幹事クリタのコーカイ日誌2016

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1月11日 ● デビッド・ボウイのこと。

 デビッド・ボウイが亡くなりました。はやっ!と思ったらまだ69歳でした。がんと闘った末のことだったそうです。

 デビッド・ボウイは僕にとっては「グラム・ロックの人」というよりは「中性的なメイクをした人」でした。元祖ビジュアル系のイメージです。彼が活躍しはじめたのは僕が小学生から中学生になろうかという時期で、田舎の普通の中坊が知っている洋楽はビートルズ、カーペンターズ、サイモン&ガーファンクルくらいなものでした。ローリングストーンズは「不良」で、ボブ・ディランは「変人」だと思っていました。

 そんな時に現れたデビッド・ボウイは「変態」でした。同じ頃にフレディ・マーキュリーが更なる変態として登場してきますが、当時はゲイでもないのに化粧する男というのは理解に苦しみました。そのインパクトの強さに音楽的なことなど全く気にしなかったのです。彼の音楽をちゃんと聴いたのは世界的大ヒットとなった80年代の「レッツ・ダンス」からでした。それまでは文化的なアイコンとしてのデビット・ボウイは知っていても、ロックミュージシャンとしてはあまり意識していませんでした。一般的には彼は「カルトスター」だったのです。

 80年代になるとデビッド・ボウイの影響を受けたロックスターがたくさん現れてきます。カルチャー・クラブ、デュラン・デュランなどのMVを見て「ああ、なるほど、こういうことになったんだ」と瞬時に理解しました。日本でももちろん「デビッド・ボウイもどき」のバンドが続々と出てきて、80年代は猫も杓子も化粧した男が歌っているような状況でした。デビッド・ボウイの影響力の強さというのは、あの頃のメイクしたバンドマンたちの多さで視覚的によくわかったのです。

 個人的にはデビッド・ボウイと言えば『戦場のメリークリスマス』でした。あれは名演でした。役者として成功した作品は多くありませんが、この作品があるだけでミュージシャンとしてだけではなく、役者としてのデビッド・ボウイも後々まで語り継がれるものだと思います。まだこれから70代になって新しいデビッド・ボウイはを見せてくれたかも知れないのに、本当に残念です。


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