幹事クリタのコーカイ日誌2023

[ 前日翌日最新今月 ]

12月15日 ● 1981年の寺尾聰。

 今年の紅白歌合戦に寺尾聰が特別企画で出場するそうです。当然歌うのは「ルビーの指輪」でしょう。この曲は1981年2月に発売されて大ヒットしました。当時大学生でしたが、カーステレオでこの曲が収録されていた寺尾のアルバム「リクレクションズ」を繰り返し流してドライブしていたものです。街でベージュのコートを見掛けると指にルビーのリングを探す、という一節が印象的で、ベージュのコートが流行っていたこともあって、やたらとベージュのコートばかりが目に入りました。

 1981年は音楽的にも思い出深い年で、テレビは『ザ・ベストテン』の絶頂期。毎週欠かさず見ていて、「ルビーの指輪」の12週連続1位という最長記録も驚きましたし、「SHADOW CITY」「出航 SASURAI」 との3曲同時のランクインもスゴイと感動しました。松田聖子、田原俊彦、近藤真彦の全盛期で前年に山口百恵が引退し、70年代アイドルから80年代アイドルの時代へと大きく世代交代した年でもありました。

 またフォークソングも転換期を迎えた年で松任谷由実「守ってあげたい」、中島みゆき「ひとり上手」、松山千春「長い夜」、五輪真弓「恋人よ」、チャゲ&飛鳥「万里の河」などがヒットし、それまでのフォークからニューミュージックへと転換していく年でした。なにより大瀧詠一のアルバム「A LONG VACATION」が発売されてロングセラーになり、「リフレクションズ」以上にカーステレオでヘビーローテーションされていました。

 さらに洋楽で言えば「MTV」が発足したのも1981年です。まだこの年には意識はしていませんでしたが、翌年にマイケル・ジャクソンのアルバム「スリラー」が発売されて一気にMTVを通じて世界中に映像が広がることになります。洋楽が一気に身近になったという意味でMTVの功績は本当に大きかったと思います。寺尾聰、松田聖子、大瀧詠一、中島みゆき、マイケル・ジャクソン。いま聞いても一瞬で「あの頃」が甦ります。



gooブログでも読めます「幹事クリタのコーカイブログ」

テニス好きなら「幹事クリタのテニス日誌」