幹事クリタのコーカイ日誌2016

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10月5日 ● 「今日のダーリン」を読んで。

 「ほぼ日刊イトイ新聞」の「今日のダーリン」にテニスサークルの話がありました。リンクしてもどうせ明日には変わってしまうし、全文紹介するには長過ぎるので、一部抜粋します。

 〈ぼくはテニスとか卓球とかやっていないけれど、もしやっていたとしたら、まったく下手な段階で、「ま、いいか」と思ってしまうだろう。〉〈向上したい、という人たちが集まっている場に、「ま、いいか」みたいな人が混じっていると、けっこう迷惑になりそうだ。逆に、「ただたのしくやりたい」人たちのなかに、すっごく向上心のある人が混じっていても、これまた、なかなかうっとうしいことになる。〉〈動機や技量に合わせて「向上したい人たち」と「たのしくやりたい人たち」に、クラス分けをしたりもする。〉

 〈おそらく、それぞれの人が、上達派かどうかについて、「わたしはこっち」という自己認識があって、棲み分けやら、交流やらをうまくやっているのだろう。〉〈ぼく自身は、「たのしくやりたい人たち」のほうにいる。いや、たぶん「最近、顔を見せないですね」の人になる。もうしわけございません、「やる気のない人」の典型だ。〉

 と言うことで、以下はそういうイトイ氏だけど、スポーツ観戦する時は「やる気のない」選手に怒るし、自分の本職でも向上心を強く持ってやっていると言います。そして〈社会全体が、実は、テニスのサークルとちがって、クラス分けなどできない混ざり合いでできている。上達したい気持ちがゲームをおもしろくするんだけどね。〉と結んでいます。

 相変わらず鋭い考察をする糸井重里ですが、とは言え、実はテニスサークルも結構「混ざり合い」でできています。純粋に同じ方向を向いているなんて滅多にない奇跡的な集まりだろうと思いますし、実はそういう集団はちょっとしたことで崩壊する脆さを内包していると思っています。ある程度持続可能性を高めるためには「やる気」のグラデーションをつけて、多様性を保持しておく方が良いのではないかと、過去30年にわたってテニスサークルを運営してきた身としては感じています。

 なぜかと言えば人の「やる気」なんて、意外とコロコロ変わるからです。モチベーション高くテニスに取り組んでいた人が、環境の変化、体調不良、故障などで一気にやる気を失うことは多いし、そうじゃなくても「飽き」がくることもあります。そういう時に純粋な本気バリバリ集団だと落ちこぼれてしまって辞めるしかありませんが、そこに適当にやっている人たちがいれば、そちらと一緒になって休むことができます。そしてまたそこから復活できることもあるのです。

 社会もそれと同じだと僕は考えていて、「一億総活躍社会」なんて言って、みんながみんな頑張ろうとしなくても良いのではないかと思います。頑張りたい時には頑張ればいいけど、そうじゃない疲れてしまった時には羽根を休める場所と仲間も必要です。少なくともうちのテニスサークルはそう僕が考えているので、やる気満々で試合に出まくっている人もいれば、年に1回くらいしか参加しない人もいます。自分のペース、自分のやり方で楽しんでもらえればそれで良いです。お互いに大人なんですからね。


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