幹事クリタのコーカイ日誌2016

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2月1日 ● 褒め殺しと快気祝い。

 若い頃、見え透いたお世辞とか社交辞令というのが大嫌いでした。なんでそんな白々しいことを言うんだろう、言ってる方も言われた方もイヤじゃないのかと憤慨していました。僕は遠慮なんかせずに、デブにはデブと、ハゲにはハゲと、バカにはバカと言ってやろうと思っていました。こんなこと言ってる方がバカじゃないのかと今なら思いますが、なにせ当時はピュアだったのです。「誉める」ふりをしている嘘つきはバカにされているようで大嫌いでした。

 その頃は本音を隠して良いことしか言わない相手に対して、どんどん本音をぶつけていき、相手にも本音を言わせようとしていました。お互いに本音を話さなければ仲良くなんかできないと考えていたし、仮にそれでトラブルになって嫌われても平気だと思っていたので噛み付きまくりです。いま思えば狂犬みたいなものです。ロクでもない若者でした。

 変わったのはやはり結婚してからでした。他人と生活をともにするというのは夫婦と言えども気をつかわないと成り立ちません。気をつかうことと嘘をつくことは別だと考えていたのですが、実際にはさほど美味しくないオカズだなと思っても「美味しい」と言わないと作ってくれた相手に悪いし、ヘアスタイルに興味なくても美容院に行ってきたら「似合うよ」と言っておけば丸く収まることを学びました。

 どちらでも良いようなことに、いちいち本気で突っ込んでいたらお互いに疲れるだけです。大人になれば他にやること考えることが多いのですから、余計なひと言を言わないで、流せば済むことは流す。結婚生活でそれを学んでから、徐々に仕事関係や友人関係にも応用できるようになりました。いつからか「丸くなったね」と言われるようになりました。自分ではそんなに尖っていたのかと逆に驚いたくらいです。

 今ではむしろほとんど嘘ばかり喋っているような気さえします。直接相手を傷つけるような直言をすることは本当に少なくなり、昔は嫌っていた「褒め殺し」技を炸裂させることさえあります。そして相手からも内心では思っていなくてもとりあえず誉めてくれたり優しくしてくれればOKだと思っています。手術の後には「大丈夫?無理しないでお大事に。治ったら快気祝いしましょう」と言ってくれれば良いのです。別に本当はそんなに僕のこと心配なんかしてないでしょ、なんて意地悪な突っ込みはしません。

 そうそう、昔はこの「今度飲みに行きましょう」も大嫌いでした。行く気もない癖にそういうこと言う神経が理解できませんでした。今では「快気祝いしましょう」と言ってくれるだけで嬉しいです。実現しなくても別に何とも思わないので、みんな優しくしてください。


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