幹事クリタのコーカイ日誌2015

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2月18日 ● 権力とマスコミの関係。

 先日のISILによる日本人人質殺害事件の後、僕は安倍首相が責任を問われて政権が危機に晒されると思っていました。なにせ人質の救出を失敗し殺害されてしまったのです。国は国民を全力で守る責務があるのに、昨年2人が人質として捕えられてからの一連の政府や外務省の対応は稚拙だったと感じられるし、殺害された後の対応においても「自己責任論」を流して自分たちの失敗を認めないというのはどうかと思っています。

 ところが新聞各紙の世論調査によればむしろ安倍政権の支持率は上がっているというのです。なぜ?仮に国が懸命に全力を尽くしたとしても、救出に失敗したことは間違いないのですから、支持が上がるという意味がわかりません。マスコミはこういう時こそ権力のチェック機関としての役割を果たさないで、一体何をしているのかと思います。交渉中の政府への批判はテロリストを利するという主張も僕はいさかか疑問に感じていましたが、少なくとも失敗に終わってからは事件の過程をきちんと検証し、どうしたらよかったのか反省し、批判すべきはしなければならないはずです。それもしないで何のためのジャーナリズムかと。

 そして先日、産経新聞に掲載された曾野綾子の「アパルトヘイトの勧め」のような人種隔離政策の提言。とんでもない妄言ですが、これも南アフリカ大使館から抗議されるまで各紙は無視していました。産経新聞は「自分たちの意見ではない」とあくまでも個人の考えを載せたに過ぎないと責任逃れをしていますが、ではそんな人間に定期コラムを書かせていること自体の責任まで逃れられると考えているのでしょうか?また安倍政権のアドバイザーとして活動していた曾野に対して他紙も及び腰なのはいったいどういうことでしょうか?

 最近マスコミ各社のトップが安倍首相と仲良く会食をしているために、大手マスコミが政権批判を躊躇しているという話が週刊誌やネットで書かれています。新聞だけではなくテレビでも政府に批判的なキャスターやコメンテーターが降板させられると報じられています。トップが政府とつるめば、当然下も空気を読んでしまうということですが、そんなに近頃の記者というのは腰抜けなのでしょうか?

 僕は安倍政権を全面的に否定するわけでも逆に肯定するわけでもありません。政治は難しいバランスを取らなければなりませんから、全方向に喝采を浴びるということは難しいでしょう。ほとんどの事柄は利害が相反するものです。ただ権力をチェックするために大きな力を持っているマスコミが、その責務を放棄して権力におもねるというのなら、もはや存在価値はありません。マスコミには健全な批判精神をもっていてもらいたいものです。


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