幹事クリタのコーカイ日誌2014

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11月13日 ● 学生時代の部活をやり直したい。

 ドラマ「素敵な選タクシー」を見ていると、自分だったら過去のどこまで戻ってやり直したいのかをつい考えてしまいます。と言うか、昔からよく考える(妄想する?)テーマです。そんなに人生に悔いがあるのかと聞かれたら、そうでもないし、人生をやり直したいのかと言われたら、このままで良いんですけど、でも長く生きてればどうしたって「ビアンカではなくフローラを選んでたらどうなったかな」的な分岐点はいくつもあります。

 そのひとつが学生時代の部活選び。僕は小学校の時にたまたま市民水泳大会で優勝したことがあって、それで中学に入ると同時に水泳部に勧誘されて入部しました。しかし、入ってみたら水泳部は不良の先輩が多く、先生の監視の目が行き届かないプールの裏でタバコを吸っていたので、すぐにイヤになって退部。その後、親友に強く誘われて規律のきちんとした剣道部に入り直したのですが、竹刀で叩かれるのが痛くてイヤでイヤで仕方ありませんでした。幸い、学校がマンモス校で2年生の時に分離独立したので、それを機に今度はバスケ部に入りましたが、顧問の先生が結核で倒れて指導者のいないままにダラダラと練習していたら市内最弱になってしまいました。

 さらに高校では、まずはバスケ部を見学に行こうと体育館に向かう途中で色っぽい2年生の柔道部の女子マネージャーに声をかけられて、そのままフラフラと柔道部に入ってしまいました。後で柔道部のモテなさぶりに大きく落胆することになりますが、とにかくぬるま湯で居心地が良かったので、柔道部で良いかとなって卒業まで続けてしまいました。

 コロコロと部活を変わってばかりいたので、満遍なくスポーツができるようになったのは良かったですし、お陰で体育の成績はいつもトップクラスでした。その代わり自分の専門競技がないので、それが今でもとても残念です。そして、中学に入った時から実はずっとテニス部に入りたかったのです。それも僕の中学には珍しく軟式だけではなく硬式テニス部があったので、今でもあのときに思い切って硬式テニス部に入っていたら今頃どれだけテニスが上手くなって、楽しいテニスライフが送れていたかと、ついつい夢想してしまいます。

 中学から硬式テニスをしていたら、高校からテニスを始めた子たちに対して当然アドバンテージがありますから、すぐにレギュラーになれたでしょう。そうすれば大学でも主力となって活躍できたはず。そして今頃はOBとして幅広いテニス人脈を持って名古屋のテニス界でブイブイ言わせていたかも、なんて。テニス部に入れなかったのは、当時の硬式テニスというのは「お金持ちのスポーツ」というイメージが強く、親に「そんな金はない」ときっぱり言われたからです。今よりもラケットもシューズもウエアも高かったから貧乏な我が家では仕方ありませんでした。自分でラケットやシューズをバイトして買えるようになった大学生になってからようやくテニスができるようになったのです。

 考えてみればテニスだけではなく、いまサックスやピアノをやっているのも、子どもの頃に貧乏で音楽なんてとてもやらせてもらえなかったからです。子どもの頃に叶わなかった夢に対する憧れと恨みは強いのです。よく子どもに自分のできなかった分までやらせるという話は聞きますが、僕の場合は自分がやっちゃうんですけどね。だって子どもにやらせたって仕方ないでしょ。やりたいのは子どもではなく自分なんですから。


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