幹事クリタのコーカイ日誌2026

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3月23日 ● 表現としての音楽。

 今日のサックスのレッスンで先生から「だいたい吹けるようにはなってきたので、これからはどう吹くのかを考えていきましょう」ということを言われました。曲を単に楽譜通りに吹くだけではなく、どう表現して聴き手に何を伝えたいのかを考える、表現としての音楽を追求する段階に入りました。これまでは発表会までに何とか吹けるところまでたどり着くのが精いっぱいで、表現を考えたり工夫する前に大抵時間切れしていました。サックス歴17年、技術が向上したことで、早めに基本段階が仕上がるようになってきたお陰です。ちなみにボーカル歴はまだ4年ですが、こちらは2年目からすでにどう歌うかを先生に指導されているので、やはり楽器は技術の習得に長い時間がかかるもののようです。

 音楽は表現です。技術は表現のためにあるもので、音楽は技術自慢大会ではありません。スポーツに例えれば技術は勝利のためにあり、いくら素晴らしい技術を披露してみせても、それが勝利に繋がらなければ無意味です。と、建前ではそういうことになるのですが、実際に音楽もスポーツも自分で日々やっていると、どうしても技術向上に気持ちが傾いてしまいます。スポーツの場合は「勝ち負け」という結果がハッキリしているので、技術と結果の関係もわかりやすいですが、音楽はその表現の価値を受け手に委ねているので、自分の狙った通りの成果が出ているのかどうかはわかりにくいです。そのため自分でわかる技術の向上が目の前の目標になりがちです。

 それに卓越した技術というのは、それだけで人を感動させるものですから、マニアックなまでに技術に固執するのも「あり」と言えばありです。技術は努力がストレートに反映されるので、頑張っている人間にしてみたらやり甲斐もあります。下手でも表現者としては唯一無二な天才に打ちのめされることはあるにせよ、自ら培った技術は他人に奪われることはないので、それを拠り所にする人も多いことでしょう。ちなみに歴15年のピアノは相変わらず楽譜通りに弾くまでにめっちゃ時間がかかるので、表現のレベルにはなかなかたどり着けません。技術あっての表現なので、やはり基本は技術。結局練習あるのみです。



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