幹事クリタのコーカイ日誌2014

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5月20日 ● 魁傑の死を悼む。

 ゴルフ練習場で急逝した元・放駒親方。まだ66歳でした。昔から相撲取りは短命です。こういうことも多いだろうとは思いますが、それにしても残念です。理事長時代は不祥事で苦労しました。古い親方衆から嫌われてしまい、そのときのストレスが寿命をより縮めたのではないかと思ってしまいます。現役時代のしこ名は魁傑。若い世代は現役時代は知らないでしょうが、名大関として人気がありました。と言うか、当時(1970年代)は大相撲自体が今よりはるかに人気があって注目度の高い時代。僕がちょうど小学校高学年から高校時代で、熱心に相撲を見ていたこともあり、思い出深い力士の一人です。

 当時の一番の人気力士は貴ノ花で、それに輪島と魁傑を加えて「「阿佐ヶ谷トリオ」(同門で阿佐ヶ谷に部屋があったので)と呼ばれていました。ちょうどアイドルの「新御三家」(郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎)全盛期で、その大相撲バージョンという感じの期待の若手力士でした。そしてその敵役として登場したのが昭和の大横綱である北の湖。若くして圧倒的な強さで横綱に登りつめ、その強さと不遜にも見える態度で彼らのライバルであり強大な壁となっていました。

 当時、僕も人気絶頂の貴ノ花のファンでしたし、彼と仲が良さそうな輪島や魁傑も応援していました。ただ北の湖が強すぎて、輪島は何とか対抗できていましたが貴ノ花と魁傑はなかなか北の湖の牙城は崩せず、それがまたファンにとっては相撲熱が上がる理由となっていました。やはりヒールとベビーフェイスは人気を盛り上げるためには必要なんだと改めて思います。

 トリオの中では人気の貴ノ花、実力の輪島に比べて魁傑は地味でした。大関ではありましたが2度も陥落していたし、故障がちでした。優勝2回というのも大関としては悪くはありませんでしたが、強さと弱さが同居しているようなところがありました。ただ引退まで一度も休場しなかったように、とにかく真面目で真摯で誠実。そこが一番の魅力でした。生涯、その真面目さを貫いた人だったと思います。ご冥福をお祈りします。


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