幹事クリタのコーカイ日誌2021

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3月16日 ● 大相撲の曖昧なルール。

 春場所が始まっていますが、鶴竜が休場した挙句に白鵬まで休場してしまいました。またもや両横綱が不在となりました。すでに横審が昨年11月場所後に「注意」を両横綱に決議しているにも関わらずです。完全に横審も協会もなめられているとしか思えません。彼らは次の横綱が出てこない現状を見透かしていて、自分たちを辞めさせるわけにはいかないだろうと踏んでいるのでしょう。

 芝田山広報部長は春場所後に横審を開くことを明言しました。さすがにここまでなめられたらかなり厳しい対応をすることになるでしょう。大関と違って降格がない横綱は自ら進退を決めなければなりません。だからこそこれまで歴代の横綱は名誉を守って潔く引退をしてきました。ここまで休んでばかりいながらも土俵にしがみついている横綱というのは8場所連続休場した稀勢の里を例外としてありません。

 ただその稀勢の里が悪い見本となってしまっていることは否めません。白鵬にしても鶴竜にしても自分たちはあれほど長く休場したわけではないから良いだろうと思っていることでしょう。久しぶりに現れた待望の日本人横綱ということで協会が稀勢の里に寛容だったことが今になって悪い影響を与えています。日本人だからOKでモンゴルだからNGという差別をするわけにはいきませんし、そもそも両横綱とも今は日本国籍です。

 ただモンゴルで生まれ育った両横綱には少しでも力が衰えたら「潔く」引退するという日本の武士道的な心情がいまひとつピンとこないのかも知れません。と言うか、今や日本人でもまだ力があるのに引退するという発想からは遠くなっていて、むしろサッカーのカズのようにいつまでも現役で戦う方が称賛されたりしています。両横綱もきちんと休んで怪我を治せばまだ戦えると思っているのに、なぜ辞めろと言われるのか理解できないとしても無理からぬことです。

 こうなると横綱を引退する条件を明文化するしかなくなります。ルールに書いていないことはOKだと主張されて、いやそれは暗黙の了解、不文律だからというのは通用しない時代になってきてしまったのです。白鵬がいくらかち上げや張り手を横綱らしくないと言われても結局やめなかったのも同様です。ルールで認められている技なのに横綱だからやってはいけないと言うのはおかしいと主張されたら認めざるをえません。

 時代は常に変わっていきます。長年の相撲ファンとしては寂しい限りですが、曖昧な決まり事はきちんと何らかの基準を示していくべきでしょう。その曖昧さこそが大相撲という文化の一端だとは思いますが、横綱引退の基準を明文化したくらいのことで相撲の本質は何も変わらないと思いますから。



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