幹事クリタのコーカイ日誌1999

 
 10月8日 ● SPEED解散は仕方なかったのか。

 彼女たちのグループ名が「SPEED」と名付けられたのは『夜もヒッパレ!』でのことでした。その時はまだ寛子が小学5年生、最年長の仁絵がようやく中2という時で、スピードデビューだからSPEEDかな、それにしてもつまらない名前、なんて思って見ていました。

 しかしその後、ただの大人びたガキンチョグループが、あっという間にトップアイドルへと成長、最初は楽曲も早熟の青い性路線だったのに、売れるにしたがって年相応の学園もの路線に変わっていきました。子ども向けのはずが、予想外のスピードで国民的アイドルへと一気に成り上がってしまったために、この戦略変更も仕方ないところだったのでしょう。

 ところがさらに彼女たちの進化発展は加速度を増していきました。あらゆるジャンルを全て歌謡曲テイストの中に取り込み消化しながら、なおかつ4人それぞれの個性を明確に打ち出し始めた時、すでにグループとしては限界を示し始めていたのだと思います。すなわちSMAPが10年かかって成し遂げた変化を、SPEEDはわずか4年で追いついてしまったのです。SMAPだっていつ解散してもおかしくありません。SPEEDの場合は、そこまでたどり着く成長速度が異様に速かったのです。

 解散について大方の見方は否定的だと思います。グループがソロになっても以前のパワーを発揮できた例は実に数少ない上に、彼女たちのキャリアや年齢からしても、不安視する声が多いのも無理からぬことです。今の力量では、4人がバラバラになれば、単純に4分の1のパワーしか発揮できないでしょう。本来ならせいぜいグループでの活動は休止して、しばらくはソロ活動をしながら充電するというのが一般的でしょう。完全にやめてしまうことはメリットよりもデメリットの方がはるかに大きいと思います。ただそれでも彼女たちは解散という選択肢を選んだし、商売的には恐らくグループの方がまだ売れると思っていても、事務所も解散を認めざるを得ませんでした。止めることはできない変化が、急成長している彼女たちの中にはあったのだと思います。

 考えてみれば沖縄出身のアーチストはみな早熟です。かつてのフィンガー5や南沙織、最近の安室奈美恵、MAX、DA PUMP、知念里奈。本土のタレントよりも5才くらいは成長が早い感じがします(kiroroはちょっと違いますが)。それは南の島特有の早熟さなのか、それとも県民所得が最低であるという貧しさゆえの早熟さなのかは測りしれませんが、いずれにしてもとりわけSPEEDの芸能活動全体に対するスピーディさは、沖縄というキーワードを除いては考えられないでしょう。

 それにしても今思えばつくづくピッタリの名前をつけたものです。次に考えられるのは、寛子が16才で結婚、17才で出産というコースですね。安室の記録を破る最年少ママドルへの道を、彼女はすでに歩き始めているのかも知れません。

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