幹事クリタのコーカイ日誌2018

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2月7日 ● テニス観が合うということ。

 僕はテニスの話をするのが好きです。こうして長年ブログを書いているモチベーションのひとつはテニスの話をしたいからです。10年以上前には会社の先輩でテニスの話が大好きなMさんという方がいました。いつも2人でランチに行ってはテニスの技術論、戦術論からトッププレーヤーの話題、ラケットなどの道具論まで熱く語り合いました。

 残念ながらMさんは若くして急死されてしまい、彼が亡くなってからは一緒に熱くテニスをあれこれ語りあえる人が身近にいなくなってしまいました。こればかりはネット上の付き合いでは盛り上がりきれません。面と向かって話をしたいのです。お互いのプレーも知らなければ理解できない部分もあるし、技術と知識と熱意のレベルがちょうど釣り合っていないとつまらないし、何よりテニス観が同じじゃないと難しいです。

 ここで言うテニス観が同じとは、まず人生におけるテニスの位置づけ。僕の場合で言えば、仕事でテニスをしているわけではないので、家庭や仕事よりはテニスが下、なのですが、それが実際には建前であることも多く、家庭や仕事に優先してテニスをすることが時にはあります。そしてテニスにかけるお金は結構惜しまない。小遣いの大半はそこにつぎ込むくらいの覚悟があります。もちろん人によってはもっと激しくのめり込んでいる人もいれば、ずっとライトにテニスをしている人もいます。

 次にテニスをどの程度まで「勝負事」として考えているのか。テニスは日頃のストレス解消であったり、運動不足を補うアスレティックだったり、仲間とのコミュニケーションツールだったりします。その中で「勝ち負け」をつけるゲームという側面をどこまでクローズアップしていくかは人それぞれです。勝負に拘り過ぎると時としてテニス仲間との関係に亀裂を生じさせますし、逆に勝負へのこだわりが無さ過ぎる人とテニスをしてもあまり面白くありません。

 こうしたテニス観の不一致は、バンドにおける音楽性の不一致や、結婚における性の不一致くらいに離別の原因になり得ます。あまりにも違うとちょっと一緒にやってられないなぁと思います。逆にここがぴたっと合う人とはずっとテニス談義を飽きることなくできそうです。


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