないでしょう。ちょっとばかり披露しますと、社会に出て初めて体験したものとしては、男性たちと同期で職場に配属された時に、既に給与体系が違うと分かった時です。学歴も年齢も同じなんですが、給与だけでなく仕事も補助的なものばかりでした。このようなことは、現在では少し是正されたようですが。

 もっと私的な場面ならば、葬儀の時の礼拝の順位があり、男性優先であることです。町内会の集まりでは男性たちが意見をいい、女性は接待役となっていたりします。学校のPTA会長は男性が就いて実質的な活動はせずに、役員とは言っても女性は実質下働きです。家庭の中なら、共働き夫婦が協力して掃除する場合でも、トイレは女性の役目になっていることが多いようです。補助的な仕事や下働きや汚い仕事は女性担当である、と、暗黙に決まっているのは何故なんでしょうか?

 こういった差別社会を変えようと活動しているフェミニストたちを数多く知っていますが、たぶん全タイプの女性がいたのではと思います。タイプの片寄りは無いように思われます。いつものように人数的に多いタイプ2の女性が多勢を占めていましたが、タイプ1・3・4・5・9の人たちも活動していたことを記憶しております。

 エニアグラム理論でみたら、タイプ1・2・6の男性は女性を軽視しやすいのですが、フェミニズム運動に参加しています。自分のなかにあるそんな傾向を知ってか知らずか不明ですが、社会的には間違った有り方だと気づいたからではないでしょうか。

 差別された当事者でないと分からないのでしょうが、突然に、ゆえなく差別されたら誰もが気づいて怒り出すでしょう。しかし、昔からずっと習慣のようになっていることならば、気づきにくいものです。しかしながら、差別者である男性たちのなかに、そうであってはならないと気づいて活動している方がいるのですからね。

 自分とは違うタイプの言動を理解することは難しいものです。同様に、違う立場の人間の言動を理解することも難しいみたいです。もっと分かりやすい例を上げるなら、生まれながらに大富豪であると、ホームレスの人たちの世界や心理を理解しにくいと分かると思います。これに関連のある以下のページを読んでみてください。
    
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-1~/15-34.htm

 生きている世界が違うので、差別者は、被差別者の世界とか心理などを理解できにくいようです。しかしながら、よくよく相手を知れば、かつ相手から学ぶ気持ちがあるならば、いつか分かるようになるかもしれません。同様に、他のタイプの言動が理解できるようになるでしょう。たぶん!  理解の仕方や速度は人それぞれだと思いますが。

 それと同じで、あなたが女性を差別する側に立っていることに気づくようになれば、その方の気持ちも理解できるようになるかもしれません。とはいっても、たくさんの差別を受けましたが、
「女に生まれて良かった」と思っております。たとえ同じような体験をしても、同じようなところに行き着くとは限りません。

 なお、夫(または連れ合い&パートナーと呼ぶ)に対して、「主人」と呼んだことはなく、他人にもそのように語っていません。ここQ&A室も、「主人」と書いてあると、「夫」とか「連れ合い」などと、ひそかに書き換えています。そして、我が家では互いに名前を呼び合っています。ある夜、夫の知り合いから電話がかかり、「ご主人を呼んでください」と言いますから、急に悪戯心が起きて、「主人はわたしです」と答えたことがあります。相手は絶句していました。今でも笑い話になっています。そんな笑い話が早く過去のことになって欲しいと思っています。 

 

10  966 「真実」と「事実」と「真理」の違い      質問者(ケンQ)  2005/03/15
 
 はじめまして。性格とかエニアグラムなどに全く関係ないことなのですが教えてください。竜頭さんに尋ねたら何でも教えてくれそうな気がしています。いまさらながら誰かに尋ねることもできず困っていたところです^^; 言葉としては簡単なんですが、「真実」と「事実」と「真理」の違いを簡潔に説明してくれるところを探しています。昨夜964の回答を読んで「真実を知る」とあり、思い切ってメールしました。よろしく!^^;。
  
回答者(りゅうとうまりこ)    ケンQさん、はじめまして!  2005/03/17

 
「いまさらながら人にはきけない」ことは、結構、多くの方が持っているのではないでしょうか。ご質問の件ですが、私自身もよく書いていますが、厳密に考えて使っていなかったように思います。いまさらながら、どのように説明したらよいのかと、とまどっています。それで次のような例を考えてみました。

 学校の教室内で、ある生徒の携帯電話が紛失してしまいました。クラスの生徒はみな運動場にいて、教室には誰もいない時間に紛失したようです。犯人探しが始まりましたが、5人の生徒のアリバイが無いと分かりました。

 ここで、真犯人探しをすることになりますが、5人の生徒のアリバイがないという「事実」から、真犯人、つまり「真実」を探っています。そこでもう少し5人を調べていくと、4人は携帯電話を持っていて、1人は携帯電話を持っていなかったとします。そうなると、携帯電話を持っていなかった人が、犯人の可能性があると疑いの目を持たれたりします。加えて、盗まれた生徒とは仲が悪かったとか、ケンカしたところを見たことがあると証言されたなら、この携帯電話を持っていなかった子は検挙されるかもしれません。動機があると見られるからです。

 しかし、事件は急展開をして、別の携帯電話を持っていた人が犯人だと分かりました。本人が自首したためです。ケータイを盗まれた子はクラスの人気者で学業成績も良く、真犯人はイタズラがしたがったのだそうです。携帯電話が欲しいという物欲ではなく、ねたみ心が原因であったというわけです。この場合、犯人は自首して真意を述べたので、「真実」は分かりました。そして、「真理」とは、ねたみ心という人間として避けられない感情が、犯人の心を操っているものだということを意味するのでは。
 
 従って、「真実」の背後にあって、それを律しているものが「真理」に当るのではないでしょうか。こんな説明でいいのか、ちょっと心もとないのですが。もし、うまく説明できる人がいたら、ご連絡を頂けるとうれしく思います。

 なお、かつて、人間は神が創造したものという考え方があり(いまだに、そうだと信じている人は多い)、それは「真理」だと思われていました。しかし、人間は他の生物と変わらず、生物のなかでも進化した生き物であると分かってきましたが、それはフィールドワークや科学的立証など、さまざまに沢山の「事実」が見つけ出されて、ついに「真実」が突き止められたからではないでしょうか。そうなると、世界は一体誰が作ったのか、どうしてできたのでしょうか。「真実」の背後にはどんな「真理」が隠されているのでしょうか。まだまだ分からないことばかりです。

 

 11   948    多重人格について知りたい   質問者(せっきー)  2005/02/19

 初めまして!多重人格(解離性同一性障害)を演技だとお考えでないならの話ですが、主人格(患者本人のもともとの人格)とほかの人格は同じタイプになることが多いんでしょうか? 脳の構造は共通しているから、みな同じタイプになると思うんですが。どうなんでしょう。
回答者(りゅうとうまりこ)      せっきーさん、はじめまして!2005/02/21
 
 解離性同一性障害については、全く知らない分野で専門に研究している訳でもありせんから、コメントできません。テレビ番組で、その障害を持つ女性が出演しているところを一度見たことがあるだけです。顔が隠れていましたが、会話からタイプ2w1とハッキリと分かる女性でした。とてもきつくて低い声の攻撃的な人格が登場したかと思うと、幼児期の不安げな人格も登場しました。

 その時のコメンテイターは、この女性の本来の人格は落ち着きのあるおとなしい人であるみたいなことを言ってました。しかし、タイプ2は攻撃タイプですから、元々にきつい気質です。しかし、落ち着きのあるおとなしいと感じさせられる方もしばしばいます。私からは人格が変わったようには思えませんでした。また、幼児が親たちから虐待を受けていれば、当然に不安と恐怖で一杯の日々であったでしょう。タイプ2だとて例外ではありません。

 もしも、その当時の自分が突然に現れ出ているのならば、人格が変わったのではないと考えることができます。そのテレビに出ていたタイプ2の女性の様子を見ると、どの人格であっても、「タイプ2で無いと言えるものは無い」と思われました。しかしながら、この病気が「人格が変わる」というものであれば、「タイプも変わる」という場合もあるかもしれません。沢山の事例を見ない分からないことだと思います。

 たとえば、このタイプ2の女性が、攻撃的な人格に変わった場合、そのセリフや行動パターンなどからタイプ8でしか有り得ないものだとしたら、タイプ8の人格に変わったと言えるでしょう。幼児の様子や行動パターンから、タイプ4と判定できたならば、タイプ4の人格に転換した可能性があります。そうすると、タイプ2が、8や4という人格に変わることが有り得るという考え方になると思います。

 「人格が変わる=タイプが変わる」のようなイメージがありますが、その通りのことがあるかもしれず、また、そうでないかもしれません。どちらもあるのかもしれません。
 そして、先の女性の事例からは、残酷な体験をしたために、当時の自分が突然に踊り出てしまい、過去と現実がごちゃ混ぜになっているようにも見えます。 しかし、現在も真の原因は見つかっておらず、そうなるメカニズムも分かっていませんからね。

 その関係の著書を読んではいますが、事例が紹介されていることが少ないために、タイプは同じか、はたまた違うのか、それがはっきりしないままです。事例というものはプライバシーも関係しており、正確に詳しく紹介できないもので、仕方のないことと思います。そんな訳で、「分からないものは分からないままにしておく」というのが、私の考え方です。また、今後もそのような人たちと面談できる機会はないと思うので、ずっと分からないままになる可能性があります。

 

 12      938 憂鬱な毎日                       質問者(蓮華草)      2005/02/07
 
 はじめまして。私は主婦してますが家族は3人で長男が中学に入り手がかからなくなりました。夫は毎晩仕事で11時頃に帰宅します。毎日が憂鬱で生きる張り合いがありません。生きてても仕方ないみたいな気持ちがずっと続いていて鬱病なのかもしれないと思ったりしてます。医者に行くのも勇気がいり出かけるのもおっくうです。自分でもなんとかしなければと思っていますがどうしても気力が出ません。食欲もなく家事もできないままで家族に申し訳ない気持ちで一杯です。たまにネットを見てショッピングしたりオークションなどで気を紛らわしたりしてましたが、最近はそれもおっくうで一日何もしないままで過ぎます。将来のことを考え出すと不安で一杯になり寝付けないようにもなっています。どうしたらよいのか何かアドバイスを頂きたいのです、よろしくお願いします。
回答者(りゅうとうまりこ)      蓮華草さん、はじめまして!  2005/02/07

 まず、それはうつ病に罹っているのかもしれませんから、専門医の診察を受けてくださったほうがよいと思います。家族に申し訳ないと思うお気持ちがあるならば、家族のために勇気を出して診察に出かけてください。内科でも対応してくれますから、行き付けの内科のお医者さんなら、心理的にも無理せずに出かけられるのではないでしょうか。

 どれくらいの期間を経ているのか分かりませんが、長く栄養を摂っていなかったなら、気力は出なくなると思います。もしも食べられないのでしたなら、総合的な栄養補助となるサプリメントを摂ることをお薦めします。私の飲んでいるものでよければ別途お知らせします。栄養不足になって、気力が出ないこともあると思いますからね。

