幹事クリタのコーカイ日誌2026 |
| 8月5日 ● 高校野球の思い出。 夏の甲子園大会が開幕しました。暑さ対策などもあって、いろいろレギュレーションが変わっていきますが、基本的にやってることは昔と同じ。問題点も多々あり、批判もありますし、僕自身も過去にいろいろと注文をつけてきましたが、それもこれも好きだからこそ。結局日本の夏には高校野球という風物詩が似合うのでしょう。 僕の中での一番古い高校野球の記憶は1968年夏。松山商と三沢の延長18回再試合の決勝戦。と言っても、まだ小学校2年生だったので高校野球のシステム全体を理解していたわけではありませんでした。野球のルール自体はプロ野球も見ていたので把握していましたが、各都道府県代表の高校が甲子園球場に集まって大会をやっている、ということを理解したのがこの大会からでした。母親が「高校野球がすごいことになっているよ」と興奮しながら言いにきたので、これがすごいことなんだと思ったのを覚えています。太田幸司の名前だけはしっかり覚えました。 次は1973年春と夏の江川卓。弱い作新学院をひとりで甲子園に連れてきた江川の剛速球。未だに高校野球のナンバー1投手は江川で間違いないと思っています。高校生の中にプロがひとりだけ混じっているような別格の選手でした。昭和の怪物の江川と平成の怪物の松坂大輔の比較をよくされていますが、チーム力が抜群に高かった横浜と弱小だった作新学院では投手にかかる負担が比較になりません。江川が1番なのは置いといて、2番目が松坂か、桑田真澄か、田中将大か、それ以外の投手かを語るべきでしょう。 1977年夏、東邦のバンビこと坂本佳一も忘れられません。1年生投手が快刀乱麻のピッチングで勝ち上がり、決勝戦でサヨナラホームランを浴びて負けるまでが、ひとつの夏のドラマのようでした。そして1983年から1985年までのPL学園の桑田と清原和博のKKコンビ。まるで野球マンガに出てくるようなチームだと感じたのを覚えています。野球マンガと言えば1979年の浪商の牛島和彦と香川伸行のバッテリーも人気でした。ドカベンの山田太郎を彷彿とさせる香川の人気はアイドル的な人気選手が多い高校野球では異質でした。 昭和の高校野球の思い出を書いているだけでも長くなってしまうので、平成以降は省略しますが、高校野球で目についた選手が、のちにプロ野球に入り、スター街道をまっしぐらに行く選手も、残念ながら大成できずに去っていく選手もたくさん見てきました。高校時代から見ているからこそ、その選手への思い入れも深まります。アイドルをオーディションから見ているのと近い感覚かも知れません。今年も楽しみです。 |