幹事クリタのコーカイ日誌2021

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2月21日 ● 西郷輝彦と御三家。

 西郷輝彦が亡くなりました。「御三家」と言っても若い世代にはもうわからないだろうと思います。知識はあってもヒットを飛ばしている時代をリアルタイムで知っているのは還暦を過ぎた年配者だけです。なにせ橋幸夫が1960年に「潮来笠」で、舟木一夫は1963年に「高校三年生」で、西郷輝彦は1964年に「君だけを」でそれぞれ日本レコード大賞新人賞を受賞しているわけですから、1961年生まれの僕でも記憶にあるのは中堅歌手になってからです。

 橋と舟木がいかにも日本的な歌謡曲歌手だったのに比べて西郷は洋楽を意識したロックポップス風の「いまどき」の歌手でした。年齢も3人の中では若く、背も高くて、3人を同列に並べることにまだ小学生だった僕は違和感を覚えていました。西郷だけ「次世代」感があったからです。社会人になってからも「潮来笠」や「高校三年生」はカラオケスナック(まだボックスがない頃)で歌おうとは思いませんでしたが、「星のフラメンコ」ならノリが良くて歌っても楽しかったものです。

 我々の世代は「新御三家」(野口五郎、郷ひろみ、西城秀樹)がど真ん中ですが、歌謡史的には西郷輝彦は御三家と新御三家の間をつなぐような歌手だったのではないかと考えています。実は「御三家」と「新御三家」は10年くらいしか離れていないので、 今から振り返ればそう変わらないように見えるかも知れませんが、当時はもちろん全然世代が違うように感じていました。きっと吉田拓郎、井上陽水と松山千春、長渕剛も同様に世代が違うように我々は思っていますが、今の若者から見たら同じような「昔のフォーク歌手」なのでしょう。

 西郷輝彦はその後は俳優に仕事をシフトしていき、ドラマや映画でも活躍しました。「どてらい男」や「江戸を斬る」がヒットし、またクイズ好きとしては「アップダウンクイズ」の司会者を務めていたことも覚えておきたいところです、って、こんなジジイ代表みたいな話を読んで共感するのはジジババだけでしょうね。橋幸夫も舟木一夫も健在なのに、一番年下の西郷輝彦が先に逝くことになるとは思いませんでした。ご冥福をお祈りいたします。



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