 次に、インターネットを長時間見ていると、調子が悪くなることが多そうです。体というものは、体全体を使うようにしないと不調になります。ですから、ショッピングなどは自転車に乗って行くとか、また徒歩で行くようにしたほうが体によいのではないでしょうか。核家族であると、家事は少なく、子どもの手がかからず、やりがいも減ってきます。パートナーが11時に帰宅するならば、話し相手もないままで孤独な一日を過ごしてしまっているのではないでしょうか。それでは、どんな方でもうつ病っぽくなりやすいと思います。

 気力を出すには、仕事に就くか、趣味を持つ、どこかのサークルに入る、スポーツをするなどがよいと思います。その中から、自分がすぐにできそうなものを探してください。朝から今日一日にすべきことを決めて、それをクリアできるようにしたり、月間計画を立てるのも良いものです。毎日にメリハリをつけてください。やりがいや生き甲斐というものがないと、誰もが無気力となります。また、無気力になると頭の中でいろいろな妄想ばかり浮かぶようになります。心も、体と同様にいろいろなことに使わないと、不安なことばかり考え出し建設的なことは考えられなくなります。

 たとえば、「今日は押し入れを整理しよう」と決意して、出し入れしやすいように合理的な配置を考えると、心を使うことになります。計画を立てることも、心を使っています。心も体もバランスよく使わないとすぐに調子が狂うのではないでしょう。よくそんな訴えを聞きますが、そんな方が自律神経失調症に罹っていたりします。その場合も同様に考えていただければ良いと思います。

 できるだけ、家のなかに篭らないようにして、たとえば、散歩を毎日2時間するというだけでも、元気を回復させることができます。寒い日が続きますが、寒風の中をたまに走ったりなどもして、無理しないように日課としてトライしたならば、意外と早く気力が付くと分かるのではないでしょうか。どうか、あなたなりのやり方を見つけ出してください。そこから抜け出せるよう祈っています。また何かあったら、ご連絡ください。

 

13    887  脳の障害、疾患などと、タイプとの関係     質問者(浦島太郎) 2004/12/01

 精神分裂病や神経症など原因不明の病気とエニアグラム性格タイプとは何か関係があるのでしょうか。脳の障害と見る医者もいるそうですが・・・。
回答者(りゅうとうまりこ)    浦島太郎さん、はじめまして!  2004/12/01

 脳の障害とか疾患などと、エニアグラムの性格タイプとは関係ないのではと考えていますが、私はそちらの専門知識があるとは言えません。ただし、当会の理論では、精神分裂症については、特定のタイプと関係があるかも知れないとして、6つのタイプを上げています。しかし、これは仮説なのであり、立証されてもいないことだとハッキリと述べています。

 ただ、病前性格などを紹介している本はたくさんにあり、そこから見た場合にも、関連性はあるようには思います。以下の頁に「自我の座理論」を公表しており、その末尾のほうに載せていますから、一度、お読みください。

     http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/static/theory6.htm 

 なお、さまざまな方からご相談を受けていますが、お子さんが自閉症だと言われた、多動児とみなされたなどがよくあります。しかし、私が見たところ何んの問題もないように見えることがよくあります。また、成人して母親になった方が、子どもの頃に注意欠陥多動障害があると言われた、学習障害児とか情緒障害があるなどと、医師たちから告げられたことがあるなども、よく聞いています。

 この方たちも、私からみたら、そのような障害があった人にはとても見えないのですが。また、本人自身もかつての診断に疑問を抱いている方がよくいます。成長の過程は個人差があり、「普通」とか「標準」に当らない人たちは結構います。ちょっと心配性なところがあるなあという子でも、医師から不安神経症だという病名をつけられて、「どうしよう、心配だ」と、ご相談に来られる方も少なくありません。

 どうも、じっくりと時間をかけて診察されていない場合が多いように見受けられます。なにしろ、診察時間は短時間なことが多いのが現状ですからね。たとえば、ただの心配性なのか、不安神経症に当るのか、どこに境界線をつけられるのか容易ではないと思います。医師もいろいろで、診断も違うことがありますから、なるべく複数の専門医に診てもらったほうがよいのではと考えています。 

 

14  861 質問文だけで判定する危険性について 質問者(ヘナヘナ)  2004/11/06
 
 はじめまして。りゅうとうさんのタイプ判定の仕方を見ると、「お見事!」という感じで、よく感心してウナッテます。しかし、私はまだ自分のタイプさえ分からず、これから勉強しなければいけないと思っています。それでも、どうしても気になってお尋ねしたいと思います。短い質問文だけで、タイプ判定しておられますが、なにか危険性を感じてしまうのは私だけでしょうか? 失礼にならなければ良いのですが、ぜひとも考えをお聞かせてください。
回答者(りゅうとうまりこ)     ヘナヘナさん、はじめまして! 2004/11/08

 そのような疑問を抱かれるのはよく理解できます。私自身も当初は、一人の人間のタイプが分かるためには面談して、最低でも3時間から、場合によっては数十時間くらいかかるのであろうと予想していました。

 しかし、回数を重ねるにつれ、1時間くらいでもわかるとか、人によっては会ったばかりで判定できることが少しずつ増えて行きました。回数が多くなるほどに、タイプの特長を早く捉えられるようになると予想できると思いませんか。

 しかし、その場合でも、当会のような理論を持っているので、早い段階で特長を捉えられます。逆に、各タイプの共通の特長を早く発見できたので、理論として構築できたとも言えるのですが。これが車の両輪みたいに働いていたので、タイプ判定の正解率は高まったのではと考えています。

 また、当初は、誰もが自分のタイプをあまり間違えることはないだろう、と思っていました。しかし、回数を重ねるごとに、それからは遠く、正解率が低くなって行きました。あまりにも、自分を客観的に見られない人が多くて呆然とすることがよくあります。私のほうが正解を出していないのではと不安になり、再度調べたりなどもしていましたが。

 そういう紆余曲折があり、タイプ判定の技術が向上して来たように思います。実際、分かりにくい人もいましたが、粘り強く分かるまで探し続けましたので、それがよかったのではと思います。そして、仕事として「タイプ判定」をするようになると、量的にも多くなり、結果として熟達しますから、タイプ判定の正解率は高まると予想できるでしょう。

 各タイプがあまりにも特長を「もろだし」にしているのですが、本人は、「もろだし」になっているとは思っていないのです。まるで、どの人も「自分はタイプ○である」と名札を付けて歩いているようなものだと、よく形容していますが。

 ところで、最近の選挙速報は、1%の開票率で「当選確実」を出しています。20年前には考えられないことです。これも情報の集積によって、段々と正解率が高まって来たためではないでしょうか。それと同じなのです。その人のそれまでの体験や考え方、また全体像を知る必要もありません。質問文のような、その人にとっての「1%」の顕れ方にも、タイプは露骨に出ているからです。

 また、当会は、「あなたはエニアグラムではタイプ9の可能性が高いと判定します」というように回答しており、タイプを断定していません。エニアではない他の類型論もありますが、みな一様に「あなたは○○です」などと回答しています。そして、当会の理論は役立つ知識なので、毒にも薬にもなると思われます。他の類型論は毒にも薬にもならない、どうでもよい類のもので、占いのように楽しむものに過ぎないものだと思っています。

 従って、当会の理論を学ぶと、両刃(もろは)のようなものなので、相手を傷つけるとか貶めるために活用できるかもしれません。その危険性が無いとは言えません。しかし、それは当会の理論を学び、正しいタイプ判定ができて、しかも各タイプを熟知しない限り不可能ですからね。

 また、自分が考えていたタイプと、違うタイプと判定されると傷つく人たちはいると思います。たとえば、自分は女であるのに、男と判定されたら傷つくのと同じです。しかし、それはある基準によって判定されるものです。男女の違いも、それほど簡単に判断できない人たちがいますからね。判定するための基準がしっかりと設定されていないと、判定などできません。

 当会には、幾つもの理論と性格分析の仕方による基準があります。それは他の会とは明確に違っています。ですから、当会の基準では、「あなたはタイプ○の可能性は低い」と告げられても、それは落伍者だとか、おかしな性格な人であると言っているのではありませんからね。9つに分けた場合に、そのタイプの可能性があるとかないとかを述べているに過ぎません。

 当会の考え方がおかしいと思えば、自分が納得できる他の会に判定してもらうのがよいのではと思います。ちょっと冷たく感じられるかもしれませんが、「危険性」云々という質問に対して、どんな危険性があるのか、こちらも予想できないので、回答しようがないのです。どうかご理解ください。もう少し具体的に、何が危険なのか質問してくださるようにお願い致します。

     

15   748      利き脳について                            質問者(bluestone)    2004/07/08

 こんにちは。以前、「腕(指)を組むとき、左が上にくるなら右脳が利き脳、右が上にくるなら左脳が利き脳」という話を聞いたことがあるのですが、感情(思考)タイプでも利き脳が左脳(右脳)になる可能性はありますか? それは、利き脳を判断するための1つの要素にすぎないと言われそうですが、他のことも考慮に入れて判断したと思ってください。それとも、そもそもエニアグラムでいう発達した脳機能と利き脳とは全く別のものなんでしょうか? 別のものでないとしたら、発達した脳機能と利き脳が一致しない場合、矛盾することになりますが、どのように解釈したらよいのですか? 
回答者(りゅうとうまりこ)                   bluestoneさん、はじめまして!  2004/07/11 
 
 
「腕(指)を組むとき、左が上にくるなら右脳が利き脳、右が上にくるなら左脳が利き脳」というものは、巷の話題として聞いたことはあります。しかし、それは科学的に立証されたことではありません。私自身、腕を組むとき、左になったり右になったり、一定ではありません。そのような話はたわいないもので、真剣に取り上げるべきものではないと思っています。

 次に、「利き脳」という言葉ですが、それが当会で言う「発達した脳機能」と同じ意味合いなのか、それが定かではありません。なんとなく同じことを指しているように見えますが、定義づけて説明してもらえないと、回答できないものです。従って、
「一致していない場合に矛盾することになる」と言われても、答えようがありません。

 ところで、「左利き」などのような「利き手」の問題のほうが、脳の機能と関連性があるように感じられます。そこで、先に「利き手」について述べたいと思います。

 「利き手」というものは、左と右とで形や機能の違いがないように見える指や手の運動と感覚に、左と右とでは違いがあることです。それは、左脳と右脳の働きに、左右差があるからではと考えられています。なお、「利き手」は生まれつきのものと考えられていますが、原因はまだ解明されていないようです。

 現在では、脳は「機能局在」であると認められていて、たとえば「37野」と名付けられた部位は、書き言葉の理解、とくに漢字の理解を行っているところです。(ちなみに、当会では、タイプ4はここに“”自我の座”があるのではと予想していますが) 

