幹事クリタのコーカイ日誌2023 |
10月16日 ● 谷村新司の思い出。 谷村新司が亡くなりました。アリスの最初のヒット曲『今はもうだれも』が1975年ですから中学3年生。実はデビュー曲『走っておいで恋人よ』から聴いています。多感な10代後半の時期はアリスの全盛期でしたから、かなり影響を受けました。『帰らざる日々』『遠くで汽笛を聞きながら』を経て『冬の稲妻』で大ブレイク。以後『涙の誓い』『ジョニーの子守唄』『チャンピオン』『夢去りし街角』『秋止符』『狂った果実』などのヒット曲は全部思い出深いです。 大学生の時に谷村がソロとして発表した『昴』は大学生時代に宴会で何か歌えと言われたら良く歌っていました。まだカラオケがない時代だったので、アカペラで歌っていましたが、朗々と歌い上げるのが気持ち良かったですが、気持ち良いのは本人だけであまり盛り上がらない曲でした。また山口百恵に提供された『いい日旅立ち』は百恵の代表曲になり、さらには谷村新司自身にとっても代表曲のひとつになりました。他にも柏原芳恵に提供した『花梨』も良い曲でした。 1984年にヒットした小川知子とのデュエット曲『忘れていいの-愛の幕切れ-』も思い出深いです。社会人になって先輩たちとカラオケスナックに通っていた頃で、女性とこの曲を良く歌ったものです。この曲では谷村新司が小川知子の胸元に手を入れるという、今の時代にはちょっと考えられない振付(?)があり、それをスナックで真似するとバカ受けしたものでした。今となってはセクハラの極みです、と言うか、当時でもかなりヤバかったのですが、僕がまだ20代前半の「坊や」で、相手がいつも年上のお姉さんたちだったので、僕が恐る恐る手を入れるところが面白くて許されていたのでしょう。いま考えてみればあれは逆セクハラだったのかも。 トークが面白いトップアーティストというジャンルでも谷村は先駆者のひとりでしょう。ラジオパーソナリティとしても伝説です。谷村はアリスでもソロでも楽曲提供してもヒット曲を飛ばしながら、ラジオでも人気を博し、中国でも大人気で国際交流に貢献、大学で後進の指導をするというマルチな活躍をしてきました。商業ベースに乗っかることを潔しとしない時代だったので批判を受けることも多かったですが、間違いなく僕の青春時代に強烈に印象を残しました。ご冥福をお祈りいたします。 |