幹事クリタのコーカイ日誌2015

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12月14日 ● スターウォーズ世代のスターウォーズ。

 いよいよ今週末からスターウォーズの新作が公開されます。早くも世界各地でお祭り騒ぎのようです。日本でも各メディアで大々的に取り上げていて、もう大ヒット間違いなしの状況になっています。テレビでは当然誰もが興味ある「振り」をしなければならないようで、ある30代前半のタレントが「子どもの頃から慣れ親しんでいる音楽を聞くだけでわくわくします」的な当たり障りのないコメントを言っていました。思わず「お前生まれてなかっただろ!」とテレビに向かって突っ込みを入れてしまいました。

 映画に限らず音楽でもアニメやマンガでも良いのですが、ポップカルチャーは「時代」と切っても切り離せないものです。その作品が生まれた時代の空気を知っている、というよりも、むしろその空気を作っている一員である人間にしか、わかり得ないものがあります。いくら後で興味を持ち好きになっても、それは「学習」の成果であり本当の意味で理解したとは言い難いと思います。

 もちろん、遅れて生まれてきた人間に罪はありませんし、後で好きになってのめりこんでも、その人なりの解釈や理解で楽しめば良いのです。じゃなければ古典的な名作を誰も楽しめなくなってしまいます。モーツァルトの時代に生きていた人はこの世には一人もいないのですから、現代なりの理解でモーツァルトを楽しむしかありませんから。

 だからスターウォーズを30代は30代なりに、10代は10代なりに楽しむことをどうこう言うつもりはさらさらありませんが、当時10代だった、いまアラフィフになっている「スターウォーズ世代」にとっては受け止め方の「深さ」が違うのだということは確かですし、それこそが時代とリンクするポップカルチャーの真髄だと僕は考えています。

 映画なら「スターウォーズ」や「ロッキー」、音楽ならクィーンやマイケル・ジャクソン、サザン、ユーミン、アニメなら「宇宙戦艦ヤマト」という僕らの世代にとっては、思い入れが強いだけに新しいスターウォーズは単なる楽しみという以上のものであり、逆に不安もあります。本当に我々が興奮したあのスターウォーズなのか、違うものになっていやしないか、一緒にまた興奮できるのか、自分たちの良き思い出を壊されてしまうのではないか。

 ディズニーに買い取られ、ルーカスではない監督が作ったスターウォーズが本当に「我々の」スターウォーズなのかどうか。楽しみな反面、見るのがちょっと怖いです。でも絶対に見ますけどね。


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