幹事クリタのコーカイ日誌2019

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4月15日 ● 上野千鶴子の東大入学式祝辞。

 先日の東京大学の入学式での上野千鶴子の祝辞が賛否両論で話題を呼んでいます。全文はこちら「平成31年度東京大学学部入学式 祝辞」で読めます。またノーカット動画はこちら「東京大学入学式 上野千鶴子さんの祝辞」です。14分程度ですから、時間がある人は臨場感のある動画も聞いてみるといいでしょう。

 文章で読むとなかなか感動的な名スピーチです。特に後半のたたみかけてくる論調は説得力もあり、また言葉の切れ味が鋭くキャッチーで「さすが上野千鶴子」と感嘆させられます。社会学者というのはこういうキャッチーさがないとマスコミ受けしないし、学者として売れっ子になれません。反面、動画で見ると前半部分の「おいおい、これって祝辞?」という学生たちが反発した気持ちもわかります。いきなり何の話だよと思うし、女性が、男性が、とざっくりした括り方も雑過ぎると思います。それに今どき女性でも男性でもない人、という視点が抜け落ちているのはダメでしょう。

 世間が賛否両論に分かれるのは、上野千鶴子としては覚悟の上というよりは、狙ってやっているのだろうと思います。そうやって話題になり議論になること自体が大事なのであって、ここで当り障りのない祝辞らしい祝辞を述べたところで意味はないと彼女は最初から考えているのでしょう。世間が騒げば騒ぐほど上野の思う壺ですし、それも含めてさすがだなとしか言えません。

 祝辞と思って聞いていた学生がこのスピーチに反発するのは無理からぬことですが、だからと言って社会人が偉そうに「そうそう」と拍手を送るのもどうかと思います。特に相手が東大生ということもあって「いくら勉強ができるからと言っても、それだけでは社会では通用しないんだよ、お前らはわからないだろうけど」というマウンティングをしたがる社会人はむしろ恥ずかしいとさえ思います。

 上野は決してそういう理不尽で不寛容な社会を許容しているわけではありません。彼女は言葉通り「弱者が弱者のままで尊重される」社会を求めているのですから、まだそうなっていない社会を構成している社会人はむしろ反省すべきであって、学生相手にマウンティングしている場合ではないのです。まだ上野に向かって「糞フェミ」などと罵倒している方がはっきりと差別主義者であることを表明していて潔いくらいです。こういう喧嘩上等なスピーチができる学者は面白いです。そして上野にここまで愛され期待されている東大生諸君には頑張ってほしいと思います。 


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