幹事クリタのコーカイ日誌1999

 
 8月1日 ● 時々、予知夢を見るんだけど。

 とうとう終わってしまいました。アンゴルモアの大王が空から降りてくるはずの「1999の年7の月」。僕がまだ中学生だった頃に最初のブーム(?)になったノストラダムスの大予言が、結局単なるヨタ話だったことが証明されたわけです。もちろん当時から全然信じていませんでしたが、信じていなかっただけにそれが証明される1999年8月が早く来ないかなぁ、という気持ちは強くありました。

 僕は時々予知夢を見ます。と言っても全然大したものではありません。日常生活の何でもない一瞬を夢で垣間見て、それが数ヶ月後に実現するだけのことです。「あ、この場面は以前夢で見たぞ。次にこうなるぞ」と思っていると、その通りになるのですが、自分でも単なる思いこみかも、と中学時代は思っていました。

 しかし、ある時全然知らない連中と親しげに宴会をしている夢を中学生の時(確か3年生2学期の終わり頃)に見ました。その場にいたのは全く見覚えのないメンバーでした。それから数ヶ月後、高校に入学し、クラブの新入生歓迎会の時に、いきなりその場面が訪れたのです。「あ、夢で見た見知らぬあいつらはこいつらだったのだ」と気づいた時に、さすがに自分でもこれは予知夢かも、と思うようになりました。その時は、自分たちが交わす会話や、そこで演じる宴会芸もはっきりと中学生の時に夢で見た記憶があり、その夢の通りに宴会は進んだのです。時間にしてほんの20秒程度のことでしたが。

 10代の頃は月に1回程度はそういう経験があって「ああ、またか」と思うほど自分では日常的な出来事でしたが、さすがに30才を超えてからは少なくなりました。最近では年に1回あるかないかですし、その瞬間もほんの数秒程度のことでしかありません。

 で、こういう体験をしているんだから、ノストラダムスの大予言なんていかにも信じそう、と思われるかも知れないのですが、逆に自分のちゃちな予知夢体験から、予言なんて信じられないのです。予知夢を見るから予知が信じられない、というのは、論理的には矛盾しているかも知れませんが、感覚的にはそんな大それた予知なんてあり得ない、と思ってしまうのです。

 ここから先はかなり大胆な僕なりの仮説ですが、僕はかなり雑多にいろいろな夢を見ます。多分その1%くらいが現実となって僕に予知夢だと認識されるのですが、現実にならなかった予知夢(というのかどうか難しいですが)も多分たくさんあるのです。未来は多くの選択肢の中から選ばれていて、僕はそのいろいろな選択肢の先にある未来を夢で見ているのだと思っています。1時間後の未来だっていくつかの選択肢があって、さらにそこから枝分かれしていくのですから、先のことになればなるほど、無限の可能性があるのだと思っています。

 だからノストラダムスの予言も、もしかしたらあったかも知れない未来だというところまでは妥協してもいいですが、それが必ずしも本当に選ばれた未来になったとは言えないだろうと思っています。ノストラダムスの時代から現代まで数百年も経っています。誤差が大きすぎてとても正確な予知は無理でしょう。

 うーん、それにしても自分で書いていてもなんか嘘臭い話なんだよなぁ。いや、もちろん嘘はついていませんけどね。でも人がこんな話を書いても僕は多分信じないし、時々この話をして素直に「ふーん、クリタさんってスゴーイ!」なんて言われると、こいつ頭軽いんじゃないか、なんて思ってしまいます(笑)。そう簡単に人の話を信じるなよな、なんて。まあこれを読んだ人も信じなくていいです。どっちにしても大したことじゃないですから。予知夢を見て役に立ったことなんて一度もないし、それで良いと僕は思っていますから。
とりあえず、読むたびに(1日1回)

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