幹事クリタのコーカイ日誌2013

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11月20日 ● 誰でも表現者の時代。

 自費出版がブームになった頃、「書きたい人」がたくさんいるのに「読みたい人」はそれほどいないということが言われていました。需要と供給がアンバランス。最近は自費出版ブームってどうなったのかわかりませんが、電子書籍が広まったら自費出版本の電子書籍化はきっと手軽でコストも抑えられるでしょうから、より多くの人が書籍を出そうとするのかも知れません。

 ただしあの物体としての「本」を出したいのであって、デジタルデータじゃつまらない、それならブログやフェイスブックにでも書いてれば良いや、という人もいるでしょうから、本当に電子書籍による自費出版本ブームが来るかどうかはわかりませんけど。いずれにせよネットが文章を世の中に出して表現したい人の欲求をかなり満たしていることは間違いないでしょう。

 文章に限らず音楽も同じだと思います。音楽を演奏したい人、音楽を作りたい人はたくさんいます。どんどん自分の演奏や自作の曲をネット上にあげている人がどれほど多くいることか。また僕の通っている音楽スクールにも多くの大人が通ってきて、僕も含めて拙い演奏を発表会で披露しています。とにかく表現したい人が世の中にはたくさんいるということは確かなのです。

 ただ本と一緒でそれを受け取るニーズがありません。当然です。プロが作った音楽ですら売れないと言われる昨今、アマチュアの曲や演奏を欲している人など多いわけがありません。まして学芸会レベルの演奏を聞きに来る人なんて家族か親しい友達か義理のある人だけ。落語で大家の御隠居の詩吟や都都逸を無理に聞かされる店子の熊さん八さんと同じです。

 アートの世界でも同じことが起きているだろうと思います。ネット上には様々なアート作品が玉石混淆で並んでいます。娘のお絵かき教室の作品展には子どもから大人までたくさんの作品が展示されていますが、見に来るのはほぼ家族だけです。文章でも音楽でも美術でも、素人の手慰みレベルから、オリジナリティのある他と差別化できるほどの作品にまで高めることができるのはごく限られた才能のある人だけ。そして受け手のニーズもそこにしかありません。

 ただみんなが「表現」できる世の中というのは本当に豊かで恵まれた社会であるとは言えるでしょう。それらは生きていく上で何の役に立たず無用なことであり、古くは貴族の遊びであり、貧しい時代なら不良のやることであったり、高等遊民と言われていた時代もありました。それを誰でも遠慮せずに楽しめるなんて、人類の歴史上初めてのことだろうと思います。

 「表現」はもちろん他人から認められたらこの上なく嬉しいものですが、少なくとも発表できる場があるだけでも幸せなことです。受け手が少ないくらいのことは我慢しようじゃありませんか。そんなものしか生み出せていない自分のせいなんだし。



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