幹事クリタのコーカイ日誌2022

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7月2日 ● 不正な勝利より負けを選ぶ。

 今夜の「タモリステーション」でロコソラーレを取り上げていました。内容はこれまでにも報道されていたことも多かったのですが、知らない話もあり興味深く見ていました。その中で「カーリング精神」が紹介されていて、イギリス発祥のスポーツらしくセルフジャッジを美徳として「不正に勝つくらいならむしろ負けを選ぶ」という言葉が取り上げられていました。

 カーリングはゲームであり、お互いをリスペクトしながらゲームを楽しむことを優先するというこの理念は素晴らしいと思いますし、ついつい勝ち負けにこだわりがちな日本人がもっと身につけるべき心構えだろうと思います。そして僕の愛好するテニスも同じイギリス発祥らしく似たような精神性を持っていて、愛好家のゲームはほとんどがセルフジャッジで行われています。

 テニスのセルフジャッジの基本は「疑わしきは相手有利に」です。テニスはボールのスピードが速くてライン際に落ちた時にはインかアウトかわからないことはよくあることです。ただどうしても勝ち気に逸ると願いを込めて「アウト」と言ってしまいがちです。特にしっかりラインにボールがかかっている時ならともかく、ほんのわずかにラインにかかっているボールを「アウト」とジャッジしてしまうのは人情だろうとも思います。

 ただそれでも本来はインなので、相手からしたら「え?」となる場合も多いです。セルフジャッジの場合は抗議できず相手のジャッジに従うことになっていますから、どうしようもありません。そして時々ですが明らかにインのボールまでアウトというプレーヤーまでいて、これを繰り返されると雰囲気は一気に悪くなりゲームを楽しむどころではなくなります。

 こうしたことを避けるにはアウトくさいかなと思ってもインだと考えてプレーを続けるしかありません。ただこれも性格的にできる人とできない人がいて、アバウトな人は「どっちでもいいよ」と言えるのですが、きちんとした人ほどジャッジの正確さにもこだわりがちなので、わずかでもアウトだと思ったらやはりアウトとジャッジしないと気持ちが悪いようです。

 僕はもともと強度近視で乱視も強くさらに斜視で、最近は加齢による衰えも加わってますますボールが見えづらくなってきています。ボールを打つのは経験と勘で何とか誤魔化していますし、ミスしても自分のポイントを失うだけですが、ミスジャッジは人間性まで疑われるのにどんどん自信がなくなってきました。カーリング精神を知って、もうボール1個以上アウトしていない限りはインだと思ってプレーした方が良いなと改めて思いました。



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