幹事クリタのコーカイ日誌1999

 
 6月3日 ● 1970年代の再消費と吉田拓郎。

 「カップスター 食べたその日から〜」とCMソングを歌う吉田拓郎を見て、少なからずショックを受けたのは、多分40才から上の世代の人でしょう。井上陽水が「お元気ですかぁ」と叫んだ時も、矢沢永吉がサラリーマン姿で缶コーヒー飲んで見せた時も確かに驚きはしましたが、今回はそれ以上の驚きと感慨があります。

 なぜか。それは扱われ方の軽重の問題です。陽水や矢沢の場合は、例え妙な広告であっても彼ら自身にはそれなりの大物感が漂っていました。少なくとも企画者側は彼らがカリスマ的存在であることを意識し、そう扱っている雰囲気を感じさせました。ところが、今回の拓郎はあまりにも軽いのです。単なる「変なオジサン」としてしか扱われていないように見えるのです。

 このCMで歌っている拓郎はかつてフォークソング界のプリンスだったあの吉田拓郎ではなく、『LOVE LOVE 愛してる』でKinKi Kidsの横でいつも笑っている妙なオジサンの吉田拓郎です。一見怖そうだけど、でも天然ボケ入っていて可愛いよね、とキンキファンの女子高生に言われていそうな吉田拓郎です。

 本当は僕だって厳密に言うと拓郎世代ではありません。僕が中学生になった時、すでに彼は雲上人扱いでした。その後に続いた井上陽水、かぐや姫、チューリップ、グレープ、荒井由実あたりが僕らの中学生時代で、彼らの歌が甘くせつない思い出とちょうど重なります(キャロルも聞きましたが、あれは不良系の連中の神様でしたから、当時はちょっと違和感がありましたね)。

 そんな僕たちでも、やはり拓郎がカリスマ的スーパースターであることには疑問を抱いていませんでした。もちろん、彼がキャンディーズに嬉々として曲を提供したり(『やさしい悪魔』はキャンディーズで一番の名曲でしょう)、浅田美代子と結婚したりするのを見て「あ、この人はもしかして結構ミーハーなのでは」と徐々に気づき始めてはいましたが、それにしたって彼の音楽界での地位を落とすことではありませんでした。

 最近『LOVE LOVE 愛してる』が始まった時も「ああ、やっぱりこの人はこういう妙にはしゃぐタイプだったんだな」とは思いはしましたが、それでも豪華なミュージシャンを引き連れて演奏する姿を見て、そのカリスマ性を再確認もしていました。しかし、今回のカップスターのCMはいけません。そこにいるのは、カリスマ性があると勘違いしている元大物歌手のなれの果て、というイメージです。「スター・にしきのあきら」と同じ程度の扱いでしかありません。

 もちろん広告の効果や狙いと、この話は全く別です。このCMをプレゼンしたスタッフは、10代には「キンキと一緒に出ている変なオジサン」として知名度と人気が高い吉田拓郎、そしてその親世代にはカリスマ的フォーク歌手吉田拓郎が登場することで、幅広い世代にアピールすることができます、というストーリーを提示したのでしょう。

 それはわかるのですが、10代はともかく親世代は哀しくなってこないんでしょうか。最近は音楽もファッションも1970年代から持ってきて、それをまた再消費しているように思えます。でもそれは見方を変えれば1970年代に青春を送った人たちの思い出をグチャグチャに掻き回しているようにも見えてきます。にしきのあきらと吉田拓郎は違います。せめてもう少し尊敬の念を込めてCMを作ってくれたら、こんな思いはしないで済んだのですがねぇ。


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