幹事クリタのコーカイ日誌2016

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6月23日 ● 躁鬱気質の克服法。

 人間、気分がノリノリで何でも前向きにやってみようとする時期があれば、逆にいろいろ面倒でじっと内向的になって塞ぎ込んでいたい時期もあります。1日の中でも気分の浮き沈みはあるし、週単位、月単位、年単位でもあります。軽い躁うつ病(双極性障害)みたいなものですが、僕は昔からそういう気持ちのアップダウンが激しい子どもでした。

 もっともそんな自分が嫌いで、中学生の頃には何とかこうした自分を変えたいと思っていました。なにせそれは随分とカッコ悪いことだと思っていたからです。理想は西郷隆盛のような常に堂々とした態度を取れる余裕のある人間です。実際にはささいなことで浮いたり沈んだりしていた正反対の人間なのですが、少なくとも見た目だけでも落ち着いた安定した人間に見られたいと、大学生の頃からはなるべく何事にも動じない振りをしていたのです。

 それでも20代になっても30代になっても中身はちっとも変りませんし、身近な人には相変わらず「わかりやすい」と言われていました。自分でも態度に出てるかなと感じることも多々ありました。そして40歳くらいに「これはもう変わらないな」と悟って、不動の心を持つ努力はいったん諦めました。ただせめて自分の不機嫌を他人にぶつけるような真似だけはしないように心がけることにしました。自分が上機嫌の時に少々浮かれ気味なのはあまり迷惑はかからないから構わないし、落ち込んでいる時に静かに殻に閉じこもってしまうのも勘弁してもらおうという妥協点を決めたのです。

 そうこうしているうちに40代が過ぎ、気づけば50代半ば。最近あまりそういうことも考えていませんでしたが、ふと振り返ると今はかなり気持ちが安定しています。どうやら長い間生きてきて、本当に図太くなってきたのか、加齢で感受性が衰えたのか、何事もうまくやり過ごす術を身につけたのか、長年の「振り」がとうとう身についたのか、いずれにしてもあまり無理しないで自然体で落ち着いた感じに生きられるようになりました。もちろん年単位のスパンでは浮き沈みはありますが、ちょっとしたことで動じることは少なくなりました。

 こういう経験をすると、年取って良かったなぁと思います。若い時には努力しても難しかったことが、年を取っただけで自然にできるようになったのです。年齢を重ねるのは悪いことばかりではありません。


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