 そうなると、「利き手」という機能も、「運動野」のどこかの部位に局在してあるものと考えられます。仮に、左脳の中の運動野内に、「利き手」の運動中枢があったとします。そうすると、脳は交叉支配している神経システムなので、その方は「右利き」になると考えられます。そうなると、「左利き」の方は、右脳の運動野内にあると考えられます。 

 さて、当会の「自我の座理論」のなかに、右脳優位タイプ・左脳優位タイプについて紹介しております。以下です。このページに、右脳機能とは、顔や物の形の認識・立体感覚・音楽や芸術・情緒的な感情・想像・直感的に総合的に考えるという機能を司っていると載せています。

  @
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/static/theory6.htm

 ところで、当会の理論なら、右脳優位タイプであるタイプ4は、右脳に“自我の座”があるために、右脳機能である「イメージ力」のある方が多いということになります。しかし、実在のあるタイプ4は、左のほうにある脳に、右脳機能があるかもしれません。この場合は、実際には左脳に“自我の座”があることになりますが、それでも呼び方としては「右脳優位タイプ」となります。タイプ4というグループに入る性格となります。つまり、呼び方として「右脳優位タイプ」というだけのことです。

 質問に
「感情(思考)タイプでも利き脳が左脳(右脳)になる可能性はありますか?」がありますが、上記のようなことを考慮したならば、「その可能性はある」という回答になり、また、一致しなくとも、矛盾もしません。 
 このように、当会では、性格を決定づけるものとして「自我の座」というものが脳内にあるという考え方をしています。それを仮に、「性格中枢」と呼ぶことにして、もう一つを「利き手中枢」と呼ぶことにします。

 タイプ4のAさんは、「性格中枢」が右脳にあったので、問題なく「右脳優位タイプ」と言えます。しかし、タイプ4のBさんは、「性格中枢」が左脳にあり、右脳優位タイプではあるが、中枢は左脳にあることになります。次に、タイプ4のAさんは左利きで、利き手中枢は右脳にあり、タイプ4のBさんも同様に左利きで、利き手中枢は右脳にあるとします。しかし、このタイプ4のBさんが右利きで、利き手中枢は左脳にある場合も考えられます。なぜなら、性格中枢が右脳にある時、利き手中枢も右脳にあるとは限らない、と考えることもできるからです。

 簡単に言うならば、全タイプに右利きと左利きがいるみたいです。左利きの有名人を調べているサイトなどがあり、全タイプに存在していますからね。

 なお、当サイトには、A「口元がゆがみ、表情筋が左右アンバランスなタイプ」という文を公表しています。以下のページで、このページ内にある図を見て欲しいのです。「利き手」とよく似た現象があるためです。

   A
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-201~/15-227.htm

 そこに次のように説明しています。
「図のBにあるように右の表情筋が引きつれており、口元や頬にかけて、右につり上がっているように見える人たちがいます。それはタイプ9w1・1・2w1に最も多く見られるものです。ただし、引きつれがBとは限らず、Aになったりもします。数は少ないのですが、よく見かけます。例えば、ジャズシンガーの綾戸智絵さんです。彼女は典型的でわかりやすい2w1です。彼女は図のような右ではなく、左にゆがんでいます」

 この口元の歪みがどこから来ているのか原因は分かっていません。ただ、当会でのタイプ分けによって、右脳優位タイプの2w1だけにあるのではなく、行動タイプのタイプ1と9
w1にもよくあるものだと発見しています。口元をゆがませて、表情筋に引きつれを起こさせている原因となる機能が、脳内にあるのではないかと予想しているのですが。

 それを仮に「表情筋中枢」と呼びますと、綾戸智絵さん(こちらからは2w1らしく見える)は、多くの2w1の人たちとは違い、その反対側の脳に、この中枢があるのではないかと予想します。彼女の右脳機能は、実際には左脳にあるのか調べないと分かりません。また、関連性があるのかもしれませんが無い可能性もあると思います。

 次に、脳は、それぞれの機能を分担しており、「機能局在」になっていますから、ある機能は右脳に、ある機能は左脳にあります。しかし、左右脳は相補的になっているため、よく似た機能も受け持っています。右脳がダメーシを受けても、それを左脳が代行できるからです。それゆえ、脳機能はとても複雑であり、簡単には説明できません。

 脳は依然としてブラックボックスであり、分からない分野のほうが多いのです。また、巷では、右脳タイプは天才型だなどといって、右脳を発達させる訓練をしたほうがよいなどとも言われています。
 当会でも、右脳優位タイプ・左脳優位タイプという理論を持っていますが、実は立証されていません。そのように考えると9つのタイプの特長をうまく説明できるというに過ぎません。当会の理論は「いずれ科学的に立証されるだろう」と、@のページの末尾に書き添えています。 一度は読んでいただきたいと思います。

  

16  696   エニアは 人の心を隠し撮りするカメラ?         質問者(新年会)   2004/05/11
 
 どうやら私は相手の仕草を観察することよりも、家族構成や好きな作家等を質問することに心を奪われ過ぎていたように思います。以前の質問への回答として、「素直な気持ちで観察していると、見えてくるものが多いと考えてください」があり、その部分を何度も読み返しました。がしかし、今一つ、人と接する際の違和感が無くなりません。なんとなく、エニアグラムというカメラで、人の心を隠し撮りしているような居心地の悪さがあるように思うのです。このような体験はエニアグラムを学んでいく上で、多くの方がなさるものなのでしょうか。泳ぎ(エニアグラム)を学ぶには畳の上(書物)より、水の中(ワーク、講座)とは思うのですが、水に入る(観察し記録する)段階で躓いている場合にはどうすればよいのでしょう。
回答者(りゅうとうまりこ)      新年会さん、こんにちは!  2004/05/15

 
「エニアグラムというカメラで、人の心を隠し撮りしているような居心地の悪さがある」そうですが、それはちょっと意識し過ぎではないかと思われますが、どうでしょう?

 また、あなたの比ゆはあまり的確ではないように思われます。よく「エニアグラムを学ぶ」とは書いてますが、実はエニアグラムを学ぶのではなく、「人から学ぶ」というのが正確な言い方ではないかと思っています。

 大切なのは、「その人を知りたい」とか「その人を理解したい」という気持ちがあるのかという点です。好きな人のことを知りたい、周囲の人とうまくつきあえるようになりたい、というような「動機」が、大きく左右するかもしれません。人から傷つけられないように学びたいというのであれば、真剣に習得するかもしれず、そうなれば、
「居心地悪さ」というものとは無縁でしょう。

 誰かを批判したり非難したいために、エニアグラム的な解釈をしようとか分析しようなどと考えていると、居心地が悪いというだけでなく、間違った情報をとり出してしまう恐れがあります。または、動機が不純であると、人間的な成長に役立つものにならないのは必然的ではないかと思います。

 あまりよくない例ですが、人間に復讐したいという動機で、爆弾作りを学んでいたら、その知識が本人を追い詰めて行き、むろん人間的にも後退するでしょう。人類救済のために、治療薬作りを学んでいたら、その知識をさまざまに活かしたり広げられるかもしれません。また、本人自身も建設的な生き方をするようになり、人間的にも成長する可能性があると思われます。

 あなたと同じような体験をしている方がいると思います。しかし、知りたいとか理解したいという気持ちが本当で、動機に問題がなければ、素直に接することができると思います。その人から学ぶのであり、その人を裁断していません。

 また、優位に立ちたいがために、エニアグラムの知識を得て、それで相手を見下したり、裁断しようとするなら、いつかは自分に対して誇りが持てなくなるのではと思います。 つまり、どんなによい知識でも悪用すれば、自分自身をダメにしてしまうであろうと予想します。悪意であろうと善意であろうとも、自分が選んで成した行為の結果は、最終的には全て自分に降りかかって来るとも言えます。

 ところで、私自身がまだ各タイプをよく知らないときに、あるタイプを嫌っていたことがあります。嫌っているので、他人に、このタイプの説明をする段になると、個人的な感情を出してはいけないとかなり意識しました。それで歯切れが悪くなり、心の座りが悪いという感じで困りました。現在は、どのタイプも同じくらいに素晴らしいところがあると確信しています。むろん、どのタイプにも同じくらいに嫌なところがあるとも思っています。

 真にそう思えるようになると、かつて嫌いだったタイプの欠点も、すんなりと語れるようになりました。どのタイプの人を前にしても、歯切れよく「あなたのここが欠点だと思います」と、現在は言えます。「性格は公平にできているなあ」と、つくづくと感じております。神様は性格というものを公平に作っている「大した奴だ!」などと、無神論者なのですが、感心してしまうのです。

 

17     685     ADHDと気質について                     質問者(シリ)   2004/04/30

 初めまして。こちらのサイトは、エニアグラムについて色々と興味深いことが載っているので、いつも楽しく拝見させて頂いています。この前ADHD(注意欠陥障害)と言う病気について知りました。そこで、その症状によって引き起こされる気質がエニアグラム4の気質ととてもよく似ていると思ったのです。エニアグラムは生まれつき備わっている気質だと聞きましたが、こういう障害によっても左右されるものなのでしょうか?それともまったく別々のものなのでしょうか?私自身症状に悩んでいたりもしたので、とても気になりました。
回答者(りゅうとうまりこ)        シリさん、はじめまして!   2004/05/03

 注意欠陥多動性障害(ADHD=Attention- Deficit/Hyperactivity Disorder)とは、落ち着きが無く、物事に集中できず、衝動的ともなり、不注意でボーっとして、呼びかけられても気がつかない等だと言われています。主に子どもの障害だと言われていますが、大人にもあるようです。ADHDになる原因は、まだわかっていません。脳機能に障害がおこっているという考え方が有力なんだそうです。性格とか親の育て方などが原因だとは言われていません。

  ところで、自分のことをADHDだと語る人は意外に多く、ごく最近読んだ本でも、脳研究者が子どもの頃、ADHDであったと告白していました。また、尋ねられることもよくあり、それはタイプ4だけではありません。上の脳研究者は、タイプ2w1でしたし、タイプ3やタイプ6の方でもそのように診断されたことがあるようです。

 タイプ7は最も該当者に思われているようで、よく相談もされます。しかし、上記のタイプだけでなく、タイプ8・9w1・9w8というエニアグラムでみたら、落ち着いているほうに入るタイプの人さえも、ADHDではないかと言われたことがあるようです。

 私自身も、「落ち着きがない」だけは、たぶん該当しないように見られるかもしれません。しかし、その他は全て該当してしまいます。そして、これらを障害だと見る場合、程度問題があると考えられます。かなりの注意欠損で多動で、治療を要するくらいな人を指しているはずです。少しばかり該当するだけなのに、この障害があると思い込む方が沢山いるようです。

 性格に関することで、自分のことがよく分からない人が多いので、それとよく似た現象があると考えられます。例えば、「自分は傷つきやすい」と言う方は多いのですが、「自分は傷つきにくい」などと言う人はまずいません。誰もが傷つきやすい一面があるからです。これと同じで、誰もがこのような傾向を持つ可能性があります。落ち着けない時があり、物事に集中できず、不注意でボウっとしたり、呼びかけられても気付かないことがあるはずです。

