幹事クリタのコーカイ日誌2017

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11月28日 ● 味噌の濃淡。

 会社で僕の隣席に座っているNちゃんは九州出身で結婚して名古屋に引っ越してきました。名古屋歴は6年です。6年いればそれなりに名古屋にも馴染んできますが、当初はかなりびっくりしたことが多かったそうです。最初に勤務した会社ではバリバリの名古屋人ばかりの中で、まず言葉がわからずに苦労したそうです。電話で「ヒラオさんお願いします」と言われても、「ヒラオ」のイントネーションが標準語とは全然違うので「ヒラオ」という名前が「平尾」に脳内で変換できず、外国人の名前に聞こえたとか。

 「オボエレンワ」(「覚えられない」)も理解できず、「エライ」(「疲れた」)も何が偉いんだろうと疑問に思って尋ねたら、「九州の人は訛りがきついので不自由だね」と言われたそうです。ちなみにNちゃんは海外勤務経験もあり標準語をきちんと喋ることができます。標準語が不自由なのはその会社の生粋の名古屋人たちなのですが、もちろん多勢に無勢なので言い返すだけ無駄です。

 この会社の事例はかなり極端なものですが、三代以上続く生粋の名古屋人で、なおかつ地元の学校を出て、名古屋本社の地元企業に勤務し、周りもほぼ名古屋人という環境で育つと、こういう人たちがいることも確かです。彼らは元来名古屋弁を喋っているという認識自体が薄く、特にイントネーションの違いとか語尾の変化を名古屋弁だと思っていないことが多いので、こういう事態が起きることもあり得ます。

 僕はNちゃんに「そりゃ最初に味噌が濃い会社に入っちゃったね」と同情しましたが、やはり同じ名古屋のコミュニティでも「味噌の濃淡」はかなり差があります。僕の会社は東京に本社がある広告代理店だけに、名古屋出身者の比率は低いですし、社内で話されている言葉はほぼ標準語です。しかも「味噌の濃さ」は時代とともにどんどん薄くなっていて、30年前に比べたら赤出しどころか味噌汁よりお澄ましに近くなっています。

 ちなみに僕も小学校や中学校の同窓会に行くと思いっきり味噌の濃い会合になります。ネイティブでありながら、さすがにその濃度にちょっとたじろぐことさえあります。それに比べて高校の同窓会はかなり味噌が薄いです。名古屋の高校の同窓会なのに、名古屋弁ではなく標準語に近いのは、東京や海外に出ていきたがる母校独自の校風によるものなのかも知れません。


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