幹事クリタのコーカイ日誌1999

 
 6月23日 ● 最後まであざとかった古畑パート3。

 僕がこの春のドラマで唯一最後まで見続けた『古畑任三郎』。以前にも取り上げたように、この人気シリーズパート3は、古畑ファンのために作られたような楽屋落ちが多いあざとさが鼻につくシリーズでしたが、特にラスト3週あたりは、その遊びが目立ちました。

 今週でも「来週はGTOスペシャル」なんて宣伝は言うし、ラストで西園寺に「古畑さん、すぐに戻ってきますよね?」なんて叫ばせるし。斉藤洋介が出てくるだけですでに「スマスマ」っぽくなるし、NOVAの鈴木さんは出てくるし、佐々木功は宇宙戦艦ヤマトならぬ新幹線の運転手を長くやっていたそうだし、八田さんは最後はもう完全に説明キャラクターとして定着しているし、SMAP事件の小道具ネタもまた使うし。

 それにあのラストシーンは、多分『羊たちの沈黙』のラストシーンのパロディのつもりなんでしょうね。今回のシリーズ冒頭、古畑が登場するファーストシーンで、やはり『羊たちの沈黙』のパロディをやっていましたからね。古畑=レクター博士という見立てなんでしょう。

 もちろんこの種の遊びこそが古畑シリーズの特徴でもあり、人気の源泉であることもわかっています。実際僕も嫌いじゃないですから、こうして飽きもせずに見ているわけですし。そう、大事なのはこの「飽きもせず」の部分です。前にも書いたようにこのパート3は、パート1&2に比べてミステリーとしては穴の多いつまらない犯罪が多く、少々見ていて情けなくなりました。古畑じゃなくても気づくだろう、ということも多かったからです。

 その代わりに楽屋落ち的なくすぐりをたくさん盛り込み、今泉をコメディ担当キャラとして独立させ、ある意味、古畑自身が古畑任三郎のパロディになっているような作りにしました。パート3ともなると見ている方も書いている方も演じている方も飽きてくる、という計算が三谷幸喜にはあったのでしょう。そういう意味では、今回のシリーズが以前に比べて変化したのも仕方ないのか、とも思います。

 しかし、こうなるとパート4を作るかどうか、また作るとしたら、どう変えていくのか、かなり難しくなってきますよね。パート1&2と同じテイストだったら、多分マンネリと言われながらも『水戸黄門』『大岡越前』はたまた『フーテンの寅』のようなシリーズとして定着することも可能だったと思いますが。三谷幸喜の性格からして、飽きちゃうようなことは本人がやりたくないでしょうから、もう当分作る気はないかも。ファンとしてはマンネリでもいいから、質の高いシリーズを続けてくれる方がありがたいんですけどね。

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