 病院で治療を受ける必要があり、通常の日常生活ができないくらいな人、異様に感じるくらいな人を、目の前で見たことがないために、自分もそうだと思い込むのではないでしょうか。

 また、当会では、9つの性格は「気質」を指していて、「気質」は一生変わらないものと見ています。脳機能に大きな障害を受けても、「気質」は変わりません。脳の一部が損傷して、暴力的な性格に変わってしまった人は実在します。しかし、その人のタイプ判定をしたら、その前も後でも、同じタイプの可能性があると思っています。ただし、「自我の座」が損傷した場合は、その限りではないのかもしれないと見ています。

 自閉症児や学習障害児、知的障害者などのタイプ判定もしており、そのタイプらしさははっきりと見えます。どんな障害を持っている方でも、それぞれに性格があり、9つのタイプに分類することができると考えられます。

 
ADHDらしい症状に悩んでおられるそうですが、治療が必要なくらいに重い症状なのでしょうか? あなたの思い過ごしである可能性はありませんか? ご心配ならば、専門医の診察を受けてみてはどうでしょう。あなたの心を納得させる必要があると思います。

 

18      682     「夫の性格・妻の性格」を読んで   質問者(結局人間)  2004/04/28

  私も「夫の性格・妻の性格」購入しました。率直な感想としては、語り手のタイプを当てるのが非常に難しいと思いました。語られている方は、もちろん正答率半分以下ですが。語り手は口調などで先入観がわいてしまい、当たる率は語られ側の半分以下です。消去法で残り3タイプ程度まで絞れることが多いんですが、主にその先で先入観でつくられたイメージにたよって間違えてしまいます。例えば、P71の「子どもが生まれて夫は変貌」では、妻はタイプ3とされていますが、それがわかりません。「彼が娘をかわいがるので再婚を決めた」「子供が生まれ母子ともどもに幸せになれると思った」「夫の浮気や隠し事を疑う」「夫の外出先を聞く」「難癖をつけられて言い返す」あたりが判定材料ということでいいでしょうか? 間違っていたらすみません。そして、「妻は冷静に夫との関係を見つめ、自分を抑制し、自己主張もしている」とありますが、これらからタイプ3と判定できるんでしょうか?
 
回答者(りゅうとうまりこ)    結局人間さん、こんにちは!    2004/04/29
 
 著書の「夫の性格・妻の性格」にある事例は、頁数が決まっています。4ページまたは5ページのみで書くように、編集者から指定されたものです。これは大変に書き辛いことで、性格を説明するに無理があったと言えます。

 詳しく書くと、読み手に面倒な気持ちにさせますから、短くするほうが良いという考え方であり、事例は多く載せられます。詳しく書くと間違えられることは少なくなりますが、そこまで詳しく書くと、煩雑となり読みづらく、軽い読み物にはなりません。こちらだと事例もたくさん載せられません。

 どちらかにせねばなりませんが、この本は前者を選んだのだと思ってください。同じくらいの事例集「母と子のエニアグラム」のほうが、もう少し詳しく書けていると思います。次回に予定している「エニアグラムで恋に勝利する」は、15事例で少ないのですが、こちらは出版できないかもしれません。先の3冊の本が売れていないようなので、難しくなっています。

 できましたら、ここを愛読している方々に、図書館などに置いてもらえるように、リクエストをお願いしたいのですが……。また、出版社に葉書などを出すと、読者の要望として採用されることがあります。元々に、受講生の一人が出版社に葉書を出したので、「究極のエニアグラム」を出すことができたくらいですから…。

 さて、P71の
「子どもが生まれて夫は変貌」の事例ですが、タイプ3の女性は、チヤホヤされたいほうなので、「女王様扱い」というところが最もよく該当します。また、子持ちで独身の女性は、自分と子どもの両方を大切にしてくれそうだと思える男性を選ぶものではないでしょうか。これはどのタイプの母親でも同じですから、ここはタイプ3の特長ではありません。

 次に、夫が浮気するとか隠し事をするだろうと予想できるのは、どちらかというと「世界と否定的に結びつくタイプ」です。他のタイプでも予想できる人はいますが、「信じられない」と言って、天地が逆転するくらいに驚く女性が結構います。とくに「世界と肯定的に結びつくタイプ2・6・1」のほうです。

 「浮気しないと約束した」と言って、約束を守らない夫に信頼感を無くす女性たちも結構います。たとえば、タイプ4は約束というものをあまりにも過信して厳格に考える傾向があります。タイプ8・3・7は、約束はしても、それは破られるものだとドライに考えやすい性格なのです。だからといって、ショックにならない!というものではありませんが。

 
「夫の性格・妻の性格」は、当初は詳しく書いていましたが、短い文にするようにと指定されてから、相当な部分を消しています。ですから、タイプ判定する場合に難しいことが起きるだろうと思います。しかしながら、詳しく書いても実は難しくて、正解率は低いだろうと予想します。実際、受講生からの相談があった場合、傍で聞いている受講生も、最初のうちはほとんど正解率ゼロです。それで再度質問して確かめていたりしますが、それでも難しいらしいのです。

 それほどなので、まして独学者は、各自が独特のタイプイメージを作り出しやすく、それを是正できる機会がありません。また、正しい判定方法を知っていないために、大変に間違えやすいと考えられます。通信講座と当サイトのQ&A室だけが、判定の仕方まで学べる場であり、公表しているのはここだけで、他に例を見ないものです。ですから、ここをうまく活用してください。

 

19     678 タイプにあわせて回答しているのか  質問者(勇)  2004/04/24        

 いつもQ&A室で様々な質問をしていて疑問に思ったことがあります。それは、「竜頭さんは質問者のタイプにあわせて回答しているのか?」ということです。つまり竜頭さんはこのように言えば相手に伝わりやすいということを意識して回答しているかどうかということです。どんな質問に対しても理路整然としかも具体的に答えてらっしゃるので質問者にあわせずにいつも同じように回答しているようにも見えるのですが、実際はどうなんでしょうか?
回答者(りゅうとうまりこ)                勇さん、こんにちは!       2004/04/25 
 
 回答に際して、一番に心掛けていることは、問題になっていること、取り上げていることの最も本質的なところ、または真の原因などを探し出して、それを正確に伝えることです。それはタイプとは関係がありません。

 ただ、アドバイスしても、そのタイプにはできにくいことがあるだろうと予想します。どんなに素晴らしい助言でも、当人が採用できないようなアドバイスならば価値がありません。そのタイプにとって、もっとも採用しやすく、行動に移せやすいアドバイスを探すように心掛けています。

 つぎに、タイプに合わせるというよりも、精神状態や深刻度に合わせているほうが多いように思います。精神的に相当に追い詰められていると感じられる場合は、慎重に、また穏やかな語彙を選んでいるかもしれません。また、深刻な問題ならば、素早く対応できるようにせねばなりません。段取りよく、対策を提案しなければならず、具体性が増すかもしれません。

 いい加減な質問とか、単なるわがままだと感じる質問もあります。その場合は、少しばかり厳しい口調になっているかもしれません。微妙に違うのかもしれませんが、私自身はあまり意識していません。また、賢い方とそうでない方がいて、理解力がそれぞれ違います。理解力のある方には抽象的となりやすく省略できる部分が増えますが、そうでない方には難しい用語を使わないように、できるだけ具体的にと意識しています。

 しかし、基本的には、中学生が読んでもよく分かる文にしたいと考えています。14歳で、一日5時間くらい当サイト読んでいる方がいるそうで、その時間とエネルギーに値する内容のあるサイト、読みやすいサイトにしたいと考えています。

 ところで、もっと優しく、懇切丁寧な柔らかい口調でアドバイスすべだという意見がよく来ます。もっとなぐさめの言葉をかけるべきだとか、質問者は機嫌を損ねているのではないか、などもあります。サービス精神に欠ける! みたいなことまで言われ、厳しいご意見もあります。しかし、そういうことが不得意であり、なにか迎合的なものの言い方をすることができません。それでも横柄とかごう慢に見られないように気をつけていますが、うまく書けているか自信はありません。

 私も生身の人間で、気持ちがいら立つことがあり、心労が多い時などもあります。それは出さないように努力しているつもりですが、たぶん出ていることでしょう。どうか、ご理解くださいますようにお願いしたいと思います。

 一般的なカウンセリングでは、クライアントの気持ちに共感する、置かれている状況をよく知るなどがあります。むろんそれらは大切なところですが、私自身は、物事をよく理解できるようにする、問題解決の道を探る、ということを最も重要視しています。深刻な悩みや切迫した悩みを持つ方が多く、それに対して、共感して聞くだけでは不十分ですからね。

 置かれている状況も、エニアグラムというツールがなければ、状況把握に時間がかかると考えています。それができなければ、対策や解決のためのアドバイスは出せません。一般的な他のカウンセリングは、主に共感して聞くだけになりがちですが、それはクライエントの置かれている状況を正確に把握をするのに、膨大な時間がかかるからでしょう。クライエント自身の性格を知ることさえ時間がかりますからね。

 ところが、当会では10行の文からタイプ判定できるくらいですから、面談であれば性格タイプを知るのに10分とかからないことがよくあります。電話予約された時の会話からでも、タイプを絞れることがあるほどです。

 家族問題で、他の家族の性格を知る必要がある場合も、それほど時間を要しません。問題点がすぐに明瞭に浮かび上がりやすい理論を持っています。従って、問題解決の道を探るという具体的なアドバイスに移行しやすいと考えられます。

 カウンセラーの人柄とかではなく、どれほど実際の役に立つアドバイスができるかにかかっていると考えます(ちなみに、私の人柄云々をあまり問題にしてほしくないと‥、もっと賢いカウンセラーになりたいという想いは強くありますが)。当然に、Q&A室でも、それを一番に追求するようにしています。

回答に対する返事          勇さんより   2004/04/26

 やはりいろいろと大変なんですね……。なにしろ長くこの質問コーナーでお世話になっているので、最近の竜頭さんはつかれているなーと思うこともあるのですが、そういうことをほとんど出さずに質問に答えているのは本当にすごいことだと思います。ちなみに、僕は質問に対して誠実に答えている時点で、丁寧で優しいと思います。毎日これだけの回答文を続けて書くことは、簡単そうで非常に難しいことです。毎日ここのサイトを見るのが日課になっていて、楽しみにしています。
再回答(りゅうとう)           勇さんへ、    2004/04/27

 ありがとうございます。そのように言っていただけると、とても励みになります。疲れも取れそうです。

 

