幹事クリタのコーカイ日誌2026 |
| 7月16日 ● 帝王学を学ぶこと。 高市政権による「皇室典範改悪」がいよいよ参院でも可決されそうな状況にあるようです。まさに「数の暴力」そのものです。独裁政権的な体質を色濃くするばかりの高市政権にとって、今上天皇の父から受け継いだ「戦争への反省と平和主義」をモットーとする言動は不愉快なのでしょう。高市の振る舞いの端々にそれが出ています。昭和100年記念式典で先導役を先例にならって自分が務めなければならないところを官房長官に任せ、自分の好きな音楽を演奏させて陛下の目の前でノリノリで体をくねらせ、挙句に招待しておきながら挨拶もさせないという「不敬」という言葉を使わなければ説明できないような扱いをしました。 愛子内親王を天皇にしたくないためだけに皇位の継承を「男系男子」に限るとしているのも、愛子さまが天皇皇后両陛下から帝王学をしっかりと伝えられているからでしょう。悠仁親王ならまだ良いと考えているのは、その帝王学が「一子相伝」的な教育で受け継がれているからで、そこにあまり触れていない悠仁さまが皇位を継ぐ方が自分たちにとって都合が良いからに過ぎません。これは天皇家だけではなく秋篠宮家に対しても侮蔑的な扱いであり、また男子のみに限るとした場合に、悠仁さまが結婚した暁にご夫妻に加わる「男児を産まなくてはならない」重圧はより苛烈なものになります。だから悠仁さまが皇位を継ぐとしても、やはり「男系男子」はここで止めないとならないのです。ジェンダー的な男女平等の主張が嫌いだから「男系男子」が良い、というだけでは済まないリアルな話なのです。 養子による男系男子の継承に拘る一部の勢力は天皇は「血統」さえあれば何も学ばなくても良いし、何の能力も要らないと考えているのでしょうが、今上天皇が愛子さまにしっかりと伝授している帝王学はそんな甘いものではありません。特に皇室外交で発揮されているロイヤルファミリー同士の交流における儀礼や立ち居振る舞い、語学にとどまらない会話力は、何も知らない人間には到底真似できることではありません。お互いの国の文化や歴史、現在の情勢についての情報の収集と、中立的で穏やかな振る舞い、そしてロイヤルファミリーならではのカリスマ性を、言葉だけではなく、全身で、なおかつこれ見よがしではなく静かに表現することが必要です。少しの儀礼的なミスも眉を顰められる世界です。 もしかしたら天皇は皇室外交なんてせずに宮中祭祀だけをしていれば良いと思っているのかも知れませんが、じゃあ代わりに高市のようなクネクネと媚びを売るか、やたらと相手の身体に触るしかできない、みっともない振る舞いをする総理大臣が他国の王族の前に立ったら、それだけで笑いものです。すでに先日のサミットでの醜態のように、トランプをはじめ各国首脳から軽く見られて相手されていないのに、成り上がりではない本当の王族の前ではピエロにもなれません。そもそも高市ではなくても、政治家の誰かが天皇の代わりになれるような教育を受ける機会もシステムもないのです。戦後80年以上、そうした役割を天皇家に丸投げしておいて、今さら代われるはずもありません。帝王学を甘く見過ぎています。 理論的にはさまざまな自由が制限されている天皇制自体が既に人権侵害ではありますが、今の皇室典範の改悪は、その人権侵害をさらに加速させる方向に進んでいます。秋篠宮がかつて「我々も生身の人間」だと主張したように、現代社会に即した過ごし方が皇族もできるように皇室典範を変えるのが筋というものです。なぜ女性の人権をさらに制限するような変更を「改正」などと呼んで進めようとしているのか、世界の潮流も、世の中の常識も、人間に対しての優しさも欠けた皇室典範改悪が、国会という国民の総意をまとめるべき場を無理矢理に押し通ろうとしています。 |