幹事クリタのコーカイ日誌2013

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10月29日 ● みのもんたの責任。

 みのもんたの息子の起こした窃盗事件については実はあまり興味がないのですが、彼が会見で「やめないと収まりがつかない日本の風潮」を嘆くのは噴飯ものだとは思いました。だってそういう「風潮」を作りだしたのは他ならぬ「みのもんた」だろうと思うからです。彼を筆頭に小倉とか宮根とかを僕が好ましく思わないのは、自分だけは正しいという顔をしてそういう「風潮」を作りだして、より気づまりで住みにくい世の中にしているからです。どれだけお前らは偉いんだ、正しいんだ、と問い糺したくなるからです。

 もちろん、みのも小倉も宮根もそれを「仕事」でやっていることは承知しています。あくまでもそういう役割を演じているのであって、それを求めているのはテレビを見ている人々であることも確かでしょう。しかし、いくら仕事でやっているだけであっても、自分たちがやっていることを正しく把握していないと、結局今回のみののように自分で自分の首を絞めてしまいます。

 みのが「30歳過ぎた子どもの責任を親が取るおかしさ」を言う気持ちはよくわかります。僕も親がそこまで責任を持つ必要は基本的にはないと思います。しかし、それでは世間が収まらないのは、日頃みのが偉そうに世の中に説教してきたからですし、そんなみのを教祖のように支持してきた多くの人がいるからです。そこを自覚していれば、みのは開き直ったりせずに最初から責任を感じて謙虚に世間に頭を下げて潔く身を引いていたかも知れません。そして、そうしていればここまで叩かれることはなく、むしろみのを弁護する論調も増えたと思います。

 しかし、みのは自分はタレントとしてそういう役割を演じていただけで、本当の自分はそんな清く正しい人間ではないと思っているから、ここにきて子どもの責任を自分が取らされることに納得がいかないのだと思います。「みのもんたの子どもでなければ」と彼は言っていましたが、確かにみのが一般人だったら、もしくはタレントでももっとヘタレキャラや悪役キャラなら、そこまで世間の非難は高まらなかったことでしょう。でも立ち位置が違えば責任の取り方も変わるのです。それはタレントでも企業人でも同じです。

 それにしても住みにくい世の中になりました。容赦ない正論がまかり通る様子はブルドーザーが全てをなぎ倒していくのと同じで、後には何も残りません。みのもんたは決して好きではありませんが、彼自身が犯罪を行ったわけではないのにこっぴどく糾弾される様子は見るに堪えないものがあります。とにかく有名人だから、気に入らないからというだけで叩きたいというストレス発散のスケープゴートになっているような気がしてなりません。上に書いたことと矛盾するかも知れませんが、そこまでみのもんたが悪いとはとても思えないので。



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