20      659  どもり(吃音)について        質問者(藍上)      2004/03/31

 どもるということについて質問をします。私は緊張している時はもちろん、何気ない会話でも興奮していたりする時など、よく舌が回らずにどもってしまいます。井の中の蛙なところもあるでしょうが、周りの人より随分とどもりな気がします。しかし家族に対してや、上機嫌なときに楽しい会話をするとき、相当腹の立った時に言う悪口などはスラスラと言葉を紡ぎ出せてしまいます。しかも早口で。自分でもよくぞそこまで喋りきれたもんだと感心するほどです。自分でも喋るということが苦手なのか得意なのかよくわかりません。早口言葉はサークルのほうで練習しているということもあり、どちらかというと得意です。どもってしまうことは自分の特長なのでしょうか、それともタイプから来る特長なのでしょうか。タイプから来るものなのだとしたら、やはりどもりやすいタイプというのが存在するのでしょうか(防御タイプとか・・・)
回答者(りゅうとうまりこ)       藍上さん、はじめまして!  2004/04/04

 まず、吃音(どもり)になる原因はわかっていないようで、素因的なものがあるとも言われています。そうなると、性格タイプ=気質=基本ソフト=遺伝的な素因とも言えますから、タイプと吃音は関連しているのかもしれません。しかし、まだよく分かっていないことなのですから。

 それ以外に、環境とか親の養育や周囲の人たちとの接し方なども、原因のうちに入っているとも言われています。また、一般的にはあがり症から来ているとか、緊張しやすいためだろうとか、いろいろに言われています。しかし、私自身は、単に脳内の聴覚機能障害ではないかと想像しているのですが、その道の専門家ではありませんから、正しい回答などできません。

 エニアグラムでタイプ分けして見ると、どもりやすいタイプというものがあるのか、全く分かりません。身近なところで知っているのは、タイプ6w5やタイプ1w9の方でどもる方をしばしば見ています。しかし、それは狭い範囲内のことであり、広く調査されたことではないので、「全く分からない」と言うべきでしょう。また、タイプ8や2の方で、強いどもりがある方を知っていますし、タイプ9やタイプ4の方も知っています。

 吃音は、聴覚だけでなく、脳内の発語に関係する言語野の機能にも何らかの障害があるのではないかと考えられますが、それも確かなことではありません。そして、歌っている時とか、独り言などをつぶやいている時には、どもらないことはよく知られています。早口の人がよくどもる傾向もあるようなので、ゆっくりと話すように心がけると、どもる頻度が減るかもしれないと思います。

 環境とか周囲の人たちとの接し方も関連してくると思います。なぜなら、安定した環境にいたり緊張しないでいると、流暢になるようです。その他、大きな声を出して話すと流暢になったり、いつも会話して多弁になるほどに直ってしまうなどもあるようです。

回答に対する返事       藍上さんより      2004/04/08

 こんばんは。歌をうたう時や独り言を言うときは、私もどもったりすることはないです。気持ちの持たせ方が大切なんですね。ひどい緊張感に襲われた時や、大切な場面でしゃべる時などは、アドバイスを参考にして、大きな声で焦らず、気持ちにゆとりを持たせて話すことを心がけようと思います。丁寧な回答、本当にどうもありがとうございました。

 

21  617   利き手の矯正で性格は変化するか                     質問者(くらら)      2004/02/14

 私は左利きなのですが、小学校に上がったときに字を書くのは右手に矯正されました。あと、そろばんも右手で行いますが、その他は左です。振り返ってみると、幼稚園以前と小学校以後とでは性格にかなり大きな変化があったように思います。右利きに矯正されたことはタイプ論的に見てどういった影響があるのでしょうか? ちなみに、自分ではものすごく小心者のように感じているのですが、他の人から見ると私は泰然自若としているように見えるらしいです。
回答者(りゅうとうまりこ)       くららさん、はじめまして!   2004/02/18

 質問の意味がわかりづらいのですが。右利きに矯正されると性格も変わり、性格タイプも変わるのだろうか、という意味なのでしょうか? 

 とりあえず、そのように受け取り、回答させて頂きます。利き手を矯正されることと、性格の変化は全く関係がないと思います。たまたま同じ時期
「幼稚園以前と小学校以後とでは性格に大きな変化」があったので、関連づけられるかなと思われたのかもしれません。

 たとえば、ある人物を当会のタイプ判定で、タイプ9と判定したとします。その場合、当会では、タイプ9という気質(=性格タイプ)に生まれた方と捉えます。その気質は終生変わらないと見ています。両親を亡くそうが、うつ病に罹ろうが、不登校になろうが、スカウトされて一躍、芸能界で活躍するようになっても、タイプ9という気質は変わりません。従って、利き手の矯正くらいでは、性格タイプが変わるものではないと考えています。
 
 しかしながら、9歳の時に両親に死なれて、何ら変化がないわけはありません。タイプ
の子であれば、それまで素直で穏やかで明るかったのに、一人になってからは陰気になったり無口になるでしょう。行動力が落ちて反応の鈍い子になる可能性もあります。うつ病的になり、暖かい養護者と出会わなければ、本当のうつ病に罹ってしまうかもしれません。

 伯父さんに引き取られて、やさしく接してもらったが、不登校くらいはするかもしれません。しかし、幸運にも美形であったため、15歳にスカウトされて、ロックグループの一員になったとしたら、すぐには無理ですが、次第に陰気なところはなくなるでしょう。仲良しができたら、その人にはおしゃべりにもなるかもしれません。次第に自信がつくと、活発となりイキイキと生気溢れる性格に変わるかもしれません。

 しかし、当会で判定したなら、9歳の時であろうと、15歳で大活躍しているときでも、同じようにタイプ9と読み取れるでしょう。気質は変わらなくとも、その時々の状況や環境によって、性格は変わったように見えます。精神状態が変ったとも言え、性格は一定不変ではありませんからね。

 また、自分では小心者だと思っていても、他人からは泰然自若に見えるなどはよくあることです。どちらも併せ持っている、それがあなたという方なのではないでしょうか。

 

22   518  カウンセリングについて      質問者〔ムラジ〕   2003/10/24
 
 お久しぶりです。「つぐみの髭の王様」は大変に面白く読ませていただきました。ところでお尋ねしたいことがあります。先生はカウンセリングはされないのでしょうか? この質問コーナーを読むにつけカウンセリングをして欲しいといつも思っていました。どうしたら受けられますか。ちょっと遠方なのですが、できたら近いうちに受けたいのですが?
回答者〔りゅうとうまりこ〕    ムラジさん、お久しぶりです     2003/10/25

 ホームページではお知らせしていませんでしたが、カウンセリングは当初よりずっとしています。料金はごく最近になって値上げしました。10月1日づけからです。それまでのパンフレットを持っている方は廃棄をお願いします。

 10月1日から一時間30分(90分)で、6000円と改定しています。30分延長すると8000円〔つまり2時間で8000円〕になります。完全予約制で前払いとなります。メールで予約くださるようお願い致します。

 なお、遠方の方は、初回のみ面接が必要ですが、二回目以降は電話でもご相談を受けたまわっておりますから、どうか、それをご利用ください。

 ホームページの「悩み相談」は、比較的問題が軽いものを扱っており、深刻なものは面接しないと受け付られないと個々にお伝えしています。メールのやりとりでは誤解を生じたり、十分に状況把握できないためです。状況を間違えて捉えると大変なことになりますからね。

 いろいろな意味で現在ギリギリのところで仕事をこなしているため、窓口を狭めないとよい仕事ができないように思います。カウンセラーも人間で、間違える可能性が無いとは言えません。また、健康な生活を心がける必要があり、余裕がない状態でカウンセリングをするのは絶対に避けねばならないからです。

 つぎに、無料にすると、かえってアドバイスを軽視されることが次第に分かってきたからとも言えます。おかしな現象ですが、高額にしたほうがアドバイスをよく聞き入れてくださるようです。化粧品などと同様ですが、安い価格で売ると全く売れず、高価にすると美しくなれると思うらしく、実際にも美しくなったりします。「気持ちの持ちよう」などとよく言いますが、カウンセリングも同じような傾向があります。より高額にしたほうが真剣になって聞き入れたり、取り入れてくださるようです。

 貧しい人たちには大変に心苦しいのですが、そんな訳で、料金アップをしなければなりません。また、高校生くらいの方からの問い合わせが多いのですが、深刻な問題は、子ども一人ではどうにもなりません。親と同行して、ともに問題解決のために話合わないとうまく行きません。そう言う意味でも、有料化しなければならないと考え実施することになりました。ご理解ください。

 なお、知らない方のために一般的な価格をお知らせしますが、カウンセラーは保険が効かないために高額になります。1時間で10000円〜20000円が相場です。しかし、公的な機関では2000円や3000円くらいでカウンセリングをしているところがあります。金額的に高いと思う方は、そちらを利用されるとよいのではと思います。

 そして、当会のエニアグラム・カウンセリングは当会の理論を使ってアドバイスするために、かなりの独自路線です。他に類を見ないものです。現在、私の片腕になる方やともにエニアグラム・カウンセラーになる方を養成しています。それらの方が、少なくとも私くらいまで育てば、無料の一日電話相談なども実施したいと考えています。現在は過度期であり、大切に育てていかねばならない責務があり、どうかご理解くださいますようお願い致します。

 

23 485         酒に酔っている時と素面の時について  質問者〔TAKE〕  2003/09/16

 いつも質問に丁寧に答えて頂きありがとうございます。質問ですが、人が酒に酔った時、素面の時には見られなかった一面を見ることができます。酔った状態ではその人の本性が出る、とよく耳にします。タイプ判定をする場合、素面の人よりも酔っ払っている人を判定する方が容易なのでしょうか? 回答宜しくお願いします。
回答者〔りゅうとうまりこ〕       TAKEさん、こんにちは!   2003/09/18

 「酔った時こそ本性が出る」と、巷ではよく言われていますね。さて、素面の時も酔っている時も、全タイプに習熟すれば、どちらであってもタイプ判定できます。むろん、同じタイプと判定できるはずです。素面の時も本性がそのまま出ているわけですからね。酔っているときは、別の一面であり、場面や状況が変われば、また、別の一面を出しているのではないでしょうか。

 ある人が、自分に対しては横柄なのに、自分の知り合いにはへいこらしているので、驚く場合があると思います。同一人物に見えない場合がありますが、そんな時、どちらを本性だと言えるのでしょうか。

 いつもはおとなしい人が、上司や先輩に食ってかかるところを見て、ビックリしたなどもあるでしょう。そんな場合、「本性はきつい人に違いない」と考えたりしますが、本当にそうなのでしょうか。

 また、結婚前に、「自分は尽くすタイプだと思う」などと語っていた女性が、結婚して「自分は尽くされたいほうだと気づいた」などもあります。友人たちも、「あの娘は男性に頼るほうで、依存的な印象がする」と言っていたのに、「君が、夫を尻に敷くほうだったとはねえ」と驚いたりもします。どちらも、その人のさまざまな側面なのであり、環境が変わったために、違う自分になってしまうのです。

 とはいえ、その女性がタイプ7だとしたら、どんなに変わったように見えても、タイプ7だと判定できます。基本的に、タイプ7の行動パターンであり、価値観や世界観がなども、タイプ7のままです。タイプ7がタイプ3にはなれず、タイプ7w6からタイプ7w8に移行することもありません。

