幹事クリタのコーカイ日誌2013

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8月9日 ● 映画「風立ちぬ」感想。

 スタジオジブリ最新作「風立ちぬ」を見てきました。公開直後から賛否両論あるという話は聞いていましたが、敢えて映画評などを一切シャットアウトして自分がどう感じるのかを楽しみにして見ました。結果から言うと僕としては「エクセレント!」です。ただしこの映画に賛否が分かれる理由もわかる気がしました。

 この映画の素晴らしさは大正から終戦までの日本の「美しさ」を抽出したところにあります。主人公の青春時代を縦軸にしていますが、本当に描かれているのは緑豊かな日本の農村風景や、発展する都市のエネルギッシュさ、下町の楽しげな情景、軽井沢の爽やかさと洒脱。そして戦前の日本人が共有していた美しい日本語や所作、勤勉さや誠実さ、謙虚さ、人情といった美徳。しばしば「暗黒の時代」とこれまで映画や小説などで語られてきた戦前の日本から美しいものだけを切り取ってきて、それを丁寧に描き上げた作品だと思います。

 もちろん、本来はそんな「美しい日本」だけのはずがありません。関東大震災と東京大空襲で短期間に二度も焼け野原となった東京。世界恐慌が起き貧富の差が激しくなり今よりはるかに貧困は深刻でした。衛生状態も悪く結核は死の病であり、人権意識も低く言論の弾圧も、差別も抑圧もありました。戦争が続く中で軍部とファシズムが台頭、暗く重い空気が垂れこめていたはずです。

 そうした「暗さ」を宮崎監督は敢えて映画の背景に押し込めてしまいました。従来ならそれは主題として映画で提示されるのが常道であるはずなのに、それを「わかっていること」として正面から描くことをせず、主人公の周りでちらちらとその陰の部分が見え隠れするのみ。あくまでも主題となって描かれているのはその暗い時代の中で爽やかに懸命に生きる主人公であり、すでに我々の生きるこの21世紀には失われてしまった日本の美なのです。

 否定的な論評を読んでいないのであくまでも推測ですが、この映画を批判する人たちはその主題と背景の逆転が許せないのではないかと思います。戦前の日本はそんな綺麗事の世界ではなく、もっと暗く辛く厳しいものであり、破滅への間違った方向に突き進んでいる時代だと。それを一部の特権的な主人公たちの生活を描いて美化しているのではないかと。もっと時代を直視すべきではないのかと。恐らく昭和40年年代だったら「進歩的文化人」から厳しく批判されたことでしょう。

 しかし、そんなことはもう散々描かれてきたし繰り返し語られ続けてきたことです。だからと言って忘れて良いわけではありませんが、今さらそれを宮崎が映画にする意味があるのか?何か新しい発見や創造があるのか?ジブリとしては、それならもう「火垂るの墓」で高畑がやったよと言うでしょう。宮崎は戦争の愚かさや悲惨さは自明のこととして、その中でも人は情熱を燃やして何かを作り生きるものであること、そして「風が立った」気持ちの良い情景を描きたくて、それを一番描きやすかった戦前の日本という時代を選んだのだと僕は思いました。

 そして宮崎が全て背景として塗りこめてしまった様々な事柄、映画では決して丁寧に説明されなかった事柄をどれだけ理解して見ているかで、この映画の感じ方は大きく異なるはずです。関東大震災ひとつとっても、映画では何の説明もなく東日本大震災並みに「みんな知っていること」として扱われています。牛に引かせて飛行機を運ぶ大変さと後進性も、名古屋の三菱重工と各務原にある飛行場の距離を知り、その間に舗装された道路がないことを知らなければ意味がよくわかりません。そもそも二郎が設計している飛行機が何なのかさえ映画の中では説明されないのです。本来ならいちいち注釈をつけて解説をしたくなる映画ですが、宮崎をそれを避けています。敢えて観客を置き去りにしたような映画なのです。

 だからこそ、見る人によってはわからないつまらない映画となるし、別の人からしたら絶賛ということになるでしょう。アニメですが教養のある大人のための文芸作品です。もっと言えば本当のターゲットは75歳以上の後期高齢者ではないかと思います。ぜひお爺さんお婆さんに映画館に足を運んでいただきたいものです。



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