幹事クリタのコーカイ日誌2016

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8月31日 ● 作るよりも続けることが難しい。

 僕がサークルを立ち上げたのは1986年。今から30年前。そしてサークルのサイトを作ったのが1996年。20年前のことです。個人でサイトを開くことができるようになったばかりの時代で、テニスサークルのサイトなんて本当に全国で数えるほどしかありませんでした。僕が開設した頃から続々とそれに続くようにサイトを作るサークルが現れて、2年も経たないうちにネットを通じてそうしたサークルが繋がりを持つようになり、「愛知テニスサークル連盟」(ATCL)なるものが設立されました。

 僕が主導したわけではありませんが、うちのサークルも誘われたので、サークル同士の横のつながりが一気に広がりました。各サークルの幹事さんたちはほぼ僕と同世代の1960年前後の生まれが多く、みなネット文化の黎明期に立ち合った世代と言って良いでしょう。ATCLが主催するテニス大会もかなり頻繁に開催され、我々も1998年からよく参加して楽しませてもらいました。レベルも当時の我々にちょうど良いレベルで、本当にお世話になりました。

 その後、2003年頃までの数年間がもっともサークル間の交流が盛んだった時代で、ATCLの大会だけではなく、いくつものサークルと交流戦もよくやりました。どこのサークルも20〜30代が中心だったので、テニスだけではなくバーベキューなども一緒にやったりしたこともありました。色恋沙汰もちょこちょこあって、そのせいでサークルに居づらくなって移籍したりするなんて事例もちょこちょこ起きました。

 ところが2004年頃から徐々にそうしたサークルが衰退していきました。理由はさまざまだと思いますが、主たる原因はやはり幹事が続けられなくなったからだと思います。サークルの幹事というのは生活の多くをそこに注ぎ込まないと難しいです。それくらいエネルギーも時間もかかります。独身のうちはよくても結婚したりすると、そうそうサークルばかりというわけにはいかないし、また仕事も年齢的に大変になってくることもあります。

 そうやって交流のあったサークルがひとつ、またひとつと消えたり規模を縮小したりしていきました。今も残っているATCLのサークル紹介ページを見ると(2003年頃から更新はされていませんが)、当時23も登録されていたサークルで生き残っているのは恐らく2割くらいではないかと思います。当時よりも規模を拡張してますます盛んに活動しているのはうちのサークルくらいなものです。

 もちろん、消えるサークルもあれば生まれるサークルもあるわけで、今もテニスサークル自体はたくさん存在しています。ただATCLの事例を見ればわかるように、いかにサークルは作るのは簡単でも続けるのは難しいかということです。うちのサークルはあと最低20年、創設50周年までは続けることを目標にしていますが、さてどうなることやら。


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