 人は誰も、相手が変われば違う自分になり、状況が変われば、別の自分になります。しかし、そのどれもが自分であり、いつも本性丸出しです。

 とくに酔った場合だけ本性が出るのではありません。タイプを熟知すれば、どの人もまるで、「○タイプと名札を付けて歩いている」ようにさえ見えるのですから。当講座を長く受講した人の中には、私同様に、1分〜5分で相手のタイプを見破るくらいであると、今夜は格別に披露したいと思います。

回答に対する返事             TAKEさん    2003/09/18
 
 
酔っていようといまいと、タイプ判定に支障は無いわけですね。それにしても、短時間でタイプ判定が出来たなら、その人と打ち解け合うのも早くなりそうですね。質問に答えていただき、どうもありがとうございました。
 

 

24  416  自分観察日記の付け方      質問者(ハル)      2003/05/27

 竜頭さん、こんにちは。以前はご回答有難うございました。私は遠くてワークに参加することはできません。そこで、竜頭さんがおっしゃったように「自分観察日記」をつけ始めました。しかし、どうも普通の日記になってしまいます。出来事を書き、その時自分はどう思ったかなどを書きました。でも、観察して分析するというのが良く分かりません。わかりやすく教えていただけますか。あと、「身近な人たちの観察日記」もつけたかったのですが、私は1人でいることが多く、あまり他人と接触することがありません。一緒にいる時間が短くても、観察したことを書くのは意味がありますか。では、よろしくお願いします。
回答者(りゅうとうまりこ)     ハルさん、こんにちは!   2003/05/29

 まず、量的に増えないことには、分析など、とてもできるものではありません。日記を付けてから、まだ5日くらいだとしたら、まだ何も始まっていないという段階です。せめて三ヶ月はただただ、たくさん書き出すことだけに専念してください。

 そして、一緒にいる時間が少なくても、その人との関係はこれまで一杯にあったはずです。過去を振り返ってもいいのです。また、挨拶くらいはしたと思いますが、相手の様子を観察してください。いつもと同じようでも、違うことがあるはずです。

 逆に、あなたのほうが、いつもと違う挨拶をしてもよいものです。そうすると、相手の反応も違ってきます。相手と自分との相互関係によって、何かが変ります。現在の状態を変えたいならば、そんな小さなことでも、ちょっと違うものにしたら、別の何かが見えてきます。日記をつけるというのは、そんないろいろなことに気付くための一つの方法なのです。

 また、それでも、単調な日々だというなら、散歩に出たり、映画を見たりなどもしてください。入ったことのない喫茶店に行き、隣の席に座った人に声をかけてみたり、勇気を出して、いつもと違うことにトライしてください。散歩の途中での草花の変化、近所の人たちの服装の変化、虫たちの変化なども、書き出せばキリが無いくらいにあるはずです。

 そういうことに気付きはじめると、世界が変わってみえるようになると思いますが。しかし、それだとて、短期間では、表層的な気づきでしかないでしょう。なんでも、そうだと思いますが、ある程度の長い期間を経ないと、物事を深く捉えることはできないのではないでしょうか。仮に、一年間続けても、何の変化もなく、何も新たなものが見えて来ないとしたら、それは、観察がまだまだ進んでいないのではと考えてください。

 私自身も、エニアグラム理論をしばしば公表していますが、とても大変な作業です。しかし、書いているうちに、新たな発見をします。書く前には予想もつかなかった「気づき」が、実にしばしばあるのです。当会の理論のほとんどは、書いているうちに発見したものばかりと言っても過言ではありません。

 頭が整理できて、書く量が増えれば増えるほど、手ごたえを感じるようになってきました。むろん、この質問コーナーの回答をしているときにもあります。ですから、コツコツと書き続けた人間だけが、さまざまな気付きをするのではないでしょうか。 

 ついでながら、有名人の日記を読むという手もあります。たとえば、故小津安二郎映画監督の日記などを読むと、あなたの書く内容と全く違うと分かるはずです。関心や興味、物事の捉え方もかなり違います。比較したり、その違いは何なのか考えつつ、それを日記に書き出すと、性格的な違いというものも少し明瞭になるかもしれません。

 いろいろな方法があります。あなたなりに豊かな日記になるように工夫されてはどうでしょうか。
回答に対する返事    ハルさんより    2003/05/30

 「自分観察日記の付け方」のご回答有難うございました。とにかくコツコツと続けていくことがよいのですね。良く分かりました。以前からたまに日記を付けていましたが、これからはなるべく毎日思いつくことをたくさん書いていこうと思います。

 

25  412  自分を知る方法とは  問者(ハル)      2003/05/22

 竜頭さん、以前の「仕事についての悩み」のご回答有難うございました。私にとっては、向いてないのではないか、と思っていたホームヘルパーや独立自営などが向いていると言われたので、すこし戸惑いました。やはり何か手に職をつけたほうがいいのでしょうけど、「視点を広めて」みることに慣れていません。誰かに雇ってもらうことしか考えていませんでした。確かに、自分のタイプはわかりましたが、全然自分のことがわかっていません。五里霧中です。「自分のことをもっと客観的に知る」ためには、どうしたら良いでしょうか。他人の中に身を置く事や、本を読むことが良いのでしょうか。具体的な方法などありましたら、教えてください。よろしくお願いします。
回答者(りゅうとうまりこ)     ハルさん、こんにちは!   2003/05/23

 当会のワークに参加するのが、一番に手っ取り早く「自分を知る方法」になるかもしれません。しかし、遠方の方はなかなか参加できません。通信講座もありますが、それ以外ならば、「自分観察日記」をつけることだと考えています。また、もっと客観性を得たいのならば、「身近な人たちの観察日記」も同時につけるとよいと思います。

 自分を知るためには、他人を先に知ったほうが、かえってよく分かる場合が多いからです。家族や友人たちなど5人程度を観察するとしたら、その人数分のノートを用意します。そして、それぞれのノートに一杯に書き出すのが、一番手軽でお金もかからず、着実な方法です。その全てのノートを書き終えたなら、書き出す前よりも、比較できないほど観察力が付いているのではないでしょうか。

 もう一つ、たくさん書いていくうちに、いろいろな「気付き」がありますが、その気付きがたくさんになると、次第に自分のことが見えて来ます。「気づき」の無い方は、観察力が足りないのであり、観察力をつけるためには、日記のように毎日書き続けるのがよいと思います。

 気付きが多くなればなるほど、自分という人間がわかり、相手もわかるようになってきます。相手と自分の性格的な違いを意識しながら、そして、比較しながら、レポートにします。難しいことではありません。うまい文を書く必要もありません。事実を正確に書き出すようにすればよいのです。箇条書きでもいいのです。ただ、「量的」に多くないと、観察力という質の向上には繋がりません。一冊が埋まったら、二冊目に挑戦してください。

 自分と他人を理解できるようになればなるほど、自分と他人を大切にできるようになると思われるのです。相手の考え方を否定したり、自分の価値観だけが正しいと考えたりもせず、ありのままに受け入れられるかもしれません。相手が悪くて自分は正しいというのでもなく、逆に、自分が駄目なのでもなく、ただ「違い」として受け止められるようになれるのではないでしょうか。

 どんな仕事であっても、人間と関わらずにいられる仕事はありませんから、「自分を知る」ということは、物事の根幹にあるものだと分かるのではないでしょうか。なお、このように、レポートをすると良いと、幾度も提案するのですが、本当に実践する方は少ないみたいです。しかし、やり遂げようと努力した人たちには、物事が変って見えるようになるみたいですよ。また、視点も広がっていくようです。

 よく「視野狭窄」などと言いますが、自分の視野が狭いか広いかは、本人には分かりません。視野を広めた人だけが、「以前の自分は視野が狭かった」と気付くようになるとは思いませんか? 広めたことがない人は、自分の視野の狭さを自覚できないと考えられます。

 

26   406  “自分”を本当の意味で理解できるとは? 質問者(ミザベル)2003/05/12

 質問があります。前の回答で、「“自分”を本当の意味で理解出来るようになれば、自分の欠点も受け入れられるようになり、他のタイプも理解出来、違いもしっかり区別出来るようになると思われます」とあります。自分を、「本当の意味で」理解出来るようになる、とは、一体どういう事なんでしょうか?  随分前に、個人的に竜頭さんにメール相談した時も、その様なお返事が返ってきました。しかし私は長い事、この、自分を「本当の意味で」理解出来るようになる、という事の意味が、まるっきり分からなくて、もがいています。 出来たらそれを、もっと、分かり易い言葉で説明していただけないでしょうか? ちなみに、私は非常に頭が悪く、非常に傷付き易い人間です。 ですので、もし出来るなら、なるべくなら、易しく、そして優しい表現で説明してもらえると、大変うれしいです。どうぞよろしくお願いします。
回答者(りゅうとうまりこ)      ミザベルさん、お久しぶりです!   2003/05/13

 どうやら、私の回答文を「きつい」とか「怖い」と感じる方がいるようです。正確にとか、よく理解できるように、確実な回答をしようと専心しています。その面ばかりを意識するあまり、「やさしさ」が少し欠けるみたいです。

 また、私自身「言葉かけがやさしい人」というだけでは信頼しないほうです。どちらかというと、表面的なやさしさとか丁寧さというものに疑いの目を向けてしまうので、どうも優しい言葉をうまく使えません。そして、優しさというものは、言葉にあるのではなく、行動にあると考えています。そんな訳で、どうかご理解ください。

 
「本当の意味で自分を理解する」と書いてはいますが、実は、私自身もまだまだ満足できるところまで達していません。「自分探し」は永遠の課題なのではないでしょうか。また、何を「本当」と言えるのか、それも確かなものではないので、実は説明するほうも少し困ることです。それで、分かりやすくするために比ゆ的に説明したいと思います。

 たとえば、「泳げる」か「泳げない」かは、すぐに区別がつきます。あなたは小学生の頃、泳げなくてスイミングスクールに通ったかもしれませんが、初めは浮き輪をつけて練習すると思います。少し上達すると、ビート板を使うかもしれません。ある日、インストラクターから、自力で泳ぎなさいと告げられて、勇気を出して25メートルを泳ぎ切れたとします。そうなると、「自分は泳げるんだ!」とうれしくて小躍りするでしょう。達成感があると思います。

 つまり、タイプ判定室に依頼して、自分のタイプを知ったとします。それは「スイミングスクールに行きだしてプールで泳ぐ練習を始めた」ということに該当します。その後、泳ぐ練習を重ねると、次第に泳ぐための技術を習得します。泳ぐための筋力もつきます。水が怖いとは思わなくなるでしょう。息つぎもうまくなります。さまざまな練習を経て、ある日、「泳げた」と自信を持つのではないでしょうか。

 エニアグラムの講座に出たり、自分の性格をレポートしたり、他の人たちをたくさん観察すればするほど、人間性を次第に理解できるようになると考えられます。水泳の練習と同じように、さまざまな力を身に付けないと、自分というものを客観的に認識できません。1年かかる人がいますが3年かかる人もいて、それ以上にかかる人もいるはずです。

