幹事クリタのコーカイ日誌2013

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8月10日 ● 学歴による分断。

 昨日ネットで見かけたブログ。

「私のいる世界」

「低学歴と高学歴の世界の溝」

 上のブログに触発されて下のブログが書かれたようですが、要は「低学歴の世界」と「高学歴の世界」では常識が違うということ。上のブログではその2つの世界のパイプを繋げておいて欲しい、という話で、下のブログでは大学に進学することでその溝を乗り越えられる可能性があるよ、という話。ちょっとざっくりまとめ過ぎですが。

 僕もこの2つのブログの話がよくわかります。僕の父は工業高校卒、母は高校中退。両親を早く亡くした父は、一回り以上年上の兄に食べさせてもらって高校まで行かせてもらいました。本来なら中卒で働くところですが、成績が良かったので高校に進学させてもらえたものの、大学進学なんて経済的に到底無理だから普通科ではなく工業高校を選んでエンジニアになりました。それでも精一杯の学歴をつけてもらえたということだと思います。

 母は成績優秀で英語関係の仕事をしたくて公立高校の普通科に進学しながら、農地改革で家が没落してしまったために高校1年で中退して働き始めました。2人とも進学の夢を諦めて働いたという点では似た環境です。当然、大学を出てサラリーマンをしている家庭に比べたら「普通に貧乏」で、県営住宅で僕たちは育ちました。今でもそうですが、当時も所得制限のある県営住宅というのは「低学歴の世界」そのものであり、僕の幼馴染たちも今で言うDQNがたくさんいました。親が刑務所に入っているような奴も同じクラス、同じ通学班でしたから。

 ただ当時と今とでは違うのは、当時の低学歴で貧乏している人たちは、うちの両親がそうであったように、本当は「高学歴の世界」に進みたかったのに諸事情があって進めなかった人たちも多かったことです。これは時代の違いです。戦前生まれの世代はまだ国が貧乏だったのですから仕方ありません。その代わり彼らは子どもには何とか学歴をつけさせたいと願っていて、それが昭和の「受験戦争」を生みだしました。僕たちの世代はみんな「勉強しろ」「大学に行け」としつこく言われて育ったものです。

 それでも僕の時代で大学進学率はようやく約3割。僕の住んでいた県営住宅から大学に進んだ率はもっと低く1割程度でした。県営住宅には全部で50人近くも同級生がいましたが、その中で4年制大学に進んだのは確か4人でした。もちろん全員国公立もしくは地元の私立で、金のかかるところに行ったのは誰もいません。本当に勉強ができる子だけ進学して、残りの大学に進まない子たちはほとんどが地元に残りました。そして上のブログに書かれているような「低学歴の世界」の住人としてその世界を作り上げています。

 そう、今の「低学歴の世界」を作ったのは僕たちの世代だと思います。戦前生まれの親の世代と違って、僕たちの世代は頑張って大学に進もうと思えば進めるだけの環境がありました。なのに「低学歴の世界」に自らとどまった連中が多かったのです。元「低学歴の世界」の住人だった僕は、お陰さまで今でも彼らから仲間意識をもたれているようで、それはそれで嬉しいのですが、あの世界に馴染むのは随分と難しくなってしまいました。高校、大学、社会人と進むたびに距離が遠くなっていくのです。確かに学歴による分断を感じることはあります。

 ただそれも社会人になってからの本人の努力と資質でいくらでも乗り越えられるものだと僕は思います。大学を出ていなくても十分に立派な人格と教養をもった人はいくらでもいます。むしろこれだけ大学進学率が高くなると、大学を出ていてもダメな奴は全然ダメです。当たり前の話ですけど。

 それに彼らの世界も言うほど悪くもなくて、地元で仲良くつるんで遊んでいる彼らを見ていると相変わらず楽しそうだなぁとは思いますけどね。小学校時代の延長で50才を越えているんですから、あれはあれで楽しいですよ。



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