幹事クリタのコーカイ日誌2022

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7月6日 ● 審判と幹事は似ている。

 スポーツなどの審判というのはなかなか損な役回りです。正しい判定をして当たり前で、誤審があれば犯罪者のように叩かれるし、誤審ではなくちゃんと判定していても、場合によっては選手やファンから抗議されたり罵られたり時には暴行されたりします。実に不当です。しかも主審は進行役も兼ねている場合が多いので、判定だけではなくゲームをコントロールする必要がありますし、態度も毅然としていてなおかつ感情的になってはいけません。

 かと言って完璧な判定マシンであればそれで良いわけでもありません。時と場合によっては人情味あふれるところも見せる必要があります。臨機応変に対応することも求められます。そこまでやってようやく「名審判」と言われますが、ほとんどの場合はちゃんと役割をこなしても褒められることはあまりありません。10回ミスしても11回目に成功すればヒーローになれるサッカーのFWや野球のホームランバッターとは大違いです。

 そうやって考えていて、これは幹事の苦労に似ているなと改めて思いました。サークルの幹事であれ、同窓会の幹事であれ、会社の忘年会や歓送迎会の幹事であれ、団体旅行の幹事であれ、求められるのは完璧な仕切りであり、気遣い気働きです。常に先回りして動く必要がありますし、落ちや抜けのない準備が不可欠です。また想定外のアクシデントの時に備えたプランBやプランCも考えて用意しておくことも大事です。周りの人たちは楽しんでいるのに、自分だけは他人のために働いています。しかも多くの場合はボランティアです。それどころか会費まで他の参加者同様に払っていたりします。

 書いているだけでも驚くほど損な役回りです。それでいて審判と同じでちゃんとやって当たり前、ミスがあれば文句を言われ、よほど完璧にこなしてようやく褒めてもらえるくらいのことです。サークルや同窓会だけではなく、飲み会や旅行も含めて散々いろいろな幹事を経験してきた僕としては、なぜこんなことを毎度やっているのか疑問に思うことも多々ありましたが、あまりにも長年やってきたせいか、すっかりそのあたりには不感症になってしまいました。他人が苦労して幹事していると申し訳ないので、慣れている自分がやろうかなという感じになっています。敢えて言えば下手な幹事の仕切りは我慢できないので自分がやっているところはあるかも知れません。審判の人も同じなのでしょうか?ちょっと違うような気もするなぁ。



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