 根気よく熱心に練習すれば、いわば「泳げる」という段階に到達できるように、自分という人間を知りたいと熱望し続けて、力をつけたならば、ある段階に到達します。そして、「自分のことが分かるようになった」と少し笑顔で言えるかもしれません。ここまでが第一段階です。

 浮き輪をつけて泳げるようになって、「自分は泳げる」と思い違いしたとします。それは、エニアグラムでなら、まだ何も自分のことがわかっていないのに、分かったと思い違いする人たちのことです。たいていの人たちが、そこ止まりだと考えられます。

 「泳げる」ようになると、違う世界に来たように感じる事があると思います。こんな世界があったなんて知らなかった、というくらいです。それと同じで、自分を本当に知れば、違う世界に来たように感じるのではないでしょうか。それは体験した者でないと分かりません。

 「泳げない」と「泳げる」ではまるで違うのであり、「泳げる」という感覚は、泳げない人たちには到底、わからない感覚なのです。

 しかし、その先があります。第二段階です。25メートル泳げても、100メートルは無理です。そこでまた練習を重ねます。前の練習よりきつくなると思います。また、遠泳の方法なども別のインストラクターから学び、海に出て数キロ泳げるようになるかもしれません。いろいろな泳ぎ方があり、泳ぐ距離やスピードも訓練を経て増します。さらに、海の波や海流、気象など、いろいろと学ばなければならないものがあると思います。そんなことを考えたら、「泳ぐ」という分野も、究めようとしたら果てがないようです。同様に、「自分を知る」ということも果てはないのです。

 世界のどこの海でも自由闊達に、イルカのように泳げるようになると、自分をイルカと錯覚するかもしれませんよ。それほど自由に泳げるようになれば、人間であることの制約を感じさせないかもしれません。これと同じで、本当の意味で自分を知れば、自分という枠に縛られずに、性格という枠からも解き放たれる気分を味わえるかもしれないと予想します。

 このように、第一段階と第二段階があるように感じます。とりあえず、第一段階の最終目標は「自分を知る」ことです。第二段階へ行くには、もっと徹底的な訓練をしなければならないと思います。ところで、残念なことに、ほとんどの人たちは、もっと初期の「自分のタイプを知った」というだけで満足してしまうのです。

 大海原を自由に泳ぐ人たちの気持ちや体験は、そこに到達した人でないと分からないとは思いませんか。それと同じで、「本当の意味で自分を知った」という時点に到達した人でないと、自分を知ったのかどうかは分からないことだと予想しますが。 
 
 当会のワークに熱心に参加している人たちのなかには、「物事が変り始めた」と感じる人たちがしばしばいます。それは自分を少し知り始めたからではないかと思います。

 

27    384   自己診断テストについて    質問者(Forb)     2003/04/11


はじめまして、現在大学四年生で就職活動中のForbという者です。とあるHPにある自己診断テストを通してエニアグラムに興味を持ち、竜頭さんのサイトを読んで、喜んだりショックを受けながらも、大変おもしろく拝見させて頂きました。しかし、性格の自己診断室について質問があります。チェック項目の冒頭の部分で、竜頭さんは「昔のあなたではなく、今感じている自分」 に当てはまる項目をチェックすべきだと述べられておりますが、エニアグラムの基本タイプとは、深層心理やコンプレックスにあたるものと思われますので、むしろ今感じている自分よりも、危機的状態の自分や昔の自分にこそ、手がかりを求めタイプを診断するべきではないでしょうか。   

回答者(りゅうとうまりこ)        Forbさん、はじめまして!   2003/04/13


 当会は 「エニアグラムの基本タイプとは、深層心理やコンプレックスにあたるもの=@」という考え方はしていません。 「心の座は脳にある」と言いますから、言い換えたら、「性格の座も脳にある」ことになります。そこで、性格が違うのは、「自我の座」というものがあり、その自我の座の位置が人によって違うので、その位置を大まかに9つにわけたなら、性格タイプも9つにわけられるという考え方をしています。

 つぎに、質問では、@のことと、「性格診断チェックの仕方に関して昔の自分云々」とあります。実は、この二つがどのように関連しているのか、質問の意味がわからないのですが、とりあえず、こちらの考え方を述べたいと思います。

 実は、「昔の自分」でも「現在の自分」でも「危機的状態の自分」であっても、どちらにしても正しいタイプは容易に見つけられないと考えています。

 一番に確実な方法は、「自分の性格を教えてほしい」と、50人〜100人くらいの知り合いに頼むことではと考えています。アンケートして集計するとよいのです。その中の共通の性格だけを拾い集めたら、確実に9つのタイプのどれかになります。つまり、「他人から見た自分」のほうが正しいタイプに行き着くのです。「自分から見た自分」は主観的な自分ですからね。となると、「昔の自分」は、「今の自分」よりも、主観的になりやすいと考えられます。

 ところで、20歳の方が小学生の自分を思い出して、その記憶を手がかりにして診断チェックしたとして、本当に正しいタイプが見つかるでしょうか。40歳の人が30歳の頃を思い出すとか、または、15歳頃の自分を思い出して、チェックを入れられるのか、よく考えていただきたいのですが。

 たとえば、チェック項目に、「人生は修行だ」「人を育てたり教え導く仕事をする方が本当は自分に合っている」「人生は不条理で苦しいものだ」「人のねたみの怖さをよく知っている」等々があります。今の自分でも容易に答えられないものばかりですから、小学校の頃や15歳の頃の自分を思い出して、正しくチェックできるとは思えません。チェック項目によっては「昔の自分はここは該当しないだろうな」とはっきりわかるものがあるかもしれません。しかし、たぶん、それはほんの一部なのです。  
  
 中学受験に落ちて、死にたいと考えていた自分を思い出しても、明瞭にチェックできるとはとても思えません。それはもっと困難なことで、1〜3つの質問に答えられるに過ぎないと思います。記憶というものは、あやしいもので、自分の中で一種の操作をしている可能性があります。それよりも、「今の自分」のほうが明確に自分を意識していますから、そのほうが「まだまし」という考え方をしています。

 ところで、タイプ判定を依頼された人のなかで、自分の通った幼稚園や小学校の先生からの連絡帳に書かれていた文を、そのまま送付される人たちがいました。これは客観情報なので、タイプ判定にとても役立ちました。この場合、自分が思っていた過去の自分と、連絡帳に書かれている自分が食い違うことはよくあります。「そんな風に自分は見られていたんだ。知らなかった!」などがあるのです。

 これまでのタイプ判定依頼は、かなりの量になっています。そのうちの8割方の人が正しいタイプを見つけられないという傾向は、依然、変わりありません。通信講座でも、タイプ判定をよくしていますが、他人のタイプの判定も正解率は1〜3割くらいなのですから、どちらにしても同じです。自己診断チェックは、自分を知るための一歩に過ぎず、興味を持つためのきっかけ作りでしかないと考えています。重要視していません。ワークとか通信講座のほうに力をいれています。 

 

28   367 エニアグラムのカウンセリングの特長は?  質問者(岬)  2003/03/15


  はじめまして。エニアグラムという性格類型論を使ってカウンセリングまでしているのは、竜頭さんのところだけではないかと思います。ところで、自分はうつ病を患いクリニックに通いカウンセリングも受けました。高1の頃から不登校となり、母親が心配してカウンセリングに連れ出されました。しかし、自分から見てカウンセリングなど受ける意味がなく効果もないところだと思っています。友人に話しを聞いてもらったほうがよいくらいで、カウンセリングなど受けても何の価値もないと考えざるを得ません。カウンセラーは専門的な知識でもって患者の悩みを解決してくれるところだと思っていたのですが実際はそうではありません。何らかの方法や対応策はないかと訊ねても、それに対して何も答えてくれませんでした。悩みを聞いてくれるだけなら専門知識があっても、それが一体なんの役に立つと言うのでしょうか。腹立たしい思いをしただけです。竜頭さんのカウンセリングと他のところとの違いはあるのですか? もし、あるとしたら、どんな点ですか? カウンセラーに傷つけられた体験を持つ者としては気になるところです。カウンセリングについての質問があったので思い切って尋ねました。  

回答者(りゅうとうまりこ)       岬さん、はじめまして!   2003/03/17


 いみじくもエニアグラムは「性格類型論」と書いていらっしゃったように、性格は類型化できるという理論です。一定の行動パターンがあるという理論です。となると行動予測ができることを意味します。

 例えば、私たちは家族の一員の行動をある程度は予測できます。仮に、全く予測できないことばかりだとしたら、安心して付き合えません。「性格」というものは一定の安定的な状態があるので、それぞれに「当人である」と特定できます。しかし不安定で予測できない行動をする可能性があり、それらを含めているのが「性格」です。

 これまで、さまざまな他の心理学を学んでも、人の心はわからないものだと思って来ました。正直なカウンセラーの方を知っていますが、「人の心は分からない」と率直に答えています。しかし、エニアグラムを知ってからは、他の心理学は吹っ飛んでしまいましたが、それは行動予測ができると分かったからです。

 仮に、エニアグラムに出会っていなければ、私もあなたと同じような考え方をしたと思います。私自身もカウンセリングを受けたことがありますが、単に共感を持って聞いてくれるか、身元調査をされたに過ぎませんでした。

 または、カウンセラー自身の人生観や価値観を聞かされたというだけのことでした。とくに私と違うタイプのカウンセラーの言うことは、頭を掠めるだけで理解できませんでした。たまたま同じタイプであると、私自身が言いそうなことを助言するので受け入れられます。しかし、専門性を感じたことはありません。

 私たちは悩みがあるときに、何が問題になっているのか分かれば、まだ、ましなのですが、何が問題で、そのようになったのかわからない時ほど苦しいことはありません。どこから派生した問題なのかが分かれば、解決法を見つけられる可能性がありますからね。

 あるカウンセラーは、「カウンセリングの目的は、クライエントの孤独感を癒し、頭の中の混乱や情緒的な混乱を静めるために、じっとクライエントの話に耳を傾けることだ」と言います。
 このように、じっくりと聞いてくれる人がいれば、心は静まる可能性はあります。混乱した頭を整理できることもあるので、役に立つ場合もあると考えられます。しかし、「どこから派生した問題なのか」は、永遠に分からない場合があります。

 よく、「カウンセリングを受けても即効性はない、すぐに実際の役に立つことはない」と言われてもいますが、それはこの点だと思われます。混乱を静めた後に、解決法が見つかる時と見つからない時がありますが、見つからない場合が多いのではないでしょうか。

 しかし、当エニアグラム性格学では、初日のカウンセリングで、「ある傾向を見出して、その対策を立てる」というところまで行きます。初日にタイプ判定をして、行動パターンを読み取れますから、将来の行動を予測して対策を練られるのです。

