幹事クリタのコーカイ日誌2021

[ 前日翌日最新今月 ]

2月7日 ● 日の丸飛行隊から50年。

 北京冬季五輪の男子ノーマルヒルで小林陵侑が金メダルを獲得しました。ジャンプの個人での金メダルは1998年長野五輪の船木和喜以来、そしてノーマルヒルでは1972年札幌五輪の笠谷幸生以来となりました(当時は70m級)。国内での五輪でしか取れなかった金メダルを海外で取ったことも素晴らしいですが、何より笠谷幸生の名前が今になって甦ったことに懐かしさを感じずにはいられません。

 半世紀前の1972年札幌冬季五輪について思い出がある人はもう60代以上と言うことになるのでしょう。僕は小学校5年生でしたが、あの時の熱狂は今でもくっきりと記憶に刻まれています。笠谷幸生、金野昭次、青地清二で表彰台を独占しし「日の丸飛行隊」と呼ばれたジャンプを筆頭に、フィギュアスケート、スピードスケート、アルペンスキーのみならず、ノルディック複合、バイアスロン、アイスホッケー、ボブスレー、リュージュなど多くの日本人が初めてウィンタースポーツを間近に見て知ったオリンピックでした。

 笠谷らとともに一躍スターになったのが女子フィギュアスケートのジャネット・リン。可憐な容姿で「銀盤の妖精」と呼ばれ、尻もちついても銅メダルということでさらに話題になりました。人気が沸騰したあまりカルピスのCMにも起用されていました。当時は白人とのスタイルの差が大きすぎてフィギュアスケートで日本人が勝てるわけがないと思われていました。その後、先鞭をつけた伊藤みどりは偉大でした。

 また大会のテーマ曲となったトワ・エ・モワが歌う「虹と雪のバラード」は学校の授業中に教えられてみんなで歌っていました。今でもフルコーラス歌えます。学校の教室のテレビで授業中にオリンピックを見たのも良い思い出です。あれから50年。日本は強くなりましたが、あの頃のようにピュアな気持ちでオリンピックを見ることもできなくなりました。半世紀。思えばはるか遠くに来たものです。



gooブログでも読めます「幹事クリタのコーカイブログ」

テニス好きなら「幹事クリタのテニス日誌」