幹事クリタのコーカイ日誌1999

 
 8月29日 ● 料理は家事ではない、らしい。

 家事と言えば「掃除・洗濯・料理」というのが昔から三大定番。お料理ひとつまともにできないようでは恥ずかしくて嫁に出せない、というのが、つい最近までの日本の常識でした。

 しかし1970年代、「わたし作る人、ぼく食べる人」というCMが非難を浴びて中止に追い込まれた頃から、料理は家事の座を徐々に追われ始めていたのです。最初はインスタントラーメンに始まるレトルト食品の普及、「男子厨房に入らず」の逆をいく男性の料理ブームがあり、その後コンビニ弁当の一般化、そしてバブル期の外食ブームを経ている間に、すっかり料理をきちんと家で作る主婦は都市部を中心に減ってしまったようです。

 我が家ではカミさんが昔から料理好きなので、家で食事を食べることが多いのですが、どうも周りの話を聞いていると、それはかなり少数派らしいのです。現在の都市の30代〜40代前半の主婦はレトルト食品とコンビニ弁当と外食の繰り返しが当たり前と化していて、毎日3食きちんとご飯を作るなんて、とんでもない話。中にはキッチンが汚れるからと油モノどころか一切の料理はしない、という主婦までご近所に結構います。なにせ切って炒めて塩コショウするだけの焼きそばさえ、レトルトで間に合わせるそうですから。手抜きなんてレベルじゃないのですが、それを気にせず食べるダンナもダンナです。もっとも文句を言えば「じゃあ自分で作れば」と言われるのが落ちだから言わないだけなのかも知れませんけどね。

 彼女たちに言わせると、どうして手軽でそこそこ美味しい(少なくとも自分が作るよりもマシな)食事がレトルトであるのに料理なんてするのか、どうしてもちゃんとした食事をしたければ外食すれば良いではないか、ということらしいのです。昔のように共働き家庭で忙しいから料理を作っている暇はないということではないですよ。彼女たちは40才前後で専業主婦で子育てからも手が離れています。でも料理を作る気はないのです。今や料理をする主婦は好きでやっているとすら見なされています。趣味の料理であって家事の料理ではないのです。

 どうしてこうなってしまったのか、遡って考えれば、彼女たちの母親に責任がありそうです。現在の40才前後の主婦は「女性の自立」を大合唱している時代に青春期を過ごしてきました。専業主婦にはならない、家事の奴隷にならない、きちんと職業を持って男に束縛されず自立して生きることこそ素晴らしい、という思想の元に10代〜20代前半を育ってきたのです。この思想は、彼女たち以上に彼女たちの母親世代を惹きつけました。自分たちは家事ばかりして暮らしてきた、せめて娘には自由に伸び伸びと自分の人生を送って欲しい、と。

 しかし、思想は立派でも現実はそうならないのが世の常。結局母親に家事を躾けられることもなく、ずっと実家にいる間はいつまでものんびりと気ままに娘時代を送ってきた彼女たちは、結婚しても家事は「夫婦でするもの」と放棄、と言って経済的に自立するわけでもなく、自由気ままに遊ぶだけの強力無比な専業主婦へと成長したのです。彼女たちは人類の歴史を振り返ってみても稀なほど、一切の生産をせずただ消費するだけのライフスタイルを確立した真の消費生活人間と言ってもいいでしょう。

 もちろん、いま挙げた例は少々極端かも知れません。そもそも世の中には、消費活動だけしていられる恵まれた環境にある主婦なんて、全体から見ればごく少数派でしょう。しかし、ではそれほど珍しいのかと言えば、決してそんなこともない、これもまたよくある主婦の一典型なのです。少なくとも、現実に実現しているかどうかはともかく、考え方は近いな、という主婦がうじゃうじゃいることだけは確かですし、コンビニとレトルト食品の売り上げは右肩上がりで成長していくばかりです。もっともそういう主婦に限って『買ってはいけない』を熱心に読んでいたりするんですけどね。

 そしてこの主婦たちの娘が主婦になった時。その時こそ、伝えられてきた日本の家庭料理の技術と知恵は完全に家庭から消え去っていることでしょう。そう、ちょうど和服を今の日本人が着られなくなったように、日本の伝統的家庭料理も日本人は自分じゃ作れなくなるのです。だってすでに「おふくろの味」が恋しければ小料理屋とかに行くしかないのが日本ですからね。家でちゃんと作った揚げ物や煮物が食べられるのも、あと少しのことですよ、きっと。

 
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