 従って、「即効性のある助言」を提示できます。ただ、提示されたクライエントが、それを採用しないとか、できない場合があります。疲れて気力をなくしている方が多いからです。しかし、そんな人でも、将来への見通しが立てられるので、目の前が明るくなり、気力が出る可能性があります。

 当エニアグラム性格学と、他のカウンセリングとは、全く違うものになります。当会の理論がなかったら、カウンセリングをするなど思いもよらぬことだったと断言できるほどです。他のカウンセリングを受けた方が当会に来て、いろいろと前のカウンセリング内容を伝えてくれますが、はがゆいようなものばかりです。それでは高い金額を払ってまで受ける必要があるとは思えません。

 また、カウンセラーの専門的知識で助言しているのではないようなものばかりです。例えば、人柄の良い先生だったとか、安心して話ができた、非常に暖かい助言がもらえたなどです。

 当会は6つの理論を持っています。この理論を駆使すれば、相当に専門性を発揮できます。しかも、クライエント自身が、すぐに採用できるようなものをと心がけています。むろん、著書にも書いたように、その助言通りに行動できない人がいますから、全ての人たちにすぐに役立つものとは言えません。しかし、対人関係での悩みならば、相手の性格を分析して、問題点を明瞭に示すことができると考えています。

 

29   297   エニアグラムを、どれだけ活用できるのか  質問者(徳)   2002/11/26
 こんにちは。エニアグラムを徹底的に勉強して、使いこなせるようになってからの話ですが、具体的に、どのように、役立たせられるのでしょうか?竜頭さんの著書を読んで、「人間関係の悩みの原因が分かる」というのも、1つの活用法ですが、ほかにも活用性があるように思えてしまうのです。竜頭さん以外のエニアグラムの研究者の方々は、「強いチームを編成する方法」など、いろんな著書が出版されています。竜頭さんはエニアグラムを、どれだけ活用できると、思っていますか?
回答者(りゅうとうまりこ)     徳さん、こんにちは!    2002/11/28

 既刊の「母と子のエニアグラム」や「夫の性格・妻の性格」にある事例をお読み願いたいと思います。それはエニアグラム活用法を書き出したものと言えます。次回は「恋人たちのエニアグラム」を出版できるように書き進めていますから、恋愛に活用できるかもしれません。その後で、サラリーマンに役立てられるものを予定しており、職業適性などにも活用できるだろうと考えています。さらに、犬や猫を飼う人たちにも活用できるもので、いずれは、それらを書き表したいと思っております。

 エニアグラムは、悩みの原因を知るだけでなく、いわば「傾向と対策」を練られるのですから、深刻な事態にならないように、予防的な対策も立てられます。従って、どれだけ活用できるのかと問われたら、無尽蔵に活用できるだろうと答えます。

 しかしながら、活用するのは、当人なのです。どんなに知恵の宝庫を前にしても、活用できない人がいます。エニアグラムを、単にタイプ判定の道具とみているだけで、知恵の宝庫だと気付かない人たちのほうが多いのですからね。すばらしいダイアモンドを手にしているのに、ただのガラスにしか見えないようなのです。

 一方、驚くべきことに、手にしているものがガラスの破片でしかないのに、それをダイアモンドに変えてしまう人もいます。どんなことも同じなのです。いつも書いてますが、どちらにするのか、それは当人しだいです。

 言い方を変えるとしたら、「エニアグラム」は、単に事実を示しているだけなのです。そこから知恵を汲み出すのは、汲み出した人が本来持っている知恵なのです。エニアグラム自体に知恵が内包されていたり、秘されているのではありません。

 また、「事実」を正確に把握できたなら、事実ほど雄弁なものはないのですから、無尽蔵に活用できるはずです。そして、 学ぶ人(活用する人)は、どんなところからも学び(活用し)、学べない人(活用できない人)は、どんなによく学べる(よく活用できる)環境にいても、学べない(活用しない)のではないでしょうか。

 

 

30   266 夢分析について     質問者(ベガ)     2002/10/09
 
 また質問します。私は以前、夢分析や箱庭療法とか、ユング関係の本を読みました。面白い考え方だと感じていましたが、今思えばなんとなくわかったようなわからないような内容だった気がします。りゅうとうさんは夢分析はしないのですか。というか、夢分析に対してのりゅうとうさんなりの考えがあったら聞かせてください。
回答者(りゅうとうまりこ)         ベガさん、こんにちは!   2002/10/10

 まず、誰が夢分析するのか、それが一番の問題点です。分析家の主観(価値観)が必ず入りますからね。それは分析家の性格を反映しているだけのことだと思っております。

 例えば、タイプ3が見た夢を、タイプ6の分析家に解析されると、タイプ6の性格を反映したものになるでしょう。同じタイプ3の分析家ならば、「当たらずとも遠からず」かもしれません。または、ほぼ、当人の心をうまく言い当てる可能性がありますし、当人の無意識的な傾向なども、うまく分析できるかもしれません。

 なお、「当たらずとも遠からず」と言ったのは、分析家もいろいろで、理解力と洞察力のない方もいますからね。ユング派の分析家・河合隼雄さんの解説している夢分析についての著書を読むと、同じように「なんとなくわかったようなわからないような内容」だと感じました。

 次に、わざわざ夢を分析しないでも、当人の言動を見たり聞いたりすれば、性格分析できます。無意識的な傾向も、現実の行動パターンに出ます。ですから、「夢を通して知る」などという、まわりくどい方法を取る必要はないと思っています。それどころか、まわりくどいために、間違いを侵しやすいとも言えるでしょう。

 そして、その方法で最も困るのは、夢を見ないとか見たけれど忘れたという方には使えないことです。さらに、分析家の解釈が入り、解釈の仕方がタイプごとに全く違うことを、分析家自身が知りません。困ったことに、エニアグラムを学ばない限りは、まず想像だにしないことばかりでしょう。

 それでも治療的な効果があるとも言われていますが、効果があると言われているものは、巷に数限りなくあります。催眠療法とか前世治療などもあり、怪しげな方法もあります。そして、これも困ったことですが、どのような方法でも治療効果があったと語る方はいるものです。「いわしの頭も信心」という言葉にもあるように、それほどに人間の心はいい加減なものであり、まどわされやすく、不安感が強いほど、怪しげな治療が効くのではないでしょうか。

 夢分析されたほうでも、「なんとなくわかったようなわからないような」気分となり、高名な分析家であれば、「効果はあった」と感じるかもしれませんからね。名高い人の助言や提案や治療方法は、正しいと思って取り入れる人は案外と多く、その効果も高くなる可能性があります。

 どんなに怪しげな民間療法でも、著名な大学研究室での科学的な根拠のある療法でも、とにかく、効くのであれば、それはそれでよいのかもしれません。

 

31  265 タイプと夢との関連について   質問者(D.D.M)  2002/10/08

 突拍子もない質問かもしれませんが、よろしければお願いします。自分自身で、よく見る(少なくとも、起きてからもある程度覚えている)夢にはある程度の傾向があるように思っています。他の人に聞くと、どうやら他の個々人でも夢の傾向があるように思われます。当然精神状態等によるところが大きいとは思いますが、夢は無意識的に現れるものですから、やはり各タイプの行動プログラムや意識の向き等によって、見やすい夢の傾向というものはあるのでしょうか。または、こういう考えは考えられる事柄でしょうか。
回答者(りゅうとうまりこ)         D.D.Mさん、こんにちは!  2002/10/09

 夢には、性格的な傾向が少しは出るだろうと思っています。性格の座は、脳にあるのですから、脳の機能の仕方としてみるなら、神経ニューロンの発火の仕方や、どのような神経伝達物質が煩雑に出るのかなど、そこに日頃の傾向が影響するはずではないでしょうか。そうなると、その日頃の傾向は、夢の傾向と連動しているはずと考えられます。

 例えば、タイプ
は誰にも負けたくないという意識が強いのですが、勝ち負けに関心が薄くなりがちなタイプを、タイプ4ということにして、比較して考えてみましょう。また、仮に、勝ち負けに関する意識を司る遺伝子が、タイプ8は数値にして100だとすると、タイプ4は10しかないと考えてみましょう。なお、タイブ4が「0」だということはあり得ず、10という数値を上げるのもおかしなことなのですが、比ゆ的に考えているだけのことですから誤解しないでください。

 すると、その遺伝子は、ある神経ニューロンを動かし、ある神経伝達物質も排出させているかもしれず、そうなると脳の機能の仕方として、両者のその部位の差異は大きいはずです。そして、日頃、使われているならば、眠りに入っても同じところが自然発火しやすく、同じような神経伝達物質が出やすくなっている可能性があります。

 夢の中でも、タイプ8は勝ち負けに関する夢を見る可能性が高いと考えたほうが自然でしょう。怖がりな性格のタイプ4のほうが、タイプ8よりずっと怖い夢を多く見るはずだと考えたほうが納得できます。また、イメージ力は、タイプ4のほうがあるのですから、夢を見る回数とか、夢の内容の多さなども、タイプ4のほうが多くなる可能性もあるかもしれません。
 
 また、精神状態も、夢に反映されると思います。例えば、子どもの頃は怖い夢を一杯に見ましたが、大人になるにしたがい怖い夢を見ることが減るようです。これなどは、子どもは大人より怖がりだからだと考えたなら、当然、そのような結果となるはずです。従って、このように大まかに見ると、確かにクッキリと傾向がでます。

 しかし、夢から、将来の運命を判断するなどは、ほとんど荒唐無稽なことだと思っています。性格は運命的なものを少しは左右するでしょう。また、夢の傾向と性格は、少しばかし連動するので、ゼロだとは言えないかもしれませんが、夢のお告げとか、その他のことなどは、あり得ないことだと考えています。

 夢の内容を聞いて、その夢を解釈するのは人間です。その人間の解釈の仕方の中に、性格が出るだけです。ある夢を見て、悪い予兆だ感じた人は、そのように勝手に感じて、そのように受け取るだけです。同じ夢を楽天的な性格の人が良い精神状態で聞いたら、幸福の前兆だと捉えるかもしれませんからね。夢の解釈など、どんなふうにもでき、かなり恣意的になってしまう恐れがあるものです。
 
 ユングは夢を重視していましたが、それはユングがタイプ4で、さまざまな夢を見る傾向があったためと考えています。また、ユングは、夢にいろいろな意味があると説きましたが、何に対しても、意味を見い出したがるタイプ4にして、よくある傾向と見ています。また、タイプ4を「末っ子気質」と言い、もっとも子どもっぽい気質ですから、夢とか妖しいものに惹かれる傾向があるように見ています。また、怖がりな気質もあり、幽霊とか霊魂などというものも、あると思い込みやすい気質ではないでしょうか。

 夢から意味を引き出すのも、その人の性格的な傾向なのであり、夢をあまり見ない人も多いのです。また、夢の内容も、現実に起きるようなことを見る人がいます。日頃から、非現実的なことを想像しているタイプ4は、非現実的な夢を大量に見るかもしれないと思うのです。むろん、タイプ4もさまざまで、あまり夢を見ない人も存在すると思います。