幹事クリタのコーカイ日誌2016

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1月10日 ● ラジオの未来。

 ようやくテレビが見られるようになって、かなり精神的に安定してきました。生まれながらの「テレビっ子」です。ですが、目が使えないと頼りになるメディアはラジオのみです。考えてみれば中学生の時にラジカセを買ってもらって以来、中高生時代はラジオも友達で、リクエストハガキを投稿したり、エアチェックしてカセットテープに好きな曲をまとめたり、短波放送で海外のラジオ局を受信してベリカードを集めたりしていたものです。「べリカード」なんて一部の同世代にしか通じないかも。

 そんな僕ですが、大人になってからはクルマの中で時々FM放送を聞くくらいになりました。それ以外はごくたまにプロ野球中継をチェックすることがあるだけです。普段はほとんどラジオと接していないのですが、今回、手術後はほとんど目を開けているのも辛い時期が2日間ほどあったので、その間はずっとスマホでラジオを聞いていました。本当に久しぶりにちゃんとラジオを聞きました。

 あまり面白くなかったです。もちろん、全てがつまらなかったわけではありませんが、基本的には音楽をかけて合間にとりとめのない話をするというスタイルは、いつでもどこでも一緒です。その音楽が自分の好みに合えば良いのですが、昔と違って今や音楽は本当に細分化されてしまい、とても自分の好みの音楽に巡り合える可能性が低いのです。カウントダウン的な番組ですら、全然違うランキングになっていて、知らない曲がズラズラと上位に並んでいると「なんだこれ」となってしまいます。

 また「とりとめのない話」も、妙に英語の発音が良いDJがする底の浅い、しかも半分くらい宣伝のような話か、あまり知られていないミュージシャンが自分たちの好みの音楽についてボソボソ喋っているかで、芸のある話を聞くことができません。ラジオって、こんなに金も知恵も時間も人手もかけずに作っていたのかと呆れるくらい安直でレベルが低いのです。いかにメディアとして取り残されてしまったのかを痛切に感じてしまいました。

 もちろん、全てのラジオ番組がそうだとは言いません。中には面白い番組も良心的な番組もあることでしょう。ただ、全体的なレベルというか、熱量が下がっていることは、昔のラジオに比べて明らかです。ラジオの復権というか、再生は随分昔から課題になっていると思いますが、先行きはますます暗く険しいとしか思えませんでした。未来が感じられないのです。ラジオ、好きだったんですけど。聞かなくなった人間がこういうことを言うのは、乗らなくなった鉄道や、行かなくなった遊園地の廃業を惜しむのと同じ身勝手な意見かも知れませんが、やっぱり残念です。


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