幹事クリタのコーカイ日誌1999

 
 6月12日 ● ユーミンはサーカスよりも歌で。

 『遥かなるシャングリラ』というユーミンのコンサートを宣伝するための番組(?)を見ました。サーカスとかシンクロナイズドスイミングとかをコンサートに取り入れたシャングリラ・コンサート。確かに誰も見たことがないようなステージをしたいというユーミンの意志を感じる絢爛豪華でド派手なコンサートのようです。ただ荒井由実時代以来のオヤジファンとしては、こうしたコンサートの模様を聞くにつれ、どこか違和感を感じるところがあります。

 僕が初めてユーミンを知ったのは中学時代の1975年3月。もう24年も昔のことです。当時名古屋のデパートにあったラジオ局のサテライトスタジオで「荒井由実」を見かけたのが最初でした。たまたま日曜日に友人と映画を見に行った僕は、その帰りにちょうど収録をしていたそのサテライトスタジオでゲストで歌っていた彼女に出逢ったのです。

 昭和50年というとバンバンに提供した『いちご白書をもう一度』と自身の『あの日に帰りたい』が大ヒットして、荒井由実の名が一躍全国に知られた年ですが、この時はまだ『ルージュの伝言』をシングル発売したばかり(1975年2月20日発売)ですから、多分そのプロモーションで来ていたのでしょう。髪の長い普通のお姉さん、という感じでした。

 その後、一気にヒットメーカーとなり、さらには神様のようになってしまった彼女ですが、僕には今でもあのサテライトスタジオで目の前(本当に手が届くくらいの距離でした)で歌っていたあのお姉さんこそがユーミンです。だからオジサンにありがちな話ですが、ついつい「ユーミンは70年代、特に荒井由実時代に限るよ」なんてセリフも若い子に向かって言ってしまいます。

 好きな歌は『ひこうき雲』『冷たい雨』『翳りゆく部屋』『最後の春休み』『緑の町に舞い降りて』他たくさん。でも1981年『守ってあげたい』以降の「ブランド」となってしまったユーミンには、もはや思い入れができなくなりました。毎年クリスマス時期になるとイベントと化してしまったユーミンのニューアルバム。そこにあるのはマーケティングであってクリエーティブではないという思いが消えません。

 だから今のユーミンのコンサートにはあまり興味が沸きませんが、もし叶うことなら小さなステージ、シンプルな構成で歌だけをじっくり聴かせるコンサートをやって欲しいものです。普通のお姉さん変じてオバサンになったユーミンがいくら浮かれて踊っても、僕にはピンと来ませんが、彼女の歌だけは確実に僕を20年以上前に引き戻してくれるからです。


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