幹事クリタのコーカイ日誌2015

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8月6日 ● デザインの「好き嫌い」と「良い悪い」。

 東京五輪のシンボルマーク騒動の件ですが、これはデザイン業界の人たちと、一般の方たちとの認識のズレがかなり大きくて、デザイン業界の人は「明らかに違う」と言い、素人は「似てる」と言います。でもそのことについて僕は特に驚いてはいません。なぜなら長年広告制作業界にいて、似たような経験を随分と多くしてきたからです。

 デザイン、特にグラフィックデザインというのは素人にもわかりやすいし、口を出しやすいものです。見た本人の感覚だけで「良い悪い」「好き嫌い」を言えるからです。例えばそれが設計だとか、法律だとか、経理とかなら、素人は基本的にはプロにお任せでしょう。自分がクライアントだとしても「こうしたい」という希望は伝えても、具体的な部分になったら専門家を信用するしかありませんし、知識がない以上、余計な口出しもできません。

 ところがグラフィックデザインというのは素人にもわかるという思い込みがあるようです。もちろん、対象が広く一般人なのですから「わかるように作る」ことは前提ですが、ただ「わかるように作る」にはプロならではの技術と知識と計算と経験が必要なのです。行き当たりばったりの思いつきで作ってもうまくいくはずもないのに、なぜかデザインに関しては平気で素人が口を出します。

 先ほども書いた「良い悪い」と「好き嫌い」は似ていますが同じではありません。「好き嫌い」は個人の感想なので自由に言ってもらっても構いませんが、「良い悪い」はそれなりのプロがプロとして判断するものです。なぜなら「良い悪い」は客観的な尺度であり、客観性を保つためには専門家としての技術と知識と計算と経験が必要だからです。

 五輪のシンボルマークをデザインした人はプロ中のプロです。そんな人に「良い悪い」を素人が言っても何の説得力もありません。もちろん「好き嫌い」を表明するのは自由ですが、それは今回の騒動とは別の次元の話です。さらに言えば、もうひとつ「正しい間違っている」という判断基準もあり、それは完全に専門家が判断すべき領域です。そして今回一番問われているのはこの「正しい」か「間違っているか」の法律的な判断なのです。

 自分が表明している意見はどの基準軸で言っているかをきちんと認識した上で専門家に対して物を言わないと、「わかってないな」と軽んじられ疎んじられるだけです。


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