幹事クリタのコーカイ日誌2023

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4月9日 ● カラオケ歴。

 僕が初めてカラオケをしたのは40年前、新入社員の時でした。当時はスナックにカラオケの機械が置いてあって、100円払ってエイトトラックのカセットをママに入れてもらうとカラオケが流れるシステム。歌詞の載っている分厚い本を片手に歌っていました。職場の仲間と行きつけのカラオケスナックがあって、そこでいつも騒いでいました。20代半ばでした。

 そしてカラオケ界に第一の革命が起きました。カラオケボックスの出現です。我々若手はスナックで他のお客さんと順番に歌うことに飽きていました。仕方ないので家に大量のカラオケのカセットテープを買い込んで好きなだけ歌っていました。それだけに仲間だけでカラオケできるカラオケボックスはまさに理想的なカラオケ環境、ユートピアでした。しかも会社の年配の人たちは行きたがらなかったので、2次会から若手だけでカラオケボックスに堂々と行けるという特典までついてきました。調子に乗って週に2度3度とカラオケボックスに突入していました。ちょうどバブルが始まった20代後半からです。

 第二の革命は通信カラオケの誕生です。エイトトラックはレーザーディスクになっていたものの、やはり仕組みは同じなので歌える曲は限られていました。それまでは好きなアーティストのマイナーな曲はシングル表題曲でも選択肢になかったのに、通信カラオケのお陰でB面やアルバムの曲も歌えるようになりました。ファン同士でカラオケに行って「この曲が新しく入った!」といつも喜んでいました。もう30代前半になっていました。会社だけではなくテニスサークルの2次会も必ずカラオケボックスでした。

 そうやって1980年代半ばから約20年間、僕はカラオケを歌いまくっていましたが、そんなに好きだったカラオケにいつの間にか行かなくなりました。40代になって「もう少し静かに話がしたい」と感じるようになったからです。これが年を取った、ということだったのでしょう。せっかくみんなで集まったのだから、歌っているばかりではなく、じっくり話をしようよという気持ちでしたし、多分周りも同じように感じていたのでしょう。あんなに行っていたカラオケボックスに行く頻度がどんどん減っていきました。

 それから20年近くが経ちました。最後にカラオケボックスにいつ行ったのかの記憶すらありません。もうカラオケはいいやって思っていました。ところが1年前からボーカルのレッスンを受けるようになって、またむくむくとカラオケに行きたいなという気持ちが起き始めています。昔のようにみんなで騒ぐためではなく、純粋に歌を歌いたいのです。まだ思っているだけで行ってはいませんが、機会があれば行っちゃいそうです。



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